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「炭鉱のカナリア」~漫画が担うべき役割 [社会時評]

「炭鉱のカナリア」~漫画が担うべき役割


 メディア史・大衆文化論を専門とする佐藤卓己・京都大准教授が「読者の高齢化が進む論壇は老人の盆栽趣味みたい」[注1]ととらえているのを見て、納得してしまった。枝ぶりはいいがいかんせん大地に根を張っていない、という意味だろう。確かに、例えば論壇誌の一つ「世界」は確固たる光を社会に投げかけ、それなりの存在感を示すが、大衆社会全体からすれば、その光の届く範囲は狭い。

 数十年ぶりだろうか、コミック誌を喫茶店での暇つぶしでなくじっくりと読んだ。きっかけは、福島での鼻血描写が波紋を広げた「美味しんぼ」(ビッグコミックスピリッツ=小学館発行、作・雁屋哲、画・花咲アキラ)だ。

 かつて「右手に少年マガジン、左手に(朝日)ジャーナル」といわれた時代をくぐってきた身には、漫画は一過性ではない媒体、との思いがある。白土三平の「カムイ伝」、永島慎二の「漫画家残酷物語」、つげ義春の「ねじ式」、そして、大正ロマンと昭和のアングラ文化を融合させた林静一の「紅犯花」…。

 評論家の内田樹氏は、養老猛司氏からの受け売りと断って、日本の漫画の背景には日本語の言語文化があると指摘する。つまり、日本語は漢字と仮名(カタカナ)で成り立っているが、漢字は表意文字であり、仮名は表音文字である。漢字は「具体的な物質性を備え」、身体的な持ち重りのするものなのである。これを漫画に置き換えると、漢字を理解する脳内部位は「絵」を理解する部位に通じ、表音文字である仮名を理解する部位は、「吹き出し」を理解する部位に通じる。そこが、表意文字一本で言語体系が成り立っている文化圏とは決定的に違っているのである[注2]。このことが、絵と文字の2本のレールを使って走る「漫画」という表現形式の成立につながっている。

 美味しんぼのコピー.jpg


 「美味しんぼ」では、5月1219日号の鼻血シーンの後、医者に「放射線と鼻血とは関連付ける医学的知見はない」と語らせ、特定の結論を押し付けないという意図がみえる。しかし、地元自治体だけでなく閣僚らが相次いで「風評被害を招く恐れがある」と「遺憾」を表明。そのためかどうか、6月2日号で13人の意見と3自治体の抗議文をまとめた「『美味』しんぼ福島の真実編に寄せられたご批判とご意見」を掲載、「次号からの休載」を告げた。

 読んでみたが、鼻血と放射線は無関係と理論的に結論付けたものは見当たらなかった。それどころか、津田敏秀・岡山大教授の「『因果関係はない』と批判をされる方には、『因果関係がない』という証明を求めればいい」という指摘が記憶に残った。ここにコメントを寄せている医師・肥田舜太郎さんは著書[注3]で、広島の被爆者が鼻血と血便に苦しめられた様子を書いているし、フォトジャーナリスト広河隆一氏はチェルノブイリ避難民の5人に1人が鼻血を訴えたという2万5千人のアンケート調査結果をブログに掲載している[注4]。

 百歩引き下がっても、現時点の医学的知見では「放射線と鼻血は関係ない」とは明確に断定できないのではないか。ここで思い出されるのは、水俣湾で発生した不可解な病が当初、「チッソ」という企業の原因説を否定されたため、出さなくてもよかった多くの患者を出してしまった苦い体験である。

 論壇誌の「光」が大衆社会に届きにくくなった今、「炭鉱のカナリア」とも言うべき役割は骨のある漫画が担わなくてはならないのではないか。頑張れ「美味しんぼ」。

[注1]「災後のメディア空間―論壇と時評2012―2013」(中央公論社、2014年)

[注2]「日本辺境論」(新潮新書、2009年)

[注3]肥田舜太郎/鎌中ひとみ「内部被曝の脅威―原爆から劣化ウラン弾まで」(ちくま新書、2005年)

[注4]http://www.hiropress.net/mt/archives/000050.html


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