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現代の平和論を組み立てる手がかりに~濫読日記 [濫読日記]

現代の平和論を組み立てる

手がかりに~濫読日記

「教養としての戦後〈平和論〉」(山本昭宏著)

戦後〈平和論〉.jpg
  まず、タイトルについての考察。「教養としての」という言葉が冒頭につく。著者自身の考えはこうだ、というものではなく一歩引いた形で、しかもできるだけウィングを広げてテーマについてまとめた、ということであろう。そして、平和論に〈 〉がつけられている。これは「〈平和〉論」ではなく、「〈平和論〉」であるという意味合いと理解する。言い換えれば、〈平和〉という概念そのものの変化ではなく〈平和〉についての〈論〉の変化を追った書であると理解できる。
 著者は1984年生まれ。2012年に20代の若さで「核エネルギー言説の戦後史19451960」を著した。福島原発事故直後でもあり、「原爆」と「原発」をつなぐ書として注目された。手法としては、これに連なるともいえる。テーマを「核」から「平和」に置き換え(あるいは拡大し)、時間的スパンも「戦後」全体に伸ばした、それがこの書であろう。
 著者も書くように、いま「平和」という言葉を口にするとき、どこか「気恥ずかしさ」を感じる。同時に、「平和」という言葉が一種の空洞(もしくは空疎な何か)を抱えていることを実感する。これは何か、なぜそうなったかを追った書である。といっても、「それはこうしてこうなったからだ」と書いているわけではない。一歩引き下がり、読者に考える手がかりを与える、そういう位置づけの本である。最初に言ったように、それが「教養としての」とタイトル冒頭に振った所以であろう。
 著者はまず、「平和」の内実に迫る道筋として「理念としての憲法」「戦争の記憶」「生活保守主義」を念頭に置きつつ①敗戦~1960年②196070年③70年初頭~80年代終わりまで④80年代の終わりから現在―と時代を4区分する。前者が横糸、後者が縦糸といってもいい。この構造をさらにくくって言えば、米ソ冷戦が影を落とした時代は日米安保と非武装中立という対立軸があり、自社さ政権が成立した1990年代に「総保守化」時代があり、それが安倍政権による「平和」の書き換え(=構造変革)の中で安倍対反安倍(リベラル)という新しい対立軸が生まれつつある、ということになろう。それは「平和」の構造変化であるとともに、「戦争」の構造変化でもある。つまり、平和をめぐる意識の中で「生活保守」の色彩が濃くなり、貧困もまた現代の「戦争」の一つではないかという指摘である。もちろん背景には、かつての「戦争」(アジア太平洋戦争)の体験者が減り、国民的記憶が薄れてきたことがある。
 こうしたことを踏まえ、いくつか印象に残った点を挙げよう。
 ①広島・長崎の反核「平和」運動が、日米の国家原理の追認に他ならないのではないかという小田実の指摘。広島・長崎は、米国の投下責任を明確に問うことでしか「人は人を殺してはならない」とういう普遍原理を見につけることはできない、という議論。これは今も有効性を持つと思う。
 ②野口武彦が、ある種の「文学的直観」をもって指摘した「観光地平和公園(注:長崎の)の端麗なパノラマ」をみて「われわれが享楽しているこの『平和』は、どこかに或るゆるしがたい欺瞞をふくんでいる」とした文章。広島・長崎が「観光地」として消費されていくスピードは近年ますます加速しているようにみえる。
 ③「厭戦」から「泣ける作品」へ~「火垂るの墓」をめぐる時代的変遷。野坂昭如は「火垂るの墓」(1967年)で、戦時下の兄妹の「無意味な死」を描いた。それは小田実の「難死の思想」にも通じる。戦争で死ぬことは美しいことでも崇高なことでもない。だから野坂は、意思に支えられた「反戦」より弱者の利己的な「厭戦」こそが、戦争を回避するためのエネルギーになると思ったはずだ。ところが、ジブリによるアニメ「火垂るの墓」(1988年)は、快・不快を行動の基準にする若者像をベースに物語をつくりかえた。ここでは、戦禍による「難死」ではなく兄妹の哀しく哀れな物語に仕立てられている。だからこそ、観た若者たちは「泣ける」映画だと受け止めた(2005年に30代、40代を対象にアンケートしたところ、「泣ける映画」の女性1位、男性2位が「火垂るの墓」だった)。
 こうした〈平和論〉の変遷を踏まえ、私たちはどのような〈平和論〉を組み立てていけばいいのか。少なくとも、日米安保と自衛隊(国防軍)が日本の平和を守るという一元的発想でいいのか。それを考える手がかりになるだろう。


 「教養としての戦後〈平和論〉」はイーストプレス、1500円(税別)。著者は神戸外大准教授。日本近現代文化史、歴史社会学。

教養としての戦後<平和論>

教養としての戦後<平和論>

  • 作者: 山本昭宏
  • 出版社/メーカー: イースト・プレス
  • 発売日: 2016/08/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 


60年代の意味を再考する [濫読日記]

60年代の意味を再考する


「唐牛伝 敗者の戦後漂流」(佐野眞一著)
「私の1960年代」(山本義隆著)


