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米国「赤狩り」の時代描く~映画「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」 [映画時評]

米国「赤狩り」の時代描く~

映画「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」


 オードリー・ヘプバーンが主演したウィリアム・ワイラー監督「ローマの休日」(1953年)の脚本はイアン・マクレラン・ハンターが書いたことになっていた。事実、アカデミー脚本賞は彼に与えられた。しかし、後年になってオスカーは、別の人物に与えられた。彼の名はドルトン・トランボ。イアン・マクレラン・ハンターとは知人関係にあった。実は、トランボが書いた脚本が、ハンターが書いたものとして映画化されたのであった。なぜこういうことになったのか。映画は、そのいきさつを細かく追っている。

 第二次大戦は、ファシズム対反ファシズムの戦いだった。戦争が終わると、世界の対立軸は自由主義対社会主義へと移った。自由主義の世界的リーダーを自認する米国内では、国内の共産主義を摘発する動きが強まった。いわゆる「赤狩り」である。ウィスコンシン州選出の上院議員ジョセフ・レイモンド・マッカーシーが反共の急先鋒として登場すると、その動きは加速する。マッカーシー旋風が全米で吹き荒れたのである。第一次大戦末期からあった下院非米活動委員会が「赤狩り」の主要な舞台となった。標的は政治の分野にとどまらなかった。映画や演劇を担う人たちも「ブラックリスト」に載せられた。要注意とされた人たちは「ハリウッドテン」と呼ばれた。共産党員だったトランボもその一人だった。

 トランボ(ブライアン・クランストン)は1947年、議会での証言を拒否、刑務所に送られる。出所後も、全米的な反共のあらしの中で、本名による脚本執筆は不可能になった。生きるため、別の名前で脚本を発表することにした。その中で、知人の名で公表したのが「ローマの休日」だった。

 1950年代のハリウッドの俳優たちも登場する。反共のプロパガンダとしてのジョン・ウェイン(デビッド・ジェイムス・エリオット)、非米活動委員会で困惑した表情を見せるハンフリー・ボガードやローレン・バコールもちらりと登場する。ちなみに、ローレン・バコールの自伝「私一人」を読むと「非米活動委員会」で一章を立て「ハリウッドを襲った恐怖はあなた方には想像できないでしょう」と書いた「デイリー・ニューズ」紙への一文を紹介している。

 妻のクレオ・トランボ(ダイアン・レイン)らとともに潜行生活を送っていたトランボに味方が現れる。俳優のカーク・ダグラス(ディーン・オゴーマン)。彼は、ローマ帝国での奴隷の反乱を描いた「スパルタカス」の脚本を依頼する。監督のオットー・プレミンジャー(クリスチャン・ベルケル)。彼はイスラエル建国を描いた「栄光への脱出」の脚本を依頼する…。こうして追放から13年、彼の名はスクリーンに刻まれた。「ローマの休日」でのアカデミー脚本賞は1993年にあらためて贈られた。

 あのアメリカでさえ、こうした時代があったのである。トランボという強靭でしたたかな精神の持ち主を描きながら、一方で「集団化」が呼び起こす恐怖を描いた映画。それが「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」である。なお、トランボには生涯唯一の監督作品として「ジョニーは戦場へ行った」がある。ベトナム戦争中の1971年に作られた。

トランボ.jpg



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