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再び同じ道に迷いこまないように~濫読日記 [濫読日記]

再び同じ道に迷いこまないように~濫読日記

 

「暗い時代の人々」(森まゆみ著)

 

 タイトルは、ハンナ・アーレントが1968年に著した同名著書によっている。そして、アーレントがこのタイトルを得たのは、ブレヒトの詩からだと自身の著書で明かしている。森もまた、巻頭にブレヒトの詩を掲げている。

 アーレントは「暗い時代の人々」の冒頭に18世紀のドイツ思想家レッシング論を置き、解題とした。アーレントは、公的領域が光を失ったとき、世界は極めてあいまいなものとなり、人々はそれを蔑視し、できる限り無視しようとすると指摘、そこに特殊な型の人間性が発展するとしている。こうした時代には、「真理」は人々の心の中にではなく、公共的な空間の外側にあり、それは人々を単一の意見に結び合わすような結果をもたらす、とも述べている。いわゆる全体主義の台頭である。

 森の書も同じ観点から書かれた。取り上げた人物像の背景にある時代は、森自身が1930年から45年までと規定している。例えば司馬遼太郎は明治維新から昭和初期までを「坂の上の雲」の時代として肯定的に評価し、参謀本部=鬼胎説を唱えて193045年を限定的に否定しようとした。坂野潤治は「日本近代史」で明治維新=革命、昭和維新(血盟団事件、515事件、226事件)を反革命と位置付けた。その歴史的評価の是非はここでは置くとして、この「暗い」15年間を生きた人々の時代と個人のありようを描き出したのが、森の書である。

 森が取り上げたのは9人である。顔ぶれは多様で、基準はよく分からない。粛軍演説の政治家であったり、社会主義運動の女性活動家であったり、画家であったり、唯物論研究の哲学者であったりする。ただ、底流で共通するテーマは先にあげた通り、「(暗い)時代と個人」である。

 このうち、斉藤隆夫を取り上げた章では、印象に残る記述が二つあった。一つは、松本健一からの引用だが、「政党政治を破壊する役割を担ったのは、(略)まず政党それじたいであった」という指摘。いま一つは、粛軍演説の中の「一体支那事変はどうなるものであるか(略)国民は聴かんと欲して聴くことができず」というくだりである。いずれも、現代の政治状況とも共通する視点であるように思う。

 このほか、京都の喫茶店を拠点に「土曜日」という反ファシズム紙を出し続けた斎藤雷太郎にまつわる章が面白い。おそらく、著者自身が「谷根千」という地域雑誌を編集していたことからも、一段の関心を持ったためであろう。フランス人民戦線機関紙「ヴァンドルディ(金曜日)」から書き起こし、記述にも力が入っている。あの時代、反ファシズムを掲げて赤字を出さなかったというから驚きだ。この精神は戦後、鶴見俊輔らによる「思想の科学」にも受け継がれているという。

 あとがきで書いているように、「再び同じ道に迷いこまないように」というのが著者の偽らざる気持ちであろう。アーレントがいう「公的領域が光を失ったとき」に、かすかながら光をともそうとした人々の記録である。

亜紀書房、1700円(税別)。

暗い時代の人々

暗い時代の人々

  • 作者: 森 まゆみ
  • 出版社/メーカー: 亜紀書房
  • 発売日: 2017/04/14
  • メディア: 単行本
 

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自らの「特攻体験」への決別~濫読日記 [濫読日記]

自らの「特攻体験」への決別~濫読日記

 

「死の棘」(島尾敏雄著)

 

 嫉妬に狂う妻。その表情を延々と観察し、記録する。精神に異常をきたした妻は、大理石のように冷たい視線で、夜を徹して夫を査問する。それはもはや感情を持たない尋問マシーンのようだ。こうした日々に耐えかねて、夫もまた発狂寸前(あるいは既に発狂していたのかもしれない)に追いつめられる。

 ここに出てくる夫は島尾敏雄自身であり、妻は島尾ミホであることが知られている。ノンフィクションではないからすべてが事実とは限らないが、かなりの部分が島尾夫婦に共有された日常であろうことは推測がつく。

 この小説を読んで暗く救いのないトーンを読み取ることは簡単である。しかし、そんな中に実は、ミホの純真さからくるある種の明るさ、希望、夫婦の絆を読み取ることもできる。事実、ミホはその後、精神の異常を克服する。

 島尾は終戦の直前、加計呂麻島で特攻隊長として死と直面する日々を送った。隊員は52隻のべニア製ボート「震洋」で250㌔の爆弾とともに敵艦に突っ込む予定だった。しかし、特攻命令が出たとたん終戦を迎えた。島尾にとって1年半、必然であった「死」が目前で消えたのである。そこから、島尾の「戦後」は始まった。