唐牛伝.jpg 60年安保から東京五輪を経て、日本は高度経済成長期に入る。敗戦から15年、なお戦争体験とナショナリズムを色濃くにじませて闘われた戦後最大の市民運動の指導者たちの多くは社会に回帰し、経済成長の時代を担った。しかし、そこに入り込めない、あるいは入ることを拒んだ人たちがいた。

 北海道大にいた唐牛健太郎は、陳腐な表現だろうが、すい星のごとく全学連委員長となった。60年安保の年、4月26日の国会前デモで警察車両に乗り一世一代のアジ演説をした後、装甲車の向こう側に飛び降り逮捕、半年間勾留された。この時の様子を、佐野は当時週刊読売の記者だった長部日出雄の文章を引用して描く。

 ――装甲車を乗りこえた学生たちは、もし全学連の委員長が東大1960年代.jpgや京大の出身で、北海道大学からやってきた無名で白面の見るからに新鮮な若者でなかったとしたら、果たしてあそこまで燃え上がっていただろうか。六〇年安保闘争が空前の盛り上がりを示した理由のひとつには、その核心にBクラスの反乱が隠されていたからではないだろうか。

 しかし、「安保闘争に火をつけた」といわれる唐牛の「ダイブ」は犠牲も大きかった。全学連をリードしたブント幹部の多くが逮捕・勾留され、唐牛も樺美智子の死を巣鴨の拘置所で知る。

 唐牛は、そのヒーロー性から「いつも明朗闊達で明るかった」と語られることが多い。佐野はここに疑問を挟み「ワンパターンで陳腐な人物評価」を崩すべく生地の函館に飛ぶ。断っておけば、取り上げた人物のかなりの側面を出生に探るというのは、例えば「てっぺん野郎」で石原慎太郎の出身地・愛媛県八幡浜に赴いたように、佐野の常套的な手法である。

 函館の取材で佐野は、海産物商を営む男と芸者の間に生まれた庶子という、唐牛の横顔の一つを浮き彫りにする。筆者(真崎)自身は、こうした手法と、あまりにその側面を色濃く投影させる筆致に抵抗を感じるが、そのことは紙幅の都合もあるのでこれ以上は触れない。

 唐牛は安保後、「太平洋ひとりぼっち」の堀江謙一とヨットスクールを始めたり、新橋駅前で居酒屋「石狩」を始めたりするが、長続きしない。与論島に住んだり、北海のトド撃ちの名人に弟子入りしたりもするが、定着はおぼつかない。佐野が丹念に追った足跡をみると、明らかに唐牛は、「安保」後の社会で何者かになることを拒否している。44歳でコンピュータのセールスマンになったこともあった。当時、数千万円もする商品を売ることが唐牛にできたのか。彼はトップセールスだったと同僚は証言する。

 唐牛を全学連委員長にしたといわれるブント書記長の島成郎は回想録の中で「唐牛を拗ねた野良犬風にとらえる見方もあるが、それは全く違う。(略)唐牛はすぐれた生活者だった」と述べる。何者にでもなれたはずなのに、何者にもならなかった男。何に「義理」を果たそうとしたのか。「無頼」を演じる男の背後を追って佐野は、「日本の喫水線ぎりぎりを航海した」男という評価を残した。現時点では、これが唐牛に最もふさわしい言葉と思える。

    ◇

 60年4月26日、初めてデモに参加したという男がいた。山本義隆である。彼は、機動隊の装甲車と対峙する「先進的学生」を遠巻きに見るひとりだったが、その後、東大闘争の中で研究とは、学問とは、大学とは何かを問う。その結果、「科学の体制化」という問題意識に到達する。アプリオリに「善」とされてきた科学の進歩は、実は日本の近代化の歴史の中ですっぽりと体制に飲み込まれていった結果ではなかったか、という批判的視点である。

 「60年代」という視座でいえば、60年安保で日本が選択した進路の上に大学の秩序再編や研究の体制内組み込みが行われ、東大大学院生として物理学を研究していた山本らが、そのことと自覚的に闘った結果が東大闘争であった。

 山本は、「回顧談のようなものを公にする気にはなかなかなれなかった」と書く。死んだ子の歳を数えるようなことにしたくなかったのだろう。したがって、この書では大学で獲得した多くの問題意識のその後の深化の過程に多くが裂かれている。その成果は「磁力と重力の発見」(みすず書房、2003年)などに結実している。とりわけ、原発開発に見られる産官学一体化とその末路を見るとき、山本の先見性を実感する。

 肌合いの違う二人であるが唐牛健太郎、山本義隆と通してみれば、今という時代の源流としての60年代の意味が極めて重く実感される。

(「唐牛伝」は小学館、1500円、「私の1960年代」は金曜日刊、2100円)

唐牛伝 敗者の戦後漂流

唐牛伝 敗者の戦後漂流

  • 作者: 佐野 眞一
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2016/07/27
  • メディア: 単行本

私の1960年代

私の1960年代

  • 作者: 山本 義隆
  • 出版社/メーカー: 金曜日
  • 発売日: 2015/09/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

「三方一両損」の時代を受け入れよう~濫読日記 [濫読日記]

「三方一両損」の時代を受け入れよう
~濫読日記


「喪失の戦後史」(平川克美著)

