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この国のかたちが危うい~映画「標的の島 風かたか」 [映画時評]

この国のかたちが危うい~
映画「標的の島 風かたか」

 三上智恵監督作品「標的の島 風かたか」を観た。2016年4月に起きた米軍基地関係者によるうるま市の女性殺害事件への抗議集会(6月)のシーンから始まる。稲嶺進・名護市長が、苦渋の表情で語る。「我々はまた風かたかになれなかった」。「風(かじ)かたか」とは風よけのこと。市民、民衆が一人の女性さえ助けることができなかった。そんな思いを語っている。しかし、その前に国は民衆の「風かたか」になっているのか。そんな問いが全編を貫く。
 アジア・太平洋戦争末期、日本軍10万人が沖縄に駐留した。沖縄を守るため、と誰しもが思った。しかし、日本軍は沖縄の民衆を守らなかった。あるときは盾にし、あるときは足手まといだとして自死を強いた。軍は民を守らない。そのことが、沖縄の民の揺るがぬ歴史の教訓として今も息づいている。基地に立ち向かう沖縄の民のそうした精神の土壌が、沖縄の民俗芸能を交えた厚みあるシーンの中で語られる。
 映画はさらに宮古島、石垣島で進むミサイル基地建設、自衛隊基地をめぐる自治体と民衆の闘いを追う。先島諸島では、中国に対する軍事的抑止の名のもとに日米一体の軍事要塞化が進められている。いったん標的になった島の島民はどこに逃げるのか。そう考えれば、先島は本土防衛のための捨て石であることが分かる。本土の「風かたか」である。
 2016年夏の参院選では島尻安伊子・沖縄北方相が大差で落選、伊波洋一・元宜野湾市長が当選した。これ以上ない「基地へのノー」が示されたにもかかわらず、政府は翌日から高江のヘリパッド建設に着手した。辺野古新基地建設も、政府は埋め立てを強行する構えだ。こうした流れの中で、末期がんと宣告された山城博治さんの命がけの闘いが続く。
 こうした「沖縄の闘い」を前2作(「標的の村」「戦場ぬ止み」)と同様に三上監督は追い続けるが、けっして作風は深刻でも暗くもない。沖縄の民俗芸能を交え、民のたくましさと明るさを前面に押し出している。
 上映後、詩人A・ビナードさんとのトークで三上監督は「この映画は、沖縄が大変だからみんなで助けましょうといっているのではない。ほっておけばこの国の民主主義が大変だ、ということ」と語っていた。「沖縄」の問題としてではなく「この国」の問題としてとらえることができるか。



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