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なぜか今、改憲議論 [社会時評]

なぜか今、改憲議論


■まるで読売の勧誘員

A)安倍晋三首相が読売新聞のインタビューに応じ、5月3日付で掲載された。ポイントは三つあって、まず改憲の目安を2020年としたこと、二つ目は憲法9条の1項、2項を現状のまま残し、新たに3項を加えて自衛隊の存在を認める文言を盛り込むこと、三つ目は教育無償化を前向きに議論すること―。大まかにはこんなところか。同様の趣旨のビデオメッセージが3日の改憲派の集会で披露された。

B)これを受けて8、9日の衆参予算委で野党が真意を説明するよう求めた。すると首相は「自民党総裁としての考え」「詳細は読売を読んでほしい」とかわした。

C)一国の首相がまるで読売の販売勧誘員のような答弁をした。「国会軽視」と野党が怒るのも無理はない。

B)その読売を読んでみたが、見出しは「首相インタビュー」だ。記事も「安倍首相(自民党総裁)」という書き方だった。常識では首相と自民党総裁が全く別人格として存在するわけではなく、やはり国会で求められれば憲法への考え方は説明すべきだろう。そうでないと国民は納得しがたい。

A)改憲目標を2020年にしたことについて。

B)オリンピック成功を受けて国民が高揚している時についでに憲法改正も、という狙いだろうが、オリンピックと憲法は何の関係もない。オリンピック憲章にあるように、オリンピックは都市が開くものだし、憲法は国の土台を定めるものだ。ドタバタに紛れて二つを結び付けようというのはこざかしい。

C)私は、憲法改正そのものはあってもいいと思うが、このような設定の仕方にはやはり抵抗がある。年限を切らずに議論すべきだ。

A)今回は本丸ともいえる9条改正を持ち出してきた。96条改正を言ったり緊急事態条項を言ってみたり、9条改正でも自民党がつくった憲法改正草案とも違う。ただ憲法改正がやりたいだけ、と思わざるを得ない。

 

■9条3項追加には無理がある

C)9条の1項、2項はそのままに、新たに自衛隊を認める3項を追加するというのは無理がある。インタビューで「(自衛隊は)『違憲かもしれないが何かあれば命を張ってくれ』というのはあまりにも無責任」と改憲理由を述べているが、1項と2項を残したまま自衛隊員が「命を張る」根拠が憲法に盛り込めるとは思えない。

A)どういうことか。

C)1項は「武力による威嚇または行使によって国際紛争解決の手段としてはならない」とある。2項は戦力不保持と交戦権の放棄だ。1項は自衛のための実力行使は国際紛争に当たらないという論理的な逃げ道があり、2項の「戦力」と「自衛力」は違う、という解釈があるかもしれないが、問題は交戦権の放棄だ。これはほかの解釈がない。憲法によると、自衛隊は戦ってはならないことになっている。

B)だから9条は現行のままとし、自衛隊は自衛のための最終手段として実力を行使する。これが日本の防衛の在り方ではないか。

C)自民党が2012年にまとめた「憲法改正草案」は出来が悪く、読んでみて気持ちの悪くなるものだが、9条に関する限り、3項を追加するより自民案の方が筋が通っている。自衛隊を国防軍とし、2項を削除して交戦権を認める。少なくとも日本が戦争できるようにするにはこの方法しかない。そうすれば軍事法廷も大っぴらにつくれる。

A)それは、自衛隊にとっていいことか。

 

■戦争をするための精神的装置

C)少なくとも「戦争させる」側にとっては都合がいい。しかし、「戦争をして命を捨てよ」というには、憲法だけではだめだ。イデオロギー的側面というか、戦前の靖国神社のような、「戦場で死んだら靖国で会おう」というような精神装置がいる。そこまで考えると、自衛隊の国防軍化は、いったん戦争へ走り出すと後戻りできない体制を作り出しかねない。

B)ある講演で、自衛隊に入る若い人たちに動機を聞いたところ、災害地域の復旧作業がやりたいという声が多かったと聞く。自衛隊はそういう位置づけでいいのではないか。その延長線上で、他国が攻撃してきたときに備えて、21世紀の時代にそんなことはないと思うが、必要最小限の実力装置を持つ、ということでいい。

A)最近、北朝鮮の脅威がよく話題になる。

B)北朝鮮も、自らが口火を切って戦争を始めるとはいっていない。そんなことをすれば一瞬で国そのものが消滅することは分かっている。独裁国家だから暴走する、というが、独裁国家だから暴走しないともいえる。偶発的な衝突はむしろ権力集中が生半可である場合に起きる。しかし、日本海側にあれだけ原発を並べておいて「北朝鮮の脅威」もないだろう。

