So-net無料ブログ作成
濫読日記 ブログトップ
前の10件 | -

親鸞思想はなぜ戦時ファシズムと結合したか~濫読日記 [濫読日記]

親鸞思想はなぜ戦時ファシズムと結合したか~濫読日記

 

「親鸞と日本主義」(中島岳志著)

 

 近代日本政治思想に深い洞察を重ねる著者には、これまで「血盟団事件」や「朝日平吾の鬱屈」といった著作がある。「血盟団事件」は、一人の煩悶青年が日蓮主義に心動かされ、一人一殺という究極の行動主義へとのめりこむ過程を描いた。「朝日平吾…」は、安田善次郎暗殺に走った男の思想に、血盟団の思想の源流をみる。中島の著作をもう一つ上げれば「アジア主義 その先の近代へ」がある。西郷隆盛、大川周明、石原莞爾らを追う中で、明治維新から日中、大東亜戦争へと至る思想の流れを追った。

 「アジア主義…」の中で、中島はバーナード・リーチにあてた柳宗悦の手紙を紹介する。こんな趣旨のことを書いている。山の頂上はひとつだが、登る道はいくつもある。しかし、最後は同じ頂上にたどりつく…。「アジアは一つ」という岡倉天心の「不二一元論」と同じ地平に立ったのである。仏教の道もキリスト教の道も違って見えるが最後は同じ真理にたどり着く、という。

 「親鸞と日本主義」もまた、こうした不二一元論、多一論的認識が何をもたらしたかを追った。

 真宗大谷派(東本願寺)と浄土真宗本願寺派(西本願寺派)の戦争協力問題は真俗二諦論によって総括されてきたという。「天皇への絶対的帰依」は俗諦(世俗的真理)によって説かれたが、これは親鸞の教えの本質ではない、とする主張が戦後の主流となることで、戦争協力問題は乗り越えられたと認識された。ここに中島は異論を唱える。親鸞の思想そのものに日本主義と結びつきやすい構造的要因があったのではないか。

 ここから、昭和初期の思想に表れた親鸞主義者たちの足跡を追った。激烈な知識人批判を展開した三井甲之、蓑田胸喜。親鸞をモデルにした「出家とその弟子」でベストセラー作家となり、後に大乗的日本主義としてファシズムを肯定した倉田百三。獄中で親鸞思想に触れ、転向していったマルクス主義者たち。亀井勝一郎の回心、求道者武蔵を通して日本主義とは何かを説いた吉川英治。そして戦時下、天皇制との共存をめぐって揺れた真宗大谷派の教学論争。中でも、仏陀と天皇の一体化を主張する暁烏敏に、多くのページが裂かれた。暁烏はこういう。

 仏陀以前に日本の国を開いた天照大神こそが、その教えの起源であり、神ながらの道こそが仏教である。

 ここで仏教と神道は一体となる。仏の顕現としての天皇を奉る。自力を疑い、絶対他力に帰依する親鸞の思想は「神ながらの道」に回収され、天皇の大御心に随順する。仏教における翼賛の思想が完成する。

 最後に中島は、日本におけるナショナリズム形成の特殊性に言及する。明治維新後、国学者によって理想化された「かんながらの道」に日本的ナショナリズムは萌芽した。したがって支配―被支配は「神の意思」によって行われた。いいかえれば人間の作為を超越したところで「支配―被支配の超克」が行われたのである。こうしたユートピア的国体論に、絶対他力の親鸞思想が接合したというのが、中島の結論である。本来なら観念的で難解な内容になって不思議はないが、思想のドラマを簡明にわかりやすく記述しているのは著者の力量によると思われる。

 新潮選書、1400円。

 
親鸞と日本主義 (新潮選書)

親鸞と日本主義 (新潮選書)

  • 作者: 中島岳志
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2017/08/25
  • メディア: 単行本

nice!(0)  コメント(0) 

「不安定の弧」を生み出したのはアメリカ自身だ~濫読日記 [濫読日記]

「不安定の弧」を生み出したのはアメリカ自身だ~濫読日記

 

「アメリカ 暴力の世紀 第二次大戦以降の戦争とテロ」(ジョン・W・ダワー著)

 

 第二次大戦から米ソ冷戦を経て、米国一強の時代が出現した。いわゆるパックス・アメリカーナ(アメリカの平和)である。いうまでもなくラテン語のPAXはPEACEの元となった言葉で、PEACEはpacificate(武力で平定する)から来た。これらのことから、もともと英語のPEACEは武力平定の思想を含む。武力によって平和は形成されるという思想である。

