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沖縄戦後史と半生を重ねる~濫読日記 [濫読日記]

沖縄戦後史と半生を重ねる~濫読日記 

「私の沖縄現代史 米軍支配時代を日本(ヤマト)で生きて」(新崎盛暉著)

私の沖縄現代史.jpg 沖縄の近現代史について多数の著書を持つ著者は、沖縄出身の父母のもと、東京で生まれ、沖縄大学に赴任するまでの半生をヤマトで過ごした。いわば戦後沖縄の同伴者である。本土と沖縄の関係について「構造的差別」と指摘した著者が、日本と沖縄の「関係史」を、自身の半生を重ねてつづった。
 1936年生まれ。日中戦争の始まる前年である。戦時下を愛国少年として過ごし、都立高生のころ、対日平和条約と日米安保協約の発効を聞く。校長の「万歳三唱をしましょう」との言葉に違和感を覚える。大学在学中にはハンガリー動乱と遭遇。アメリカの陰謀説を唱える自治会執行部の説明は「著しく説得力を欠いている」と映る。
 60年安保へ向けた動きが強まる中、「沖縄」をどう位置付けるかが議論の焦点になる。在日米地上軍の大幅削減がうたわれ、海兵隊を主力とする地上部隊の多くが本土から沖縄に移駐してきたが、そのことを批判した本土メディアは少なかった。さらに、安保の条約適用範囲に沖縄を含めるかどうかが議論された。沖縄は既に米比、米韓、米台などとの共同防衛地域に入っていたため、日米安保の範囲内に沖縄を入れることは、北東アジア条約機構の成立を意味する。しかし、政府は、返還を前提にすれば当然、沖縄は日米安保の範囲内に入るとした。
 大学を出ると、中野好夫が立ち上げた沖縄資料センターの仕事と、生活の糧を得るための東京都庁勤務の「二足の草鞋」の生活を始める。安保闘争後の1963年ごろから雑誌「世界」を中心に論文や小文を書くことになるが、振り返って「二つの意図があった」という。一つは沖縄問題が日本全体の問題であることをヤマトの読者に理解させること、もう一つは、沖縄の大衆運動のリーダーに運動の自己点検や内在的矛盾の直視を呼び掛けること。
 しかし、本土と沖縄の意識のギャップは容易に埋まらなかった、と著者はいう。特に1968年ごろから、従来の復帰運動や返還運動の質的転換を模索する動きが強まり、それが実力行動を生み、「自画自賛」とも思える運動総括に結び付くものもあった。本土と沖縄を分離するこうした観念的二分法がその後、肥大化し、強固な構造的差別につながったという。一方で、辺野古や高江の闘いには、こうした観念的二分法を実践的に克服する動きも見えるという。
 1972年、沖縄闘争敗北の結果として沖縄は日本に返還され、沖縄は日本の外側からでなく内側から日米安保を支える存在になった。復帰措置の一環として私立大の統合問題が起き、沖縄大が存亡の危機に立たされる。この問題にもかかわった著者は、その後、存続が決まった沖縄大の教員になる。
 自身の半生と沖縄の戦後史を重ね合わせ、人々との出会いを絡めてつづられたこの書は、硬軟織り交ぜた筆致で動乱の時代を振り返り、読ませる。
 (岩波現代文庫、2017年、980円=税別)

私の沖縄現代史――米軍支配時代を日本で生きて (岩波現代文庫)

私の沖縄現代史――米軍支配時代を日本で生きて (岩波現代文庫)

  • 作者: 新崎 盛暉
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/01/18
  • メディア: 文庫