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単純が生む面白さ~映画「ノー・エスケープ 自由への国境」 [映画時評]

単純が生む面白さ~
映画「ノー・エスケープ 自由への国境」

 

 トランプ大統領の選挙中の公約に、米国とメキシコ国境に壁を造るというのがあった。まだあきらめていないらしいが、移民排斥の動きは、トランプ大統領だけでなく米国民の感情の底流としてあるのだろう。この映画も、そうした感情を織り込みながら米国・メキシコ国境で起きていることを映像化した。

 といっても、政治的色彩はまったくない。追うものと追われるもの、撃つものと撃たれるもののせめぎ合いを映像化した。スティーブン・スピルバーグ監督の初期作品「激突!」は、ひょんなことで巨大トレーラーにつけ狙われる男の恐怖感を描いたが、それに似た味わいがある。ストーリーは単純明快、余計な説明などない。「ノー・エスケープ」のスタッフは「ゼロ・グラビティ」と同じというだけに(監督はアルフォンソ・キュアロンの息子ホナス・キュアロン)、作品のコンセプトは共通している。絶体絶命の環境の中でどう生きのびるか、それだけを追った。

 米国へ不法移民を試みるモイセス(ガエル・ガルシア・ベルナル)らメキシコ人16人を乗せたおんぼろトラックが行く。ところが砂漠のど真ん中でエンスト、ブローカー2人とともに歩いて横断する羽目に。そこへウサギ狩りに興じるサム(ジェフリー・ディー・モーガン)が出くわす。国境を越えて入り込むメキシコ人たちを快く思わないサムはライフルで次々と狙撃していく。そして「ここは俺の国だ。邪魔はさせん」と叫ぶ。

 ただそれだけのストーリーだが、単純なだけに緊迫感は嫌がおうにも盛り上がる。「ゼロ・グラビティ」は宇宙空間が人間の生存を阻むが、「ノー・エスケープ」では砂漠が人間の生存を阻む。灼熱の太陽、水も食べ物も武器もなく、サボテンの下にはガラガラヘビ。追ってくるのはライフルと獰猛な猟犬。さあ、どうする…。

 

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現下の政治を整理するための好著~濫読日記 [濫読日記]

現下の政治を整理するための好著~濫読日記

 

「自民党―『一強』の実像」(中北浩爾著)

 

 森友学園疑惑、加計学園疑惑と、安倍晋三政権の腐敗が露呈している。根幹には、「一強」ぶりが際立つ官邸に対して政官の行き過ぎた忖度があると思われる。では、官邸の一強体制はどのように出来上がったのか。それを考えるうえで参考になる書である。それは同時に、現下の政治状況を整理するための、最適な一冊でもある。

 全体を俯瞰すると派閥、政策決定プロセス、国政選挙、友好団体の変化など、自民党をめぐる近年の変化のほぼ全体像をとらえている。その中で最も決定的な要因は、政治とカネ批判に対応した選挙制度改革である。それに加え、政策決定を官邸が積極的に主導したことと、内閣人事局設置による官僚支配が、官邸の立場を強化させたといえる。

 衆院が中選挙区から小選挙区へと変わったことで党公認が中央に一本化され、まず派閥が弱体化した。この変化は族議員の弱体化を招き、政策決定における官邸の強化につながった。いわゆる「政治とカネ」批判を受け、政治資金の流れも一本化された。かつてはカネとポストの配分が派閥の機能といわれたが、もはやどちらも、派閥とは無縁となった。こうして派閥は単なる人的ネットワークになった。かつて政治の悪弊とみなされた派閥は機能のほとんどを失ったが、そのことが官邸の機能強化につながったのである。

 小選挙区は定数1だから、理論上有権者の半数を確保しないと当選できない。現在の自民党の組織票だけでは議席確保がおぼつかないので浮動票に頼らざるを得ない。まさしく、制度が変わった1996年以来、2005年の小泉郵政選挙、2009年の民主党政権奪還選挙、その後の自民党復活と第三極躍進選挙と、浮動票が政権のありようを決めてきた。

 ただ、安倍政権が復活した2012年の衆院選以来、自民党の絶対得票率はけっして高くはない。ここ5年間は、自民が勝つというより野党が負ける選挙が続いているといったほうが正しいだろう。その中で自民の勝因を分析すれば、地方の組織票が比較的安定していること、都市の与党票をまとめる公明の組織的バックアップが効果的であることが挙げられよう。

 現在、森友、加計学園問題への対応や強引な国会運営をめぐって世論調査の内閣支持率は軒並み激減、その中で「支持政党なし」が急増している。7月7~10日の時事通信調査で支持は30%の大台を割り(29.9%)、不支持48.6%、「支持政党なし」は実に65.3%に達している。これは民主党が政権を奪取した2009年と似ており、新たな政治的枠組みを待望する有権者心理を表している。

