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ある誠実な作家の生と死~濫読日記 [濫読日記]

ある誠実な作家の生と死~濫読日記

 

「戦場で書く 火野葦平と従軍作家たち」(渡辺考著)

 

 五十嵐恵邦著「敗戦と戦後の間で 遅れて帰りし者たち」は五味川純平の「人間の條件」を取り上げる中で、主人公の梶上等兵が祖国に帰還しないまま中国東北部の雪原で死んでいったことに触れ「とうとうダイダンエンか」とつぶやいた臼井吉見の読後感を紹介している。「人間の條件」は、敗戦から2年遅れて中国から帰国した五味川が、良心の戦士ともいうべき梶上等兵を作り上げ、中国戦線を生き直した小説である。もちろん、そうしなければ戦後を生きられないと五味川自身が直感したからであろう。しかし、小説の中の梶は、臼井が感じたように、戦後日本に生き残ることを許されなかった。そのことは、戦後日本に生きのびた者たちの「了解事項」であった。梶という五味川の分身を中国の雪原に埋もれさせることで日本人の戦争体験もまた中国の雪原の下、永久凍土に埋もれたのである。そのことを臼井は語っている。

 しかし、「敗戦と戦後の間」で、断絶を断絶としない努力をした作家がいた。火野葦平である。偶然の積み重なりによって中国戦線のルポルタージュを書くことを軍部に求められ、従軍作家として「土と兵隊」「麦と兵隊」「花と兵隊」などを残した。それらは高揚感に沸く日本国内でもてはやされ、火野は一躍流行作家となった。戦後は一転して、戦犯作家として罵声を浴びせられる。

 戦後の日本では、戦場から逃げ出すような兵士の話が「反戦小説」として持ち上げられ、その分、兵士としても作家としても任務を忠実にこなそうとした火野には「あんたに騙されて戦こうたようなもんじゃ」と非難が浴びせられる。戦中・敗戦から戦後へと向かう中で多くの人間はコートでも着替えるように思考のスタイルを変えたのである。

 公職追放が解け、火野は半自伝的小説「革命前夜」を1959年に「中央公論」でスタートさせる。舞台は敗戦からの1年9カ月。火野はここで、従軍作家だった自らを被告席に立たせた。それだけではない。火野は従軍メモを元に、戦中に書いた小説の書き直し作業を進めていた。そこには、軍から削除を命じられた箇所、あるいは、初めから通らないとわかっていて書かなかった箇所が書き加えられた。中国人虐殺のもようも、その中にあった。

 火野は19601月、遺書を残して睡眠薬自殺した。「革命前夜」を書き終えてのことである。 

 権力に踊らされたとはいえ、火野は、いったんは自らの手を離れ、世に受け入れられたいくつかの作品について、かさぶたでもはがすように事実と事実でないことを峻別し「完璧なもの」を目指して書き直した。火野にとって戦後も「戦争」は終わっていなかったのである。これほどの「自己変革」を自らに課した日本人がほかにいただろうか。そして、戦争はまぎれもなく一人の誠実で有能な作家を踏みつぶした。

 著者はNHKのディレクター。「従軍作家たちの戦争」や「戦場で書く―火野葦平の戦争」などの番組を手掛けた。丹念な調査に感嘆する。NHK出版、1900円。

戦場で書く 火野葦平と従軍作家たち

戦場で書く 火野葦平と従軍作家たち

  • 作者: 渡辺 考
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2015/10/09
  • メディア: 単行本

 


米国の現実に迫る~映画「ムーンライト」 [映画時評]

米国の現実に迫る~映画「ムーンライト」

 

 フロリダの黒人街を舞台に差別と貧困、いじめ、ドラッグ、ゲイの問題に焦点を当て、その中で生きていく一人の青年シャロンの内面を浮き彫りにした作品である。製作総指揮はブラッド・ピット。全編青を基調にした美しい映像とドキュメンタリータッチの迫真に満ちたカメラワークが貫かれている。ドラマ的なまとまりよりもそうした映画としてのタッチに比重が置かれている。その分、ストーリーの細かい説明は省かれ、やや難解である。

 3章に分かれ、それぞれ別の俳優がシャロンを演じている。ナイーブな少年期、いじめに遭いながら孤独と向き合う青年期、刑務所を出た後、筋肉という鎧を身にまとい、薬の売人としてのし上がる成年期―。

 ストーリーも、最後にすとんと腹に落ちるものではない。おそらく、読み方はいろいろだろう。何よりも、米国の現実に迫った作品。そんな評価が妥当であろうか。


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