 このことを踏まえて、では今日の米国一強の世界は平和な時代だといえるのか。米国はいま、世界70カ国で800以上の基地を持ち、兵員15万人が配属されている。この状況を「基地帝国主義」と名付けた政治学者チャールズ・ジョンソンによれば、他国に置かれた米軍基地は「おそらく1000以上」「正確な数は誰も知らない」という。そして、米国の軍事費は2位以下の主要8カ国の合計よりも多い(オバマ大統領演説による)。それだけ米国は軍事大国としてはずば抜けた存在といえる。では、こうした軍事大国によって維持される世界の「平和」は文字通りの意味で「平和」なのだろうか。

 こうした視点で、第二次大戦後をとらえたのが「アメリカ 暴力の世紀」である。タイトルは、「タイム」や「ライフ」を発行したヘンリー・ルースの「アメリカの世紀」によった。「メディアの権力」を著したD・ハルバースタムはルースを「世界は、アメリカの定義による文化、価値観、エネルギーを求めているに相違ない。それを広めるのは私たちの明確な義務だ」と主張する人物、と評した。「アメリカ 暴力の世紀」で、ルースは舞台回し役としてたびたび登場するが、それ以上の役回りではない。

 冷戦期の戦争(代表的なものは朝鮮戦争、ベトナム戦争)による死者数は、明らかに二つの世界大戦のそれを下回った。このことに著者も異論を唱えていない。しかし、大国による戦争犠牲者という枠組みを外せば、冷戦期にも世界では多くの政治的殺戮、大量虐殺が行われた。ユーゴ、スーダン、ナイジェリア、パキスタン・インドネシア、カンボジア…。これらの情況は、アメリカが1945年以降の世界の暴力低減を招き、破滅的な世界紛争を防止してきたという主張にアンチテーゼを提示する根拠になりうるというのが、J・ダワーの視点である。「戦争」という明確な形ではなく、「暴力」という不明瞭な不安の連鎖こそが、アメリカによって1945年以降、生み出されたのではないか。そこで、著者は死者数だけでなく、紛争、暴力、人権侵害によって強制追放された人たちの数にも注目する。国連難民高等弁務官事務所の報告では、強制追放者は1996年に3730万人、2015年には英国の総人口より多い6530万人だとした。20年間で75%増。この数字をどう見るか。

 米ソ冷戦終結後、フランシス・フクヤマ著「歴史の終わり」に象徴されるような、「米国の価値観によって世界は平定される」といった楽観的な見方も存在した。しかし、実際はサミュエル・ハンチントン著「文明は衝突する」にあるような、世界はいくつかの宗教的ブロックに分かれ、それぞれの辺境部で紛争が起きるとする説に近い状況が生まれている(今日の世界的状況をハンチントンが「予言」した通りだとは思わないが)。その状況をJ・ダワーは「暴力」という概念を唯一の鏡としてとらえ直した、ともいえる。この書の核心を、訳者・田中利幸氏は簡潔にこう書いている。

 

 ――ここで描かれているのは、戦後これまで70年以上にわたる「パックス・アメリカーナ」の追求が、実は、「平和の破壊」をもたらす連続であったということである。すなわち、「暴力的支配」が産み出す「平和の破壊」を、「支配による平和」に変えようとさらなる「暴力」で対処することによって、皮肉にも、「暴力」の強化と拡大を「戦争文化国家」であるアメリカが、世界中で、繰り返し、悪循環的に産み続けてきたという事実である。

 

 平和追求の名のもとに行われてきたアメリカの暴力は、皮肉にも世界のあちこちに「不安定の弧」を産み出した。そのことを著者自身が「日本語版への序文」でこう述べる。

 

 ――トランプの極端な言語表現と行動を好む性癖は、もともとアメリカの気質なのである。(略)アメリカは、常に、偏狭な行為、人種偏見、被害妄想とヒステリーを生み出してきた。(略)いわゆる「アメリカの世紀」のこの暗鬱な戦後史の側面の分析が、この小著のテーマである。

 

 米国の諜報関連報告書は2004年、アフリカ、中東、バルカン、コーカサス、アジアへと「不安定の拡大連鎖反応」は広がっていると指摘した。この状況をもたらしたのは誰か。ルースが語ったのとは違う「アメリカの世紀」がここにある。

 岩波書店、1800円(税別)。


アメリカ 暴力の世紀――第二次大戦以降の戦争とテロ

アメリカ 暴力の世紀――第二次大戦以降の戦争とテロ

  • 作者: ジョン・W.ダワー
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/11/15
  • メディア: 単行本

nice!(0)  コメント(0) 

ヨーロッパ統合の先行事例を読み解く~濫読日記 [濫読日記]

ヨーロッパ統合の先行事例を読み解く~濫読日記


 「ハプスブルグ帝国」(岩﨑周一著)

 

 カタルーニャで、スペインからの独立の機運が高まっている。スペインではかつてバスク独立運動があったが、一定の自治権を認めたことで運動は沈静化しているようだ。ヨーロッパではこのほか、バルカン半島などでも民族と国家の不一致による軋轢が生じているし、スコットランド独立をめぐる住民投票で独立反対派が辛うじて勝利したのは記憶に新しい。

