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全米を覆う「私は惨め、それで何が悪い」 [濫読日記]

全米を覆う「私は惨め、それで何が悪い」

 「ルポ トランプ王国―もう一つのアメリカを行く」(金成隆一著)

トランプ王国.jpg 今朝(228日)の新聞で、トランプ米大統領がアカデミー賞授賞式でさんざん皮肉られたことが伝えられた。メディアの選別、移民の排斥をはじめ、多様性を認めない姿勢への批判である。アメリカは英国から独立する際、自由と可能性の国を旗印にしてきた。その国で、どうしてこんな政権が生まれたか。
 もちろん、これはトランプ個人の資質によるというより、アメリカが置かれた窮状がもたらした結果であろう。では、アメリカが置かれた状況とは何か。それを探ったのがこの書である。
 あるトランプ支持者が書いたアメリカの地図が出てくる。粗雑な地図だが、言おうとすることはわかる。アメリカの中央部、かなり広い範囲がぐしゃぐしゃと塗られている。著者によると、赤(=共和党の色)で塗られている。東と西の海岸部は別のトーンになっている。おそらくそこは青(=民主党)で塗られている。地図の書き手は、こういう。
 ――大陸の真ん中が真のアメリカだ。鉄を作り、食糧を育て、石炭や天然ガスを掘る。(略)もはやオレたちはかつてのようなミドルクラスではなくなり、貧困に転落する寸前だ。今回は、真ん中の勝利だ。
 トランプ政権を生み出した心情が、この言葉に集約されている。
 著者はまず、2016年と2012年の大統領選結果を見比べる。前回、共和党が負けて今回勝った州が六つ。そのうち、フロリダを除く5州には共通項がある。ラストベルト(錆びついた工業地帯)であることだ。労働者が多く、元々民主党が強かった地域。ここがトランプ支持に変わった。労働者が民主党ではなく、共和党のトランプ支持に回ったということである。
 著者はこの地域に、大統領選の1年前、201512月から通ったという。首都ワシントン、あるいはニューヨークやロサンゼルスなど沿岸都市では本当のアメリカは見えない、という思いからである。そこで見聞きしたものを、ルポにまとめた。
 まず見えてくるのは、グローバリズムに打ちのめされたミドルクラスの姿である。収入は下がり、職を求めて若者が出ていくのが当たり前になった田舎町。そんな中で、中年白人の死亡率が上がっているとういう論文がメディアで紹介された。背景にあるのは自殺や薬物乱用。借金をしながら大学を出て、フェンス工場で働くロニー(38)は、「dead-end job」(成長の見込みのない仕事)だとつぶやく。そして、「トランプにやらせてみたい。何ができるか。この地域には変化が必要だから」という。
 ある逸話が、記憶に残る。
 クリントンが演説で、トランプ支持者の半数は人種差別や男女差別主義者など「deplorable」な人たちと呼んだ。嘆かわしい、惨めなという意味のようだ。弁護士、大統領夫人、上院議員、国務長官と人もうらやむキャリアを重ね、長年、中央政界にいて高額の講演料をもらうクリントンには言われたくない。そんな憤りに、この言葉は火をつけた。しかも、マンハッタンでの資金集めパーティーで出た言葉だから、なおさらだ。トランプ支持者たちは「私はみじめ」と書いたTシャツを着て、こんなクリントンは支持したくない、という。
 「私は惨め」という思いはリベラル嫌いにも通じ、アメリカン・ドリームは死んだという思いにもつながっていく。事実、1980年代生まれで、階層間での上昇率(親よりも所得が増えた層の率)は、ラストベルトで低いというデータがあるという。
 こうした閉塞的な状況の中でトランプが掲げた標的は二つ。一つは自由貿易、もう一つは移民。これがミドルクラスから脱落しかかった多くの人々の心情に響いた。独自の資金力を持つトランプが言えば、しがらみがないからやってくれると思った。
 しかし、著者も触れているように、多様性の尊重や言論の自由、機会均等といったアメリカの原点を認めない権力者の手でアメリカはどこへ行くか。事実を軽視し偏見と差別を振りまく権力者は、どう見てもアメリカには似合わない。懸念は広がるばかりである。
    ◇
 グローバリズムの発信源は、元々アメリカである。国境の内側に収まらない規模に発達した企業が未知の領域を求めて世界を傘下に収めていった、それがグローバリズムの歴史だった。その最も醜悪な形である「惨事便乗型資本主義」の理論を唱えたフリードマンの信奉者には米英ロ中の指導者、IMF、FRBのトップまで連なる(ナオミ・クライン著「ショック・ドクトリン」)。多国籍企業によって途上国民とアメリカの中間層が天秤にかけられた結果、グローバリズムの波は皮肉にも、アメリカ経済の根幹ともいえる部分をいまや崩壊させているのだ。著者は朝日新聞ニューヨーク特派員。(岩波新書、860円)


