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平成のバカ査定~新国立競技場 [社会時評]

平成のバカ査定~新国立競技場

 2020東京オリンピックのメーンスタジアムになる新国立競技場の建設費が7月7日、2520億円に決まったらしい。「らしい」と書いたが、どうも、この決定過程がはっきりしない。そもそも、これを決めた会議はなんなのか。「日本スポーツ振興センター(JSC)」の「有識者会議」らしいが、これは何なのか。こんな団体が、国民の税金2520億円の使い道を決める根拠は何なのか。ちなみに「JSC」なるウェブサイトにも行ってみたが、何の団体やら、さっぱりわからない。

 素朴な疑問をいくつか。2020年に予定されているのは「東京オリンピック」で「日本オリンピック」ではない。過去のオリンピックも、すべて都市名が付いている。つまり、五輪をやるのは都市ではないのか。オリンピック発祥の地、古代ギリシャが都市国家であった名残であろう。そこは、国が主催するW杯サッカーなどとは違っているはずだ。それなのに、なぜ国家が前面に出るのか。新国立の建設費2520億円がねん出できないから東京都に500億円出せという。だったら、その500億円で都立競技場を作ればいい。これでは本末転倒というものだ。

 オリンピックというたかだか国際運動会に総額いったいいくらかけるつもりなのか。既に、新国立は2520億円では収まらないと言われている。仮に3000億円を超すとしたら、全体は1兆円では収まらないだろう。逆に総額5000億円で収まるとしたら、予算配分としてアンバランスこのうえない。しかし、ざっと見た限り、過去のオリンピックは5000億円前後で行われている。つまり、まず新国立ありきではなく、2020オリンピックにいくらかけるかを決めた上で、新国立の建設費を決めるというのが筋道ではないか(この前に、そもそも福島の現状を見るにつけ、オリンピックをやる意味=犯罪性を問うべきだという議論もあるが、それはここではふれない)。

 今日のオリンピックの原型は1984年のロサンゼルスオリンピックだと言われている。80年モスクワがソ連のアフガン侵攻に抗議する西側のボイコットという政治の荒波にさらされ、76年のモントリオールは莫大な赤字を残した。こうした曲がり角にあって、ロスは、商業化路線を打ち出した。入場料、スポンサー料、テレビ放映権料の確保である。この3本柱によって、ロスは黒字化に成功した。「コンパクトなオリンピック」という理念も、この流れに沿うものである。そうしなければ、スポーツは果てしなく堕落の道を転げ落ちるからである。しかし、今の東京オリンピックへ向けた動きは、こうした理念を無視している。

 一貫して分からないのは、「一体誰が責任を負い、誰が決めるのか」である。先ほども書いたように、本来は都市が主役。しかし、知事に権限はなさそうだ。では今回の新国立の基本計画を決めたのは誰なのか。JSCも「自分たちに最終権限はない」という。では文科省か。それとも新たに決まった五輪担当相か。それとも官邸か。昨日のJSCの有識者会議には、あのデザインを決めた安藤忠雄氏は欠席したらしい。では、一体誰なんだ。

 重要な人物を一人忘れていた。オリンピック組織委員長の森喜朗である。サメの脳みそ、蚤の心臓と言われ、暗愚の宰相と呼ばれた人物。えひめ丸が米原潜と衝突、日本人9人が死亡した時にはゴルフに興じ続けた人物である。いったい彼はどんな役回りを演じているのか。今回の新国立の件も、結局は森―安倍による政治決断だと言われる。国民感情とかけ離れた決定がボス同士の慣れ合い交渉で決まるのなら、これはムラ社会そのものだ。

 あの戦争を招いた「無責任の体系」は健在である。そして、戦艦大和以来のバカ査定がいままかり通ろうとしている。


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