 ヨーロッパが揺れている。東西冷戦の終結以後、その印象が強い。しかし、世界史を俯瞰してみると中世以降、西欧文明を形成してきたのはヨーロッパであることが分かる。いまアメリカは世界の覇権国家となっているが、「近代文明」はヨーロッパにより形成されてきた。

 世界はどこに向かおうとしているか。そのことを考えるうえでも、ヨーロッパの現在位置、ヨーロッパのアイデンティティーを確認する意味は大きい。

 そんな時、この「ハプスブルグ帝国」を読んだ。中世ヨーロッパで広大な版図を持った神聖ローマ帝国の誕生は962年、ローマ教皇によるオットー一世の戴冠であった。以来、神聖ローマ帝国は1648年のウエストファリア条約によるフランス、スウェーデンの独立などを経て1918年の第一次大戦終結まで存在した。神聖ローマ帝国(君主国)は1000年近く続いたが、神聖ローマ帝国後の世界は、まだ100年を経過したばかりである。そのうち50年近くは東西冷戦下、ヨーロッパ分裂の時代だった。

 一般に、ウエストファリア条約は国民国家誕生の契機となったとされる。宗教的理念ではなく、国民による国民統治の時代の始まりであり、軍隊や官僚制の保持が国家を形成するとされた。しかし、ここで大きな疑問がわく。神聖ローマ帝国がその後270年も存続しえたのはなぜか。

 著者はここで、この間を従来言われたような「絶対主義」の時代ではなく、緩やかな「皇帝を盟主のかたちにした諸邦の連合体」というかたちであったと規定する。ウエストファリア条約は神聖ローマ帝国の「死亡診断書」ではなかった。言い換えれば17世紀以降の神聖ローマ帝国は、強大な権力による抑圧の時代ではなく、民族、文化の共存共栄の時代ではなかったか、というのが著者の見解である。これは、読む者に「目から鱗」の感慨を覚えさせる。こうした認識のもと、爛熟、耽美、頽廃とされてきたハプスブルグ君主国の文化を、「活気と刺激に満ちた創造的なムーブメント」と読みかえる。

 第一次大戦の引き金となったのは神聖ローマ帝国が形を変えたオーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者暗殺事件だった。このオーストリア・ハンガリー帝国についても「複雑な問題を解決する方法として、その後に出てきたいかなる政府よりも優れていると思われる」というジョージ・ケナンの言葉を紹介する。この「ハプスブルグ帝国」でも、ウエストファリア条約の締結に先立ち、フランス王アンリ4世の重臣シュリが、ヨーロッパを15の国家が対等に並立して構成する連合体とし、各国代表からなる評議会にその運営をゆだねるという構想を提示していることを紹介する。これは、現在のヨーロッパのかたちと驚くほど酷似している。

 かつて否定的な概念としてとらえられた「帝国」を、多様な国、地域、民族を包含する超越的な政治的枠組みに置き換えれば、ヨーロッパの安定と平和に寄与する先行事例ととらえられないか。書のタイトルを「ハプスブルグ家」ではなく「ハプスブルグ帝国」とした著者の思いもここにあるようだ。そしてこうした歴史観は、まぎれもなく東西冷戦の終結=マルキシズムの世界的後退によって生まれたものだと見ることもできよう。

 講談社現代新書、1000円。

ハプスブルク帝国 (講談社現代新書)

ハプスブルク帝国 (講談社現代新書)

  • 作者: 岩崎 周一
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/08/17
  • メディア: 新書
 

nice!(0)  コメント(0) 

「唯一の被爆国」の実体に迫る~濫読日記 [濫読日記]

「唯一の被爆国」の実体に迫る~濫読日記

 

「偽装の被爆国 核を捨てられない日本」(太田昌克著)

 

 著者は共同通信の編集・論説委員。核問題を一貫して追う。「偽装の被爆国」もまた、核戦略をめぐる日本の本音と素顔を、関係者への丹念なインタビューを重ねる中で暴き出した。

 「プロローグ」は、2016年5月27日、米国の為政者トップとして初めて広島市の平和公園、すなわち米軍が投下した原爆の爆心直下にオバマ大統領が立ったシーンから始まる。そこでは、次の言葉に注目する。「原子核分裂を導いた科学的な革命は、道徳的な革命が伴わなければならない」―。そして、すぐにマーク・ゲインの「ニッポン日記」に出てくるあの光景、憲法草案を吉田茂外相らに迫り、しばらくの猶予ののち戻って発した言葉「原子力的な日光の中で日向ぼっこをしていた」というホイットニーGHQ民生局長の言葉へと転換する。