ルポ トランプ王国――もう一つのアメリカを行く (岩波新書)

ルポ トランプ王国――もう一つのアメリカを行く (岩波新書)

  • 作者: 金成 隆一
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/02/04
  • メディア: 新書


豊饒とも思える日常の深淵~濫読日記 [濫読日記]

豊饒とも思える日常の深淵~濫読日記

 「セカンドハンドの時代『赤い国』を生きた人々」(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著)

セカンドハンド.jpg ソ連は1917年の革命で誕生し、1991年に崩壊した。よくも悪しくも、20世紀の壮大な実験であった。この「赤い時代」に生きた人々の肉声を拾い集め、一つの「帝国」の相貌を浮き上がらせたのが、この書である。
 「セカンドハンド」とは「お下がり」の意味である。誰かが使い古した思想や社会システムを後生大事に守ってきた。そんな国家に付き合った(付き合わされた?)人々に20年間インタビューを重ね、出来上がった書は600㌻にもなった。
 著者のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチはこれまで、「原発」や「戦争」をテーマにいくつかの著書を出し、2015年にノーベル文学賞を受賞した。ウクライナに生まれ、ベラルーシで育った彼女は「私には三つの家がある」と語る。三つ目の家とは、もちろん「ロシア」である。そうした彼女が「ユートピアの声」シリーズの完結編として、「ソ連崩壊」をテーマに選んだのは、それほど不思議ではないだろう。
 「チェルノブイリの祈り」にしても「戦争は女の顔をしていない」にしても、彼女の書の構成には特徴がある。決して特別でない普通の人たちが語った言葉を、具象のままに我々に提示する。体系づけたり、意味づけたりすることは極力避けられている。だから、全体を通して抽出されるイメージはない。いずれも、時代の転換とともに露出した岩盤、地層のようなものが、ごろりと目前に転がっている。「セカンドハンドの時代」も例外ではない。
 こうした「聞き書き」へのこだわりを、作者はこう語る。
 「わたしをいつも悩ませていたのは、真実はひとつの心、ひとつの頭のなかにおさまらないということ。真実はなにか細かく砕かれていて、たくさんあり、世界にちらばっている。それをどうやって集めればいいかということ」(訳者あとがきから) そして尋常ならざる営為によって集められた「真実」のかけらは、読む者にとって廃墟を訪れた思いを抱かせる。そこで作者はこういう。「廃墟のうえで永遠に生きたい人などいない。これらの破片でなにかを建設したいのです」(同)
 そんなわけで、ここに集められた声の主は一見、弱者であり敗者であるかのようだ。しかし、そうだろうか。ある朝、窓の外には戦車。ゴルバチョフに抵抗する国家非常事態員会がクーデタを起こし、エリツィンが通称「ホワイトハウス」に立てこもる。そして民はこういう。
 ――おい、みんな、思想がどうしたって?人生は短いんだ。さあ、飲もうじゃないか!
 あるいは、こんな証言。
 ――あなたも教わったでしょ、覚えていらっしゃる? 秘密の話をしなくちゃならないときには、2、3㍍電話機からはなれる、受話器から。
 ――わたしたちは信じていました、いまそこに…わたしたちを民主主義にのせてってくれるバスが外にもう止まってるって。(略)そんなものはなかったのです。
 ――共産主義って禁酒法のようなものよ。アイデアはすばらしいんだけど、機能していない。
 ――でも、ほんとうに、こんなことを書いても大丈夫なんですか?(略)こんなことを話しても…。こんなことがあったあとで、どうやってしあわせな人間になればいいのかしら。
 途方に暮れていても、したたかな民の声である。
 本当は、こんなふうに一行を抽出することさえためらわれる。全体をそのまま全体として受け止めるしかないのである。ドストエフスキーのような、豊饒とも思える日常の深淵。まぎれもなくここには文学の淵源がある。(岩波書店、2700円=税別)