A)首相はインタビューで憲法学者のうち7割が自衛隊は違憲の疑いがあり合憲論は2割しかない、といっている。

B)調べてみると、2015年6月下旬の朝日新聞調査が根拠らしい。209人にアンケートし122人が回答。このうち「憲法違反」が50人、「憲法違反の可能性」が27人だった。微妙なのは「憲法違反にあたらない可能性がある」の13人をどう読むか。「憲法違反にはあたらない」は28人だった。「憲法違反にあたらない可能性」は「もしかするとあたるかもしれない」とも読め、首相はこれを含めて「違憲の疑い」を7割としている。

C)今の時代に、自衛隊は憲法違反だからなくそう、とはならないだろう。かといって改憲まで考えると、「国防軍」の議論が再燃する。それは自衛隊にとっても国民にとっても不幸なこと。9条「加憲」論も無理がある。

B)朝日の調査でも、122人中99人が9条改正の必要はないと答えた。

A)三つ目の教育無償化は。

B)憲法をいじらなくても通常法の範囲内でできる話。9条「加憲」で公明を、「教育無償化」で維新を取り込もうという、政局のにおいがプンプンする。

 

■安倍政権の偽物感

A)こんな荒唐無稽な憲法論議が首相から持ち出され、森友学園問題では誰が見ても首相夫妻の関与が明白なのに首相自身は官邸でのうのうとしている。一強他弱の腐敗と堕落は見ていられない。

B)自民党が2012年に出した改憲草案と今回の改憲案はどういう位置づけにあるのか。党の案を総裁自ら無視するようでは政党の体をなしているとはいえない。自民党と明確な対立軸を作れない民進党もだらしない。少なくとも原発、憲法、沖縄―日米安保を対立軸とする政権構想を持たないと。その結果として国会の議論の空疎さは目を覆いたくなる。共産党は首尾一貫しているが、だからといって共産党政権ができる時代状況にはない。

C)森友学園問題の背景にある日本会議への傾倒でもわかるように、安倍政権はある種の危うさを持っている。いわば偽物の保守だ。本来の安定的で常識的な保守がもっと力を持つべきだろう。選挙制度を変えるのでない限り、常識の保守とリベラルが組んだ政治勢力が台頭しないと日本の針路は危うい。今は改憲よりそちらの議論が大切なのだが。

B)5月3日付朝日に長尾龍一・東京大名誉教授のインタビューが載っていて「日本国憲法は民法でいう『履行による追認』にあたる」という言葉があった。瑕疵があって取り消せる契約でも、義務者の側で履行すれば取り消せなくなる。成立過程に「押し付け」という瑕疵があったとしても、保守本流を含めて憲法の精神は履行されてきたのだから、その追認の意味は認めるべきだ、という論旨だった。

A)たしかに、憲法は70年間、変わらず国民の精神的支柱になってきたことは確かだ。その重みはある。

 


ある誠実な作家の生と死~濫読日記 [濫読日記]

ある誠実な作家の生と死~濫読日記

 

「戦場で書く 火野葦平と従軍作家たち」(渡辺考著)

 

 五十嵐恵邦著「敗戦と戦後の間で 遅れて帰りし者たち」は五味川純平の「人間の條件」を取り上げる中で、主人公の梶上等兵が祖国に帰還しないまま中国東北部の雪原で死んでいったことに触れ「とうとうダイダンエンか」とつぶやいた臼井吉見の読後感を紹介している。「人間の條件」は、敗戦から2年遅れて中国から帰国した五味川が、良心の戦士ともいうべき梶上等兵を作り上げ、中国戦線を生き直した小説である。もちろん、そうしなければ戦後を生きられないと五味川自身が直感したからであろう。しかし、小説の中の梶は、臼井が感じたように、戦後日本に生き残ることを許されなかった。そのことは、戦後日本に生きのびた者たちの「了解事項」であった。梶という五味川の分身を中国の雪原に埋もれさせることで日本人の戦争体験もまた中国の雪原の下、永久凍土に埋もれたのである。そのことを臼井は語っている。

 しかし、「敗戦と戦後の間」で、断絶を断絶としない努力をした作家がいた。火野葦平である。偶然の積み重なりによって中国戦線のルポルタージュを書くことを軍部に求められ、従軍作家として「土と兵隊」「麦と兵隊」「花と兵隊」などを残した。それらは高揚感に沸く日本国内でもてはやされ、火野は一躍流行作家となった。戦後は一転して、戦犯作家として罵声を浴びせられる。

