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安保法制採決に思う~社会時評 [社会時評]

安保法制採決に思う~社会時評

 9月19日未明、参院本会議で安全保障関連法が成立。集団的自衛権の行使が可能となった。これによって自衛隊は、日本の防衛のためでなく他国の防衛のために海外で戦闘することが可能になった。法案自体の無効性、国会手続きの瑕疵については今さら触れない。このような事態がなぜ起きたか、これによって何をすべきかを考えてみる。以下、走り書きである。

 参院特別委の乱闘騒ぎは、見るに堪えないものだった。「ぶざまな事態」といったほうがいい。やりきれないのは、その乱闘騒ぎでさえ、パフォーマンスにしか見えないことである。こんな独裁的で理不尽な手法で法案が通されたことに抗議して、ただの一人の議員も辞任するとは言わないことこそが、それを雄弁に語っている。

・戦後民主主義の虚妄

 こうした政権の暴走に対して、若者を中心にしたデモが国会前で展開された。個人的には、あの新興宗教に似たお題目の唱え方はとてもついていけないが、それはここではいうまい。「戦争はいやだ」も「憲法9条を守れ」も、それはそれでよしとしよう。しかし、その先の思想が感じられないのはなんとも寂しい。この二つのスローガンから見えてくるのは「生活保守」の思想である。それを超えるものがなければ、政権が言う「他国並みに血を流す」という論理に真の意味で対抗することはむつかしい。
 しかし、その責任を、若者を中心にした彼らに負わせることは筋が違っている。わかりやすく単純ではあるが同時に空疎である彼らのスローガンから見えてくるものは、恐ろしいまでの戦後民主主義(あるいは戦後思想)の空疎さである。すなわち、真に責任を負うべきは「戦後」を丸々生きてきたものの「戦後責任」であろう。

・軽武装と経済優先

 戦後の日本は安保条約とともに生き延びてきた。是非は別にして、これはもはや隠しようがない。米軍基地を置くことで防衛費を安く見積もり、その分、経済に軸足を置く。吉田茂が引いたレールである。のちに岸信介が安保の双務化を唱え、米軍による日本防衛義務を負わせたのが60年の安保改定である。吉田・岸の動きを概括すれば、対米従属を貫くことで日本を自主独立へと導く、という戦略(いわゆる「のれん分け」戦略)と見えないこともない。では、吉田・岸の戦略の延長線上に今回の「安保」はあるだろうか。答えは「ノー」である。

・二つの意味での日本の奴隷化

 安倍政権は「安保」採決によって、二つの意味で日本と日本人に「奴隷」の思想を強要した。一つは、「多数が正義である」という思想。これは、裏返せば「少数は多数に従え」という含意であり、文字通り服従の思想である。しかも、ここでいう「多数」とは「議席数」のことであるに過ぎない。前回の衆院選で自民は小選挙区で2割台、比例区で1割台の絶対得票率しか得ておらず、そのことが各種世論調査とのギャップとして現れているが、そうした現実への謙虚な視線はないようだ。
 もう一つは、自主独立を目指さずに日米共同防衛への傾斜を強めることによって必然的にもたらされる、さらなる米国の属国化である。
 この二つの「奴隷の思想」は、間違いなく日本国民の「自立」と「解放」をはるか遠くへ押しやるものである。

・打ち捨てられた沖縄

 以上のような政権の動きが、日本国内でどのような「歪み」をもたらしているか。この答えを見つけるのはむつかしいことではない。
 その一つは、戦後一貫して打ち捨てられてきた沖縄の存在である。もし集団的自衛権を行使できる安保体制を構築するなら、全国の米軍専用基地の74%が集中する沖縄の現状は改善されるべきであろう。それをせずに、日本を「戦争できる国」にするという発想は、70年前に「捨て石」として県民を米軍70万の前にさらしたのと変わらぬ発想というほかない。

・「近代」との対決~忘れられた竹内好

 もう一度、戦後思想の問題に戻ろう。なぜ戦後思想はこれほど空虚なものとなったか。まず、「戦争」(もしくは戦争責任)ときちんと向き合いながら国民横断的な「非戦」の思想が構築されてこなかったこと。それは、米国への向き合い方、天皇制の問題、近代思想の検証に派生する。背広を着替えるようにではなく、自己否定を積み重ねて戦後思想を構築するという作業がどれほど行われてきたか。いいかえれば「対米」「天皇」「近代」がどれほど戦後思想の中で血肉化されたのだろうか。
 確かに、かつては鶴見俊輔、丸山真男、吉本隆明、橋川文三、桶谷秀昭らによってそうした営為はなされてきたが、それはどこへ行ってしまったか。
 痛感するのは、かつて大東亜思想に身を震わせ日本浪漫派に耽溺した体験を持つ竹内好が、その体験を正面に据えながら戦後思想を構築しようとした姿である。いま、戦後という空疎な時代を振り返るにつけ、竹内の不在こそが悔やまれる。そして、竹内の不在はそのまま、日本のアジア観の空疎さにつながっている。

・リベラル思想の復権を

 もう一度、「今」に戻る。今回の政権の暴走を呼んだものは、直接的には衆参での圧倒的な与野党の議席差であるが、それは表面上のことである。最も問題なのは、正統なリベラルの思想が日本社会に形成されていないことである。分厚いリベラル層が存在し、それが議席として反映される政治状況を作らない限り、現在の悪政は改善されないだろう。

・短期的な問題~選挙戦略

 共産党が野党間の選挙協力を呼び掛けているという。何を今さら、とも思うが、もちろん選挙協力を進めるべきだ。現在の小選挙区ができた時点で、好むと好まざるにかかわらず、野党は統合しなければ議席に結びつかないことは、子供でも分かる理屈だった。それを自党の党利党略にこだわり、今日の事態を招いたのはいったいどの党だったか。
 しかし、過ぎたことは言うまい。願はくば共産党が自党の路線を他党に押し付けないことである。


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