セカンドハンドの時代――「赤い国」を生きた人びと

セカンドハンドの時代――「赤い国」を生きた人びと

  • 作者: スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2016/09/30
  • メディア: 単行本

 


戦後第2世代に期待する~濫読日記 [濫読日記]

戦後第2世代に期待する~濫読日記


「『戦後』はいかに語られるか」(成田龍一著) 

「戦後」はいかに語られるかmono.JPG 成田には、「戦後」を分析した著書として「『戦争体験』の戦後史」がある。刊行は2010年。しかし、直後に「戦後」を語るうえで欠かせない出来事が起きた。東日本大震災と福島原発事故、いわゆる「3.11」である。「3.11」は日本の戦後史の解釈を変える、決定的な何かを(成田の用語によれば)「またぎこして」しまった。それゆえにこの出来事は日本人にある種の「不安な予感」をもたらし、それが安倍晋三政権の実現に結び付いたといえる。そこで安倍政権は「戦後」の見直しに取り組んだ(いわゆる「戦後レジームからの脱却」)が、それは「戦後」を歴史的にきちんと位置付けたうえで「ポスト戦後」へ向かうという手順ではなく、「戦後」の無化と否定であった。そこで、戦後を文脈化し歴史化する作業が必要ではないか、というのが、成田のモチベーションであったようだ。
 そのうえで、前著と比べた場合、大きな違いは、戦争体験者を祖父母に持つ、いわゆる戦後第2世代の台頭に言及している点である。ちなみにいえば、戦争体験をめぐっては、①戦前世代②戦中世代③少国民世代④戦後第1世代⑤戦後第2世代―という世代区分がなされている。戦争体験者は1930年代まで、戦後第1、第2世代の分かれ目は1970年ごろである。つまり、このところ、1970年ごろ以降に生まれた世代が、その前の世代とは違った発想や思想でモノを言い始めたことに、成田は注目している 例えばそれは、映画では「野火」をリメークした塚本晋也であり、政治学者では「永続敗戦論」の白井聡である。あるいは「誰も戦争を教えてくれなかった」の社会学者、古市憲寿も入るだろう。「東京プリズン」の赤坂真理は、1960年代の生まれだが、いわゆる戦後思想の枠組みから自由であるという点において、このグループにいれていいかもしれない。
 あえて彼ら、彼女らの共通点を探せば、必要に迫られたかどうかは別にして、戦争を学びなおそうとする体験を持ったことである。そのうえで、自由なアプローチを重ねながらあるときは違和感、矛盾を感じ、共感もする。そこが、「悔恨共同体」の呪縛の中で戦後思想=平和思想とアプリオリに設定してきた戦前、戦中、少国民、戦後第1世代とは決定的に違っている。
 こうした思想の地平を見ながら、では「戦後(思想)」を保守すれば「平和」は保てるのか、という問いを立てなければならない。確かに、戦後思想にはぶ厚い地層が秘められている。だが、成田も指摘するように、オバマ大統領の広島訪問は「アメリカの原爆投下に対し、『謝罪』を要求すらしない日本政府とメディアの姿勢によって、日米同盟という名のもとの従属関係を明らかにしたこと」であり、「『歴史』が〈いま〉を浮かび上がらせた一瞬」でもあった。言い換えれば「戦争」「原爆」を「歴史認識」として思想的に位置づけられない〈戦後〉が明るみに出た瞬間であった。もはや「戦後」は行きつくところまで行きついた。戦後第1世代としては、成田が引く「未来の他者との対話」(大澤正幸)を、「悔恨共同体」に縛られない戦後第2世代以降の人たちが重ねてくれることを祈らねばならない。(河出書房新社、1400円=税別)

「戦後」はいかに語られるか (河出ブックス)

「戦後」はいかに語られるか (河出ブックス)

  • 作者: 成田 龍一
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2016/10/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