 小泉政権は「古い自民党をぶっ壊す」と連呼して政権につき、郵政選挙では改革派対抵抗勢力という構図を作り上げた。加計学園問題で安倍政権は構造改革を推進する勢力と抵抗勢力という構図を作ろうとしているが、「首相発言を信用できない」とする声が多くあり(時事調査では67.3%)、目論見は成功していない。

 では、今後の政治地図はどうなるか。中北氏が指摘するように、安倍政権の特徴は小泉政権から引き継いだ新自由主義路線と、民主党政権時代の野党体験を踏まえた右傾化路線だった。しかし、おそらく安保法制、特定秘密保護法、共謀罪法などに見られる安倍政権の路線に、多くの国民は辟易としている。深刻化する貧困率など新自由主義路線にも懸念を抱いている。これらに対する国民の思いを受け止める新政党が登場すれば、間違いなく国政に風が吹くだろう。その条件は整いつつある。一方で自民党内を見渡せば、弱体化したといってもなお息づく派閥間力学の中で、旧清和会系の小泉・安倍政権に政策的違和感を抱き続けた旧宏池会系(岸田派、麻生派)、旧経世会系(額賀派)がどう動くかも、今後の新地図に影響しそうだ。

 中央新書、880円(税別)。


自民党―「一強」の実像 (中公新書)

自民党―「一強」の実像 (中公新書)

  • 作者: 中北 浩爾
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2017/04/19
  • メディア: 新書
 

超監視社会への流れを告発~映画「スノーデン」 [映画時評]

超監視社会への流れを告発~映画「スノーデン」

 

 「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ改正組織犯罪処罰法が711日付で施行された。多くの市民が懸念するように、複数の人間で特定の意思表示を企てただけで処罰の対象になりかねない。その前段として「企て」を立証するために、権力を行使する側の膨大な監視行為が行われる。

 国会での議論で、政府は「一般人が対象になることはない」といいながらも「目的が一変して犯罪集団とみなされた場合には、もはや一般人ではない」と答弁、抜け道を作った。「目的が一変した」ことを見定めるには一般市民への常時監視が必要であり、そのうえで犯罪集団とみなすのはあくまでも捜査機関である。「一般人が対象とはならない」というのは、論理矛盾というほかない。

 森達也著「すべての戦争は自衛から始まる」で、90年余り前の新聞記事が紹介された。ある学生から見せられたという。1925年、治安維持法が国会で成立したときのものだ。森はこれを見て「呆然とした」という。そしてこう続けた。「ここ数日の見出しと変わらないじゃないか」。その見出しとは、例えばこうである。

 「赤」の定義で押し問答/定義はハッキリせぬが/この法律だけは必要だという

 治安維持法は/傳家の寶刀に過ぎぬ/社會運動が同法案の為抑壓せられることはない

 ここでの「赤」は、現在では「犯罪集団」と置き換えられるだろう。それを除けば、90年以上もたって、代わり映えのしない議論をしているのである。治安維持法がその後、国家総動員体制に異を唱える人々にどれほどの威力を発揮したかは、いうまでもない。

 こうした動きは、日本に限ったことではない。世界共通、権力の習性というべきものであろう。だからこそ「監視への欲望」をむき出しにする権力への「監視」が必要になる。

 映画「スノーデン」は、オバマ大統領のもとで進められた米国の国民総監視体制を白日にさらした人物にスポットをあてた。エドワード・スノーデンが軍役で訓練中に重傷を負い除隊、その後、情報工作の才能を買われてNSA(国家安全保障局)やCIA(中央情報局)と接触を持ち、膨大なインターネット、電話の傍聴の事実を知る。それを、英ガーディアン紙などを通じて暴露、香港からロシアまでの亡命行までを描いた。

 監督のオリバー・ストーンは「7月4日に生まれて」や「プラトーン」で米国の裏面を描き、ピーター・カズニックとの共著「もう一つのアメリカ史」で米国の戦後史を塗り替えた。彼の作品に対しては、いつも賛否両論がある。「スノーデン」も、畳みかけるような細かいカットの連続で、分かりやすいとはいいがたい。しかし、傍聴・監視の事実を告発したスノーデンに対して「単なるハッカー」と切り捨てたオバマ大統領への怒りは、スクリーンを通してダイレクトに伝わる。

