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全米を覆う「私は惨め、それで何が悪い」 [濫読日記]

全米を覆う「私は惨め、それで何が悪い」

 「ルポ トランプ王国―もう一つのアメリカを行く」(金成隆一著)

トランプ王国.jpg 今朝(228日)の新聞で、トランプ米大統領がアカデミー賞授賞式でさんざん皮肉られたことが伝えられた。メディアの選別、移民の排斥をはじめ、多様性を認めない姿勢への批判である。アメリカは英国から独立する際、自由と可能性の国を旗印にしてきた。その国で、どうしてこんな政権が生まれたか。
 もちろん、これはトランプ個人の資質によるというより、アメリカが置かれた窮状がもたらした結果であろう。では、アメリカが置かれた状況とは何か。それを探ったのがこの書である。
 あるトランプ支持者が書いたアメリカの地図が出てくる。粗雑な地図だが、言おうとすることはわかる。アメリカの中央部、かなり広い範囲がぐしゃぐしゃと塗られている。著者によると、赤(=共和党の色)で塗られている。東と西の海岸部は別のトーンになっている。おそらくそこは青(=民主党)で塗られている。地図の書き手は、こういう。
 ――大陸の真ん中が真のアメリカだ。鉄を作り、食糧を育て、石炭や天然ガスを掘る。(略)もはやオレたちはかつてのようなミドルクラスではなくなり、貧困に転落する寸前だ。今回は、真ん中の勝利だ。
 トランプ政権を生み出した心情が、この言葉に集約されている。
 著者はまず、2016年と2012年の大統領選結果を見比べる。前回、共和党が負けて今回勝った州が六つ。そのうち、フロリダを除く5州には共通項がある。ラストベルト(錆びついた工業地帯)であることだ。労働者が多く、元々民主党が強かった地域。ここがトランプ支持に変わった。労働者が民主党ではなく、共和党のトランプ支持に回ったということである。
 著者はこの地域に、大統領選の1年前、201512月から通ったという。首都ワシントン、あるいはニューヨークやロサンゼルスなど沿岸都市では本当のアメリカは見えない、という思いからである。そこで見聞きしたものを、ルポにまとめた。
 まず見えてくるのは、グローバリズムに打ちのめされたミドルクラスの姿である。収入は下がり、職を求めて若者が出ていくのが当たり前になった田舎町。そんな中で、中年白人の死亡率が上がっているとういう論文がメディアで紹介された。背景にあるのは自殺や薬物乱用。借金をしながら大学を出て、フェンス工場で働くロニー(38)は、「dead-end job」(成長の見込みのない仕事)だとつぶやく。そして、「トランプにやらせてみたい。何ができるか。この地域には変化が必要だから」という。
 ある逸話が、記憶に残る。
 クリントンが演説で、トランプ支持者の半数は人種差別や男女差別主義者など「deplorable」な人たちと呼んだ。嘆かわしい、惨めなという意味のようだ。弁護士、大統領夫人、上院議員、国務長官と人もうらやむキャリアを重ね、長年、中央政界にいて高額の講演料をもらうクリントンには言われたくない。そんな憤りに、この言葉は火をつけた。しかも、マンハッタンでの資金集めパーティーで出た言葉だから、なおさらだ。トランプ支持者たちは「私はみじめ」と書いたTシャツを着て、こんなクリントンは支持したくない、という。
 「私は惨め」という思いはリベラル嫌いにも通じ、アメリカン・ドリームは死んだという思いにもつながっていく。事実、1980年代生まれで、階層間での上昇率(親よりも所得が増えた層の率)は、ラストベルトで低いというデータがあるという。
 こうした閉塞的な状況の中でトランプが掲げた標的は二つ。一つは自由貿易、もう一つは移民。これがミドルクラスから脱落しかかった多くの人々の心情に響いた。独自の資金力を持つトランプが言えば、しがらみがないからやってくれると思った。
 しかし、著者も触れているように、多様性の尊重や言論の自由、機会均等といったアメリカの原点を認めない権力者の手でアメリカはどこへ行くか。事実を軽視し偏見と差別を振りまく権力者は、どう見てもアメリカには似合わない。懸念は広がるばかりである。
    ◇
 グローバリズムの発信源は、元々アメリカである。国境の内側に収まらない規模に発達した企業が未知の領域を求めて世界を傘下に収めていった、それがグローバリズムの歴史だった。その最も醜悪な形である「惨事便乗型資本主義」の理論を唱えたフリードマンの信奉者には米英ロ中の指導者、IMF、FRBのトップまで連なる(ナオミ・クライン著「ショック・ドクトリン」)。多国籍企業によって途上国民とアメリカの中間層が天秤にかけられた結果、グローバリズムの波は皮肉にも、アメリカ経済の根幹ともいえる部分をいまや崩壊させているのだ。著者は朝日新聞ニューヨーク特派員。(岩波新書、860円)


