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暴言・暴言また暴言~社会時評 [社会時評]

暴言・暴言また暴言~社会時評


言語クーデター 

A)暴言が続く安倍晋三政権で、またまた暴言が飛び出した。

B)稲田朋美防衛相の自民党候補応援演説。6月27日夜に「防衛省、自衛隊、防衛相、自民党としてもお願いしたい」と発言した。

C)防衛省や自衛隊として特定の候補をお願いする、などというのは少しでも社会常識のある人間なら分かりそうなこと。この程度の人間が日本の防衛の中枢にいるのかと思えばぞっとする。

A)稲田防衛相は弁護士で、それなのに法律的常識もないのか、と批判する向きもあるが、それ以前の問題だろう。

B)自衛隊を私兵扱いしている。そのまま受け取れば、これは言語によるクーデターだ。自民党候補を当選させるためには、我々は自衛隊さえ動かす、といっているようなものだからだ。

C)これでやめないとしたら、どんな発言をすれば引責辞任することになるのだろう。放置すれば何でもありになってしまう。野党は頑張ってもらいたい。石破茂氏が正論を言っているが、もっと与党内でも批判が広がる必要がある。


首相自ら暴言
A)24日には安倍首相が神戸市内で、加計学園疑惑は中途半端な妥協によって生じた、として「地域に関係なく2校でも3校でも認めていく」と発言した。これもひどい暴言だ。では、これまでの獣医学部建設をめぐる議論は何だったのか。国民をバカにした発言だ。

B)獣医学部建設をめぐる閣議決定、当時の担当相の名をかぶせたいわゆる「石破4条件」を読むと、既存の施設では対応できず、新たなニーズが認められた場合にのみ獣医学部新設を認めるということになっている。いまだに加計学園がこの4条件をクリアしているとは思えないのだが、それがどうして2校でも3校でも、という話になるのだろう。白地の布に一部黒いところがあるからといって全体を真っ黒にしてしまうようなことだ。加計隠し以外の何物でもない。

C)28日付朝日の社説は「ちゃぶ台返し」と呼んだが、その通りだ。私学といえども新たな獣医学部を作ればそこには国費が投入される。安倍首相は自らの疑惑隠しのために無駄な国費を使おうとしている。

B)獣医学部のうち、どの分野でどのくらいの需要があり、どの分野で供給過多になっているかは、農水省あたりで把握しているはず。そのデータを出せばいいのに。

C)農水省が知らん顔をしているのは、内閣府人事局長の顔色を窺っているからだろう。人事局長は疑惑の中心にいる萩生田光一・官房副長官だ。7月になれば霞が関は人事の季節になる。

責任は相手に擦り付け

A)なんともひどい世の中になった。暴言といえば山本幸三・地方創生担当相もひどい。26日には、加計学園疑惑について挙証責任は文科省にあると発言した。文科省が自律的に判断して決めたのならそうだろうが、疑惑は首相・内閣府が無理やり文科省を動かしたのではないか、というところから生じている。だとすれば、挙証責任は首相と内閣府にある。それなのに首相や内閣府、山本担当相は「一点の曇りもない」というばかりで、まともな答弁もせず国政調査権の行使も認めない。これで国民が納得するはずがない。

C)権力を行使する側の説明責任が問われているが、そのことが全く理解されていない。

B)山本担当相は6月16日の参院予算委で内閣府の職員を切り捨てる発言をしたが、後日それが事実誤認と判明した。これも暴言だ。4月には「学芸員はがん」とも言っている。これでやめないのが不思議だ。

A)でも、最大の暴言は安倍首相の改憲発言だろう。自分の任期をにらんで国会に議論の開始時期を指示するなど、まるで独裁者だ。


戦後思想のかたちを変える作品~濫読日記 [濫読日記]

戦後思想のかたちを変える作品~濫読日記

 

「東京プリズン」(赤坂真理著)

 

 15歳の時、母のある考えで米国の高校に通うことになったマリ。米国メイン州の片田舎で1級遅れの9年生として通う中で言語や文化の壁と格闘する。16歳になったある日、1級遅れを解消するための課題が学校側から提示される。「天皇の戦争責任」について、ディベートの口火を切るスピーチをせよというものだった。「天皇の戦争責任」どころか「戦争」のことなど考えたこともなかったマリは、学習を進めるうち、何も知らなかった、あるいは知らされてこなかったことに愕然とする。

 ディベート本番では、天皇の戦争責任を認める側の立論を担当させられる。天皇は、日本人にとって「神」の存在であったということがきちんと説明できない。日本人は、天皇は神ではないと分かっていたのに神だと信じているふりをしていただけだと相手に突っ込まれ、うなずいてしまう。キリスト教的神との違いも明らかにはできず、聞き手の反感を買う。戦犯に付けられたA級、B級、C級は種別であってランクではないということも逆に教えられたりする。

 真珠湾攻撃はだまし討ちか、南京大虐殺の責任は誰にあるのか、七三一部隊をどう見るのか、「皇軍」がアジアで行った残虐行為の責任は、そもそも、「降伏」したのは天皇なのか…。こうした応酬ののち、ディベートは最終弁論に向かう。マリが唱えたのはTENNOU論である。コンパスで円を描く。しかし、コンパスの針の先が円の中心ではない。円の中心には何もない。そこは虚無なのです。そこは何でもどこでもない。しかし「中心の虚無」がなければ円は生まれない…。

 担当の教師は「理解できない」という。会場は静まり返る。沈黙を破って拍手が巻き起こる。極めて日本的なTENNOU論の展開と、極めてアメリカ的な反応。

 おそらく、テーマとしては小説から最も遠くにあるものを引き寄せ、国境、世代、登場人物の視線を自由に行きかうという最も小説的手法でテーマに具体性を与えた。それは「戦後」のトレースにとどまらず、戦後思想を見直すことでそのかたちを変えるほどのインパクトを持つ。