描かれたのはスペインそのもの~濫読日記 [濫読日記]

描かれたのはスペインそのもの~濫読日記


「さもなくば喪服を 闘牛士エル・コルドベスの肖像」
 
さもなくば喪服を.jpg その日は雨だった。砂の足元は滑りやすい。下手をすれば死人が出る。興行主は中止すべきかどうか、迷った。だが、男は平然と出ていった。闘牛場の中央へ。
 1964年5月20日。28歳でスペイン闘牛界の頂点に立つ男、エル・コルドベス(コルドバの男)ことマヌエル・ベニテスは、左目が見えずインプルシボ(癇癪もち)と呼ばれる牡牛と壮絶な死闘を繰り広げた。テレビ中継され、国民は熱狂した。スペインの社会活動は停止状態に陥ったといわれる。そして、エル・コルドベスを中心にしたこのころのスペイン闘牛界は「狂った1960年代」と呼ばれた。
 スペイン内戦が始まった1936年、アンダルシアの寒村で生まれた男はなぜ、闘牛士をめざしたのか。街頭での素人闘牛にのめりこんだ少年時代。勇気と野心だけでフランコ体制下のスペインをのし上がった男の内面とともに、スペインそのものを描き切ったノンフィクションである。関係者の証言を重ねる中で生まれる緊迫感。奇跡の書といってもいい。
 「泣かないでおくれ。今夜は家を買ってあげるよ。さもなくば喪服をね」。初めて闘牛場に立つ日、飢餓に苦しむ若者は、こう姉に告げた。この言葉がタイトルになっている。著者のラリー・コリンズ、ドミニク・ラピエールは「パリは燃えているか」のコンビでもある。

 (早川書房、2005年、2600円=税別)


さもなくば喪服を (ハヤカワ・ノンフィクション・マスターピース)

さもなくば喪服を (ハヤカワ・ノンフィクション・マスターピース)

  • 作者: ドミニク・ラピエール
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2005/06/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

「虚妄の戦後思想」の元凶は~濫読日記 [濫読日記]

「虚妄の戦後思想」の元凶は~濫読日記


「丸山眞男の敗北」(伊東祐吏著) 