 「死」を伴わない特攻体験を経た島尾は、膨大な死を伴う特攻体験を経た吉田満(「戦艦大和ノ最期」著者)と昭和52年夏に対談している(「特攻体験と戦後」)。奇しくも「死の棘」が出版されたのと同じ年である。この中で島尾は、こんなことを言っている。

 ――あれ(特攻体験)をくぐると歪んじゃうんですね。

(略)

 ――その30年の積み重ねの中で、なんとなく日常というものが分かってきて、そして、その時に、やっぱり日常じゃない異常な事態を自分が体験したということが、なにか、くっきりしてきたような気がするんです。

 乗組員3000人余のうち生存者276人という海戦をくぐり抜けた吉田は、その体験を「ちょっと手のつけようのないもの」として、戦後にそのまま持ち込むことを拒絶している。しかし、島尾にとって、意識的か無意識的かは別にして、特攻体験が「死」を伴わなかったがゆえに、そのまま戦後へと持ち込まれた節がある。すなわち、島尾にとって「特攻」は昭和20年8月15日をもって終わることはなかった。

 島尾敏雄とミホは、「死」と向き合うことを余儀なくされた加計呂麻島の時間の中で結ばれた。二人の結婚は、特攻隊長であった島の時間をそのまま戦後に持ち込むことに他ならなかった。

 「死の棘」の最後で、島尾はこう書いている。

 ――この世で頼りきった私にそむかれた果ての寂寥の奈落に落ち込んだ妻のおもかげが、私の魂をしっかりつかみ、飛び去ろうとする私のからだを引き付けてはなさない。(略)その妻と共にその病室のなかでくらすことのほかに、私の為すことがあるとも思えなかったのだ。

 吉田は「戦艦大和ノ最期」を書くことで死者を弔った。島尾は「死の棘」を書くことで自らの特攻体験の「その後」をかたちとし、そのことで特攻体験と決別し、自らを含めた鎮魂の歌を歌ったのであろう。その意味では「死の棘」は戦後私小説であるとともに優れた戦場文学でもある。

 

 「死の棘」新潮文庫、840円。

 「特攻体験と戦後」中公文庫、800円(いずれも税別)

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「どこまでも対米追随」の愚かさ~濫読日記 [濫読日記]

「どこまでも対米追随」の愚かさ~濫読日記

  

「アジア辺境論 これが日本の生きる道」(対談 内田樹×姜尚中)

  

 内田樹の著書に「日本辺境論」(新潮新書、2009年)がある。内田と姜尚中の新刊は「アジア辺境論」である。この2冊のタイトル、似ているようでかなり違っている。一方は「日本(はアジアの)辺境」論であり、一方は「(日本は)アジア(の)辺境」論である。しかし、タイトルの含意は違うが、主語はともに「日本」であり、つまりは「日本(国)」とは何かを問うという底流において2冊はつながっている。

 「アジアの辺境」である日本はどこに向かう(べき)か。これが対談のメーンテーマになっている。それを考えるうえでの最大の要因は、行きつくところまで行きついた資本主義(=グローバリズム)とどう向き合うか、であろう。そこでの世界的な現象として、アメリカの没落→自閉化がある。それは「世界の警察国家」の不在を生み、中国、ロシア、アメリカの危ういバランスの上に立った世界秩序の維持が模索される。二人の論客もまた、そうした構図の中で、日本の針路を探る。

 そこで、内田は米中露の大陸型「帝国」とは違った「周辺=ニッチ(隙間)」としての国のありよう(経済・安保政策)を韓国、台湾とともに探るべきだと主張する。

 近年、核実験やミサイル実験を繰り返す北朝鮮に対して、安倍晋三政権は「軍事的脅威」を強調、「軍事オプション」をもちらつかせるトランプ政権に対して「日米同盟の一体化」を公言してはばからない。しかし、これは少し違うのではないか、と思う。アメリカは既に、かつてのアメリカとは違う。少なくとも世界の覇権国家であることを重荷に思い始めている。だからこそ日本はいま、独自路線を歩むべきなのだ。この点は内田、姜とまったく一致する。

 では、アジアの辺境国家としての日本は韓国、台湾と外交、安保で連携することはできるのだろうか。姜が丸山真男の顰(ひそみ)に倣(なら)って「日米安保の実在よりも、アジア辺境の虚妄にかける」としているが、現時点ではこの認識が当たっているといえようか。

 中国、ロシア、ヨーロッパはかつての「帝国」の版図(清末期、ロマノフ、神聖ローマ)におさまり、資本主義の終焉を迎えた世界は緩やかに中世化するという二人の説はとても興味深い。水野和夫、エマニュエル・トッドの説あたりも、この中に包含されると思われる。