 池澤夏樹が解説で書いている。「読み終わった時、戦後史について、日本という国の精神誌について、自分の中に新しい像が生まれていることに気づく。そして感心するのだ、小説にはこんなこともできるのかと」

 

東京プリズン (河出文庫)

東京プリズン (河出文庫)

  • 作者: 赤坂 真理
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2014/07/08
  • メディア: 文庫

いつまで続く政治の荒野~社会時評 [社会時評]

いつまで続く政治の荒野~社会時評

 

◆2回生議員の不祥事相次ぐのはなぜ

 既に多くのメディアで報道されているが、自民の当選2回組の不祥事が相次ぐ。それも信じられないものばかりだ。「週刊新潮」6月29日号(6月22日発売)は豊田真由子議員(埼玉4区)による、秘書へのパワハラを報じた。秘書のミスを異常ともいえる言葉遣いで叱責。音声データも公開されたため、逃れられない物証となった。傷害、暴行、脅迫などの容疑で立件もうわさされている。東京の有名女子高から東大法学部、厚生省、ハーバード大学院と典型的な学歴エリートのようだが、人間エリートではなかったようだ。

 豊田議員が自民に離党届を出したことが報じられた6月23日付の中国新聞は、中川俊直議員(広島4区)がお詫び行脚のため地元入りしたと伝えた。愛人との重婚疑惑写真、ストーカー騒ぎなどスキャンダルの詳細は「週刊新潮」4月27日号(20日発売)に掲載、発売直前の18日に経産政務官を辞任、21日には自民党を離党。それからおよそ2カ月ぶりに姿を現した。支援者にお詫びして回るからには、なお国会議員を続ける意思があるということだろう。そのほかの不祥事は、書くのもばかばかしいのでネットで調べていただきたい。

 共通するのは「国会議員として」という以前に「人間として」「市民として」いかがなものか、と思わせることだ。国会とは国民を縛る法律をつくるところ。その任に当たる人が人間性に疑問を持たれてはならない。

 この疑問は政権トップにいる安倍晋三首相にも当てはまる。森友学園問題に続く加計学園問題でも、先頭に立って疑惑の解明を行おうとしない。そうした姿に業を煮やした文科省内部から疑惑を裏付ける文書が出れば文科省を攻撃する。一連の疑惑を追及した野党議員には根拠もなく「印象操作」という。今国会で最も「印象操作」を行ったのは誰か。戦争法を平和安全法と呼び、森友学園疑惑では本筋の国有地払い下げ問題ではなく籠池泰典前理事長の補助金詐欺容疑で国会閉幕直後に強制捜査を行わせ(捜査を決めたのは大阪地検特捜部だが、籠池氏自身がいうように「国策捜査」の色合いは否めない)、加計学園疑惑で重大証言を行った前川喜平・前文科事務次官については出会い系バー通いを官邸の広報紙である読売新聞に報じさせた。野党を非難する前にわが身を振り返ってもらいたい。

 

◆「人」を選べない小選挙区制

 なぜ、こんな政治の荒野が出現したか。最大の原因は小選挙区制にある。そこには二つの側面がある。小選挙区制が「定員1」であることから死に票が多く、必然的にバイアスがかかるためバブル現象が起きやすいこと。もう一つは、あまり指摘されていないが、小選挙区制は人ではなく党を選ぶ選挙であるということ。中選挙区なら、複数の立候補者のうち人間がすぐれていると思われる候補に票を入れることが可能だが「定数1」では人を選べない。

 なぜこんな制度を選択したか。中選挙区では「政治にカネがかかる」ことが問題視され、その原因が選挙区への過剰なサービス合戦にあるとされたからだ。そこで、サービスや利益誘導ではなく、政党の政策を選ぶことが優先された。その分、人への評価の視点が抜け落ちた。

 2回生議員が初当選したのは2012年、野田佳彦政権による「近いうち解散」による総選挙だった。その前の総選挙で民主党が圧勝し政権を取ったが、不慣れで稚拙な政権運営に世論の不満が高まり、風向きは自民政権復活に向かった。そうなると、票を入れるほうは「党」優先、「人」は二の次になる。小選挙区は党も人も選ぶという制度ではないのだ。

 

◆小沢一郎発言への違和感

 小選挙区制度を実現させたのは、小沢一郎氏である。「AERA」6月26日号が小沢氏にインタビューしている。彼は、英国の選挙制度を念頭に置きながら、自由主義批判を軸にすれば反安倍連立政権は可能といっている。そのうえで2大政党制が実現しないのは国民の自立心の欠如、自己主張のなさによる、とした。

 それほど簡単なことだろうか。支配する国王と支配される国民(議会)を関係づけた英国の立憲君主制と、支配しない王(天皇)と民衆を関係づけた日本の立憲君主制は同列には論じられないように思う。何より、英国の王と議会の間にある「公共」の意識が、日本にはない。このこと一つとっても、小沢氏の発言には違和感がある。

 

◆「一強体制」は張り子のトラ

 安倍一強体制は政・官・マスコミ支配によって成り立つが、このうち政治の支配は自民の圧倒的な勢力図によってもたらされている。しかし、それは「数」という表面だけでのことで、内実は空洞化している。だからこそ安倍政権は言論によってではなく、ただ「数」によって問題を解決しようとする。