丸山真男の敗北mono.jpg 著者の伊東祐吏は1974年生まれ。1960年代後半から70年にかけて全国の大学で闘争のあらしが吹き荒れ、丸山眞男が虚妄の戦後民主主義の代表的存在として批判された時代の後に生を受けた世代である。彼らが丸山をどう見たか。
 それはそのまま、70年代以降の若い世代が、丸山を通して「戦後」という時代をどう位置付けるかにつながる。そのあたりの思考の回路を、伊東は「はじめに」で示している。この中で、戦争体験や記憶が消滅する瀬戸際にある今、先人の足跡をたどりながら「戦後」を再点検(=再定義)することの重要性を唱える。その意味では、丸山は「戦後」をみるための「窓」であったといっていい。
 構成はほぼ時代に沿っておりオーソドックスである。福沢諭吉と明治を論じた丸山に、絶対的体系より時代によって立ち位置を自在に変えることを優先した「相対の哲学」を、戦中の「近代の超克」をめぐる思想に一種の転向をみている。この「近代の超克」をめぐる考察については少し込み入っている。まず荻生徂徠をめぐる丸山の思考体系に「『近代の超克』への共感」と「『近代的思惟の不十分さ』の指摘」をみる。そして戦時中、微妙ではあるが前者から後者への転換(=転向)をみるのである。丸山については戦後民主主義者のイメージが強いことから、近世思想史研究の成果については当時の国家主義的な風潮に抗ったものとする見方が強いが、1990年代のポストモダン派の論などを踏まえてそれらの見方に一定の批判を加える。丸山は、従前から言われたより国家総動員体制との親和性(=「近代の超克」への共感)が強かったのではないかとの評価である。この部分は、丸山の戦後思想を批判する上で、戦争への当事者意識の希薄さ(あるいは隠ぺい)という視点につながっていく。
 この後、丸山の戦争・被爆体験を紹介したのち、戦後と丸山のかかわりについて、時代を4区分して論じる。第1期は敗戦から1950年まで。いわゆる占領の時代である。第2期は50年から60年まで。これを「逆コースの時代」と呼んでいる。第3期は5560年。これを「経済成長のはじまり」ととらえる。以降は「思想史家としての格闘」と章を立てている。最終章はまとめとして「丸山眞男の敗北」である。各章をそれぞれ追うことはここでは無理だが、最後の「丸山眞男の敗北」についてふれる。
 戦争を体験する中で国民は多くの「死」を身のまわりで体験した。陸軍二等兵として応召し、広島で被爆した丸山も例外ではない。学問分野でも、思想弾圧というかたちで多くの死を見ている。丸山はそうした敗戦直後の知識人の連帯感を「悔恨共同体」と呼んだ。民主主義の実現は死者の弔いであるという焼け跡民主主義、飢餓デモクラシーが戦後社会の原点であったというのは丸山も同じであっただろう。しかし、こうした丸山や戦後民主主義思想に「それゆえの難点」があったと著者は言う。弔い合戦の成果としての「戦後民主主義」であるなら、それは変更を許さない(変更は死者への裏切りになる)とすれば、そのあるべき姿は奉るだけの対象になり、次世代が引き継ぐことができなくなる、と著者は言う。そのうえでエマニュエル・レヴィナスについての内田樹の分析をあげ、①自分の正しさを疑うこと②「死者のために」という発想をやめること(死者を死なしめること)③自分の罪深さを認めること―などをあげる。さらに「『死者に代わる』という不遜をだれが許したのか」「死者と生者を和解させるものはなにひとつないという事実を、ことさらに私たちは忘れ去っているのではないか」という詩人・石原吉郎の問いかけを紹介。これらをそのまま丸山への批判とする。こうして丸山は「死者の呪縛」の中で戦後民主主義を独占し、死者との思い出の中で戦後民主主義の多くの欠陥を見逃した、と言う。これこそが戦後民主主義の虚妄を生んだ元凶と著者は指摘する。
 では、「戦後民主主義の虚妄」とは具体的に何を指すのか。ここで著者は戦後日本を振り返り、二つのことをあげる。一つは、米国の存在を意識から除外してきたこと。これは2段階あり、まず「意識的に見ない」、その次に「忘れる」。もう一つは、民主主義的理想を追うよりもいい暮らしや豊かさを求めたこと。これは吉本隆明の「戦後民主主義=擬制」批判につながる。同時にそれは民主主義者、思想家としての丸山の敗北であり、戦後民主主義の敗北でもあると著者は言う。そしてこれこそが、「戦後日本に、どこかウソくさい言語空間に閉じ込められたような息苦しさ」の元凶なのである。 言い換えれば、戦後日本は「いい暮らし」のために理念やプライドを捨ててきた、しかし、捨ててきたことが敗北なのではなく、「捨ててきた」ことを認めないことこそ戦後日本の敗北であるという。そして、私たち(=伊東の世代)が「戦後」を手中に収めるためには、丸山眞男の「敗北」を知らなければならないとした。
 「戦後」もしくは「戦後思想」が「焼け跡=死者との約束」から出発したことは確かである。しかし特に1960年の安保闘争以降、吉本が「擬制」と批判したように戦後思想は何か嘘くさく、したがって「平和」も何か空虚で意味を持たない概念のような響きを持ってきたことも事実である。しかし、「戦後思想」も「平和論」も何らかのかたちで後世へ引き継がれなければならない。それはどのような態様になるのか。山本昭宏「教養としての戦後〈平和論〉」とこの「丸山眞男の敗北」が、それぞれに戦後を通観する中で手がかりを示している。
(「丸山眞男の敗北」は講談社、1700円=税別)

丸山眞男の敗北 (講談社選書メチエ)

丸山眞男の敗北 (講談社選書メチエ)

  • 作者: 伊東 祐吏
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/08/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


現代の平和論を組み立てる手がかりに~濫読日記 [濫読日記]

現代の平和論を組み立てる

手がかりに~濫読日記

「教養としての戦後〈平和論〉」(山本昭宏著)