ルポ トランプ王国――もう一つのアメリカを行く (岩波新書)

ルポ トランプ王国――もう一つのアメリカを行く (岩波新書)

  • 作者: 金成 隆一
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/02/04
  • メディア: 新書


アメリカの衰亡~日本は自立すべき時 [社会時評]

アメリカの衰亡~日本は自立すべき時

 「帝国以後」(E・トッド著)を読んで

 帝国以後.jpg ・トランプ政権の意味~「国民国家」への欲望
 20171月、米トランプ政権がスタートした。滑り出しは、お世辞にも順調とはいえない。世界各国からだけでなく、米国内からも厳しい批判を浴びている。代表的なものは、中東7カ国からの入国禁止をうたった大統領令であった。幸い、というべきだろう。この大統領令は司法の手で止められているが、ほかにも、日々の発言に極端な保護貿易の主張や移民、人種への蔑視がにじみ、危うさをぬぐいされない。
 なぜ、トランプ大統領はこんな発言を繰り返すのか。一つには、第2次大戦後、世界が米国にかぶせた「例外主義の国」、すなわち覇権国家というマントを脱ぎ捨てたいという隠しようもない欲望があるためではないか。一見粗雑なトランプ発言を「普通の国民国家になりたい」という底意を意識したうえで聞けば、かなり理解できる部分がある。先ごろ問題になった、安保をめぐる対日批判も「特別な役割を負わされた米国がこれだけ苦労しているのに、なぜ日本はただの国民国家であり続けるのか」という文脈で理解すれば、かなりの部分のみこめる。念のため断っておけば、これはトランプ発言を擁護するという意味ではない。

  ・米国は世界のお荷物~パックスアメリカーナ終わり
 E・トッドの「帝国以後」は、2003年に刊行された。米同時多発テロからアフガン戦争を経て米国がイラク戦争にのめりこんだのが2003年であった。つまり、イラク開戦とほぼ同時期に刊行された。この書の冒頭付近には、こんな文章がある。
 ――アメリカ合衆国は現在、世界にとって問題となりつつある。これまでわれわれはとかくアメリカ合衆国が問題の解答だと考えるのに慣れてきた。
 トッドは続けて、しかしいまや米国は、「不安定と紛争」を維持し「国際的秩序崩壊の要因としての様相」を強めようとしている。そして、副次的重要性しか持たないいくつかの国を「悪の枢軸」と呼び、世界に同調を求めている、と言う。もちろん、ここにはイラクが念頭にある。
 トランプ発言は、もはやそうした立場さえも捨て去って「ただの国」になりたいといっているようだ。
 フランスの人口学者であるトッドはここで、アメリカという国のアウトラインを追う。18世紀、英国との戦争の末に独立。以来、ニューフロンティアと移民の国として欧州からヒトとカネが流入し発展する。一時モンロー主義の国としてヨーロッパへの不干渉を唱えるが、第1次大戦では途中から参戦。第2次大戦も、「パールハーバー」によって対日戦争の先端を開くが、もともとヨーロッパを舞台にした独ソ戦では積極的ではなかった。本格的な参戦は、1944年のノルマンディー上陸作戦からと思われる。トッドも書いているが、ナチスからヨーロッパを解放したのはソ連だった。
 しかし戦後、ソ連が世界の覇権をうかがい、一方で戦禍のため疲弊しきったヨーロッパは、ソ連に対抗するための「覇権国家」の役割をアメリカに期待する。そして、その結果―。
 ――アメリカは、たしかにソ連に勝ったかもしれない。しかし、冷戦の終結とともに米ソ間の緊張が緩和され、「雪解けの時代」になると、アメリカがもはや「理想の象徴」でないことが明らかとなっていた。(ポール・スタビロン著「アメリカ帝国の衰亡」から。この部分はasaによる引用)