 ジャック・アタリは「21世紀の歴史」で近未来の世界を描き、民主主義の原理を凌駕する市場原理の社会が出現し、超監視社会が生まれると予言する。スノーデンは、NSAの情報監視システムが、既に日本に提供されていると明らかにしている。そうだとすれば、映画「スノーデン」で描かれたことは、日本と無縁の出来事ではない。だからこそ「超監視社会」の入り口に立とうとしている日本の現状に、多くの市民が懸念を抱き「ノー」を発信している。

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戦場から虚無の世界へ~濫読日記 [濫読日記]

戦場から虚無の世界へ~濫読日記

 

「大岡昇平 文学の軌跡」(川西政明著)

 

 むかし、雑談をしていて大岡昇平の「レイテ戦記」に話が及び「これだけ詳細に戦場を描いていながら女性のこと(「慰安婦」のこと)が出てこないのはなぜだろう」という指摘を聞いたことがある。確かに、戦記文学の最高峰といっていい「レイテ戦記」には「戦場にいた女性」のことが書かれていない。しかし、それを「不思議なこと」とは思えなかった。どこか大岡の作家としての資質に由来するのではないか、という感覚があった。

 文芸評論家・川西は最近、「新・日本文壇史」を書き終えた。「大岡昇平 文学の軌跡」は川西の遺稿とされる。「新・日本文壇史」の流れを引き継いでいるせいか「大岡昇平」も作品論、文学論というより文壇における大岡の生きざまを浮き彫りにした、という印象が強い。「出生の秘密」から書き出し、中原中也、小林秀雄らとの疾風怒濤の日々から、戦争体験と「野火」「俘虜記」の執筆過程へと向かい、終わり近くである女性のことに多くのスペースを割いている。

 「出生の秘密」によると、紀州の地侍の血を引く大岡の父は株屋になり、浮き沈みの激しい人生を送ったという。そんな中で「芸妓と遊客」が、後の大岡の父母になった。10代でそれを知った大岡は衝撃を受けたという。このことが、彼の女性像を形成する原体験になったと、川西は書いている。女性に対するこうした複雑な視線が「戦場の女性」を描くことを拒絶させたか、あるいは書くという行為へと向かわせなかったのではないか。

 この書の後半に出てくるのは坂本睦子という女性である。川西は「昭和文壇史に妖女のように君臨した」と書く。10代で上京、文藝春秋地下のレストランで働いていたところ直木三十五、菊池寛、小林秀雄らと関係を持ち、戦後復員してきた大岡とも付き合う。大岡が睦子との日々を小説にしたのが「花影」である。

 複数の男を渡り歩きながら決して男を愛することがない。そして最後には死を選ぶ。そうした虚無感を緻密な心理描写と構成で浮き彫りにした。1958年に「中央公論」に連載開始、61年に刊行された。ちなみに「俘虜記」刊行が48年、「野火」が52年だった。大岡は戦場文学から60年安保には向かわず、虚飾と虚無の世界の中で自死した一人の女性の生きざまにまなざしを向けたのである(「レイテ戦記」の「中央公論」連載は6769年)。

 大岡が、戦争体験から政治的変革の方向へ向かわず、市井の一女性の内面へと向かった軌跡は一見不思議であるが、考えてみればこちらのほうが「戦後」の心象風景の主流ではなかったか。あるいは、逆説的に言えば「花影」で描かれた虚無感と断念こそが、戦後日本を経済大国へと突進させた原動力ではなかったか。

 「花影」にはこんな会話がある。

 「死んじゃいけないよ」と松崎はいった。

 「ううん、あたし死ぬわよ。それは、きまっているの」

 「ばかはおよし。桜はまだ咲いている。来週また来るから、それまでは、死なないと約束してくれないか」

 「松崎」は大岡自身の投影である。

 「花影」の解説で小谷野敦は、芸術院会員に推薦された大岡が捕虜となった過去をあげて辞退したことに触れている。社会と一線を画して安んじることへの拒絶が透けて見え、興味深い。背後にあるのは戦場の死者たちとの黙契である。虚無に彩られたはかなさへの共感と、死んでいった者たちの視線を背負い込んだ怒り。ここに小説家大岡昇平の肖像がある。

大岡昇平: 文学の軌跡

大岡昇平: 文学の軌跡

  • 作者: 川西 政明
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2016/12/19
  • メディア: 単行本
花影 (講談社文芸文庫)

花影 (講談社文芸文庫)

  • 作者: 大岡 昇平
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2006/05/11
  • メディア: 文庫



動乱の時代が始まった~社会時評 [社会時評]

動乱の時代が始まった~社会時評

 