 こうした中で、加計学園疑惑で出てきた数々の文書の内容を否定して回っているが、そうした政府答弁の方が間違いだったと次々に明らかになっている。例えば「指示は藤原(豊・内閣府)審議官曰く、官邸の萩生田(光一・官房)副長官からあったようです」のメールに添付された手書きメモの件。6月16日の参院予算委で山本幸三地方創生相が「陰で隠れて本省にご注進した、というようなメール」と担当職員を切り捨てたが、実は当該職員は他の省庁との連絡役を務める正規の担当者だったと6月21日付朝日が報じた。これが事実なら、連絡役の内閣府職員が、手書きメモの指示者が大臣か内閣官房副長官かを間違うだろうか。こんな基本的な事実を間違うようなら、この職員は無能というほかない。

 文科省が作成した「萩生田副長官ご発言概要」についても、萩生田氏自身は内容を否定するが、では官房副長官が高等教育局長を訪れてどんな話をしたのか。安倍首相が常々言うように、政策決定過程に一点の曇りもないのであれば、その内容は公にできるはずだ。それが「何か指摘があればその都度、真摯に説明責任を果たしていく」(6月19日の首相会見)ことになる。そのうえで、重なる部分があるのかないのか、どちらの言い分が正しいか、判断するのは国民である。もっとも、文科省職員が高等教育局長に聞いたと称して、根も葉もないフィクションを文書にして担当者の間に回すなどということは考えられないことだが。

 

◆解決策は…

 「悪法も法なり」という。選挙制度に欠陥があろうと、不正がない限り選挙結果は選挙結果である。そして、選挙制度に正解はないといわれる。選挙制度は民意を集約するためのツールにすぎない。どういった選挙制度がその国の国民に合っているかは、判別がむつかしい。そのうえで、その国の「体形」に合わせた選挙制度が求められる。今の日本の政治的不幸は、体形に合わない洋服を着せられていることが半分、トップにいる政治家が自分の言葉や振る舞いに酔いがちな、独裁者的気質を持った人間であることが半分あると思われる。

 ではどうすれば、この惨状から脱出できるか。残念ながら安倍首相は、制度の良しあしを別にすれば日本の政治システムの中では、正統な手続きを経て今の地位にある。その首相を降ろすには、基本としては選挙によって降ろすしかない。

 現行制度下で、あくまで選挙で政権交代を、という正面作戦を取るのであれば、小沢氏がいうように共産を含めた反自民連立への道しかないだろう。

 ただ、ほかに展望がないわけではない。世論調査の内閣支持率がさらに下がることが条件である。全メディアで30%台に落ち(20%台が望ましいが)、不支持率が支持率を上回れば自民党内が動揺する。党内で権力闘争が起き、政権が代わる可能性がある。政権交代が起きないという意味では不満の残るストーリーだが、現時点ではこの筋書きが現実性があると思われる。


強まる翼賛体質~加計学園問題を考える [社会時評]

強まる翼賛体質~加計学園問題を考える

 

◆再リーク恐れた政権

A)加計学園問題が大詰め局面に入った。6月16日には、半日だけにせよ安倍晋三政権は参院予算委を開かざるを得なかった。

B)その前に、民進党が国会で提示した文科省の内部文書が、全部ではないが存在が確認された。これを受けて内閣府も内部調査を行い、結果を発表した。内閣府の方はたった半日の調査だ。

C)当初から予想されたことだが、「総理のご意向」「官邸の最高レベルが言っている」といったことを文科省調査で追認せざるを得なくなり、それらを全面否定するための調査が内閣府側で必要になったということ。文科省と内閣府で明らかになった事実を突き合わせ、どこに真実があるかといった姿勢には程遠い。「両者の調査が必要だ」という世論を逆手に取った。

A)文科省調査ではこれまで明らかにされてこなかった文書まで公表された。「広域的に」「限り」など獣医学部新設要件を厳しくしたことを手書きで示したメモ(PDFファイル)が内閣府から文科省あてに送られ「指示は藤原(豊・内閣府)審議官曰く、官邸の萩生田(光一・官房)副長官からあったようです」と付記してあった。

B)なぜ、これまで出ていなかった文書まで公表したのか。

A)文科省では既に、加計学園問題での政権の対応に不信感を持つ複数の職員が情報をリークしている。再調査をせざるを得なくなったのもそのためだ。これほど重大な内容のメールをほおかぶりしてもいずれ外部に漏れるという危機感が松野博一・文科相らにあったためだろう。もっとも、再調査を決めたのは官邸だが。

C)政権としては、この手書きメモとメールはつぶすしかなかった。政権の生命線にかかわる。萩生田副長官は「いっさい知らぬ存ぜぬ」で押し通し、国家戦略特区の所管大臣である山本幸三・地方創生相が「自分が指示した」とした。山本担当相・藤原審議官で文科省に指示が行ったのなら正規のルートだ。そうするとメールの発信者は虚偽を言ったことになる。

 

◆官僚をスパイ扱い

A)だから山本地方創生相は、予算委でもひどい答弁をした。メールを発信した課長補佐は文科省からの出向者で「陰で隠れて本省にご注進した、というようなメール」と切り捨てた。まるでスパイ扱いだ。

B)参院予算委で福山哲郎議員も怒っていたが、安倍政権は都合が悪くなると官僚を切る。森友学園問題で、首相夫人付として注目された谷査恵子さんは今夏からイタリア勤務だそうだ。左遷か栄転かは微妙で、ありえないポストではないというが「口封じ」の意味合いは否定できない。国内にいてメディアに取材されることを警戒したのだろう。

C)松本清張の社会派ミステリー以来、政権の闇の部分をかぶらされるのはいつも課長補佐。今回の森友、加計とも同じ構図だ。

A)週刊文春(6.22号)が報じているが、文科省の「総理のご意向」文書を書いたとされる課長補佐が官邸の標的になる可能性がある。

 

◆「産業革命遺産」になぜ松下村塾?