  ・「帝国」を支えるもの~ドイツは自立、日本は?
 戦後、アメリカが「帝国」として存在するために必要だったものは、まず強大な仮想敵・ソ連であり、次に帝国を支える「盟友」だった。その柱はドイツであり、日本だった。
 ――日本はドイツに次いで、第二次大戦後に生まれたアメリカ・システムの第二の戦略的柱である。(略)ドイツはアメリカの後見から独立しつつある。日本はほとんど動かなかった。(「帝国以後」)
 アメリカ「帝国」の崩壊、もしくは衰亡によって、ヨーロッパは自立へと向かい、かつての「帝国」から「国民国家」へと相貌を変えたロシアと接近しつつある。世界は確実にアメリカ、ヨーロッパ、ロシア、中国という多極化へと向かっている。しかし、日本だけは相変わらず、「日米同盟」が日本の安全を守る道だと盲信している。

  ・日本の取るべき道~「沖縄」「原発」という亀裂
 トランプ政権の登場は、まぎれもなくアメリカ経済の衰亡の結果であり、帝国〈=例外主義的な覇権国家〉から一国民国家への変身願望の表れであろう。この結果、世界は一極支配から脱し多極化へと向かう。事実、ヨーロッパもロシアも中国もそう思っている。その中で日本だけが「沖縄」「原発」という活断層を抱えながら(二つとも、既存の路線を変えられないのは「アメリカ由来」であるためだ)、日米同盟を不可侵のものとして奉っている。イスラムの国でありながらNATOに加入したトルコがロシアと連携しても、アメリカは動かなかった(動けなかった?)。沖縄、原発で日本が独自の路線を取ったからといってアメリカが制裁的な動きをするなどとは考えられないし、そう考える材料もない。


帝国以後 〔アメリカ・システムの崩壊〕

帝国以後 〔アメリカ・システムの崩壊〕

  • 作者: エマニュエル トッド
  • 出版社/メーカー: 藤原書店
  • 発売日: 2003/04/30
  • メディア: 単行本

 

戦時下にしては甘すぎるストーリー~映画「マリアンヌ」 [映画時評]