 この展開は、その後の「核」をめぐる著者の視座を明確に表している。広島、長崎で原爆がもたらしたものは、これ以上ない非人道的な惨状ではなかったか。しかし、広島、長崎以降の世界が目指したのは、「非人道性」の克服ではなく、核が生み出した「権力」の追求ではなかったか。そうした時代の中で、では日本はどのような歩みを続けたのか。「唯一の被爆国」という名のもと、核兵器の非人道性を訴えながらも「核の傘」という拡大抑止力を手放せずにいる日本政府は、核政策において素顔と仮面が違うのではないか―。

 オバマ大統領が広島訪問の直前、核の先制不使用宣言を検討したこと、それは日本政府の反対によって見送られたことは、既に報道されており知る人も多い。著者は第二次大戦後の米国の核戦略をトレースする中で、その意味を掘り下げる。学術的にではなく米政府高官らへのインタビューを通じて輪郭を明らかにしていく手法は、臨場感がある。米政権内では、核の先制不使用宣言によって核の傘を失えば日本は独自の核武装に向かう恐れもあるとの議論まであったという。

 そして、核兵器禁止条約をめぐる国連での議論の内幕に迫る。「核の傘」の呪縛から逃れられない日本政府は、最終的に交渉不参加へとかじを切った。背後には米国の影があった。オバマ大統領時代には被爆国の「内政事情」を考慮する声も政権内にあったというが、トランプ大統領の時代になると、日本の交渉参加に対する露骨な嫌悪感だけが聞こえ始めたという。

 著書はさらに、日本の原発政策―増え続けるプルトニウム、NPT非加盟のインドとの原子力協定締結、という被爆者の心情を逆なでする核政策の実体を暴いていく。最後に著者は、被爆者のこんな声を紹介する。

 「日本政府にはもう『被爆国』と名乗らないでほしい」―。

 岩波書店、1700円(税別)。

 

偽装の被爆国――核を捨てられない日本

偽装の被爆国――核を捨てられない日本

  • 作者: 太田 昌克
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/09/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

nice!(0)  コメント(0) 

「狂気」が神話となった~濫読日記 [濫読日記]

「狂気」が神話となった~濫読日記

 

「狂うひと 『死の棘』の妻・島尾ミホ」(梯久美子著)

 

 文芸評論家奥野健男が「極北の私小説」と呼んだ「死の棘」。夫(島尾敏雄)の不倫を彼の日記から知った妻(ミホ)が精神に異常をきたし、嫉妬と愛憎にまみれた日々を延々と繰り返す。戦後文学に大きな足跡を残したこの「死の棘」で島尾が書こうとしたものは何だったのか。背景にあるものは何か。これらを徹底的に追ったのが、梯久美子の「狂うひと」である。

 もちろん、「死の棘」には一組の夫婦間にとどまらぬいくつかの時間の流れが込められている。島尾は自身による一連の「戦場文学」によって知られるように、終戦の前年、加計呂麻島に特攻艇「震洋」を擁する部隊の隊長として赴任した。特攻命令を待つだけの日々を島で過ごし、命令が出るとともに終戦を迎える。島尾は「死」を伴わない特攻体験を、この島で得た。こうした中で愛を交わした相手が、島の娘ミホだった。

 こうして思いもかけぬ形で「戦後」という時間を得た島尾は、本土に帰還しミホと結婚する。しかし、そこでの日々は、かつての加計呂麻島とは似ても似つかぬものだった。「島の守護神」としてのりりしい姿はなく、生活能力のない文学青年としての島尾。そして、文学仲間だった女性との不倫…。

 戦中と戦後の時間の流れは、あまりにも違っていた。そのことが、ミホの精神に異常をきたしたのである。しかし、ことはそれで終わるほど簡単ではなかった。梯はある新聞記者との会話で、島尾の情事は「藤十郎の恋」だったという女性作家の言葉を知る。歌舞伎の演目を演じるため人妻に恋を仕掛けた坂田藤十郎。島尾の情事もまた、小説のためだったというのだ。そしておそらくミホもそのことを知っていたという。二人とも承知の上で、嫉妬と愛憎のドラマを日常の中で演じたという。なんのために? 小説のためである。

 こうなると、どこまでが真実でどこからがフィクションなのか、分からなくなる。「死の棘」では、ミホの連夜の「査問」に疲れ果てた島尾が首を吊ろうとするシーンがある。これも演技なのか。ミホは晩年、島尾の親友であった作家真鍋呉夫に「川瀬さん(仮名・島尾の不倫相手)にやきもちを焼いたことは一度もない」と話している。これが本当だとすれば、島尾が見た嫉妬に狂うミホの姿は演技だったということになる。

 「死の棘」のあらすじ、年表を加えると600㌻を超す大部である。しかし、読み終わってみてどこにミホの真実があるのかは判然としない。唯一いえるのは、1957年に38歳で加計呂麻島に帰ったミホがやっと心の平安を得、その中で島尾への愛を貫いたであろうことだ。それは、戦後という時間の中で歪められた「守護神と巫女との聖なるドラマ」の復権であった。こうした見方は吉本隆明、奥野健男によって言及され、山本健吉が「死の棘」の狂気を王女メディアになぞらえたことで決定的な論になった。いや、ミホの狂気が神話化されたというべきか。

