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どこにでもある日常の風景を重ねてどこにもない人生が浮かび上がる~映画「ジュリエッタ」 [映画時評]

どこにでもある日常の風景を重ねて
どこにもない人生が浮かび上がる
~映画「ジュリエッタ」

  スペインのペドロ・アルモドヴァル監督作品である。つくづく思うのは、女性の描き方がとてもすぐれているということだ。波乱万丈のドラマがあるわけではない。日常の小さなエピソードを丹念に重ね、どこにもない世界を作り上げていく。あるいは、一つ一つのエピソードのつながりが分からないと思う向きがあるかもしれない。しかし、アルモドヴァルは決してそこを説明的に処理しようとは思っていない。あくまでも映像で訴える。そうした意味で、この映画は散文的ではなく映画的といえるかもしれない。
 マドリッドで暮らすジュリエッタ(エマ・スアレス)はある男とポルトガルに旅立とうとしていた。しかし、新生活を前に彼女は12年前に別れた娘アンティア(ブランカ・パレス、プリスシーリャ・デルガド)の親友だった女性とばったり出会う。彼女から、アンティアがマドリッドに戻りたがっていると聞いたジュリエッタの心は騒ぐ。そして、届くあてのない娘への手紙を書き始める。「今こそすべてを話したい」…そんな思いをにじませて。
 ここから、過去の回想シーンへと転換する。ある列車で偶然出会ったジュリエッタ(アドリアーナ・ウガルテ)と漁師ショアン(ダニエル・グラオ)の恋。小さないさかいの末にあらしの海に出たショアンはそのまま帰らぬ人となる。そのとき、一人娘アンティアは学校のキャンプに出掛けていた。父の死に疑問を持ったアンティアはうつ病になり、ある宗教団体に救いを求める…。
 ジュリエッタの「いま」と「過去」の切り分けが極めて鮮やかに処理されている。「いま」は赤、というより紅をベースに画調が整えられ、「過去」はブリリアントなブルーを基調にする。紅―暗い赤は聖衣、信仰、罪の意識が背後に舞っており、明るい青はスペインでは誠実、ひたむきを表すというように、若い日のジュリエッタの伸びやかな心境を縁取る。
 冒頭に書いたように、ここにあるのは誰にでも起こりうる日常のエピソードである。しかし、それらを丹念に積み重ねた結果、一人の女性の重厚な、そして彼女にしかない人生が浮かび上がる。その意味では、これは最近の日本でよく見かける私小説的な「家族ドラマ」に引けを取らない「家族ドラマ」である。2016年、スペイン。

 

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