 こうしてみれば、北朝鮮情勢をにらみながらどこまでも米国一筋という現政権の先見性のなさ、愚行ぶりは明らかといわざるを得ない。

 こうしたテーマを立てた場合、かつてのアジア主義とどう向き合うのかという問いを避けて通れない。姜尚中が竹内好の「方法としてのアジア」にわずかに触れているが、この問題も正面から論じるべき課題だろう。アジアはアジアとしての実体を持ちうるのか。アジアという普遍的な共同体が成立するとしたところにかつての過ちがあったのではないか。西欧に対してのみアジアはアジアであり、だからこそ西欧的価値体系を「アジア的なるもの」を通すことで昇華出来る、というのが竹内の視点である。



アジア辺境論 これが日本の生きる道 (集英社新書)

アジア辺境論 これが日本の生きる道 (集英社新書)

  • 作者: 内田 樹
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2017/08/19
  • メディア: 新書

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「まなざし」の中の鬱屈~濫読日記 [濫読日記]

「まなざし」の中の鬱屈~濫読日記

 

「『働く青年』と教養の戦後史 『人生雑誌』と読者のゆくえ」(福間良明著)

 

 いわれてみれば遠い昔、そんな雑誌があったな、と思う。「人生雑誌」あるいは「人生記録雑誌」と呼ばれた一群。「読書を通じた人格陶冶」を目指し、時事問題や社会批評も扱った。1950年代後半に高揚期を迎え、代表格の「葦」や「人生手帖」はそれぞれ約8万部発行したという。「中央公論」が12万部、「世界」が10万部の時代である。けっして無視できない規模であるが、いまや影も形もない。なぜそんな雑誌が売れたのか。そしてなぜ消えたのか。その謎を丹念に追った。

 もちろん、これらの雑誌の背景を探るには、戦後の一時代を切り取り、分析する必要がある。つまり、この書は雑誌の盛衰にとどまらず、「戦後を考える」うえでの重要な視点を示している。

 「戦後を考える」という大テーマへのアプローチの一つとして、著者はまず当時の経済的貧困をあげる。1950年代、雑誌の主な読者層は、集団就職などで職を得た勤労青少年だった。しかし、彼らは初めから「勤労青少年」を目指したわけではなく、中学卒業後に家庭の事情などでやむなく就職したものも多かった。進学の道を断たれた鬱屈が、彼らを学歴エリートとは違うある種の教養主義へと向かわせたのである。

 ここで著者は、日活映画「キューポラのある町」(1962年)をとりあげる。学業優秀なジュン(吉永小百合)は父親が解雇されたことで進学の道が絶たれそうになる。周囲の助言で、定時制で学ぶ決意をするが、父親が復職し経済的な見通しが立ったことで志望校進学がかなうことになるが、ジュンはあえて定時制進学を選択する―。

 この映画は、吉永の魅力もあり、当時の映画賞を総なめにした。時代的背景として、学歴エリートとは別の教養主義の広がりがあり、それが人生雑誌の読者層を支えたといえる。教養へのあこがれと、エリート知識人に対する反発。そうした複雑な心情が雑誌の成立をもたらした、と著者は分析する。

 1950年代には「戦争への悔恨」も影を落とした。それは必然的に内容の左傾化につながった。朝鮮戦争、松川事件、サンフランシスコ講和条約への批判的視点が、雑誌を特徴づけた。

 しかし、60年安保という政治の季節をへて、「思想の科学」(1946年創刊)などが注目を浴びると、人生雑誌の中途半端さが目立つようになる。「戦争への悔恨」も、時代とともに薄れていく。一方で時代は高度経済成長期に入り、家庭の貧困で高校進学が絶たれるというケースがそれほど目立たなくなる。「葦」は60年に廃刊、「人生手帖」も63年に約3万部にまで落ち込み、衰退は明らかだった。

 この問題を取り上げるにあたって、著者が見田宗介著「まなざしの地獄」を手掛かりにしたのは興味深い。「青年の主張 まなざしのメディア史」を書いた佐藤卓己と同じ視点である。集団就職した若者が、せめて高卒の肩書を手に入れようとするが、職場はそれを許さない。表相で否定しようとする都市のまなざしの地獄の中で、教養主義にあふれた(その一方で知的エリートへの反感を込めた)人生雑誌を手にするとき、なにがしかの「希望」や「勇気」を感じ取ったとしても不思議ではなかっただろう。

 濫読日記でも取り上げた佐藤の前掲書と合わせて読めば、戦後史の中で見過ごされてきた側面が見えてくることは間違いない。見田宗介の「まなざしの地獄」も、一読を勧めたい。

 筑摩書房、1800円(税別)。著者は立命館大教授、歴史社会学、メディア史。


「働く青年」と教養の戦後史: 「人生雑誌」と読者のゆくえ (筑摩選書)