 

狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ

狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ

  • 作者: 梯 久美子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2016/10/31
  • メディア: 単行本
死の棘 (新潮文庫)

死の棘 (新潮文庫)

  • 作者: 島尾 敏雄
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1981/01/27
  • メディア: 文庫

nice!(0)  コメント(0) 

再び同じ道に迷いこまないように~濫読日記 [濫読日記]

再び同じ道に迷いこまないように~濫読日記

 

「暗い時代の人々」(森まゆみ著)

 

 タイトルは、ハンナ・アーレントが1968年に著した同名著書によっている。そして、アーレントがこのタイトルを得たのは、ブレヒトの詩からだと自身の著書で明かしている。森もまた、巻頭にブレヒトの詩を掲げている。

 アーレントは「暗い時代の人々」の冒頭に18世紀のドイツ思想家レッシング論を置き、解題とした。アーレントは、公的領域が光を失ったとき、世界は極めてあいまいなものとなり、人々はそれを蔑視し、できる限り無視しようとすると指摘、そこに特殊な型の人間性が発展するとしている。こうした時代には、「真理」は人々の心の中にではなく、公共的な空間の外側にあり、それは人々を単一の意見に結び合わすような結果をもたらす、とも述べている。いわゆる全体主義の台頭である。

 森の書も同じ観点から書かれた。取り上げた人物像の背景にある時代は、森自身が1930年から45年までと規定している。例えば司馬遼太郎は明治維新から昭和初期までを「坂の上の雲」の時代として肯定的に評価し、参謀本部=鬼胎説を唱えて193045年を限定的に否定しようとした。坂野潤治は「日本近代史」で明治維新=革命、昭和維新(血盟団事件、515事件、226事件)を反革命と位置付けた。その歴史的評価の是非はここでは置くとして、この「暗い」15年間を生きた人々の時代と個人のありようを描き出したのが、森の書である。

 森が取り上げたのは9人である。顔ぶれは多様で、基準はよく分からない。粛軍演説の政治家であったり、社会主義運動の女性活動家であったり、画家であったり、唯物論研究の哲学者であったりする。ただ、底流で共通するテーマは先にあげた通り、「(暗い)時代と個人」である。

 このうち、斉藤隆夫を取り上げた章では、印象に残る記述が二つあった。一つは、松本健一からの引用だが、「政党政治を破壊する役割を担ったのは、(略)まず政党それじたいであった」という指摘。いま一つは、粛軍演説の中の「一体支那事変はどうなるものであるか(略)国民は聴かんと欲して聴くことができず」というくだりである。いずれも、現代の政治状況とも共通する視点であるように思う。

 このほか、京都の喫茶店を拠点に「土曜日」という反ファシズム紙を出し続けた斎藤雷太郎にまつわる章が面白い。おそらく、著者自身が「谷根千」という地域雑誌を編集していたことからも、一段の関心を持ったためであろう。フランス人民戦線機関紙「ヴァンドルディ(金曜日)」から書き起こし、記述にも力が入っている。あの時代、反ファシズムを掲げて赤字を出さなかったというから驚きだ。この精神は戦後、鶴見俊輔らによる「思想の科学」にも受け継がれているという。

 あとがきで書いているように、「再び同じ道に迷いこまないように」というのが著者の偽らざる気持ちであろう。アーレントがいう「公的領域が光を失ったとき」に、かすかながら光をともそうとした人々の記録である。

亜紀書房、1700円(税別)。

暗い時代の人々

暗い時代の人々

  • 作者: 森 まゆみ
  • 出版社/メーカー: 亜紀書房
  • 発売日: 2017/04/14
  • メディア: 単行本
 

nice!(0)  コメント(0) 

自らの「特攻体験」への決別~濫読日記 [濫読日記]

自らの「特攻体験」への決別~濫読日記

 

「死の棘」(島尾敏雄著)

 

 嫉妬に狂う妻。その表情を延々と観察し、記録する。精神に異常をきたした妻は、大理石のように冷たい視線で、夜を徹して夫を査問する。それはもはや感情を持たない尋問マシーンのようだ。こうした日々に耐えかねて、夫もまた発狂寸前(あるいは既に発狂していたのかもしれない)に追いつめられる。

 ここに出てくる夫は島尾敏雄自身であり、妻は島尾ミホであることが知られている。ノンフィクションではないからすべてが事実とは限らないが、かなりの部分が島尾夫婦に共有された日常であろうことは推測がつく。

 この小説を読んで暗く救いのないトーンを読み取ることは簡単である。しかし、そんな中に実は、ミホの純真さからくるある種の明るさ、希望、夫婦の絆を読み取ることもできる。事実、ミホはその後、精神の異常を克服する。