都民が常識的な判断

A)すでに報じられているように、東京都議選は自民が惨敗。小池百合子知事を先頭に立てた都民ファーストの会が第一党になった。

B)自民の惨敗は予想通り。これまで、安倍晋三をリーダーとする自民党がなぜこれほど強気でいられるのか理解できなかった。東京都民が常識的な判断をしたといえる。

C)しかし、それに代わって小池新党というのも…。

A)変わり映えしないということか。

C)安倍自民がここまで嫌われたのは、上から目線の政治、権力の私物化、疑惑隠ぺい体質、これらが原因だった。小池知事が喝采を得たのは、こうした自民の現状にアンチテーゼを突きつけたから。都民とともに歩み、政策決定過程を透明化する、こうしたことを訴えたからだ。しかし、政策的に自民に対抗するものを持っていたわけではない。

B)自民の敵失が小池新党に風を吹かせた、といういい方もできる。都議選に入ってすさまじいほど自民のマイナス面が出た。2回生議員の常軌を逸したパワハラ暴言、稲田朋美防衛相の「防衛省、自衛隊、防衛相として特定候補をお願い」発言、下村博文幹事長代行の加計学園献金疑惑…。その前に森友、加計疑惑があり、菅義偉官房長官の強権的な対応も随分、国民の反感を買った。

 

批判を受け止める能力がない首相

A)でも、最大の問題は安倍首相自身だ。今あげたすべての問題が安倍首相自身から出てきているうえ、国会ではろくに質問に答えず野党批判ばかり繰り返した。そういうところを、国民は見ている。

B)都議選最終日、秋葉原での街頭演説もひどかった。「安倍やめろ」コールに対して「こんな人たちに負けるわけにいかない」と絶叫していた。後ろでは石原伸晃が「そうだ」とたきつけていた。

C)かつて、国会で追及された首相が「そんな下品な言葉を使うから、あなた方の支持率は低いままだ」と応じていた。そういう体質が安倍という政治家にはある。質問にまともに答えず、問題をすり替えて応じる。聞く耳を持たない。背景には、同じ国民という意識ではなく、批判するものは敵、という意識がある。これを直さない限り、いくら反省するといっても国民は信用しない。

B)安倍首相が都議選結果を受けていっているのは、「国民から叱咤された」と、つまり叱られたと。しかし、国民感情はそうではない。「やめろ」といっている。そのことを正しく受け止める姿勢、能力が今の安倍首相にはない。

C)「反省する」というなら、まず稲田防衛相を罷免し、臨時国会を召集する。そこまでしないと国民は納得しない。
B)誰が見ても適格性を欠く人間を防衛相に据えて、批判があるにもかかわらず代えようとしない、これもまた権力の私物化だ。

A)菅官房長官は安倍首相の「こんな人たち」発言への感想を聞かれ「何の問題もない」と会見で答えていた。もうつける薬がない。

 

「風」を待つ小池知事

B)こうした自民の惨状を見て、小池都知事は内心ほくそ笑んでいるのではないか。

C)このまま自民が低空飛行を続ければ、シナリオはわからないが小池リリーフの局面があると…。

A)小池さんは都知事選に出る時、自ら崖を飛び降りて風を吹かせる、といったが、今度は動かないだろう。自ら風を吹かすのではなく、風が吹くのを待っている。

B)小池さんが政治の世界に入ったのは細川護熙の日本新党ブームの時だった。あの時の記憶は強烈にあるはずだ。非自民連合で連立内閣を作るのか、それとも自民に担がれるのか。必ずしも最大勢力のトップにいなくても、政治の頂点につくことはできる。細川首相もそうだし、自社さ政権の村山富市首相もそうだった。

C)現在の衆院議員の任期が切れる2018年末までに動きがあるだろう。この動乱の中で、安倍首相が総裁を3期9年務めるとか、改憲のための国民投票を行うとかはとても考えられない。今の情勢なら改憲の国民投票をすれば否決される。そうなれば内閣は即総辞職だ。

A)安倍首相はどこかの時点で立ち往生するとみるのが妥当ではないか。そうなれば、先ほどの小池リリーフのシナリオが現実味を帯びる。

B)あるいは、麻生太郎あたりが安倍を引き継いだが低空飛行のままだった場合、2018年の総選挙で小池新党が一定の票を集めて「細川内閣」の再現になる。

A)いずれにしても、安倍政権のままだと日本中に閉塞感が充満する。

C)むしろ、安倍政権がこれほど長期に続いたことが驚きだ。しかし、小池さんも究極のポピュリスト。彼女が安倍の代わりになったからといって、日本に明るい未来が開けるとも思えない。せいぜい目先が変わるぐらいのことだ。原点の話に戻れば、なぜ日本では保守を含めたリベラル政党が育たないのか。そこに行きつく。

B)民進も、これからの動乱の中で埋没、消滅するかもしれない。かつての社会党のように。都議選での消長はそのことを予感させる。