「働く青年」と教養の戦後史: 「人生雑誌」と読者のゆくえ (筑摩選書)

  • 作者: 福間 良明
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2017/02/13
  • メディア: 単行本

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現下の政治を整理するための好著~濫読日記 [濫読日記]

現下の政治を整理するための好著~濫読日記

 

「自民党―『一強』の実像」(中北浩爾著)

 

 森友学園疑惑、加計学園疑惑と、安倍晋三政権の腐敗が露呈している。根幹には、「一強」ぶりが際立つ官邸に対して政官の行き過ぎた忖度があると思われる。では、官邸の一強体制はどのように出来上がったのか。それを考えるうえで参考になる書である。それは同時に、現下の政治状況を整理するための、最適な一冊でもある。

 全体を俯瞰すると派閥、政策決定プロセス、国政選挙、友好団体の変化など、自民党をめぐる近年の変化のほぼ全体像をとらえている。その中で最も決定的な要因は、政治とカネ批判に対応した選挙制度改革である。それに加え、政策決定を官邸が積極的に主導したことと、内閣人事局設置による官僚支配が、官邸の立場を強化させたといえる。

 衆院が中選挙区から小選挙区へと変わったことで党公認が中央に一本化され、まず派閥が弱体化した。この変化は族議員の弱体化を招き、政策決定における官邸の強化につながった。いわゆる「政治とカネ」批判を受け、政治資金の流れも一本化された。かつてはカネとポストの配分が派閥の機能といわれたが、もはやどちらも、派閥とは無縁となった。こうして派閥は単なる人的ネットワークになった。かつて政治の悪弊とみなされた派閥は機能のほとんどを失ったが、そのことが官邸の機能強化につながったのである。

 小選挙区は定数1だから、理論上有権者の半数を確保しないと当選できない。現在の自民党の組織票だけでは議席確保がおぼつかないので浮動票に頼らざるを得ない。まさしく、制度が変わった1996年以来、2005年の小泉郵政選挙、2009年の民主党政権奪還選挙、その後の自民党復活と第三極躍進選挙と、浮動票が政権のありようを決めてきた。

 ただ、安倍政権が復活した2012年の衆院選以来、自民党の絶対得票率はけっして高くはない。ここ5年間は、自民が勝つというより野党が負ける選挙が続いているといったほうが正しいだろう。その中で自民の勝因を分析すれば、地方の組織票が比較的安定していること、都市の与党票をまとめる公明の組織的バックアップが効果的であることが挙げられよう。

 現在、森友、加計学園問題への対応や強引な国会運営をめぐって世論調査の内閣支持率は軒並み激減、その中で「支持政党なし」が急増している。7月7~10日の時事通信調査で支持は30%の大台を割り(29.9%)、不支持48.6%、「支持政党なし」は実に65.3%に達している。これは民主党が政権を奪取した2009年と似ており、新たな政治的枠組みを待望する有権者心理を表している。

 小泉政権は「古い自民党をぶっ壊す」と連呼して政権につき、郵政選挙では改革派対抵抗勢力という構図を作り上げた。加計学園問題で安倍政権は構造改革を推進する勢力と抵抗勢力という構図を作ろうとしているが、「首相発言を信用できない」とする声が多くあり(時事調査では67.3%)、目論見は成功していない。

 では、今後の政治地図はどうなるか。中北氏が指摘するように、安倍政権の特徴は小泉政権から引き継いだ新自由主義路線と、民主党政権時代の野党体験を踏まえた右傾化路線だった。しかし、おそらく安保法制、特定秘密保護法、共謀罪法などに見られる安倍政権の路線に、多くの国民は辟易としている。深刻化する貧困率など新自由主義路線にも懸念を抱いている。これらに対する国民の思いを受け止める新政党が登場すれば、間違いなく国政に風が吹くだろう。その条件は整いつつある。一方で自民党内を見渡せば、弱体化したといってもなお息づく派閥間力学の中で、旧清和会系の小泉・安倍政権に政策的違和感を抱き続けた旧宏池会系(岸田派、麻生派)、旧経世会系(額賀派)がどう動くかも、今後の新地図に影響しそうだ。

 中央新書、880円(税別)。


自民党―「一強」の実像 (中公新書)

自民党―「一強」の実像 (中公新書)

  • 作者: 中北 浩爾
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2017/04/19
  • メディア: 新書
 

戦場から虚無の世界へ~濫読日記 [濫読日記]

戦場から虚無の世界へ~濫読日記

 

「大岡昇平 文学の軌跡」(川西政明著)

 

 むかし、雑談をしていて大岡昇平の「レイテ戦記」に話が及び「これだけ詳細に戦場を描いていながら女性のこと(「慰安婦」のこと)が出てこないのはなぜだろう」という指摘を聞いたことがある。確かに、戦記文学の最高峰といっていい「レイテ戦記」には「戦場にいた女性」のことが書かれていない。しかし、それを「不思議なこと」とは思えなかった。どこか大岡の作家としての資質に由来するのではないか、という感覚があった。