 島尾は終戦の直前、加計呂麻島で特攻隊長として死と直面する日々を送った。隊員は52隻のべニア製ボート「震洋」で250㌔の爆弾とともに敵艦に突っ込む予定だった。しかし、特攻命令が出たとたん終戦を迎えた。島尾にとって1年半、必然であった「死」が目前で消えたのである。そこから、島尾の「戦後」は始まった。

 「死」を伴わない特攻体験を経た島尾は、膨大な死を伴う特攻体験を経た吉田満(「戦艦大和ノ最期」著者)と昭和52年夏に対談している(「特攻体験と戦後」)。奇しくも「死の棘」が出版されたのと同じ年である。この中で島尾は、こんなことを言っている。

 ――あれ(特攻体験)をくぐると歪んじゃうんですね。

(略)

 ――その30年の積み重ねの中で、なんとなく日常というものが分かってきて、そして、その時に、やっぱり日常じゃない異常な事態を自分が体験したということが、なにか、くっきりしてきたような気がするんです。

 乗組員3000人余のうち生存者276人という海戦をくぐり抜けた吉田は、その体験を「ちょっと手のつけようのないもの」として、戦後にそのまま持ち込むことを拒絶している。しかし、島尾にとって、意識的か無意識的かは別にして、特攻体験が「死」を伴わなかったがゆえに、そのまま戦後へと持ち込まれた節がある。すなわち、島尾にとって「特攻」は昭和20年8月15日をもって終わることはなかった。

 島尾敏雄とミホは、「死」と向き合うことを余儀なくされた加計呂麻島の時間の中で結ばれた。二人の結婚は、特攻隊長であった島の時間をそのまま戦後に持ち込むことに他ならなかった。

 「死の棘」の最後で、島尾はこう書いている。

 ――この世で頼りきった私にそむかれた果ての寂寥の奈落に落ち込んだ妻のおもかげが、私の魂をしっかりつかみ、飛び去ろうとする私のからだを引き付けてはなさない。(略)その妻と共にその病室のなかでくらすことのほかに、私の為すことがあるとも思えなかったのだ。

 吉田は「戦艦大和ノ最期」を書くことで死者を弔った。島尾は「死の棘」を書くことで自らの特攻体験の「その後」をかたちとし、そのことで特攻体験と決別し、自らを含めた鎮魂の歌を歌ったのであろう。その意味では「死の棘」は戦後私小説であるとともに優れた戦場文学でもある。

 

 「死の棘」新潮文庫、840円。

 「特攻体験と戦後」中公文庫、800円(いずれも税別)

死の棘.jpg

特攻体験.jpg



nice!(0)  コメント(0) 

「どこまでも対米追随」の愚かさ~濫読日記 [濫読日記]

「どこまでも対米追随」の愚かさ~濫読日記

  

「アジア辺境論 これが日本の生きる道」(対談 内田樹×姜尚中)

  

 内田樹の著書に「日本辺境論」(新潮新書、2009年)がある。内田と姜尚中の新刊は「アジア辺境論」である。この2冊のタイトル、似ているようでかなり違っている。一方は「日本(はアジアの)辺境」論であり、一方は「(日本は)アジア(の)辺境」論である。しかし、タイトルの含意は違うが、主語はともに「日本」であり、つまりは「日本(国)」とは何かを問うという底流において2冊はつながっている。

 「アジアの辺境」である日本はどこに向かう(べき)か。これが対談のメーンテーマになっている。それを考えるうえでの最大の要因は、行きつくところまで行きついた資本主義(=グローバリズム)とどう向き合うか、であろう。そこでの世界的な現象として、アメリカの没落→自閉化がある。それは「世界の警察国家」の不在を生み、中国、ロシア、アメリカの危ういバランスの上に立った世界秩序の維持が模索される。二人の論客もまた、そうした構図の中で、日本の針路を探る。

 そこで、内田は米中露の大陸型「帝国」とは違った「周辺=ニッチ(隙間)」としての国のありよう(経済・安保政策)を韓国、台湾とともに探るべきだと主張する。

 近年、核実験やミサイル実験を繰り返す北朝鮮に対して、安倍晋三政権は「軍事的脅威」を強調、「軍事オプション」をもちらつかせるトランプ政権に対して「日米同盟の一体化」を公言してはばからない。しかし、これは少し違うのではないか、と思う。アメリカは既に、かつてのアメリカとは違う。少なくとも世界の覇権国家であることを重荷に思い始めている。だからこそ日本はいま、独自路線を歩むべきなのだ。この点は内田、姜とまったく一致する。

 では、アジアの辺境国家としての日本は韓国、台湾と外交、安保で連携することはできるのだろうか。姜が丸山真男の顰(ひそみ)に倣(なら)って「日米安保の実在よりも、アジア辺境の虚妄にかける」としているが、現時点ではこの認識が当たっているといえようか。

