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究極のポピュリズムに堕する恐れも~濫読日記 [濫読日記]

究極のポピュリズムに堕する恐れも~濫読日記

 「情報参謀」(小口日出彦著)

情報参謀のコピー.jpg  随分昔の話だが、ある国会議員との雑談で、落選して浪人中のことに話題が及んだ。居酒屋をしていたという。「どうして、また」というと、政治家と居酒屋には共通点があり、どちらも情報(=口コミ)を扱う仕事だということだった。
 テレビでは、朝から井戸端会議のようなワイドショーが全盛だ。かつてのような、問題提起型やニュースの掘り起こしでなく、不確かなことも含めて情報を整理し、分かりやすく視聴者に見せる。どうしてこうなったか。ネット社会の影響が大きいと思われる。いわゆるSNSである。先の米大統領選ではツイッターが威力を見せた。オバマさんが大統領の座についた時10万人だったフォロワーは、トランプさんの時1000万人を超えたという。一方で既存メディアの信頼性は、各種世論調査によると激減した。かわりに、内容の7割は信ぴょう性に疑問符がつくというトランプさんのツイッターが社会的影響力でトップになった。
 ネット社会は、巨大な口コミ社会だといわれる。「~らしい」といった「情報もどき」があっという間に社会を席巻する。
 そこで、得体のしれない化け物と化した「テレビ+ネット社会」をうまく読み解けば、政権への道筋も確かなものとして描けるのでは、と考えるのは、至極当然のことであろう。情報はどう発信すればいいか。いま、最も注目されているトピックは何か。キーワードは何か。その背後にはどんな動きがあるか。
 政権の座から滑り落ちた自民党は、こうした巨大口コミ社会での「情報分析」に着目した。迎え入れたのが、パースペクティブ・メディア社長であり、デジタル情報分析のプロである小口日出彦であった。彼は、衆院選に大敗した2009年から、第2次安倍政権が参院選に圧勝した2013年まで、自民党の情報分析プロジェクトにかかわった。その体験をまとめたのが、この書である。
 この間の自民党との関係について小口は「カーナビのようなものだった」と回想する。つまり自民党という車があり、運転者である自民党議員に「政権」という目的地にたどり着くまでの道筋を提示する。それが自分に与えられた役割だったという。
 これまで、政治とは庶民の求めるものを直感的につかむ―例えば田中角栄が典型だが―経験と勘がものを言う世界だった。ここに小口は、テレビとネットを24時間監視し、それを膨大なデータとして積み上げ、さまざまなトレンドを抽出するという手法を持ち込んだ。基礎となるのは、テレビでの報道(ポジ、ネガの判別も含めて)とネットでの検索数、ブログへの書き込み。もちろんこうしたメタデータ作成が可能になった背景には、社会での情報の流れ方がアナログではなくデジタルに変わったということがある。
 さらに、こうしたデータの抽出を、初期には1週間単位で行ったが、後には日ごとにまとめる形に変えていった。こうして、例えば選挙戦に入れば、いま何を訴えればいいかをその日その日で提示していく。こうした手法は、マーケティングリサーチに似ている。というより、そのものといったほうがいい。いま消費者が飛びつく商品は何か、ということと同じ次元で、いま有権者が飛びつく、あるいは民主党にダメージとなる政治コンテンツは何かを探る。こうした役回りを小口は自ら「傭兵」と表現している。
 例えば「政治とカネ」は、急激に注目されるが関心が薄れるのも早い。沖縄の「普天間」は、なかなか関心は伸びないが、落ち込みも少ない(小口は「減衰率が低い」と形容している)。そこで、有権者に訴えるには「政治とカネ」より「普天間」の方が有効、とアドバイスする。これは、考えようによってはかなりきわどい作業と思える。
 情報を整理し集計したうえで情報のトレンドやキーワードの抽出までは「傭兵」がやるが、素材を採用するかどうかは自民党で決める、と役割分担の線引きがなされているが、この境界線があいまいになるか崩れた時には、政治が究極のポピュリズムに堕する恐れがある。小口自身、谷垣禎一総裁へのレクチャー資料をめぐって「よくここまででしゃばったものだ」と冷や汗をかいたと述懐している。政治ビジョンの提示の仕方についてまで指南しているからだ。ここから、ビジョンの内容にまで立ち入ることまでの距離はそれほどないように思う。そのことの意味と怖さを自民党側が本当に理解しているかどうか。もし理解していないとすれば…。
 この書は一見、「ITと政治」というきらびやかな世界の一端を示したかのようにも見えるが、私には現代の怪談のように思えた。(講談社現代新書、760円=税別)

情報参謀 (講談社現代新書)

情報参謀 (講談社現代新書)

  • 作者: 小口 日出彦
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/07/20
  • メディア: 新書


戦争の非人道性を正面から描く~映画「ヒトラーの忘れ物」 [映画時評]