喪失の戦後史.jpg 著者は1950年生まれ、文筆家で事業家。ほぼ戦後をリアルタイムで生きてきたといえる。その体験を踏まえ、戦後史を振り返った。大きな特徴は、経済ではなく人口動態を指標としながら家族観の変遷を探ったところにある。著者の言葉を借りれば、人口動態から入って家族に抜ける、という手法である。ネットで行った100分講座6回分を再編成した。

 全体は5編に分けられ、前半は小津映画に見る家族の風景や占領下の家族形態を取り上げ、高度経済成長の時代へと移る。著者の見識がよく表れているのは、高度経済成長期以降、即ち1973年以降の日本に対するまなざしであろう。この時代を取り上げた「第四講 相対安定期の夢」には「『あしたのジョー』から『釣りバカ日誌』の時代へ」と副題がつく。「あしたのジョー」の連載は1973年に終わった。ジョーは米国のボクサー、ホセ・メンドーサとの闘いの最中、リング上で「燃え尽きて」しまう。このシーンに著者は、戦後、焼け跡から立ち上がり、世界、特に米国と伍するまでに経済成長した日本の姿をだぶらせる。経済成長を遂げた日本もまた、1973年に「燃え尽きた」のである。そして「釣りバカ日誌」が1979年に始まる。ヒーローの時代からアンチ・ヒーローの時代へと転換した。

 著者はここで、家族の変遷に目を向け、1世帯当たりの人数に注目する。データによると、1955年に4.97人だった家族構成は1975年に3.48人、1995年に2.85人となる。いまや、夫婦2人に子供は1人もいない。少子化、人口減少傾向は顕著である。では、どうすればこうした傾向に歯止めがかけられるか。三世代同居を増やすために補助金を出すという政策が報じられたが、著者はこれを無意味と断じる。なぜなら、こうした家族形態の変化は貧困によってではなく、歴史の進歩の過程で起きたことであり、逆流することはないという。例えば、経済政策によってではなく、婚外子を正嫡子と同等に認める(法律婚の否定)など、従来とは別の共同体形成が必要だという。

 もう一つ、社会的な変化としてコンビニの出現を上げる。1号店は1974年に豊洲にできた。以来、瞬く間に増殖して、2015年で全国5万店というデータもある。いうまでもなく、これも家族形態に大きな変化をもたらした。あるいは、家族形態が変化したためにコンビニが増えたのかもしれない。つまり、家族という共同体の中で役割分担しなくても、カネさえあれば不自由なく生活できる社会システムができた。世間はこれを「個食の時代」と称した。

 著者はさらに「長期デフレ」という経済認識にも異議を唱える。今起きていることを人口動態から見れば、縮小均衡という経過的な状態だという。経済成長につながる有効な政策が打てないから問題なのではなく、経済の縮小を前提にした方向へとかじを切れないでいることが問題なのだと著者は言う。経済成長なしの社会モデルをどう作るか。「三方一両損」の時代を受け入れるべきだというのが、著者の認識である。

(東洋経済、1500円=税別)


喪失の戦後史

喪失の戦後史

  • 作者: 平川 克美
  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2016/08/26
  • メディア: 単行本


安保のグローバル化に歯止めを~濫読日記 [濫読日記]

安保のグローバル化に歯止めを~濫読日記

「逆走する安倍政治 馬上の安倍、安保を走らす」(纐纈厚著)

逆走する安倍政治.jpg 安倍政権による事実上の憲法改正が進み、11月には内乱・戦闘状態の南スーダンで「駆けつけ警護解禁=自衛隊と現地兵の戦闘」が現実のものとなりつつある。ここまで来れば、憲法改正論の背景にある日米安保体制の是非自体が問われなければならない。すなわち、日米安保・核の傘への賛否こそが、日本の政治(=針路)の大枠を決めるファクターだと思うのだが、日本の政治はそこに焦点を当てきれていない。
 日米安保の現状と、よって立つところは何か、これを詳細に探ったのがこの一冊である。
 戦後、日本は日米安保という大きな選択をした。もちろん、そこには米ソ冷戦という逃れがたい国際的枠組みがあった。しかし、冷戦が終わり、日本社会は大きな地殻変動を経験する。筆者はここで、戦後日本を規定する「四重システムの相互関係」論(加藤哲郎)を引用する。①東西冷戦②日米安保③自民党④会社主義―である。ここで、冷戦の終焉は他の三つにドラスティックな変革を迫る。会社主義は少し唐突な感じもあるが、冷戦後、企業は多国籍化が進み、日本の輸出主導型の貿易構造を維持するために親米・親日政権を支えるアジア各国の軍事独裁型国家へのテコ入れが必要だったのである。筆者は坂本義和の「周辺軍国主義」や「代替軍国主義」の概念を援用してこれを説明する。こうして日米安保のグローバル化が進む。
 安保のグローバル化が「国際貢献」論や「普通の国家」論によって語られたのは記憶に新しい。背景には米軍再編がある。ポスト冷戦で米国は一国覇権主義を標榜する。そのためには日英との軍事同盟が必要だった。米側の意図に呼応する形で、日本企業の多国籍化=海外生産拠点へのシフト→海外拠点の安定化がテーマとなり、安保のグローバル化に拍車がかかったのである。こうして既存の経済権益を守るため、日本自身による軍事化が求められるようになったと筆者はいう。
 もう一つ、歴史的な流れを追えば、戦前の日本は天皇制帝国主義ともいうべき矛盾を抱えた国家だったが戦後、日米安保を選択したことにより、その国家構造を清算する機会を失った。直後に続いた高度経済成長でそれらは表面上隠されてきたが、冷戦終結と経済低成長時代に入り、その「地肌」が露呈するに至った。「その時代状況を巧く掬い取って政権を掌握したのが安倍晋三という政治家」だと筆者はみる。米側の意向だけでなく、日本側にも軍事国家への目論見があった。安保をめぐる今の日本の状況は「対米従属論」だけでは語れないのである。ここで、安倍政治には対米自立(=戦前への回帰)が見え隠れし、米側もそこに懸念と警戒心を隠さない。要は、「軍事には軍事」という即物的発想ではなく、日本自身がどんな平和の青写真を描けるかだ、と筆者は問いかける。そして、現在の政治状況を「専制的民主主義」もしくは「偏在する民主主義」だとし、自由・自治・自立の民主主義を取り戻すべきだと訴える。
(日本評論社、1700円=税別)

