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荒涼とぬくもりの3部作~映画「オーバー・フェンス」 [映画時評]

荒涼とぬくもりの3部作~映画「オーバー・フェンス」


 逆境の中での生への執着を描いた作家・佐藤泰志の原作を映画化した「函館3部作」が完成した。第1作は熊切和嘉監督の「海炭市叙景」(2010年)、第2作は呉美穂監督の「そこのみにて光輝く」(2014年)、そして第3作が山下淳弘監督の「オーバー・フェンス」(2016年)である。
 佐藤の作品を読んでいつも思い浮かべるのは、打ちっぱなしのコンクリート壁にポツンと灯る裸電球である。冷たくザラリとした荒涼の中に、かすかな希望とぬくもりが危うく佇んでいる。どの作品も、そんな味わいである。佐藤は自らが生まれ育った「函館」という地方都市にこだわりながら、若者たちの閉塞感と捨てきれぬ希望を描いた。
 函館は北海道の南端・渡島半島にある。北海道は日本列島の北の果てにあり、函館は北海道の半島のどん詰まりにある。こうしたどん詰まり感を、紀伊半島の出身者である中上健次は、次のように書く。
 ――海に腹をさらし、山に背を向けているのがその半島の生活の意味である(略)
 ――半島は爆弾でもある。
 ――ものを見る人間に、半島は本質として無政府である。
(「夢の力」講談社文芸文庫、1994年)
 中上は、彼一流の過激な言葉遣いで半島という辺境に閉塞感と解放感が入り混じる不思議な情景をみている。函館に暮らした佐藤にも、このような心象が潜んでいただろうか。
 もう一つ思うのは、地方都市が抱える古さと新しさの混在する中での、不安な心持である。「海炭市叙景」に触れて、川本三郎はこう書いている。
 ――古い町はさびれたが、新しい町はまだ育っていない。完成されていない。そこからくる不安が、人々に何かを待たせるのだろう。「海炭市」では、不安とともにあることが生きる条件になる。
(「言葉の中に風景が立ち上がる」新潮社、2006年)
 「古京はすでに荒(れ)て、新都はいまだ成らず」と、人心の不安を表現した「方丈記」の一節を思わせる。この二つのうち、前者は函館の地理的特性から生まれる思想のかたち、後者は地方都市の置かれた状況から生まれる思想のかたちを表しているように思う。
 映画「海炭市叙景」(いうまでもないが、海炭市とは函館のことである)は連作18編のうち5編を取り上げ、オムニバス風に仕上げた。不況でドックを解雇された男と彼を待つ妹、都市再開発に抗う老女、妻の裏切りに心を乱す市職員…。共通項は「敗者」であるが、みんな何かを待っている。待つことで希望の輪郭を心の中に描こうとする。
 「海炭市叙景」がタイトルそのままに市井の哀歓を描いたのに比べ、「そこのみにて光輝く」は、男女の出会いを描いている。鉱山事故をきっかけに仕事をやめた達夫(綾野剛)と傷害事件で仮出所した拓児(菅田将暉)の出会い。拓児の自宅には、夜の盛り場で売春をし、暮らしを支える姉の千夏(池脇千鶴)がいた…。そこには、絶望感を抱きながらも枯れるには早い男と女が逆光に佇んでいる。
 「オーバー・フェンス」は、作家の道を一度は断念し、函館の職業訓練校に入ったころの佐藤自身の体験がベースにあるという。妻に見限られて故郷に戻り、失業保険で食いつなぎながら職業訓練校に通う白岩義男(オダギリジョー)。生きる目的を失い、惰性で過ごす日々。そんなある日、訓練校の仲間の男に誘われてキャバクラに行き、風変わりな女・田村聡(蒼井優)と出会う。なぜか、危うさを秘めた女の言動に惹かれていく。白岩は聡に、訓練校で開かれる校内対抗ソフトボール大会に来てほしいと頼む…。前2作に比べるとストーリーは重くはなく、比較的さらりとした味わいである。
 実際の佐藤は訓練校を中退したのち再び上京、「オーバー・フェンス」や「そこのみにて光輝く」を書きあげ、長期連作「海炭市叙景」を完成させる前に41歳で自死した。「海炭市叙景」は1年の四季の中で書こうとされていたと聞く。冬から始まり、早春のあたりで終わっている。芥川賞に5回ノミネートされた作家である。

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