C)週刊朝日(6.23号)では前川喜平・前文科事務次官がいくつかの疑惑に触れている。その中に「明治日本の産業革命遺産」指定の経緯に関して問題があったと語っている。

B)変な「世界遺産」だった。吉田松陰の松下村塾が指定された。なんで?という感じだ。吉田松陰の獄中記「幽囚録」を読むと、北は満州、朝鮮半島、南は台湾、フィリピンを攻めて手に入れよ、と書いている。松陰はアジア侵略思想の先駆者だった。松下村塾の塾生らが明治維新をなし、その後、松陰の精神が近代日本で具現化された。「明治日本の産業革命遺産」指定にアジア各国が反発したが、当然の成り行きだった。

C)明治維新後、スローガンとして「富国強兵」が言われたが、「富国」のための「強兵」か「強兵」のための「富国」かという議論がある。松陰もだが、この議論の延長上に西郷隆盛らもいる。上野の森で子犬を連れているイメージがあるが、西郷にもアジア侵略主義者の側面がある。

A)「世界遺産」の闇も、追及しても真相はつかめないだろう。結局は官僚の忖度で片づけられるのではないか。最悪の場合は官僚が切られる。犠牲者は課長補佐だろう。

B)安倍政権の沖縄に対する居丈高な態度も、松陰に心酔するあまりの偏狭なアジア観に根差しているのかもしれない。

 

◆「お友達」による権力ごり押し

C)内閣府の有識者研究会によると、アベノミクスによる好景気は戦後3番目の長さだそうだ。8月まで好景気が続くと戦後2番目になるという。2、3日前にNHKが報じていた。そんな実感は国民にはない。

A)また内閣府か。有識者メンバーをアベノミクス賛同者ばかりにして、そうした結論を流しているのだろう。どんどん翼賛体質が強まっている。危険な兆候だ。文科省、内閣府調査に第三者さえ入れられない日本の政治体制は、特別検察官によるロシアゲート捜査を行っているアメリカの体制に遠く及ばない。

B)翼賛体制もだが、疑惑はいつも「お友達」による権力ごり押しによって生じている。そういう意味では安倍マフィア体質といっていい。

C)政治の質が低下している。それに比例して国民の頭上には暗雲が垂れ込めている。


「国会」が死んだ日~社会時評 [社会時評]

「国会」が死んだ日~社会時評

 

◆中間報告―本会議採決という愚行

A)いわゆる共謀罪法(改正組織的犯罪処罰法)が6月15日、参院本会議で採決、成立した。委員会審議を中間報告という形ですっとばした異例の強硬策だった。

B)日本の国会は委員会制度をとっている。選挙の結果得た議員の数だけが意味があるのであれば委員会審議は必要ない。しかし、少数政党の意見も聞き、できる限り政策に反映させるため委員会審議も行われなければならない、それでこそ民主主義だという考え方があり、日本の国会もその立場に立つ。

C)とにかく数で押し切ればいい、というのでは「民主主義」そのものの意味を疑わざるを得ない。

B)佐伯啓思さんが最近「さらば、民主主義」という本を出し、民主主義、この言葉自体、「主義」なのかという疑問を呈したうえで、民主主義は必ずしも正しい結果を生むとは限らない、といっている。米国のトランプ大統領の動向を見れば、ますますその感がする。

A)佐伯さんは、民主主義は本来、民主体制と呼ぶべきだという。そのうえで「政治」の原型を生み出した古代ギリシャでは大衆を説得するための「弁論」とともにアリストテレス、プラトンといった哲学者が生まれた。民主政治はポピュリズムを不可避的に抱えるから、本当に正しいことは何かを探るには哲学者が必要だったということだろう。

C)リアルな政治の話に戻れば、与党が委員会採決を避けたかった理由は二つある。一つは、採決の際の混乱ぶりをメディアに繰り返し流されることの世論への影響を懸念した。中でも都議選への影響を憂慮した。もう一つは参院法務委の委員長が公明党であるため、強引な採決を公明が嫌がったことだ。近くある都議選では小池新党と公明が連携していることも事情を複雑にした。そのうえで、もちろん加計学園問題で国会を早く閉じたいという政権の思惑もあった。

 

◆与党議員は何を恐れているのか

A)それにしても、最近の政治は異常だ。霞が関の官僚だけでなく、国会までもが安倍晋三政権に忖度している。なぜ安倍首相がこれほど権力を持つに至ったか。

B)いわゆる三つの支配がある。一つは小選挙区制によって自民党中央が議員の生殺与奪権を握ったこと。一つは内閣人事局の設置によって官僚の人事権を握ったこと。もう一つは読売など一部マスコミをコントロールできるようにしたこと。

C)しかし、これほど異常な政権になれば、自民党内からも批判の声が上がって不思議はないと思う。なぜ静まり返っているのか。

B)石破茂・前地方創生担当相が政権に批判的な発言をしているが、支持が広がらない。それどころか政権による締め付けが強まっていると聞く。

A)民進党を中心にした野党勢力が政権を取るというシナリオは当面、現実性がない。だとしたら自民の良識派が声を上げるべきだ。安倍政権は株式操作による見せかけの経済政策以外に何もしていない。数の力でやっているのは集団的自衛権を盛り込んだ新安保法制、特定機密保護法、そして今回の共謀罪と、国民が望んでいないものばかりだ。

C)いま、加計学園をめぐる安倍政権の対応はおかしい、問題の隠ぺいだと与党内から声を上げれば確実に世論を味方につけ政権を退陣に追い込める。与党にも良識派はいるはずで、彼らはいったい何を恐れているのか。

 

◆メディアは…

B)加計問題をめぐる政権の対応については、さすがにメディアも批判を強めている。6月8日には、複数の文科省職員が「総理のご意向」文書の存在を認めているのに「調査の必要なし」とする菅義偉官房長官に対して記者が食い下がった。