戦争の非人道性を正面から描く~映画「ヒトラーの忘れ物」

  デンマークは第二次大戦中、ナチによってほとんど戦闘もないまま占領・保護下に置かれたが、ドイツ降伏によって19455月解放された。戦時中、ナチスドイツは大西洋の壁と称して長大な海岸線防御網を構築。特に、遠浅が続くデンマークの海岸線は米英の上陸作戦を警戒、莫大な数の地雷を埋めた。
 現在は、対人地雷禁止条約(オスロ条約)によって国際的には戦争中であっても地雷を埋める行為は禁止されている。しかし、米中露が批准しておらず、効果は疑問符がつく。実際、今も多くの紛争地域で無数の地雷が使われていると思われる。米中露3カ国が批准しない背景には朝鮮半島情勢があるともいわれる。38度線を挟んで「休戦状態」である朝鮮半島では戦争は継続状態にあり、休戦ライン周辺には莫大な数の地雷が埋め込まれているとも聞く。こうした情勢が、対人地雷全面禁止を求める国際世論に影を落としている。
 再び1945年のデンマークに戻る。映画では、ナチスドイツによる対人地雷の敷設を含め、三つの非人道的な行為が描かれている。一つは少年兵の存在。これも現在ではジュネーブ条約などで禁止されているが、発展途上国などではいまだに少年兵が存在する。もう一つは、地雷撤去に捕虜を使うという、ジュネーブ条約違反(捕虜虐待)。
 ここでいう三つの非人道的行為は、すべてナチスドイツに責任があるとは言い難い。英国からの指令によるとされているが、捕虜を非人道的に扱った行為は、デンマークの歴史的な闇の部分といえるだろう。
 映画は、19455月、即ちドイツ降伏の時点から始まる。デンマークの軍曹(イギリス風の軍服を着ている)が、ドイツの少年兵11人をある海岸に連れていく。任務は、少年兵に地雷の扱いを教え、45000個を撤去すること。しかし、誤爆が相次ぎ、少年兵は4人に減ってしまう。ようやく地雷撤去を終えたと思ったとたん、軍上層部からはスカリンゲンの海岸に埋められた72000個を撤去するよう命令が下る…。 デンマークの海岸線には総数150万個の地雷が埋められたといわれ、母国へ帰還できなかったドイツ兵2000人が撤去作業に従事、約半数が命を落としたという。そして、スカリンゲンの海岸には今も撤去されない地雷が残るという。
 ドイツ、デンマーク合作。両国にとっては、触れられたくない戦争の傷跡であるに違いない。にもかかわらず、フィクションであるとはいえ、このようなシリアスな映像にする見識の確かさに敬意を表したい。

ヒトラー忘れもの.jpg


沖縄戦後史と半生を重ねる~濫読日記 [濫読日記]

沖縄戦後史と半生を重ねる~濫読日記 

「私の沖縄現代史 米軍支配時代を日本(ヤマト)で生きて」(新崎盛暉著)

私の沖縄現代史.jpg 沖縄の近現代史について多数の著書を持つ著者は、沖縄出身の父母のもと、東京で生まれ、沖縄大学に赴任するまでの半生をヤマトで過ごした。いわば戦後沖縄の同伴者である。本土と沖縄の関係について「構造的差別」と指摘した著者が、日本と沖縄の「関係史」を、自身の半生を重ねてつづった。
 1936年生まれ。日中戦争の始まる前年である。戦時下を愛国少年として過ごし、都立高生のころ、対日平和条約と日米安保協約の発効を聞く。校長の「万歳三唱をしましょう」との言葉に違和感を覚える。大学在学中にはハンガリー動乱と遭遇。アメリカの陰謀説を唱える自治会執行部の説明は「著しく説得力を欠いている」と映る。
 60年安保へ向けた動きが強まる中、「沖縄」をどう位置付けるかが議論の焦点になる。在日米地上軍の大幅削減がうたわれ、海兵隊を主力とする地上部隊の多くが本土から沖縄に移駐してきたが、そのことを批判した本土メディアは少なかった。さらに、安保の条約適用範囲に沖縄を含めるかどうかが議論された。沖縄は既に米比、米韓、米台などとの共同防衛地域に入っていたため、日米安保の範囲内に沖縄を入れることは、北東アジア条約機構の成立を意味する。しかし、政府は、返還を前提にすれば当然、沖縄は日米安保の範囲内に入るとした。
 大学を出ると、中野好夫が立ち上げた沖縄資料センターの仕事と、生活の糧を得るための東京都庁勤務の「二足の草鞋」の生活を始める。安保闘争後の1963年ごろから雑誌「世界」を中心に論文や小文を書くことになるが、振り返って「二つの意図があった」という。一つは沖縄問題が日本全体の問題であることをヤマトの読者に理解させること、もう一つは、沖縄の大衆運動のリーダーに運動の自己点検や内在的矛盾の直視を呼び掛けること。
 しかし、本土と沖縄の意識のギャップは容易に埋まらなかった、と著者はいう。特に1968年ごろから、従来の復帰運動や返還運動の質的転換を模索する動きが強まり、それが実力行動を生み、「自画自賛」とも思える運動総括に結び付くものもあった。本土と沖縄を分離するこうした観念的二分法がその後、肥大化し、強固な構造的差別につながったという。一方で、辺野古や高江の闘いには、こうした観念的二分法を実践的に克服する動きも見えるという。
 1972年、沖縄闘争敗北の結果として沖縄は日本に返還され、沖縄は日本の外側からでなく内側から日米安保を支える存在になった。復帰措置の一環として私立大の統合問題が起き、沖縄大が存亡の危機に立たされる。この問題にもかかわった著者は、その後、存続が決まった沖縄大の教員になる。
 自身の半生と沖縄の戦後史を重ね合わせ、人々との出会いを絡めてつづられたこの書は、硬軟織り交ぜた筆致で動乱の時代を振り返り、読ませる。
 (岩波現代文庫、2017年、980円=税別)

私の沖縄現代史――米軍支配時代を日本で生きて (岩波現代文庫)

私の沖縄現代史――米軍支配時代を日本で生きて (岩波現代文庫)

  • 作者: 新崎 盛暉
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/01/18
  • メディア: 文庫

 



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