 戦後の日本では、戦場から逃げ出すような兵士の話が「反戦小説」として持ち上げられ、その分、兵士としても作家としても任務を忠実にこなそうとした火野には「あんたに騙されて戦こうたようなもんじゃ」と非難が浴びせられる。戦中・敗戦から戦後へと向かう中で多くの人間はコートでも着替えるように思考のスタイルを変えたのである。

 公職追放が解け、火野は半自伝的小説「革命前夜」を1959年に「中央公論」でスタートさせる。舞台は敗戦からの1年9カ月。火野はここで、従軍作家だった自らを被告席に立たせた。それだけではない。火野は従軍メモを元に、戦中に書いた小説の書き直し作業を進めていた。そこには、軍から削除を命じられた箇所、あるいは、初めから通らないとわかっていて書かなかった箇所が書き加えられた。中国人虐殺のもようも、その中にあった。

 火野は19601月、遺書を残して睡眠薬自殺した。「革命前夜」を書き終えてのことである。 

 権力に踊らされたとはいえ、火野は、いったんは自らの手を離れ、世に受け入れられたいくつかの作品について、かさぶたでもはがすように事実と事実でないことを峻別し「完璧なもの」を目指して書き直した。火野にとって戦後も「戦争」は終わっていなかったのである。これほどの「自己変革」を自らに課した日本人がほかにいただろうか。そして、戦争はまぎれもなく一人の誠実で有能な作家を踏みつぶした。

 著者はNHKのディレクター。「従軍作家たちの戦争」や「戦場で書く―火野葦平の戦争」などの番組を手掛けた。丹念な調査に感嘆する。NHK出版、1900円。

戦場で書く 火野葦平と従軍作家たち

戦場で書く 火野葦平と従軍作家たち

  • 作者: 渡辺 考
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2015/10/09
  • メディア: 単行本

 


米国の現実に迫る~映画「ムーンライト」 [映画時評]

米国の現実に迫る~映画「ムーンライト」

 

 フロリダの黒人街を舞台に差別と貧困、いじめ、ドラッグ、ゲイの問題に焦点を当て、その中で生きていく一人の青年シャロンの内面を浮き彫りにした作品である。製作総指揮はブラッド・ピット。全編青を基調にした美しい映像とドキュメンタリータッチの迫真に満ちたカメラワークが貫かれている。ドラマ的なまとまりよりもそうした映画としてのタッチに比重が置かれている。その分、ストーリーの細かい説明は省かれ、やや難解である。

 3章に分かれ、それぞれ別の俳優がシャロンを演じている。ナイーブな少年期、いじめに遭いながら孤独と向き合う青年期、刑務所を出た後、筋肉という鎧を身にまとい、薬の売人としてのし上がる成年期―。

 ストーリーも、最後にすとんと腹に落ちるものではない。おそらく、読み方はいろいろだろう。何よりも、米国の現実に迫った作品。そんな評価が妥当であろうか。


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重厚で安定した映像美~映画「追憶」 [映画時評]

重厚で安定した映像美~映画「追憶」

 

 「駅 STATION」や「夜叉」「あなたへ」で高倉健を主役に、日本的な味わいの映像美を追求してきた降旗康男監督が、岡田准一を主役に据えて撮った新たな「降旗ドラマ」である。木村大作を映像監督に起用、日本海に沈む夕陽と北アルプスの山塊がドラマに奥行きを与える。

 海辺のスナック「ゆきわりそう」は、家庭の温かみを知らない三人のこどもたちにとって、つかの間の和みを共有する場であった。しかし、店を取り仕切っていた涼子(安藤サクラ)を訪ねてきた刑務所帰りの元やくざが平穏を乱し、三人はその男を殺してしまう。涼子は罪をひとり背負うことを決め、三人にその場の出来事を「忘れる」ことを約束させる。

 25年後、三人のうちの一人四方篤(岡田准一)は刑事になっていた。ある日、殺人事件の被害者があの時の一人、川端悟(柄本祐)であることを知る。経営する会社が傾き、金策の最中だった。捜査するうち、悟は何度か、土建屋を営む田所啓太(小栗旬)から金を渡されていたことを知る。田所も、あの時の三人のうちの一人である。事件をネタに悟がゆすっていたのではないか…。自らの出自に潜む秘密と刑事としての倫理のはざまで揺れる篤。「事件」を背負って自首し、刑務所内で元やくざの子を産んだ涼子は今どこに。調べていくうち、涼子の子が田所の妻であることを知る。