A)日本のメディアも捨てたものではない、と思った。あの会見をきっかけに再調査に応じることになった。

C)あまり報じられていないが、6日にも官房長官と記者の論争があった。そのときの中心は前川前次官の辞任の経緯に関してだった。

A)前川前次官はポストに恋々とした、と官房長官が述べたことに前川氏は真っ向から反論している。会見では出会い系バーに通っていたという報道についても追及があった。

C)前川氏は次官から身を引くことを天下り問題の発覚前から決めていたとさまざまなメディアを通じて発言している。ただ、部下の官僚が内閣人事局に、天下り問題の発覚後も次官はとどまれるか、と技術的な側面から聞いたことはあったかと思う。官房長官はそういうところを取り上げて言っているのでは。出会い系バーについては、官房長官もさすがに文科省のメール問題とは別の問題といわざるを得なかった。

A)山口敬之・元TBS記者の準強姦容疑で逮捕状がもみ消された件。ジャーナリストの上杉隆氏が注目の発言をしている。逮捕状が出た後、官邸がアンカーマン岸井成格氏らの降板をTBSに求め取引したという。少なくとも事件の経過と降板前後の事実を突き合わせると矛盾はない。事実ならメディアに対する卑劣な弾圧といわざるを得ない。

 

◆「法の枠内」ならいいのか

A)義家弘介・文科副大臣が6月13日、参院農水委で、「総理のご意向」内部文書の存在を認めた文科省職員に対して恫喝ともとれる答弁をした。公にされていない行政運営プロセスについて外部に漏らせば、それが違法なものでない限り国家公務員法の守秘義務違反にあたるという。「一般論」と断っているが、明らかな恫喝であり官僚は委縮する。

B)官房長官はよく「我が国は法治国家」とか「法に従って適正に処理」とかいう。集団的自衛権を合憲だといったり、だれも説明できない共謀罪を無理やり成立させたり、歴史上例を見ないほど無法の限りを尽くす安倍政権のスポークスマンがそんなことを言う。

C)丸山真男は「軍国支配者の精神形態」で、日本ファシズムの矮小性について「既成事実への屈服」と「権限への逃避」を挙げた。「既成事実」とはもちろん戦争のことで「起こってしまったものは仕方ない」、つまり「止められない」ということ、「権限への逃避」は、自分は与えられた仕事を手続きに従って処理しているだけ、ということだったと、東京裁判での武藤章陸軍軍務局長尋問調書などを引きながら結論付けた。官房長官や官僚、与党議員らの発言はこれに重なる。安倍政権という既成事実に盲目的に従い、権限への逃避というタコツボ思考に逃げ込む。全体を見て責任を取ろうという人間は現れない。辛うじて前川さんが例外だったのかもしれない。

B)ユダヤ人として強制連行された経験を持つハンナ・アーレントはイエルサレムでのアイヒマン裁判の傍聴記を「ザ・ニューヨーカー」誌に寄せ、アイヒマンを痩せた近視の、自制心を保つことにきゅうきゅうとした小心な男と描写し、彼はただ法に忠実に従っただけとして収容所体験を持つユダヤ人らのセンセーショナルな反感を呼んだ。アーレントが言いたかったのは、戦争やファシズムは悪魔のような心を持つ人間によってではなく、法を守る小心な人間によって遂行されるということだった。

A)ファシズムとは秩序だったまとまりのなさであり、特定の哲学を持たないといったのはウンベルト・エーコだが、今の政権や霞が関の動きを見るとそういったことを連想させる。

B)日本には、天皇をブラックホール装置にして巨大な忖度が権力中枢で渦巻き、だれも理解できない戦争に突入した歴史がある。そうしたことがまるで反省も理解もされないまま今日の状況が突き進むのはとても危険だ。おそらく、戦争はこんな風にしてまた始まるんだろうな、と実感させられる。

A)最初のテーマに戻るが、官邸の「ご意向」に沿って国会の機能が停止するという状況は、全権委任法下のナチスを思わせる。安倍首相個人のスキャンダルともいえる加計学園問題の火消しのために、共謀罪という全国民の災厄ともいえる法律が強行突破的に成立させられている。

B)日本版全権委任法である緊急事態法は日本ではまだないが、既に実態としては同じ状況が生まれているということではないか。

 


都市こそが事件の引き金を引いた~濫読日記 [濫読日記]

都市こそが事件の引き金を引いた~濫読日記

 

「まなざしの地獄 尽きなく生きることの社会学」(見田宗介著)

 

 「永山則夫 封印された鑑定記録」(堀川惠子著、岩波書店)に以下のような記述がある。

 「〝連続射殺魔〟は、あらゆる人間関係の磁場からはじき出され、孤立していた。少なくとも逮捕されるその日まで、彼にまなざしを注いだ人間は誰もいない。(略)彼は、どこにいなかった。いることができなかったからこそ、事件は起きた」。

 北海道で極貧生活を送り、東京に出て集団就職し、夢破れて犯罪に走る。永山に対する判決は、「貧困と無知による凶悪犯罪」として一審死刑、二審無期、最高裁差し戻し(死刑)という経過をたどった。堀川は永山の生い立ちに寄り添い、過酷な幼少期の生活がどんな影響を与えたかを、彼自身への100時間に及ぶ聞き取りテープを再現する中で探求した。これはこれで力技である。永山が、家郷と都市によって二重にはじき出されたことが明らかにされた。

 永山が事件を起こした196869年から数年後の1973年に雑誌「展望」に掲載された見田の「まなざしの地獄」は、疎外と無関心の果ての連続殺人という事件の文脈を、堀川のように永山(見田はN・Nと表記、以下これに従う)の側(あるいはN・Nの内面の側)からではなく、都市の側からとらえ直した。

