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事件の「凍土」は融けたのか~濫読日記 [濫読日記]

事件の「凍土」は融けたのか~濫読日記

 

「大逆事件 死と生の群像」(田中伸尚著)

 

 明治憲法下、刑法第73条で天皇や皇太子に対して危害を加えるか加えようとすれば死刑に処すと規定されていた。大逆罪である。適用された事件は4件で未遂が2件、予備・陰謀が2件とされる。このうち1910年の幸徳秋水、菅野すがらを処刑した事件は、現在ではフレームアップだったと認識されている。しかし、事件で逮捕・起訴された26人(うち12人は刑死)の名誉は、司法の上では戦後も回復されてはいない。

 この事件をめぐる現代までの人間模様を追ったのが「大逆事件 死と生の群像」である。書は戦後間もないころ、1946年のある少女の体験から始まる。彼女は井原市高屋町に住んでいた。大逆事件で処刑された森近運平の生まれ故郷である。少女が故郷の先人森近に興味を持ち、小学校の「卒論」に取り上げようとしたとき、森近はなお大逆の徒であった。天皇が神格否定をした直後、刑法73条が削除される直前のこと。著者の言葉を借りれば、大逆事件の被害者たちはなお「凍土の下」にいたのである。

 事件があったのは日露戦争から5年、朝鮮半島を併合した年。「地図の上 朝鮮国に黒々と 墨をぬりつつ秋風を聴く」と啄木がうたった年である(啄木は事件を知り「日本無政府主義者陰謀事件経過及び附帯現象」という一文を残して事件への並々ならぬ関心を示している)。植民地帝国へと暴走を始めた日本は、内に向かっては無政府主義、社会主義の台頭に危機感を強めた。こうした時代背景の中で「不穏分子」の撲滅を図ったのが大逆事件だった。一人の証人も採用せず、わずか3週間の審理で24人に死刑判決が出され、うち12人は判決から1週間後に死刑が執行された。後に12人は天皇の「恩命」で無期に減刑されたが、判決が修正されたわけではなかった。大逆罪は一審が終審と決められていたからだ。

 権力の暴走によって思想が弾圧されたこの事件を、著者の田中は徹底的に事件の被害者とその家族に寄り添うことで膨大な取材を重ね、時に関係者の内面の降り積もる雪のごとき日々を描き切っている。その筆致は、心境の襞にまで分け入っている点でノンフィクションノベルとでも呼べるものである。

 田中は、冒頭のエピソードで述べているように、この事件を必ずしも過去の終わった事件とは見ていない。そのことの意味を、巻末の解説で田中優子が分かりやすくまとめている。

 一つは、時の権力にとって不都合な人物群はいつ、どういういうかたちで一本の線でつながれ、事件のフレームアップに利用されかねないこと。二つ目は、国民に知らされないまま、権力の恣意によって証拠の捏造と冤罪が仕立てられかねないこと。三つ目は、実はこれがもっとも重いことなのだが、いったん「逆徒」のレッテルを張られたが最後、何十年ものあいだ故郷では疎まれ続けること―。

 安保法や共謀罪が強行的に成立してしまった今日、日本の政治風土の中で大逆事件という凍土は果たして解凍したといえるのだろうか。今日の状況を見るのに、そんな視点も必要だろう。

 岩波現代文庫、1340円(税別)。初版=2018年2月16日。


大逆事件――死と生の群像 (岩波現代文庫)

大逆事件――死と生の群像 (岩波現代文庫)

  • 作者: 田中 伸尚
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2018/02/17
  • メディア: 文庫

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