 文芸評論家・川西は最近、「新・日本文壇史」を書き終えた。「大岡昇平 文学の軌跡」は川西の遺稿とされる。「新・日本文壇史」の流れを引き継いでいるせいか「大岡昇平」も作品論、文学論というより文壇における大岡の生きざまを浮き彫りにした、という印象が強い。「出生の秘密」から書き出し、中原中也、小林秀雄らとの疾風怒濤の日々から、戦争体験と「野火」「俘虜記」の執筆過程へと向かい、終わり近くである女性のことに多くのスペースを割いている。

 「出生の秘密」によると、紀州の地侍の血を引く大岡の父は株屋になり、浮き沈みの激しい人生を送ったという。そんな中で「芸妓と遊客」が、後の大岡の父母になった。10代でそれを知った大岡は衝撃を受けたという。このことが、彼の女性像を形成する原体験になったと、川西は書いている。女性に対するこうした複雑な視線が「戦場の女性」を描くことを拒絶させたか、あるいは書くという行為へと向かわせなかったのではないか。

 この書の後半に出てくるのは坂本睦子という女性である。川西は「昭和文壇史に妖女のように君臨した」と書く。10代で上京、文藝春秋地下のレストランで働いていたところ直木三十五、菊池寛、小林秀雄らと関係を持ち、戦後復員してきた大岡とも付き合う。大岡が睦子との日々を小説にしたのが「花影」である。

 複数の男を渡り歩きながら決して男を愛することがない。そして最後には死を選ぶ。そうした虚無感を緻密な心理描写と構成で浮き彫りにした。1958年に「中央公論」に連載開始、61年に刊行された。ちなみに「俘虜記」刊行が48年、「野火」が52年だった。大岡は戦場文学から60年安保には向かわず、虚飾と虚無の世界の中で自死した一人の女性の生きざまにまなざしを向けたのである(「レイテ戦記」の「中央公論」連載は6769年)。

 大岡が、戦争体験から政治的変革の方向へ向かわず、市井の一女性の内面へと向かった軌跡は一見不思議であるが、考えてみればこちらのほうが「戦後」の心象風景の主流ではなかったか。あるいは、逆説的に言えば「花影」で描かれた虚無感と断念こそが、戦後日本を経済大国へと突進させた原動力ではなかったか。

 「花影」にはこんな会話がある。

 「死んじゃいけないよ」と松崎はいった。

 「ううん、あたし死ぬわよ。それは、きまっているの」

 「ばかはおよし。桜はまだ咲いている。来週また来るから、それまでは、死なないと約束してくれないか」

 「松崎」は大岡自身の投影である。

 「花影」の解説で小谷野敦は、芸術院会員に推薦された大岡が捕虜となった過去をあげて辞退したことに触れている。社会と一線を画して安んじることへの拒絶が透けて見え、興味深い。背後にあるのは戦場の死者たちとの黙契である。虚無に彩られたはかなさへの共感と、死んでいった者たちの視線を背負い込んだ怒り。ここに小説家大岡昇平の肖像がある。

大岡昇平: 文学の軌跡

大岡昇平: 文学の軌跡

  • 作者: 川西 政明
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2016/12/19
  • メディア: 単行本
花影 (講談社文芸文庫)

花影 (講談社文芸文庫)

  • 作者: 大岡 昇平
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2006/05/11
  • メディア: 文庫



戦後思想のかたちを変える作品~濫読日記 [濫読日記]

戦後思想のかたちを変える作品~濫読日記

 

「東京プリズン」(赤坂真理著)

 

 15歳の時、母のある考えで米国の高校に通うことになったマリ。米国メイン州の片田舎で1級遅れの9年生として通う中で言語や文化の壁と格闘する。16歳になったある日、1級遅れを解消するための課題が学校側から提示される。「天皇の戦争責任」について、ディベートの口火を切るスピーチをせよというものだった。「天皇の戦争責任」どころか「戦争」のことなど考えたこともなかったマリは、学習を進めるうち、何も知らなかった、あるいは知らされてこなかったことに愕然とする。

 ディベート本番では、天皇の戦争責任を認める側の立論を担当させられる。天皇は、日本人にとって「神」の存在であったということがきちんと説明できない。日本人は、天皇は神ではないと分かっていたのに神だと信じているふりをしていただけだと相手に突っ込まれ、うなずいてしまう。キリスト教的神との違いも明らかにはできず、聞き手の反感を買う。戦犯に付けられたA級、B級、C級は種別であってランクではないということも逆に教えられたりする。