 例えば、こういうことだ。

 N・Nは、北海道から東京へ「金の卵」として流入する。高度経済成長期の日本が若年労働者を求めたためだ。ちなみにN・Nが上京した1965年の全国の中学卒業者に対する求人倍率は3.72だった。しかし、ここで使われた「金の卵」とは、都会に流入した若者の「実存」に対する形容詞ではなく、中小企業の経営者たちが彼らに向けた「まなざし」だった。

 N・Nは最初の職場で「熱心な若者」だったという。貧困にまみれた家郷への嫌悪が都会へと向かわせ、そこに自己解放の夢を託したのであろう。しかし、雇い主にとってそれは不要であるばかりか腹立たしいものだった。家畜のように黙って働いてくれればよかったのだ。こうしてN・Nは上京から6カ月、フルーツパーラーを些細な理由でやめていく。それは、都会との関係の希薄さを表すと同時に、自己の内面と他者との了解の困難さをも表していた。

 このことはしかし、N・Nに自由をではなく、呪縛をもたらした。見田の表現を使えば「都市の他者たちのまなざしの囚人(とらわれびと)であった」。見田は、堀川が言うように「まなざしの欠如」がN・Nを犯行に走らせたのではなく、都市の「まなざし」こそがN・Nの内面に重圧を与え変形させたのだという。

 ここでいう「まなざし」とは何か。N・Nが幼いころ顔に負った傷、戸籍の出身地が網走であること、そして貧困…。N・Nはそのことへの他者へのまなざしにとらわれる。身の周りのものへの高級品志向、「進学」への執念。それらは、求めれば求めるほど「地獄」となってのしかかる。見田が指摘するように、都会の金持ちの息子たちは無造作な格好で、N・Nは背広にネクタイというばりっとした格好で銀座を歩く。貧乏くさいのはN・Nの方なのである。

 見田はここで、サルトルによる「ボヘミヤで栄えた商売」のエピソードを紹介する。とらえた子供の頭蓋骨を圧縮し昼夜箱の中に閉じ込めて成長を妨げ、怪物を作り上げた、という商売のことである。

 N・Nの起こした事件は、一つの極端な事例である。しかし、ここで「まなざし」という装置を使うことで見田は見事にある時代の都市の普遍的な姿を浮かび上がらせた。

 では、今の時代にこの「まなざし」は、個人にどのように作用しているのであろうか。ここで私たちの記憶の底から立ち上がるのは14歳少年によって起こされた神戸の連続殺傷事件(1997年)である。彼は犯行声明の中で自らを「透明な存在」といった。都市のまなざしにとらえられない存在と自己規定したのである。彼にとってはそのことが地獄であり、それゆえに彼は「透明な存在」から脱すべく犯行に走ったと思われる。このことは、この著書の解説で大澤真行も触れている。N・Nの事件から30年近くを経て、「まなざしの地獄」は「まなざしの不在の地獄」へと陰画のように反転したのである。

 河出書房新社、1200円=税別。

まなざしの地獄

まなざしの地獄

  • 作者: 見田 宗介
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2008/11/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



100年前と変わらぬヨーロッパ~映画「サラエヴォの銃声」 [映画時評]

100年前と変わらぬヨーロッパ~映画「サラエヴォの銃声」

 

 1914年、サラエヴォで響いた一発の銃声が、ヨーロッパを奈落の底に叩き落した。事件から100年、「ホテル・ヨーロッパ」では記念式典が開かれようとしている。大学教授にインタビューするジャーナリスト、演説の原稿を練るVIP、ストを企てる従業員とそれを阻もうとする経営者。そんな中に、あの事件と同姓同名の男、ガウリロ・プリンツィプが現れる…。

 「ヨーロッパはサラエヴォで死んだ」というセリフが出てくる。オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子が暗殺され、オーストリアがセルビアに宣戦布告したことを契機にヨーロッパは二分、第一次世界大戦が始まった。それから100年、ヨーロッパは変わったのか。映画の中でインタビューされた大学教授が延々とその歴史を語る。驚くべきことに、ヨーロッパは少しも変わってはいないのである。

 プリンツィプは演説会場に向かうVIPに銃を向けるが、ホテル従業員によって射殺される。これは何を意味するのか。偶然にも「暗殺」は未遂に終わったが、これはいつ既遂に変わるかもしれない。そうなれば、薄皮一枚下のヨーロッパの混乱が再発しても不思議はないのである。そんな皮肉が込められた一編である。監督、脚本はボスニア・ヘルツェゴビナ出身、「鉄くず拾いの物語」で注目されたダニス・タノヴィッチ。

 

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戦後思想をきちんととらえるには~濫読日記 [濫読日記]

戦後思想をきちんととらえるには~濫読日記

 

「さらば、民主主義 憲法と日本を問い直す」(佐伯啓思著)

 

 安倍一強独裁の昨今の政治を見ると、何とかならないかと思う。しかし、考えてみればこの政権、我々の投票結果を受けてできた。嫌ならこうした政権ができないような投票行動をすればいい。しかし、なかなかそうはならない。なぜだろうか。あるいは、米国でトランプという異形の大統領が生まれた。これは民主主義の危機だろうか。あるいは民主主義だからこそ生まれた大統領だろうか。

 こうした疑問の背景を探ったのが、この書である。その結果、これまで当然とされてきた概念が、懐疑の対象とされる。民主主義はいつも正しい結果を生む、という前提でいいのか。そもそも民主主義は「主義」なのか「体制」なのか。自由主義と民主主義は同列なのか。議会主義と民主主義は。欧米では一般的に語られる共和主義はなぜ日本で語られないか。共和主義の前提である「公共」の概念は、欧米と日本で共通のものなのか。なぜ日本で「公共」は重んじられないか。