戦時下にしては甘すぎるストーリー~映画「マリアンヌ」

  1942年の仏領モロッコといえばあの名作「カサブランカ」を思い出すが、この映画ではイントロの舞台設定に使われているだけのようだ。第2次大戦下のラブストーリーという意味では共通するが、それ以外ではほとんど共通点はない。監督は「バック・トゥ・ザ・フィーチャー」「フォレスト・ガンプ」のロバート・ゼメキス。というわけで、かなりの力作と思いきや、意外に凡作だった。
 カナダ人諜報員マックス(ブラッドピット)が落下傘で砂漠に降り立つ。カサブランカに向かい、仏の女性諜報員マリアンヌ(マリオン・コティヤール)と合流する。狙いは夫婦を装ってドイツ大使に近づき、殺害することである。目的を果たした二人はロンドンに逃亡するが、工作を通じて偽装ではない「愛」が芽生える。
 空襲下ではあるが、ロンドンで二人は幸福な日々を過ごす。しかし、あるときマックスは衝撃的な情報を受け取る。ロンドンからドイツ向けに軍事情報が発信されており、発信源はマリアンヌではないかとするものだ。そしてマリアンヌは既に1941年に死亡しており、現在のマリアンヌは別人だとするものだった。マックスは濡れ衣と信じ、かつてマリアンヌと行動を共にした仏レジスタンスのメンバーを捜す。そして、その結果は…。
 最初に書いたように、スパイミステリーとラブストーリーを組み合わせてあるだけに、どうしてもラブストーリーの甘さが勝ってしまっている。ラストシーンも、どこかで整えられた「愛の物語」ふうの感じ、つまり「都合のよさ」が抜けない。
 名監督ゼメキスに言うのもなんだが、例えば現在と戦時を交互に組み合わせた「入れ子」風の展開にできなかったのだろうか。そうすれば、二人の子アナの存在も生き、物語に緊迫感が生まれてくるだろう。どうみてもこれでは、戦時と思えぬ緊迫感のなさと砂糖菓子のような甘さが気になってしまう。


マリアンヌ.jpg

 

豊饒とも思える日常の深淵~濫読日記 [濫読日記]

豊饒とも思える日常の深淵~濫読日記

 「セカンドハンドの時代『赤い国』を生きた人々」(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著)

セカンドハンド.jpg ソ連は1917年の革命で誕生し、1991年に崩壊した。よくも悪しくも、20世紀の壮大な実験であった。この「赤い時代」に生きた人々の肉声を拾い集め、一つの「帝国」の相貌を浮き上がらせたのが、この書である。
 「セカンドハンド」とは「お下がり」の意味である。誰かが使い古した思想や社会システムを後生大事に守ってきた。そんな国家に付き合った(付き合わされた?)人々に20年間インタビューを重ね、出来上がった書は600㌻にもなった。
 著者のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチはこれまで、「原発」や「戦争」をテーマにいくつかの著書を出し、2015年にノーベル文学賞を受賞した。ウクライナに生まれ、ベラルーシで育った彼女は「私には三つの家がある」と語る。三つ目の家とは、もちろん「ロシア」である。そうした彼女が「ユートピアの声」シリーズの完結編として、「ソ連崩壊」をテーマに選んだのは、それほど不思議ではないだろう。
 「チェルノブイリの祈り」にしても「戦争は女の顔をしていない」にしても、彼女の書の構成には特徴がある。決して特別でない普通の人たちが語った言葉を、具象のままに我々に提示する。体系づけたり、意味づけたりすることは極力避けられている。だから、全体を通して抽出されるイメージはない。いずれも、時代の転換とともに露出した岩盤、地層のようなものが、ごろりと目前に転がっている。「セカンドハンドの時代」も例外ではない。
 こうした「聞き書き」へのこだわりを、作者はこう語る。
 「わたしをいつも悩ませていたのは、真実はひとつの心、ひとつの頭のなかにおさまらないということ。真実はなにか細かく砕かれていて、たくさんあり、世界にちらばっている。それをどうやって集めればいいかということ」(訳者あとがきから) そして尋常ならざる営為によって集められた「真実」のかけらは、読む者にとって廃墟を訪れた思いを抱かせる。そこで作者はこういう。「廃墟のうえで永遠に生きたい人などいない。これらの破片でなにかを建設したいのです」(同)
 そんなわけで、ここに集められた声の主は一見、弱者であり敗者であるかのようだ。しかし、そうだろうか。ある朝、窓の外には戦車。ゴルバチョフに抵抗する国家非常事態員会がクーデタを起こし、エリツィンが通称「ホワイトハウス」に立てこもる。そして民はこういう。
 ――おい、みんな、思想がどうしたって?人生は短いんだ。さあ、飲もうじゃないか!
 あるいは、こんな証言。
 ――あなたも教わったでしょ、覚えていらっしゃる? 秘密の話をしなくちゃならないときには、2、3㍍電話機からはなれる、受話器から。
 ――わたしたちは信じていました、いまそこに…わたしたちを民主主義にのせてってくれるバスが外にもう止まってるって。(略)そんなものはなかったのです。
 ――共産主義って禁酒法のようなものよ。アイデアはすばらしいんだけど、機能していない。
 ――でも、ほんとうに、こんなことを書いても大丈夫なんですか?(略)こんなことを話しても…。こんなことがあったあとで、どうやってしあわせな人間になればいいのかしら。
 途方に暮れていても、したたかな民の声である。
 本当は、こんなふうに一行を抽出することさえためらわれる。全体をそのまま全体として受け止めるしかないのである。ドストエフスキーのような、豊饒とも思える日常の深淵。まぎれもなくここには文学の淵源がある。(岩波書店、2700円=税別)