逆走する安倍政治

逆走する安倍政治

  • 作者: 纐纈 厚
  • 出版社/メーカー: 日本評論社
  • 発売日: 2016/04/22
  • メディア: 単行本



強面・有能な秘書の横顔~濫読日記 [濫読日記]

強面・有能な秘書の横顔~濫読日記


「影の権力者 内閣官房長官菅義偉」(松田賢弥著)

菅義偉.jpg 官房長官は、かつてニュースソースとして匿名で記事化するとき「政府高官」とされた。「政府首脳」に変わったのは後藤田正晴官房長官の時代である。「カミソリ」と呼ばれた元警察庁長官を官房長官に据えた中曽根康弘は「内閣の命を制するものは総理と官房長官である」といっている(「私の後藤田正晴」講談社、2007年)。

 以来、大物官房長官とされた政治家は何人かいる。記憶に残ったのは梶山静六、野中広務あたりであろうか。この書で取り上げた菅義偉は、梶山を政治の師と仰ぎ、野中を目標とした。二人に共通するのは、権力闘争を踏み越えて地歩を固めた、その生きざまにある。では、その生きざまは菅に投影されてきただろうか。

 書はまず、秋田の雪深い地に生まれた菅の若い時代をたどる。高校を出て段ボール工場に働き、苦学して法政大を卒業、一般会社に勤めた後、議員秘書から横浜市議に転身…。約束されたコースを歩む最近の政治家(安倍はその典型であるが)とは、かなり違う。このあたりは梶山の戦争体験、野中の被差別部落出身者としての生い立ちと重なるのであろうか。

 菅は69年に大学に入り、73年に卒業した。70年を境に反安保闘争、大学闘争の嵐が吹き荒れたころである。特に法政大は当時、学生運動の一つの拠点であった。その時代に菅は、学生運動に目もくれずいたことになる。当時としてはかなり特異な学生であっただろう。後に政治家を目指した理由として著者は「社会は政治が動かしているから」との菅の言葉を引用している。言い換えれば、政治家になって社会を動かしたかった、ということであろう。ここには、社会的弱者や底辺にいる人間に共感する中で社会を動かそうというのとは違った視点が見える。権力の階段を上りながら自分の目指す社会の実現を図るという志向が見える。この点で、菅の出身地・秋田の隣県である岩手を地盤とした小沢に似ていなくもない。しかし、小沢がほとんどを東京ですごし、父・佐重喜の跡を継ぎ、田中角栄の庇護のもとに政治家の階段を上ったことを考えれば、菅と小沢は対極の政治家であろう。

 菅は96年の総選挙で横浜市議から国会議員に転身、小渕派(平成研)に入る。しかし、同派で師と仰ぐ梶山は98年に派閥を出、総裁選に単独出馬。菅も梶山の後を追う。これを見て野中は「菅は絶対に許さない」といったという。後に梶山の気遣いで菅は宏池会に入るが加藤の乱に共鳴し決起、敗れた後、安倍晋三の支援に回る。田中角栄が「乱世の将」と評した梶山の行動ぶりなどから、菅は何かを学んでいるように見える。

 では、菅が目標とする野中と菅を比較すると。菅について気になるのは、沖縄に対する政治姿勢である。この点、野中が駐留軍用地特別措置法改正(1997年)に際し、担当の特別委員長として「この法律が軍靴で沖縄を踏みにじることがないように(略)皆さんにお願いしたい」と壇上で述べたような「心」は、いまのところ菅には感じられない。あるいは、辛淑玉との対談「差別と日本人」(角川書店、2009年)で見せたような保守政治家の懐の深さも感じられない。今のところは安倍首相と公明党のパイプが頼りの「強面で有能な秘書」の域を出ていないように思う。

 さて、この書の評価だが、若干360度にフィールドを広げすぎて、焦点がぼけた印象がないでもない。惜しいことだ。

(講談社α文庫、2016年、820円=税別)



影の権力者 内閣官房長官菅義偉 (講談社+α文庫)

影の権力者 内閣官房長官菅義偉 (講談社+α文庫)

  • 作者: 松田 賢弥
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/01/21
  • メディア: 文庫

なぜ被爆者は米国に原爆投下責任を問わないか~濫読日記 [濫読日記]

