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旅におぼれて~現代史の現場を歩く②~アウシュビッツ㊥ [旅におぼれて]

旅におぼれて~現代史の現場を歩く②~アウシュビッツ㊥


 現地の日本人ガイド、中谷剛さんに案内してもらった。極めて抑制的であり、詳細であり、視野の広さをうかがわせる話しぶりは、はるばる日本からアウシュビッツを訪れたことの意味をあらためて再確認させてくれる。

 中谷さんの指さす先に、ヘスが一家4人で構えていたという白壁の小さな家があった。その家からわずか300㍍先に、最初のガス室がつくられたという。焼却場のすぐ隣にはナチ将校のためのレストランもある。これは、姜尚中との対談「戦争の世紀を超えて」で映像作家の森達也も指摘するところだ。将校たちは、煙突の煙を眺めながらワインでも飲んでいたのだろうか。そのモラルの崩壊ぶりはすさまじい、というほかない。

 むしろ、こうした犯罪は、一時の狂乱・狂熱の中でこそ起こったと、人類の一員としては思いたい。しかし、アウシュビッツを訪れて思ったのは、これは確実に一時の錯乱によってなされたことなどではないと言うことだ。

 では、なぜそれは起きたのだろうか。それを考える時、人間の「原罪」と語ってしまっては、絶対にならないのだと思う。

 こんな言い方をすれば誤解する向きもあるかもしれないが、日本軍がアジア各地で起こした「犯罪」とは、戦場のモラルの崩壊=つまりは戦闘行為の延長線上=で語られるべきものであろう(だからこそ、戦争責任を考える上での倫理的な逃げ道を与えてしまうのだが)。しかし、アウシュビッツは、絶対に「戦闘行為」の延長線上にあるものではない。

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ビルケナウ収容所にある3段ベッド。煉瓦の上に、わずかなワラが敷いてあるだけ。1段に3、4人が詰め込まれたという

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 「死の壁」。収容所内ではガス殺だけでなく銃殺も行われていた。この壁の前で数千人の命が奪われたという。ソ連軍がアウシュビッツ収容所を解放し、七千人を自由にした日から69年がたったことし127日、この壁に慰霊の花が添えられた。収容所内にはこのほか、脱走に失敗した者たちを見せしめとしてつるした鉄枠も残る

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 左奥が死体焼却場、右手前がナチ将校用の食堂。アウシュビッツでは多いときは1日1万人が「絶滅処理」されたという。そのそばでナチ将校たちは何を食べ、何を飲んだのだろうか

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