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興味尽きないその歴史~濫読日記 [濫読日記]

興味尽きないその歴史~濫読日記


 
「日本ノンフィクション史」(武田徹著)

日本ノンフィクション史.jpg  副題に「ルポルタージュからアカデミック・ジャーナリズムまで」とある。「ルポ」といえば戦時中、いわゆる文士による「従軍記」が存在した。あれは本来の意味でのルポルタージュだったのか。そのあたりから、この「日本ノンフィクション史」は語り起こされる。むろん、かつての「従軍記」は、後年に火野葦平自身が語っているように軍部によるさまざまな制限の中で書かれたものであった。事実の一面だけを書く、という極めて不幸な側面を持つが、それでも堀田善衛が指摘するように、ルポルタージュを生んだ最大のものは戦争と革命だった。
 戦争が終わってみると、日本では翻訳されなかったためほとんど知られなかったが、ジョン・リードの「世界を揺るがした10日間」というルポルタージュの傑作が1919年に書かれていたことが広く知られる。そんな中で「猿取哲」のペンネームを持つ大宅壮一が台頭する。彼は戦後左翼思想に染まらぬ「無思想人宣言」のもと、新たなルポルタージュを模索する。平行して週刊誌メディアが隆盛を極める。背景には新中間層の拡張と伸展があった。
 ここで出てきたのが梶山季之、草柳大蔵に代表される「トップ屋」である。この呼称、実は週刊朝日を率いた扇谷正造の作だという。新聞社系の週刊誌は主に新聞記者によって書かれる。それに対して出版社系週刊誌の記事はフリーのライター(アンカーマン)やデータマンによってつくられる。こうした記事が相次いでヒットしたため「羨望とやっかみ、そして軽蔑の入り混じった呼称」(武田)だった。
 テレビ界の動きにも触れている。意外にも「ノンフィクション」を最初に使ったのはテレビ界だと、武田は言う。日本テレビ系「ノンフィクション劇場」がそれである。映像系メディアではもともと「ドキュメンタリー」が使われてきた。しかし、エイゼンシュタインのモンタージュ技法以来、この言葉にはある種の色がついてきた。特定の思想、あるいはプロパガンダとの結びつきが類推され、そこからあえて「ドキュメンタリー」を避け「ノンフィクション」をかぶせたということらしい。
 そして「ノンフィクション」である。武田はここで「ノンフィクション」か「ノン・フィクション」かにこだわる。「フィクション」に「ノン」ということで成り立つジャンルなのか、「ノンフィクション」という独立した分野なのか、という問いである。大まかに言えば、おそらく「ノン・フィクション」から出発しながら「ノンフィクション」に到達した、と理解するのが正しいだろう。もちろん、ここで沢木耕太郎の存在が大きい。沢木によってノンフィクションはひとつの頂点に達したといっていい。小説と見まがうばかりの「物語性」をノンフィクションは獲得した。しかし、沢木自身の次のような言葉によれば、このことはいささか危うい側面を持つ。「こうして出来上がったノンフィクションは、小説とどう違うのかと聞かれると、ちょっと返す言葉がなくなる」。いいかえればニュージャーナリズムで語られたノンフィクションは「閉じられたノンフィクション」であった、これをどう「開かれたノンフィクション」にするか。武田はここでリテラリー・ジャーナリズム、もしくはアカデミック・ジャーナリズムの道は用意できないか、と指摘する。
 書の内容に沿って「ノンフィクション」をめぐる歴史を簡単に振り返ってみると、こうした著作がなぜ今までなかったのだろうか、という思いがあらためてする。しかし、読んでいくうち「ノンフィクション」という言葉自体が極めて危ういものであることが分かる。ジャーナリズム、ルポルタージュ、ドキュメンタリーのなかでノンフィクションはどう位置付けられるのか。「ノンフィクション」とは何か。事実を書けばノンフィクションになるのか。事実の向こうに真実はあるのか。そういう思いが湧き出す。
 手元に資料がなく、この部分はあいまいな記憶に頼って書くのだが、かつて鎌田慧と草柳大蔵による「トヨタ」をめぐる論争があった。鎌田には「自動車絶望工場」、草柳には「現代王国論」がある。ともにトヨタを取り上げた。草柳は、最新鋭の設備によって食事が提供される社員寮を書いた。鎌田はそれに、実際に食してうまいかどうかを確かめたのか、と批判していたように思う。これは、実は深い意味を持っている。「ルポは見たり聞いたり、触れてみたりしたものでなければ書けないのか」という問題である。一方で鎌田の「自動車―」には「潜入ルポ」と揶揄する声があり、鎌田自身、当惑したことをある著作で書いていた。こうしたことは、ノンフィクション史の中でどう位置付けられるのだろうか。
 著者はこの書を書くのに7年を費やしたと「おわりに」で触れている。たとえば、鎌田慧のほかにも立花隆はどう位置付けるのか。書の中であまり触れられていない新聞社系のライター、上前淳一郎や本田靖春をどうとらえるのか。興味は尽きない。
 中公新書、880円。

日本ノンフィクション史 - ルポルタージュからアカデミック・ジャーナリズムまで (中公新書)

日本ノンフィクション史 - ルポルタージュからアカデミック・ジャーナリズムまで (中公新書)

  • 作者: 武田 徹
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2017/03/21
  • メディア: 新書


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