 答えはここで書くより読んでいただくほうが早いだろう。

 こうした基本概念へ洞察は、必然的に戦後民主主義といわれてきたものへの懐疑へと向かう。戦後思想はアジア・太平洋戦争への反省から民主主義、護憲主義、平和主義を三位一体とした。それは正しかったのか。民主主義(民主体制)は民を重んじることであるから、そのまま平和主義へと結びつくものではない。護憲主義は戦後思想の基軸の一つであったが、そもそも戦後憲法が生まれるに至った主権の問題がある。これをどう解決するかは、今なお大きな問題である…。著者はこうして、戦後思想を外側から見る。もちろんそれはあるべき姿であろう。戦後思想(戦後体制)をアプリオリに善ととらえる思考からは、未来は必ずしも見えてはこない。

 興味深いのは「公共」に対する考察である。著者は、近代国家論の源流である英国では王権と議会が支配・被支配の関係にあり、そこから王権=私的権力、議会=公共という概念が生まれたとする。しかし、日本では必ずしも天皇が支配者として存在しなかったため、英国のような王権と対峙する「公共」の概念が生まれなかった。日本ではイエ(=ヤケ)が積み重なり、オオヤケの概念に結び付いたとする。オオヤケとは天皇で、それ以外はすべて私的なものという理解である(江戸時代の幕府は公儀、つまり公の代行者)。ここでは、公と私が水平ではなく垂直の関係にある。

 歴史的には、オオヤケに対するこの説明はよく分かる。しかし、今日の日本的「公共」に対する説明としては通用するだろうか。戦後70余年たつ。短い時間ではない。その間に作られた「公共」の概念はないだろうか。たしかに、欧米に比べ「公共」への意識は薄いが、だからといって無視できるほど軽くもない。例えば「自由な言論空間」は、公共空間へのリスペクトがなければ成り立ちにくい。私的な「イエ」の積み重なりの頂点に「オオヤケ」があるとする発想は、そのまま現代に適用するとすれば危険である(もちろん、著者がそう思っているとは思わないが)。

 護憲派と呼ばれる人たちのように戦後を一面的に肯定、擁護するのでもなく、あるいは安倍晋三首相のように戦後を一面的に否定、無化するのでもなく、戦後をきちんととらえ直す、という意味で、刺激的かつ価値ある一冊である。

 朝日新書。760円(税別)。


さらば、民主主義 憲法と日本社会を問いなおす (朝日新書)

さらば、民主主義 憲法と日本社会を問いなおす (朝日新書)

  • 作者: 佐伯啓思
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2017/05/12
  • メディア: 新書
 

浅はかで軽薄な駄作~映画「たたら侍」 [映画時評]

浅はかで軽薄な駄作~映画「たたら侍」

 

 「たたら(鑪)」とは古代から続いた日本独自の製鉄法で、中国山地にも炉跡が残る。映画は戦国期から江戸期にかけての出雲の山村を舞台にした。期待はしなかったが、素材の魅力にひかれて観てしまった。感想は…。いやはや、である。入場料を返して、と本気で思った。

 たたら製鉄を生業とする村の若者、伍介(青柳翔)。かつて野武士に襲われた経験から、村を守る手段を持ちたいと思う。偶然村を訪れた商人に頼み、織田信長の家臣になろうとする…。

 ここまで筋書きを書くだけで気恥ずかしくなるほど軽薄な展開だ。しかし、我慢して先に行こう。伍介は戦場に赴くが、殺し合いの現場を見て耐えられず村に逃げ帰る。先の商人と織田軍の仲介をした男・与平(津川雅彦)が現れ、織田軍のように火筒(火縄銃)を持つことを勧める。伍介は「これさえあれば村を守れる」と、物見やぐらを築き、戦闘態勢を整える。

 たかだか数人の殺し合いを見ただけで腰を抜かした純朴な男が、どうして数丁の銃を持つだけで戦国時代に村を守れると思うのだろうか。かつて福井の一乗谷朝倉氏遺跡を訪れたことがあるが、戦国武将、特に織田の敵を滅ぼす際の徹底ぶりはすさまじい。一乗谷でも、前後から挟み撃ちにし、火を放って城下町ごと葬り去って、その後「日本のポンペイ」と呼ばれるに至った。400年を経て発掘が行われ、かつての城下町の全貌が明らかになったのである。こうした残忍さの背景には、戦国期、敵を根絶やしにしなければいつ復讐に遭うか分からなかったという事情がある。

 そういう時代背景を考えれば、伍介が簡単に村の自力防衛に走るという展開はいかにものどかで浅はかである。そのうち、与平は野武士風の屈強な男たちを村に連れてくる。ためらう伍介に、与平は「あなたが望んだこと」と言い放つ。

 伍介を慕うお國(石井杏奈)は村の舞台で舞い、村を出た伍介の安全を祈るが、こんなシーンいるのだろうか。織田勢がいつ攻めてくるか、という時に村人は出雲神楽に興じる。そんな余裕はあるのだろうか。伍介が勾玉のネックレスをしているのもひっかかる。

 与平は豊臣の手のものと見抜いた尼子(後に毛利に併合される)の新之助(AKIRA)が野武士たちを討つが、与平の銃によって倒れ、怒りに燃えた伍介が立ち上がる…。

 野武士が村を襲う冒頭シーン、自衛に走る村人、織田から豊臣、徳川へと天下人が代わる中、時の権力者に取り入ろうとする商人のしたたかさを描いたラストシーン。まるで黒澤明の「七人の侍」を裏返したような展開が続く。しかし、いうまでもなく「たたら侍」は、「七人の侍」の足元にも及ばない。それは何よりラストシーンで分かる。「七人の侍」では、田植えに励む農民のしたたかさを見て勘兵衛(志村喬)が「勝ったのは、あの百姓たちだ、おれたちではない」とつぶやくが、このセリフの重さは、占領期から独立期へと日本が移行した19531954年に作品が作られたことと重ね合わせて、初めて分かる。