 涼子はある事故によって車いす生活を強いられ、認知症のため記憶もなくしていた。そんな涼子を篤は訪ねる…。

 幼少期の事件を心の中に抱え、その後ある事件の刑事、被害者、容疑者として再会するという展開はC・イーストウッド監督「ミスティック・リバー」を思わせる。そこに日本海の冬の波と夕陽、北アルプスの雪山が物語のフレームとしてかぶせられれば、「駅」や「夜叉」と並ぶ日本的映像美の極致ともなる。印象的なのは夕陽を背にした涼子が青いセーターを着ているシーン。青はスペインでは誠実の色とされ、聖母マリアが青をまとっていることで知られる。夕陽と青が、涼子をマリアに昇華させるのである。こうした映像美とともに、岡田准一、安藤サクラの重厚で安定した演技が光る。

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「朝鮮半島危機」に関するいくつかの疑問 [社会時評]

「朝鮮半島危機」に関するいくつかの疑問

 

 1994年以来の「朝鮮半島危機」が深刻化している。けさ(51日付)の新聞報道によると、稲田朋美防衛相が安保関連法に基づき、米国艦艇などを守る「武器等防護」を自衛隊に命じたという。これによって有事の際にはヘリ搭載型護衛艦「いずも」が米補給艦を防護する。補給艦は日本海を北上中の米原子力空母カール・ヴィンソンへの補給活動が想定され、これによって米朝間で戦闘が発生すれば、自衛隊も一体で戦うことが確実になった。

 

◆憲法9条との関連

 

 昨日のテレビでジャーナリストの青木理氏が指摘していたが、日本国憲法の9条第1項には「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とある。第2項の「戦力不保持」「交戦権の否定」は「戦力」や「交戦権」の定義をめぐって議論の余地があるとしても、この第1項は解釈や読み替えが可能な条文ではない。もともと安保関連法自体が違憲だとする意見は多いが、現在、朝鮮半島沖でカール・ヴィンソンによって行われている米軍事力の誇示を自衛隊が一体的に支える行為は憲法違反ではないのか。青木氏も言っていたが、この視点からの議論が日本国内で巻き起こらないのは不思議である。

 

◆日本は米国の「盾」か

 

 現在の「危機」は、トランプ米大統領が北朝鮮の核兵器を深刻な脅威だと判断したことに始まる。その結果、北朝鮮と中国に軍事的な圧力をかけ、外交圧力によって北の路線変更を迫るという戦略が展開されている。

 しかし、知られているように朝鮮半島の38度線は「停戦ライン」であり、北朝鮮と韓国はいまだ準戦時状態にある。こういう状況下で北の目前に欧州中位国並みの空軍力を持つ原子力空母を置けば、偶発的な事態が起きることは予測の範囲内である。もし戦闘が起きれば、日本は間違いなく重要な標的になる。それは東京なのか、米軍の最新鋭戦闘機F35Bが駐留する岩国なのか。

 もともとは米国の「北の核は脅威」という認識から発生した事態の結果、日本国民が重大な脅威にさらされる、ということを日本の政治指導者はどう考えるのだろうか。日頃から安倍晋三首相は、「軍事を含むすべてのオプションがテーブルの上にある」という米政権の姿勢について「高く評価し支持する」といっている。これは、正しいことなのか。なぜ米国民の脅威解消のために日本国民が脅威にさらされなければならないのか。これは、基本的な疑問である。

 先日、あるテレビの街頭インタビューで「日本が巻き込まれるのではないかと心配だ」という声が紹介された。しかし、稲田防衛相の「命令」を見ても、現状は米国の戦争に日本が巻き込まれるという段階にはない。日米一体で戦争をする態勢が構築されている、と考えたほうがいい。極論すれば、日米安保が存在する結果として日本は脅威にさらされている。日米安保解消論を唱えれば「お花畑の議論」とする批判が起きるが、現状を見る限り、日米安保がなければこのような事態にはならなかったであろう。これを機会に「日本の防衛」についてフリーハンドの議論をすべきではないか。

 少なくとも安倍首相は、米政権の方針を「全面支持する」のではなく「軍事オプションは拒否する」と明言しなければならなかったと考える。

 

◆「いずも」という空母は何を守るのか

 

 さらに、冒頭の米艦防護の話に戻るが「いずも」はどのように米艦を守るのか。専守防衛の憲法を持つ国の戦力だから護衛艦と名乗っているが、「いずも」は艦橋が船体の端にあり、通常の艦船の定義では空母のはずだ。空母は通常、戦争状態かそれに近い状況の中で相手国の近くで最前線基地の役割を担う。防衛ではなく攻撃のための艦船であるはずだ。このような艦船が、緊張下の朝鮮半島の間近にいることがどういう意味を持つか。「防護」の範囲にとどまらず、カール・ヴィンソンと同じく「脅威」を相手国は感じるのではないか。



いずも.jpg護衛艦「いずも」(海上自衛隊HPから)




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