なぜ被爆者は米国に原爆投下責任を問わないか~濫読日記


「現代思想」〈広島〉の思想―いくつもの戦後史

広島の.jpg 戦後71年、原爆が投下された広島も今や廃墟の跡はなく、復興は成し遂げられたかに見える。しかし、そこに〈広島〉の思想は確立されたのだろうか。そうした問題意識のもとに編集されたのが「現代思想」8月号である。代表的なものとして姜尚中が「ヒロシマ、絶対矛盾の中に佇む十字架」、白井聡が「福島以降の広島」、森達也が「自発的プロパガンダの連鎖を断って」を寄せている。
 ここでの出色は、白井の文章である。5月27日のオバマ大統領広島訪問を取り上げた。しかし彼は、世上でいわれるオバマの行動でなく、迎える側の悲惨について述べている。オバマについては、謝罪がなかったこと、抽象的であいまいな演説…とさまざまな見方がある。もちろん、原爆投下国の政治的指導者が71年前のきのこ雲の下に立ったことの歴史的意味を指摘する向きもある。白井はそうではなく、迎える側に「問題の核心」があったという。それは何か。白井の言葉を引用する。
 ――日米両国民の真の和解と核兵器の廃絶という人類的次元の目標に向かうという演説の内容がはらむ極度の厳粛さと、その瞬間を準備した日本側の意図(=選挙対策)の低劣さとの間に口を開けた深淵である。
 原爆の犠牲になった多くの人たち、そして後遺症に苦しむ人たちの悲願は、実はこの時の政権が仕組んだセレモニーによって踏みにじられたのであるが、メディアでそうした視点を提示したものは皆無であった。そして、このような「低劣」な政権を選んだのも我々であり、我々自身が歴史に泥を塗りたくったのだが、そうした指摘はほとんどなかった。
 白井はそのうえで、福島原発事故以降、原発は「潜在的核武装能力の涵養」のためであることが白日の下にさらされ、その結果、「ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ」は空疎な標語となったとする。それは、戦後日本がつくってきた反戦平和ヒューマニズムの空疎さにつながるという。
 ここから白井の分析は、さらに辛辣を極める。
 まず白井は、オバマ広島訪問をもって原爆をめぐる歴史のサイクルはいったん閉じたのだ、という。歴史的に崇高であるべき瞬間はただの茶番に終わった。そうさせたものは戦後日本が放つ腐臭によってであった。そうであるなら、「ヒロシマ・ナガサキ」とは何であったか、一から考え直さなくてはいけないのだ。
 「ヒロシマ・ナガサキ」とカタカナ表記するとき、私たちはそこに世界的な普遍性があると思いこんでいた。言い換えれば、私たちはそこで「世界」を獲得できるという、白井が言う「勝者の心理」の上に立っていた。そして、あまりに多くの犠牲を払ったことに対して、どう折り合いがつけられるかが問われていった。それが被爆者=特別な犠牲者という「癒し」の心理を生み、「唯一の被爆国」という被爆ナショナリズムに結び付いたと白井は指摘する。戦後、「唯一の」は「万邦無比」の響きを持ち、「万邦無比の国体」は核兵器の破壊力によって威光を増したのである。
 こうして、敗戦否認の上に成り立つ戦後日本(の平和思想)に無意識的に依拠してきた「ヒロシマ・ナガサキの平和思想」は、日米の共犯関係を形成し、それは527日にも再演された。
 オバマ広島訪問の後、被爆者団体への調査でも、一般の世論調査でも、「評価」する声が多数を占めた。これはそのまま鵜呑みするのではなく、被爆者思想(これもまた戦後日本によってつくられたもので、アプリオリに存在するものではない)自体が、対米追従(したがって原爆投下国に謝罪を求めることはない)の構造をもっていたことを表している。
 なお、この号では直野章子・九州大准教授が「被爆者という主体性と米国に謝罪を求めないということの間」という文章を寄せているが、大筋において白井と同意見だと思う。彼女は、例えばこういう言い方をしている。
 ――「被爆ナショナリズム」なくして「反原爆と平和」を訴える被爆者という主体性が形作られることはなかった。(略)「核の普遍主義」と「被爆ナショナリズム」を接合する言説実践を通して形成された主体性であるならば、被爆者が米国の原爆投下責任を追及して謝罪を要求することは、言説の構造上、極めて困難であるということになる。

青土社、1300円(税別)。

現代思想 2016年8月号 特集=〈広島〉の思想 -いくつもの戦後-

現代思想 2016年8月号 特集=〈広島〉の思想 -いくつもの戦後-

  • 作者: 姜尚中
  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 2016/07/27
  • メディア: ムック

安倍政治はどこから来たか~濫読日記 [濫読日記]

安倍政治はどこから来たか~濫読日記


「偽りの保守・安倍晋三の正体」(対談 岸井成格・佐高信)