 真珠湾攻撃はだまし討ちか、南京大虐殺の責任は誰にあるのか、七三一部隊をどう見るのか、「皇軍」がアジアで行った残虐行為の責任は、そもそも、「降伏」したのは天皇なのか…。こうした応酬ののち、ディベートは最終弁論に向かう。マリが唱えたのはTENNOU論である。コンパスで円を描く。しかし、コンパスの針の先が円の中心ではない。円の中心には何もない。そこは虚無なのです。そこは何でもどこでもない。しかし「中心の虚無」がなければ円は生まれない…。

 担当の教師は「理解できない」という。会場は静まり返る。沈黙を破って拍手が巻き起こる。極めて日本的なTENNOU論の展開と、極めてアメリカ的な反応。

 おそらく、テーマとしては小説から最も遠くにあるものを引き寄せ、国境、世代、登場人物の視線を自由に行きかうという最も小説的手法でテーマに具体性を与えた。それは「戦後」のトレースにとどまらず、戦後思想を見直すことでそのかたちを変えるほどのインパクトを持つ。

 池澤夏樹が解説で書いている。「読み終わった時、戦後史について、日本という国の精神誌について、自分の中に新しい像が生まれていることに気づく。そして感心するのだ、小説にはこんなこともできるのかと」

 

東京プリズン (河出文庫)

東京プリズン (河出文庫)

  • 作者: 赤坂 真理
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2014/07/08
  • メディア: 文庫

都市こそが事件の引き金を引いた~濫読日記 [濫読日記]

都市こそが事件の引き金を引いた~濫読日記

 

「まなざしの地獄 尽きなく生きることの社会学」(見田宗介著)

 

 「永山則夫 封印された鑑定記録」(堀川惠子著、岩波書店)に以下のような記述がある。

 「〝連続射殺魔〟は、あらゆる人間関係の磁場からはじき出され、孤立していた。少なくとも逮捕されるその日まで、彼にまなざしを注いだ人間は誰もいない。(略)彼は、どこにいなかった。いることができなかったからこそ、事件は起きた」。

 北海道で極貧生活を送り、東京に出て集団就職し、夢破れて犯罪に走る。永山に対する判決は、「貧困と無知による凶悪犯罪」として一審死刑、二審無期、最高裁差し戻し(死刑)という経過をたどった。堀川は永山の生い立ちに寄り添い、過酷な幼少期の生活がどんな影響を与えたかを、彼自身への100時間に及ぶ聞き取りテープを再現する中で探求した。これはこれで力技である。永山が、家郷と都市によって二重にはじき出されたことが明らかにされた。

 永山が事件を起こした196869年から数年後の1973年に雑誌「展望」に掲載された見田の「まなざしの地獄」は、疎外と無関心の果ての連続殺人という事件の文脈を、堀川のように永山(見田はN・Nと表記、以下これに従う)の側(あるいはN・Nの内面の側)からではなく、都市の側からとらえ直した。

 例えば、こういうことだ。

 N・Nは、北海道から東京へ「金の卵」として流入する。高度経済成長期の日本が若年労働者を求めたためだ。ちなみにN・Nが上京した1965年の全国の中学卒業者に対する求人倍率は3.72だった。しかし、ここで使われた「金の卵」とは、都会に流入した若者の「実存」に対する形容詞ではなく、中小企業の経営者たちが彼らに向けた「まなざし」だった。

 N・Nは最初の職場で「熱心な若者」だったという。貧困にまみれた家郷への嫌悪が都会へと向かわせ、そこに自己解放の夢を託したのであろう。しかし、雇い主にとってそれは不要であるばかりか腹立たしいものだった。家畜のように黙って働いてくれればよかったのだ。こうしてN・Nは上京から6カ月、フルーツパーラーを些細な理由でやめていく。それは、都会との関係の希薄さを表すと同時に、自己の内面と他者との了解の困難さをも表していた。

 このことはしかし、N・Nに自由をではなく、呪縛をもたらした。見田の表現を使えば「都市の他者たちのまなざしの囚人(とらわれびと)であった」。見田は、堀川が言うように「まなざしの欠如」がN・Nを犯行に走らせたのではなく、都市の「まなざし」こそがN・Nの内面に重圧を与え変形させたのだという。

 ここでいう「まなざし」とは何か。N・Nが幼いころ顔に負った傷、戸籍の出身地が網走であること、そして貧困…。N・Nはそのことへの他者へのまなざしにとらわれる。身の周りのものへの高級品志向、「進学」への執念。それらは、求めれば求めるほど「地獄」となってのしかかる。見田が指摘するように、都会の金持ちの息子たちは無造作な格好で、N・Nは背広にネクタイというばりっとした格好で銀座を歩く。貧乏くさいのはN・Nの方なのである。