 中国、ロシア、ヨーロッパはかつての「帝国」の版図(清末期、ロマノフ、神聖ローマ)におさまり、資本主義の終焉を迎えた世界は緩やかに中世化するという二人の説はとても興味深い。水野和夫、エマニュエル・トッドの説あたりも、この中に包含されると思われる。

 こうしてみれば、北朝鮮情勢をにらみながらどこまでも米国一筋という現政権の先見性のなさ、愚行ぶりは明らかといわざるを得ない。

 こうしたテーマを立てた場合、かつてのアジア主義とどう向き合うのかという問いを避けて通れない。姜尚中が竹内好の「方法としてのアジア」にわずかに触れているが、この問題も正面から論じるべき課題だろう。アジアはアジアとしての実体を持ちうるのか。アジアという普遍的な共同体が成立するとしたところにかつての過ちがあったのではないか。西欧に対してのみアジアはアジアであり、だからこそ西欧的価値体系を「アジア的なるもの」を通すことで昇華出来る、というのが竹内の視点である。



アジア辺境論 これが日本の生きる道 (集英社新書)

アジア辺境論 これが日本の生きる道 (集英社新書)

  • 作者: 内田 樹
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2017/08/19
  • メディア: 新書

nice!(1)  コメント(0) 

「まなざし」の中の鬱屈~濫読日記 [濫読日記]

「まなざし」の中の鬱屈~濫読日記

 

「『働く青年』と教養の戦後史 『人生雑誌』と読者のゆくえ」(福間良明著)

 

 いわれてみれば遠い昔、そんな雑誌があったな、と思う。「人生雑誌」あるいは「人生記録雑誌」と呼ばれた一群。「読書を通じた人格陶冶」を目指し、時事問題や社会批評も扱った。1950年代後半に高揚期を迎え、代表格の「葦」や「人生手帖」はそれぞれ約8万部発行したという。「中央公論」が12万部、「世界」が10万部の時代である。けっして無視できない規模であるが、いまや影も形もない。なぜそんな雑誌が売れたのか。そしてなぜ消えたのか。その謎を丹念に追った。

 もちろん、これらの雑誌の背景を探るには、戦後の一時代を切り取り、分析する必要がある。つまり、この書は雑誌の盛衰にとどまらず、「戦後を考える」うえでの重要な視点を示している。

 「戦後を考える」という大テーマへのアプローチの一つとして、著者はまず当時の経済的貧困をあげる。1950年代、雑誌の主な読者層は、集団就職などで職を得た勤労青少年だった。しかし、彼らは初めから「勤労青少年」を目指したわけではなく、中学卒業後に家庭の事情などでやむなく就職したものも多かった。進学の道を断たれた鬱屈が、彼らを学歴エリートとは違うある種の教養主義へと向かわせたのである。

 ここで著者は、日活映画「キューポラのある町」(1962年)をとりあげる。学業優秀なジュン(吉永小百合)は父親が解雇されたことで進学の道が絶たれそうになる。周囲の助言で、定時制で学ぶ決意をするが、父親が復職し経済的な見通しが立ったことで志望校進学がかなうことになるが、ジュンはあえて定時制進学を選択する―。

 この映画は、吉永の魅力もあり、当時の映画賞を総なめにした。時代的背景として、学歴エリートとは別の教養主義の広がりがあり、それが人生雑誌の読者層を支えたといえる。教養へのあこがれと、エリート知識人に対する反発。そうした複雑な心情が雑誌の成立をもたらした、と著者は分析する。

 1950年代には「戦争への悔恨」も影を落とした。それは必然的に内容の左傾化につながった。朝鮮戦争、松川事件、サンフランシスコ講和条約への批判的視点が、雑誌を特徴づけた。

 しかし、60年安保という政治の季節をへて、「思想の科学」(1946年創刊)などが注目を浴びると、人生雑誌の中途半端さが目立つようになる。「戦争への悔恨」も、時代とともに薄れていく。一方で時代は高度経済成長期に入り、家庭の貧困で高校進学が絶たれるというケースがそれほど目立たなくなる。「葦」は60年に廃刊、「人生手帖」も63年に約3万部にまで落ち込み、衰退は明らかだった。

 この問題を取り上げるにあたって、著者が見田宗介著「まなざしの地獄」を手掛かりにしたのは興味深い。「青年の主張 まなざしのメディア史」を書いた佐藤卓己と同じ視点である。集団就職した若者が、せめて高卒の肩書を手に入れようとするが、職場はそれを許さない。表相で否定しようとする都市のまなざしの地獄の中で、教養主義にあふれた(その一方で知的エリートへの反感を込めた)人生雑誌を手にするとき、なにがしかの「希望」や「勇気」を感じ取ったとしても不思議ではなかっただろう。