岸井・佐高.jpg 知られたことだが、岸井と佐高は慶応大法学部の同期生である。一方は保守本流を取材してきた毎日新聞の政治記者、一方は反骨・在野の評論家である。この二人が、安倍政権のいびつさと背後にある保守政治の変容ぶりを語った。
 佐高は「はじめに」で、戦後自民党の系譜を「国権派」と「民権派」の二つの流れに分類する。前者は岸信介、福田赳夫、小泉純一郎、安倍晋三、後者は石橋湛山、池田勇人、河野洋平、加藤紘一の流れである。色分けの基準は国ありきか民ありきかで、佐高は当然のこととして民権派に近い考えを示すが、岸井は必ずしもこれに同調していない。最も大きな要因は田中角栄に対する評価であろう。言い換えれば、「ダーティーなハト派」を認めるかどうか。この点について、佐高はこういう言い方をしている。「金で済む話なら、それはまだ見逃せる(略)。思想の統制や戦争への道につながっているわけではない」。これに岸井は「私はうなずかないけれど」と応じている。
 佐高が、とりあえず戦争やファシズムへと導く政治家でない限り、まだ評価できる、とするのに対して岸井は、金権政治そのものはやはり批判すべきだといっている。ただ、岸井もまた、政治家育成塾としての派閥の効用は認めている。
 全体の骨格をみると、冒頭に「安倍政権のメディア支配」を置き、続いて「自民党と創価学会」の関係を分析、さらに外交・安保にみる保守の知恵をこれまでの足取りからたどり、田中角栄論、吉田茂論、派閥の功罪と、オーソドックスと思える展開だ。最後に「安倍独裁」の正体を浮き彫りにする。安倍政権とメディアの構図から議論に入ったのは「NEWS23」のアンカーだった岸井が一部勢力から批判を浴び、降板に至った経緯を念頭に置いたからであろう。
 これらのうち、「自民と創価学会」は佐高の関心の赴くところでもあり、深く突っ込んでいる。まず佐高が、公明を抱き込んだ者が自民を支配するという構図を野中広務、菅義偉を例に挙げて明らかにする。そのうえで宏池会、清和会、経世会という三極構造の中での調整役・経世会の分裂が保守本流の混乱を招いたとする。保利茂、椎名悦三郎に見られた保守本流の絶妙なバランス感覚がなくなったというのである。これに加えて、自社さ政権で村山富市首相退陣を受けて政権を目指さなかった河野洋平、反乱の腰砕けというオウンゴールをした加藤紘一といったリベラル派の「弱さ」もまた大きいという。こうしたことが重なって今日の安倍政権の懐浅く強権的な政治体制が出現したということであろう。
 もちろん、中選挙区から小選挙区へという選挙制度の変化も見逃せない。「派閥の弊害」解消を狙った改革が、制度的に党内一極の独裁体制とポピュリズムの政治風土を呼んだのである。
 岸井が、野中と菅の政治手法の比較論を述べているのがとても面白い。情の野中に対するカネと合理主義の菅という構図である。おそらくこの部分は、かつての保守政治と現在の安倍政治の違いを解明し、安倍政治の根底的批判の糸口になると思われる。


「偽りの保守・安倍晋三の正体」は講談社α新書、800円(税別)。初版第1刷は2016620日。


偽りの保守・安倍晋三の正体 (講談社+α新書)

偽りの保守・安倍晋三の正体 (講談社+α新書)

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/06/20
  • メディア: Kindle版

原子力ムラとメディアの醜悪な構図~濫読日記 [濫読日記]

原子力ムラとメディアの醜悪な構図~濫読日記


「原発プロパガンダ」(本間龍著)