 見田はここで、サルトルによる「ボヘミヤで栄えた商売」のエピソードを紹介する。とらえた子供の頭蓋骨を圧縮し昼夜箱の中に閉じ込めて成長を妨げ、怪物を作り上げた、という商売のことである。

 N・Nの起こした事件は、一つの極端な事例である。しかし、ここで「まなざし」という装置を使うことで見田は見事にある時代の都市の普遍的な姿を浮かび上がらせた。

 では、今の時代にこの「まなざし」は、個人にどのように作用しているのであろうか。ここで私たちの記憶の底から立ち上がるのは14歳少年によって起こされた神戸の連続殺傷事件(1997年)である。彼は犯行声明の中で自らを「透明な存在」といった。都市のまなざしにとらえられない存在と自己規定したのである。彼にとってはそのことが地獄であり、それゆえに彼は「透明な存在」から脱すべく犯行に走ったと思われる。このことは、この著書の解説で大澤真行も触れている。N・Nの事件から30年近くを経て、「まなざしの地獄」は「まなざしの不在の地獄」へと陰画のように反転したのである。

 河出書房新社、1200円=税別。

まなざしの地獄

まなざしの地獄

  • 作者: 見田 宗介
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2008/11/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



戦後思想をきちんととらえるには~濫読日記 [濫読日記]

戦後思想をきちんととらえるには~濫読日記

 

「さらば、民主主義 憲法と日本を問い直す」(佐伯啓思著)

 

 安倍一強独裁の昨今の政治を見ると、何とかならないかと思う。しかし、考えてみればこの政権、我々の投票結果を受けてできた。嫌ならこうした政権ができないような投票行動をすればいい。しかし、なかなかそうはならない。なぜだろうか。あるいは、米国でトランプという異形の大統領が生まれた。これは民主主義の危機だろうか。あるいは民主主義だからこそ生まれた大統領だろうか。

 こうした疑問の背景を探ったのが、この書である。その結果、これまで当然とされてきた概念が、懐疑の対象とされる。民主主義はいつも正しい結果を生む、という前提でいいのか。そもそも民主主義は「主義」なのか「体制」なのか。自由主義と民主主義は同列なのか。議会主義と民主主義は。欧米では一般的に語られる共和主義はなぜ日本で語られないか。共和主義の前提である「公共」の概念は、欧米と日本で共通のものなのか。なぜ日本で「公共」は重んじられないか。

 答えはここで書くより読んでいただくほうが早いだろう。

 こうした基本概念へ洞察は、必然的に戦後民主主義といわれてきたものへの懐疑へと向かう。戦後思想はアジア・太平洋戦争への反省から民主主義、護憲主義、平和主義を三位一体とした。それは正しかったのか。民主主義(民主体制)は民を重んじることであるから、そのまま平和主義へと結びつくものではない。護憲主義は戦後思想の基軸の一つであったが、そもそも戦後憲法が生まれるに至った主権の問題がある。これをどう解決するかは、今なお大きな問題である…。著者はこうして、戦後思想を外側から見る。もちろんそれはあるべき姿であろう。戦後思想(戦後体制)をアプリオリに善ととらえる思考からは、未来は必ずしも見えてはこない。

 興味深いのは「公共」に対する考察である。著者は、近代国家論の源流である英国では王権と議会が支配・被支配の関係にあり、そこから王権=私的権力、議会=公共という概念が生まれたとする。しかし、日本では必ずしも天皇が支配者として存在しなかったため、英国のような王権と対峙する「公共」の概念が生まれなかった。日本ではイエ(=ヤケ)が積み重なり、オオヤケの概念に結び付いたとする。オオヤケとは天皇で、それ以外はすべて私的なものという理解である(江戸時代の幕府は公儀、つまり公の代行者)。ここでは、公と私が水平ではなく垂直の関係にある。

 歴史的には、オオヤケに対するこの説明はよく分かる。しかし、今日の日本的「公共」に対する説明としては通用するだろうか。戦後70余年たつ。短い時間ではない。その間に作られた「公共」の概念はないだろうか。たしかに、欧米に比べ「公共」への意識は薄いが、だからといって無視できるほど軽くもない。例えば「自由な言論空間」は、公共空間へのリスペクトがなければ成り立ちにくい。私的な「イエ」の積み重なりの頂点に「オオヤケ」があるとする発想は、そのまま現代に適用するとすれば危険である(もちろん、著者がそう思っているとは思わないが)。

 護憲派と呼ばれる人たちのように戦後を一面的に肯定、擁護するのでもなく、あるいは安倍晋三首相のように戦後を一面的に否定、無化するのでもなく、戦後をきちんととらえ直す、という意味で、刺激的かつ価値ある一冊である。

 朝日新書。760円(税別)。


さらば、民主主義 憲法と日本社会を問いなおす (朝日新書)