 「たたら侍」は時代とどのように絡み合い、どんなメッセージを発しているのか。問いかけるのもせんない気がする。

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安倍政権並み、メディアの体たらく~社会時評 [社会時評]

安倍政権並み、メディアの体たらく~社会時評


内調とつながる「ジャーナリスト」 

A)このところ、メディアのだらしさが目立つ。

B)ひとりの女性が5月29日、検察審査会に不服申し立てをし、その後会見した。準強姦罪の被害者としての訴えだったが、顔も出して覚悟の会見だった。相手は元TBSの山口敬之という記者だ。

C)この件は週刊新潮5月18日号、25日号で詳しく報じている。注目すべきは、新潮の取材を知った山口がすぐ内調幹部に相談していることだ。つまり、山口は自らの下半身のことも含め政権、特に内調とツーカーだったことになる。

B)新潮がかぎつけたことで山口も動揺したんだろう。新潮から来たメールを内調幹部に送ろうとして、誤って新潮に返信してしまったらしい。それで山口と内調の関係が新潮にばれた。新潮は、山口の逮捕状をもみ消したのは菅義偉官房長官の右腕である警察官僚だと報じている。

A)山口は一時、安倍晋三首相を最も知る男としてテレビでもてはやされたが、少なくともジャーナリストとしてはこれで終わりだ。彼の言動は内調にコントロールされていると見るのが常識になるからだ。

C)先の女性、仮にS・Iさんとすると、彼女は米国の大学を出て外国通信社にインターンの扱いで働いていたが、日本のメディアに就職したくて、当時ワシントン支局長だった山口を頼ったらしい。こういうケースは時々あるが、自分の立場を利用した悪辣な手口だ。


「正義」が通らない社会
A)S・Iさんのような「個人の反乱」がこのところ相次いでいる。

B)それは、見るに見かねて、堪忍袋の緒が切れて、ということだろう。森友学園の籠池泰典理事長、加計学園疑惑での前川喜平・文科省事務次官…。普通ならメディアが社会正義の体現者、あるいは代弁者になるはずだが、それがないからだ。本来、こうした人々が顔をさらす前に、メディアが彼らの人権に配慮しながら正義を押し通さないといけないが、今の時代はそれがない。

C)前川さんはあれだけの覚悟で会見したが、官邸は黙殺する構えだ。それどころか、まるで関係ない出会い系バーの話を持ち出して、人格攻撃をしている。

A)元通産(経産)官僚だった古賀茂明さんは、前川さんは平成の浅野内匠頭だといっている。松の廊下で吉良上野介に切りつけた。仇を討つ四十七士よ出て来い、というわけだ。しかし、今のところ文科省内はみんな口をつぐんでいるようだ。

B)かつて外務省機密漏えい事件というのがあり、日米密約が暴露されたが、当時の佐藤栄作政権は記者と外務省職員の不倫の事実を持ち出して裁判にも勝訴した。「情を通じ…」という判決の一言が、日米密約を暴くという正義の行為を吹き飛ばしてしまった。今回の人格攻撃の背景には、その成功体験があるのだろう。

A)文科省の官僚だった寺脇研さんが、今のメディアはひどいとツイートしている。ある全国紙からコメントを求められて応じたところ、没にされたらしい。そのコメントも載せてあったが、どこが問題なのか分からない。強いてあげれば「今の省庁は内閣府の下請けになっており、正常な内閣制度とはいえない」という部分か。それにしても、この程度で掲載が見送られるようでは、メディアもひどいものだ。

C)その新聞はどこだろう。朝毎東は少なくとも没にはしない。産経は初めから寺脇さんには聞かないだろう。だとすれば読売か。

防御に走るメディア

A)そうかもしれないが、分からない。ところで最近、田崎史郎・時事通信社特別解説委員の官邸寄り発言が目立つ。

B)彼の発言をよく聞くと、必ずしも本意ではなく発言しているとうかがえることがある。官邸寄りで発言してくれと局から求められているのではないか。

A)なぜ。

B)かつて、各局のニュース番組やNHKの「クローズアップ現代」が官邸の批判にさらされた。その時あったのは、例えば選挙報道などで発言者のバランスが取れていない、というものだった。その批判が必ずしも正しいわけではないが、テレビ局としてはそうした批判を受けないよう、外形的に整えようとしているのではないか。

C)確かに。見ている限りでは田崎氏はコメンテーターとして単独で出ることはない。例えば、多少野党寄りの発言をする伊藤惇夫氏とセットとか。局がバランスを取るための要員だろう。そのためか、テレビ朝日は肩書で「時事通信」を出さずに「政治評論家」としている。そのほうが中立を気にせず自由にものが言えるから。

B)やっぱり、安倍政権が一時メディアを攻撃したのが相当こたえているようだ。トランプ政権と果敢に闘っている米国メディアがやたら健全に見えてしまう。

A)読売が載せた安倍首相の改憲単独インタビュー(5月3日付)、前川前次官の個人攻撃報道(5月22日付)も相当ひどい。この件と、先ほどの山口氏の一件をみれば、官邸によるメディア支配の手口が見えてくる。

B)「出会い系バー通い」の読売の記事も、官邸の警察官僚を通じて流されたものだろう。こうした情報操作に加えて共謀罪が成立すれば、どんな時代が来るか。