原発プロパガンダ.jpg 2011年3月11日直後のことを、鮮明に覚えている。虚を突かれた思いだった。原発は事故を起こさないと、漠然と無邪気に信じてしまっていた。そこで事故後、まず取ったのは書店で原発関連の書籍を買い求めることだった。1970年代から80年代にかけて、多少は原発について考えていた。しかし、そうした思考は途切れていた。それは私だけのことではなかったようだ。さんざん探したが、「原子力白書」の類いを除けば、原発に関する書籍はほとんどなかった。
 知らぬ間に「原発は事故を起こさない」という根拠のない「常識」が意識の底に埋め込まれていた。その後、洪水のように「原発」をめぐる著作が出て、安全神話が粉々に打ち砕かれたことはいうまでもない。その中で、安全神話はメディアの「意見広告」と、安全性に無批判な報道によって形成されたことが白日の下にさらされた。しかし、こうした事態を招いたメディアの側の「反省」は「原発とメディア」(朝日新聞社、2巻)を除けば見られなかった。「原発と―」で、著者の上丸洋一は「原子力は『満州国』に似ている」と書いている。「満蒙は日本の生命線」という根拠のない前提が一人歩きし、「満州国」というフィクションがメディアによって広められた。同じように原発なくして日本のエネルギーは成り立たないという根拠のない前提のもとに、原発の平和利用というフィクションが、メディアによって広められたのである。
 ただ、手法は戦前と大きく違っていた。タレントをはじめとする有名人を使い、一般記事のような体裁の意見広告が、高額のカネをメディアに支払う形で掲載された。その中で、原発の安全性が臆面もなく語られた。
 「原発プロパガンダ」は、その意見広告の足跡をたどった。驚かされるのは、40年間で普及開発関係費(広告費)2兆4000億円という事実である。年平均でならすと、トヨタやソニーの年500億円を上回る。原子力ムラはこれだけの巨額のカネをつぎ込み、原子力は安全と言いふらし、国民を洗脳した。電力会社はエリアごとの一社独占体制だから、本来は「広告」は必要ない。そうした中でこれだけのムダ金(原資は電力料金である)を費やし、国民を洗脳しフィクションの形成に努めてきた。こうした性格上、いくつかあった原発の危機(たとえばスリーマイル島事故やチェルノブイリ事故)に際しては、直後の「普及開発関係費」は飛躍的にアップした。ここが一般の広告とは違う。自粛ではなく洗脳が優先された。例えば、チェルノブイリ事故はソ連の体制に由来するもので、日本では起こりえない…。
 掲載すれば巨額の収入が保証される「意見広告」は、メディアにとっても捨てがたいものになった。いつしか、不可欠の財源となった。裏を返せば、平時には「賄賂」であり、非常時には、広告の引き上げをちらつかせながら行われる「恫喝」の道具と化す。これは、全国紙よりも地方紙にとって有効な手段とされた。地域へのシェア率が高いこと、財政規模が小さく「賄賂」効果が高いこと…。原発銀座が出現した福島や福井の地方紙に照準が合わされた。その結果、一般記事までもが原発批判を控えるようになる。もちろん、テレビ局も同様だった。
 広島テレビは1992年、プルトニウム利用を追った「プルトニウム元年・ヒロシマから~日本が核大国になる…!?」を制作。「『地方の時代』映像祭大賞」などを受賞した。ところが中国電力と電事連が執拗に抗議、他番組で中電がスポンサーを降りるという事態になると、テレビ局は番組を制作した4人を営業に配置換えする措置を取った。もちろん、原発ムラによる醜悪な工作ぶりを暴いた一部地方紙の頑張りがないではない。しかし、極めて少数だった。原発の40年の全体を通してみれば、カネにつられた人々、カネに屈してプライドを捨てたメディアという吐き気を催すような構図が見える。
 では、福島以後、こうした宣伝工作はなくなったのだろうか。さすがに「安全」「クリーン」は姿を消したものの、「ベースロード電源」「経済的に割安」「ベストミックスを」という三本柱によるプロパガンダは復活しつつある。懲りない原子力ムラの面々である。
 岩波新書、820円。初版第1刷は2016年4月20日。著者は1962年生まれ。博報堂で18年間、営業を担当。

原発プロパガンダ (岩波新書)

原発プロパガンダ (岩波新書)

  • 作者: 本間 龍
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2016/04/21
  • メディア: 新書


対米追従をどう転換させるか~濫読日記 [濫読日記]

対米追従をどう転換させるか~濫読日記


「戦後政治を終わらせる 永続敗戦のその先へ」(白井聡著)

戦後政治を終わらせる.jpg 緊張感なき参院選は与党の大勝に終わった。しかし、自民党にとって見れば、単純に喜べない不気味な予兆が裏側に潜む。この国の矛盾がマグマのようにたまった沖縄と福島(すなわち政治的辺境の地)では、ともに現職閣僚が落選し、TPPへの怒りが渦巻く東北では、秋田を除いていずれも野党が一人区を制した。
 原発、基地、TPP。この政策的矛盾はどこから来るか。キーワードは米国に対する盲目的服従である。表面的には平穏に見える日本の政治状況は、対米追随に対する怒りのマグマを抱え込んでいる。この政治は転換可能なのか。
 この問いの答えを示唆するのが、この一冊である。
 白井は「永続敗戦論」で戦後日本の政治状況を総括し「敗戦の否認」と「対米追従」という二律背反的なテーゼをひき出した。そこから見える日本の基本的な構図は、冷戦下の軽武装と経済優先主義による経済大国への邁進であった。そのことを可能にしたのは、日米安保体制である。
 しかし、冷戦は25年も前に終わった。
 にもかかわらず、日米安保体制を基軸にした対米追従路線はいまだに続く。なぜか。どうすれば、そこから抜け出せるのか。
 白井はまず、あの戦争が一億総ざんげ=一億総被害者として語られることで、加害と被害の両面を見るという作業がおろそかにされ、結果として加害と被害の問題は一部の知識人を例外として歴史意識の中に定着することはなかったとした。日本は「経済大国」へ突き進み、逆にいえば経済大国としての成功が「敗戦の否認」という歴史意識を可能にしたという。こうして日本は、アジア諸国に対しては「敗戦」の事実を曖昧化し、米国に対しては「敗戦」を無制限に認めることで対米従属を強めた。
 そのうえで白井は対米従属の構造は三時代に区分できるという。すなわち、占領期から60年安保ごろまでの「確立の時代」、冷戦終結までの「安定の時代」、そして冷戦後の「自己目的化の時代」。第一、第二の時代には、対米従属は少なくとも「手段」であったが、いまや「目的」と化すという「摩訶不思議」なことが起きているという。
 では、対米従属からどのように脱却するのか。著者は経済的側面と軍事的側面の二つを挙げる。経済から見た最近の米国の理不尽な対日要求の最たるものはTPPであろう。著者は触れてはいないが、日米原子力協定もこのカテゴリーに入るのではないか。
 軍事的側面とはもちろん、日米安保協定であり基地の存在である。ここで対米従属を変えるには、日米安保体制を変えるしかない。大国・米国の凋落が明らかな今、これは当然検討されるべきことだが、現下の日本でそれが語られているとは思えない。しかし、これは不可避の課題であろう。では、対米従属ではない安保体制とはいかなるものか。
 60年安保では、日本への防衛義務(かなり曖昧な形ではあるが)を加える代わりに極東条項が付加された。しかし、今その対象(=仮想敵)となるソ連は存在しない。では、米軍は何のために日本に駐留するのか。ここから、日米安保の転換点は見えてくる。白井はここで、かつて鳩山由紀夫や小沢一郎が唱えた有事駐留論を「的確」と評価する。
 いずれにしても、日本の今後を考えるうえでこのポイントは外せない。しかし、白井が言う通り「あれほど無責任な戦争をやっておいて、何の総括もしていない指導層に系譜的に連なる支配者が安全保障について語ったところで、まったくリアリティーが欠けている」のも事実である。その結果、国民には、安保問題に対する忌避反応が本能的にしみついている。だとすれば、戦争の総括からきちんと始めなければならない。安倍首相の言う「戦後レジーム」ではなく、まっとうな意味での「戦後レジーム」から脱するために。