 濫読日記でも取り上げた佐藤の前掲書と合わせて読めば、戦後史の中で見過ごされてきた側面が見えてくることは間違いない。見田宗介の「まなざしの地獄」も、一読を勧めたい。

 筑摩書房、1800円(税別)。著者は立命館大教授、歴史社会学、メディア史。


「働く青年」と教養の戦後史: 「人生雑誌」と読者のゆくえ (筑摩選書)

「働く青年」と教養の戦後史: 「人生雑誌」と読者のゆくえ (筑摩選書)

  • 作者: 福間 良明
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2017/02/13
  • メディア: 単行本

nice!(1)  コメント(0) 

現下の政治を整理するための好著~濫読日記 [濫読日記]

現下の政治を整理するための好著~濫読日記

 

「自民党―『一強』の実像」(中北浩爾著)

 

 森友学園疑惑、加計学園疑惑と、安倍晋三政権の腐敗が露呈している。根幹には、「一強」ぶりが際立つ官邸に対して政官の行き過ぎた忖度があると思われる。では、官邸の一強体制はどのように出来上がったのか。それを考えるうえで参考になる書である。それは同時に、現下の政治状況を整理するための、最適な一冊でもある。

 全体を俯瞰すると派閥、政策決定プロセス、国政選挙、友好団体の変化など、自民党をめぐる近年の変化のほぼ全体像をとらえている。その中で最も決定的な要因は、政治とカネ批判に対応した選挙制度改革である。それに加え、政策決定を官邸が積極的に主導したことと、内閣人事局設置による官僚支配が、官邸の立場を強化させたといえる。

 衆院が中選挙区から小選挙区へと変わったことで党公認が中央に一本化され、まず派閥が弱体化した。この変化は族議員の弱体化を招き、政策決定における官邸の強化につながった。いわゆる「政治とカネ」批判を受け、政治資金の流れも一本化された。かつてはカネとポストの配分が派閥の機能といわれたが、もはやどちらも、派閥とは無縁となった。こうして派閥は単なる人的ネットワークになった。かつて政治の悪弊とみなされた派閥は機能のほとんどを失ったが、そのことが官邸の機能強化につながったのである。

 小選挙区は定数1だから、理論上有権者の半数を確保しないと当選できない。現在の自民党の組織票だけでは議席確保がおぼつかないので浮動票に頼らざるを得ない。まさしく、制度が変わった1996年以来、2005年の小泉郵政選挙、2009年の民主党政権奪還選挙、その後の自民党復活と第三極躍進選挙と、浮動票が政権のありようを決めてきた。

 ただ、安倍政権が復活した2012年の衆院選以来、自民党の絶対得票率はけっして高くはない。ここ5年間は、自民が勝つというより野党が負ける選挙が続いているといったほうが正しいだろう。その中で自民の勝因を分析すれば、地方の組織票が比較的安定していること、都市の与党票をまとめる公明の組織的バックアップが効果的であることが挙げられよう。

 現在、森友、加計学園問題への対応や強引な国会運営をめぐって世論調査の内閣支持率は軒並み激減、その中で「支持政党なし」が急増している。7月7~10日の時事通信調査で支持は30%の大台を割り(29.9%)、不支持48.6%、「支持政党なし」は実に65.3%に達している。これは民主党が政権を奪取した2009年と似ており、新たな政治的枠組みを待望する有権者心理を表している。

 小泉政権は「古い自民党をぶっ壊す」と連呼して政権につき、郵政選挙では改革派対抵抗勢力という構図を作り上げた。加計学園問題で安倍政権は構造改革を推進する勢力と抵抗勢力という構図を作ろうとしているが、「首相発言を信用できない」とする声が多くあり(時事調査では67.3%)、目論見は成功していない。

 では、今後の政治地図はどうなるか。中北氏が指摘するように、安倍政権の特徴は小泉政権から引き継いだ新自由主義路線と、民主党政権時代の野党体験を踏まえた右傾化路線だった。しかし、おそらく安保法制、特定秘密保護法、共謀罪法などに見られる安倍政権の路線に、多くの国民は辟易としている。深刻化する貧困率など新自由主義路線にも懸念を抱いている。これらに対する国民の思いを受け止める新政党が登場すれば、間違いなく国政に風が吹くだろう。その条件は整いつつある。一方で自民党内を見渡せば、弱体化したといってもなお息づく派閥間力学の中で、旧清和会系の小泉・安倍政権に政策的違和感を抱き続けた旧宏池会系(岸田派、麻生派)、旧経世会系(額賀派)がどう動くかも、今後の新地図に影響しそうだ。

 中央新書、880円(税別)。


自民党―「一強」の実像 (中公新書)

自民党―「一強」の実像 (中公新書)

  • 作者: 中北 浩爾
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2017/04/19
  • メディア: 新書
 

前の10件 | - 濫読日記 ブログトップ