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心理描写が粗雑、足りない時代背景~映画「光をくれた人」 [映画時評]

心理描写が粗雑、足りない時代背景~映画「光をくれた人」

 

 比較的評価の高い作品のようなので見たが、正直いって期待外れだった。第一の理由は、物語のフレームが説明不足であることと、作品内での心理描写があまりにも粗雑であるためであろう。

 トム・シェアボーン(マイケル・ファスベンダー)は第一次大戦(19141918年)でオーストラリアからフランス戦線に参加、激しい戦闘で心に深い傷を負う。その傷を癒やすため、オーストラリアの絶海の孤島ヤヌスの灯台守として暮らす決意をする。そんなトムにイザベル(アリシア・ビカンダー)はひかれ結婚、ともにヤヌスで暮らし始める…。

 オーストラリアは英国の同盟国であるから、当然連合国軍の側に立ち、ドイツを中心とする勢力と戦った。第一次大戦は世界史上最初の機械化された戦争であり、その前線の模様は残虐極まりないもので、レマルクの「西部戦線異状なし」でも描かれた。こうした時代背景は一片のセリフではなく、物語の一部として語られないと説得力はない。

 イザベルは島で二度妊娠するが、流産してしまう。悲嘆にくれていると島にボートが漂着する。男と女児が乗っており、男は既に死んでいた。イザベルは、女児を我が子として育てようとする。トムは反対するが、ついにはイザベルの主張を認める。

 この作品は「愛の物語」または「ラブストーリー」として紹介されることが多いが、看板に偽りありと思う。この展開は愛の物語でも何でもない。ただの短慮と身勝手の物語である。後にイザベルは我が子を失った実の母の哀しみを知って心を改めるが、身もふたもない言い方をすれば、そんなことは最初から分かっていなければならない。

 ルーシーと名付けた女児の洗礼の日、偶然にもトムは実の母のことを知る。迷いながらも、真相を伝えることを決意。一切の罪を自らかぶり投獄されようとしたとき、イザベルは自らも罪びとであることを告白する。このあたりの舞台回しは観客に感情移入を求めるよう、計算されている。

 実の母ハナ(レイチェル・ワイズ)は、ヤヌス島に最も近い町パートガウス(イザベルが住んでいた街でもある)の資産家の娘だった。ドイツ人の男と結婚したため勘当同然の扱いを受ける。街の若者とのトラブルを避けるため、ドイツ人の男は娘を連れボートで海へ出る。そしてヤヌス島へ漂着する。

 ドイツ人と結婚したことが、なぜ親たちの逆鱗に触れたか。ここにも、前述したような第一次大戦の傷跡を見ることはできようが、その説明は一切ない。ドイツは敵国だったのである。

 漂着ボートに乗った男は生きていたかどうか。生きていたとすればトムには殺人の嫌疑がかかる。実際、トムが問われたのは殺人と誘拐の罪だった。その殺人の嫌疑は後に晴れたのかどうか、物語の展開でははっきりしない。

 ハナのもとに娘は帰ってくる。しかしハナは、彼女がイザベルを慕っていることに衝撃を受け、イザベルのもとに返すとともに二人の減刑を警官に申し出る。一方でトムとイザベルは、島で育てるよりハナのもとに返したほうがいいという結論に達する。

 30年近くたって、一人暮らすトムのもとをルーシーが訪れる。イザベルは既に世を去っている。トムはルーシーにイザベルの遺書ともいえる手紙を渡す。それを読んだルーシーはイザベルの思いを受け入れ、再びトムのもとを訪れることを約束する。

 これでいいのかな、と思えるほど登場人物すべてが許し合い、そして大団円である。「灯台守」の暮らしを描いた「喜びも悲しみも幾年月」(1957年、木下恵介監督)には戦争をくぐり抜ける夫婦のたくましさがあった。「そして父になる」(2013年、是枝裕和監督)は、偶然がもたらした生みの親と育ての親の困惑と成長ぶりを、こまやかな心理描写の中で浮き彫りにした。そうした作品に比べて、この「光をくれた人」はあまりにも粗雑に思う。
 2016年、米・豪・NZ合作。


光をくれた人.jpg

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