NHK出版新書、820円(税別)。初版第1刷は2016410日。著者は1977年、東京生まれ。社会思想、政治学。京都精華大人文学部専任教員。著書に「永続敗戦論―戦後日本の核心」など。


戦後政治を終わらせる―永続敗戦の、その先へ (NHK出版新書 485)

戦後政治を終わらせる―永続敗戦の、その先へ (NHK出版新書 485)

  • 作者: 白井 聡
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2016/04/11
  • メディア: 新書

「核」が招いた人権侵害の戦後史~濫読日記 [濫読日記]

「核」が招いた人権侵害の戦後史~濫読日記


「核の戦後史」(木村朗+高橋博子著)

6-29-2016_001.JPG 5月27日、オバマ米大統領が広島を訪れて17分間の「所感」を発表した。「71年前、空から死が降ってきて世界は一変した」と語り始め、メディアはこぞって絶賛した。オバマスピーチはそれほどのものだったのだろうか。その疑問は後日、このブログで触れるとして、この機会に核を基軸とした日米の戦後史に思いをはせることは意義あることであろう。
 そのための一冊として推奨するのが、この「核の戦後史」である。全体は2部に分かれ、第1部は木村朗・鹿児島大教授、第2部は高橋博子・明治学院大国際平和研研究員が受け持つ。第1部は原爆投下から終戦に至る経緯、第2部は戦後の日米「核体制」ともいうべきものの形成過程を記述した。Q&Aの形をとり、極めて理解しやすい。同時に、これまであやふやなまま歴史的事実として語られてきたさまざまな言説を批判、修正を加えている。
 米国では今なお、原爆投下によって日米数百万の人命が救われたとする「原爆投下正当化論」が半数を超すという。木村教授はこれに対して丹念に事実を積み重ね、嘘を暴き出す。原爆投下はまず、人類史上最強の兵器が開発されたことに対して「人体実験」の欲望が根底にあったこと、戦後の米ソ2強体制をにらみ、ヘゲモニー確立を狙ったことなどがあげられる。そのうえで、日本に降伏を迫るポツダム宣言は、正式な外交チャンネルでなく短波放送で伝達されたこと、文書にソ連の署名がなかったこと、天皇制容認条項が削除されたことなどを挙げ、日本の降伏先延ばしのための政治的思惑が働いていたことを明かしている。
 それはなぜか。もちろん、原爆投下の可能性を引き出すためである。日本の降伏のために原爆を使うのであれば事前警告もあり得たし、威嚇のための核実験もあったはずである。しかし、そうした配慮はないまま原爆は投下された。ポツダム宣言が出る1日前(7月25日)に出された原爆投下命令書(この事実からも、降伏を促すための原爆投下ではなかったことが分かる)によると、作戦は日本が降伏するまで続けられる予定で、すでに3発目を東京に落とす準備が進められていたという。
 米国の行為は「戦争を終わらせるため」などという美名のもとで語られてはならない。
 福島原発事故では広島、長崎の経験がほとんど役に立たないことが明らかになった。特に、放射線の内部被曝については、その研究の集積がほとんどないことが分かっている。なぜこんなことになったか。第2部はこうした戦後史の裏面に光を当てた。
 米国は原爆投下の直後から、放射能の人体への影響を認めてこなかった。米国紙記者バーチェットが投下後も被爆者が死んでいく実態を伝えたが、即座にGHQから取材禁止命令が出された。なぜか。不要な苦痛を与える兵器と定義されれば、生物化学兵器と同様、戦争で使えなくなるからである。こうして被爆者の惨禍は闇に葬られ、日本政府も正面から抗議することをしてこなかった。ビキニ環礁の水爆実験で起きた第五福竜丸事件(1954年)でも、このことは変わることはなかった。
 こうして日本人は3度の放射線「被曝」をしながらその体験を科学的に生かすことができなかった。その事実が逆に核兵器と原発が戦略的に同根のものであることを浮かび上がらせた。歴史の皮肉であろう。「戦後再発見双書」シリーズの一冊。

 創元社刊、1500円(税別)。初版第1刷は2016年3月10日。


核の戦後史:Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実 (「戦後再発見」双書4)

核の戦後史:Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実 (「戦後再発見」双書4)

  • 作者: 木村 朗
  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 2016/03/03
  • メディア: 単行本