セカンドハンドの時代――「赤い国」を生きた人びと

セカンドハンドの時代――「赤い国」を生きた人びと

  • 作者: スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2016/09/30
  • メディア: 単行本

 


「文明と人間」を考えさせる~映画「ハドソン川の奇跡」 [映画時評]

「文明と人間」を考えさせる~映画「ハドソン川の奇跡」

 いわゆるアメリカン・ヒーローたちの知られざる内面的葛藤、という意味では、同じクリント・イーストウッド監督の「アメリカン・スナイパー」があった。イラク戦争を舞台に狙撃兵の苦悩を描いたものだけに、その愛国主義的映像に若干うんざりさせられたが、今回は、経験と機転によって飛行機事故から乗客を救った機長の物語。政治的な色彩はなくその分、安心して楽しめる。
 真冬のハドソン川にUSエアウェイズ1549便が不時着水したのは2009115日。その時のようすを記憶している。むしろ、危険を顧みず乗客の救出に向かったNY市民の勇気がメディア上でたたえられた印象が強い。機長はむしろ、最初から最後まで「ヒーロー」であったように思うが、日本での情報は限られている。この映画のような事態があったことは容易に推測できる。
 機長のチェズレイ・サレンバーガー(愛称サリー、=トム・ハンクス)は42年のキャリアを持つベテランである。この日もラガーディア空港を難なく飛び立った。しかし、直後にカナダガンの群れに遭遇。鳥が飛びこんだため、両方のエンジンが同時停止という緊急事態を迎える。高度わずか850㍍。ラガーディア空港に引き返そうとするが、推力不足であきらめざるを得ない。近隣の空港へ向かうのも絶望的な事態だった。下手をすればニューヨークのビル群に激突する。その時、目の前にあったのはハドソン川だった―。コックピットの緊迫したやりとり。高度を下げ、機体を水平に保ちながらの着水。
 機長は、絶望的な状況の中で乗客全員の命を救ったと、たちまち英雄視される。しかし、ここでNTSB(国家運輸安全委員会)の手が入る。飛び立った空港か隣接の空港に着陸することもできたのに、乗客を不要に危険にさらしたのではないかというのだ。飛行42年のベテランは、わずか208秒の機体操作の是非をめぐって罪に問われようとしていた。
 公聴会では、あらゆるシミュレーションが展開された。しかし、シミュレーションはあらかじめシナリオが想定されている。ぎりぎりの局面で判断する、その時間はどこに組み込まれているか。コンピュータにヒューマンファクターはどう組み込まれているか―。それが最終的に問いかけられる。
 この結末は、実は逆のことも言っているように思える。航空機だけでなく、我々はコンピュータの制御によって安全を保障されている。しかし、そこに寄りかかってしまうと思わぬヒューマンエラーを犯すことがある。そうした人間的な過誤は、あらかじめコンピュータに組み込まれているだろうか。人間は時にコンピュータを超えることがあるかもしれないが、コンピュータに寄りかかったために過ちを犯すこともある。そうした「人間と文明」という骨太のテーマが、ここにはあるように思う。クリント・イーストウッド監督は相変わらずうまい。


ハドソン川.jpg