さらば、民主主義 憲法と日本社会を問いなおす (朝日新書)

  • 作者: 佐伯啓思
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2017/05/12
  • メディア: 新書
 

いつのころからか「青年」がいなくなった~濫読日記 [濫読日記]

いつのころからか「青年」がいなくなった~濫読日記

 

「青年の主張 まなざしのメディア史」(佐藤卓己著)

 

 そういえば、かつて「青年の主張」というのがあった。「成人の日」のころ全国大会があり、NHKが放映していた。この書の巻末資料によると、1954年に第1回があり、途中で「青春メッセージ」と改題して2005年まで続いたらしい。最初はおそらくラジオだったのだろうが、そこまでの記憶はさすがにない。働く青年を中心に(そういう人ばかりでもないだろうが)生真面目なテーマを生真面目に語るという印象が強い。弁論調というのだろうか、日常的にはあり得ないトーンで話す、という印象がある。といってもじっくり見聞きした記憶がないので、この印象が正確かどうかは分からない。

 こんな具合だから、どんな人が見ていたのかは、よく分からない。見ていたのは、おそらく同世代の人ではなかっただろう。このあたりが、この書の副題に関わってくる。いいかえれば、「青年の主張」を取り上げるとして、それをどのようなアプローチでとらえるか、である。「青年の主張」に登場した人たちの人生模様を追うノンフィクションもあるだろう。しかし、著者は「まなざし」「メディア」の二つの言葉でとらえる。つまり、この番組を見ていたのは旧世代であり、番組を支えたのは彼らの「まなざし」であったとまず規定する。ここに登場する人たちは彼らの眼鏡にかなった人物群だったということである。

 時代はやがて60年代に入り、叛乱の時代を迎える。「戦後史」といえば、60年安保とか大学闘争とか全共闘とか、叛乱する学生が取り上げられるが、この時代、圧倒的に多かったのは大学に行った層ではなく、大学に行かずに働いていた層である。彼らが、旧世代の「まなざし」の中で何を語ったか。それをメディアの潮流の一つとして掘り下げたのが、この書だといえる。

 形を変えながらも半世紀続いたこの番組を、著者は、法律でいえば逐条解説のように毎回を取り上げていく。したがって、資料を含めた全体は500㌻に近く、かなりのボリュームである。

 その中から、いくつかの印象に残ったエピソードを取り上げる。

 番組と並走しながら、「青年の主張」を取り上げたいくつかの雑誌がある。「人生雑誌」とも呼ぶべき雑誌である。その一つは「弁論」と後継誌「若い広場」である。計5回の全国大会スピーチのほぼすべてを収録した。大学闘争が燃え盛った1968年4月号には、痛烈な批判文が載った。後に編集部が書いたものと判明するが、そこでは「おとな達の顔色をうかがって動き回る」「猿回しの猿」と痛罵している。保守的な「青年の主張」翼賛メディアとみられた同誌が、急激に左旋回した。196912月号で終刊となるが、表紙はヘルメット姿の学生の写真だった。

 1963年の第10回大会には高校生だった重信房子が東京大会の3位に入った。後に赤軍派幹部として世界を飛び回った女性である。もし彼女が全国大会に出て優勝でもしていれば、と思うのは著者ならずとも興味深い思考実験である。全く違った道があったかもしれない。旧世代への反逆の象徴ともいえる彼女が、旧世代の「まなざし」の中で高評価を受けていたことが興味深い。

 東大安田講堂攻防戦の直前に行われた第15回全国大会では、1位は北海道から上京した勤労青年、2位は農業と生きる女性、3位は敬老精神の訴えだった。当時の全共闘運動に対するカウンターオピニオンである。著者は、1968年の大学在学者が全体の2割弱であり、ある新聞社の調査では「過激派を含む革新系集団」がうち2割強だったとしている。つまり、全共闘にかかわったのは多くても4%であり、世代の圧倒的多数は集団就職組だった。圧倒的多数を代弁したのは「異議申し立て」ではなく「青年の主張」のほうだったのである。

 2000年に入るころだろうか。「青年」という言葉が世の中から消えた。代わって「若者」という言葉が台頭した。青年は世の大人たちの「まなざし」の中で生きる存在だが、若者はむしろ、そのまなざしの外側で生きることを望む存在に思える。あるいは、荻野アンナがこの書でいうように「無責任な『少年』で押せるだけ押して後は一挙にオッサンになる」のである。どちらにしても「青年」は消えた。こうして「青年の主張」「青春メッセージ」は途絶えたのである。

 河出書房新社、1800円(税別)。



青年の主張:まなざしのメディア史 (河出ブックス)

青年の主張:まなざしのメディア史 (河出ブックス)

  • 作者: 佐藤卓己
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2017/01/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

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