戦後〈平和論〉.jpg
  まず、タイトルについての考察。「教養としての」という言葉が冒頭につく。著者自身の考えはこうだ、というものではなく一歩引いた形で、しかもできるだけウィングを広げてテーマについてまとめた、ということであろう。そして、平和論に〈 〉がつけられている。これは「〈平和〉論」ではなく、「〈平和論〉」であるという意味合いと理解する。言い換えれば、〈平和〉という概念そのものの変化ではなく〈平和〉についての〈論〉の変化を追った書であると理解できる。
 著者は1984年生まれ。2012年に20代の若さで「核エネルギー言説の戦後史19451960」を著した。福島原発事故直後でもあり、「原爆」と「原発」をつなぐ書として注目された。手法としては、これに連なるともいえる。テーマを「核」から「平和」に置き換え(あるいは拡大し)、時間的スパンも「戦後」全体に伸ばした、それがこの書であろう。
 著者も書くように、いま「平和」という言葉を口にするとき、どこか「気恥ずかしさ」を感じる。同時に、「平和」という言葉が一種の空洞(もしくは空疎な何か)を抱えていることを実感する。これは何か、なぜそうなったかを追った書である。といっても、「それはこうしてこうなったからだ」と書いているわけではない。一歩引き下がり、読者に考える手がかりを与える、そういう位置づけの本である。最初に言ったように、それが「教養としての」とタイトル冒頭に振った所以であろう。
 著者はまず、「平和」の内実に迫る道筋として「理念としての憲法」「戦争の記憶」「生活保守主義」を念頭に置きつつ①敗戦~1960年②196070年③70年初頭~80年代終わりまで④80年代の終わりから現在―と時代を4区分する。前者が横糸、後者が縦糸といってもいい。この構造をさらにくくって言えば、米ソ冷戦が影を落とした時代は日米安保と非武装中立という対立軸があり、自社さ政権が成立した1990年代に「総保守化」時代があり、それが安倍政権による「平和」の書き換え(=構造変革)の中で安倍対反安倍(リベラル)という新しい対立軸が生まれつつある、ということになろう。それは「平和」の構造変化であるとともに、「戦争」の構造変化でもある。つまり、平和をめぐる意識の中で「生活保守」の色彩が濃くなり、貧困もまた現代の「戦争」の一つではないかという指摘である。もちろん背景には、かつての「戦争」(アジア太平洋戦争)の体験者が減り、国民的記憶が薄れてきたことがある。
 こうしたことを踏まえ、いくつか印象に残った点を挙げよう。
 ①広島・長崎の反核「平和」運動が、日米の国家原理の追認に他ならないのではないかという小田実の指摘。広島・長崎は、米国の投下責任を明確に問うことでしか「人は人を殺してはならない」とういう普遍原理を見につけることはできない、という議論。これは今も有効性を持つと思う。
 ②野口武彦が、ある種の「文学的直観」をもって指摘した「観光地平和公園(注:長崎の)の端麗なパノラマ」をみて「われわれが享楽しているこの『平和』は、どこかに或るゆるしがたい欺瞞をふくんでいる」とした文章。広島・長崎が「観光地」として消費されていくスピードは近年ますます加速しているようにみえる。
 ③「厭戦」から「泣ける作品」へ~「火垂るの墓」をめぐる時代的変遷。野坂昭如は「火垂るの墓」(1967年)で、戦時下の兄妹の「無意味な死」を描いた。それは小田実の「難死の思想」にも通じる。戦争で死ぬことは美しいことでも崇高なことでもない。だから野坂は、意思に支えられた「反戦」より弱者の利己的な「厭戦」こそが、戦争を回避するためのエネルギーになると思ったはずだ。ところが、ジブリによるアニメ「火垂るの墓」(1988年)は、快・不快を行動の基準にする若者像をベースに物語をつくりかえた。ここでは、戦禍による「難死」ではなく兄妹の哀しく哀れな物語に仕立てられている。だからこそ、観た若者たちは「泣ける」映画だと受け止めた(2005年に30代、40代を対象にアンケートしたところ、「泣ける映画」の女性1位、男性2位が「火垂るの墓」だった)。
 こうした〈平和論〉の変遷を踏まえ、私たちはどのような〈平和論〉を組み立てていけばいいのか。少なくとも、日米安保と自衛隊(国防軍)が日本の平和を守るという一元的発想でいいのか。それを考える手がかりになるだろう。


 「教養としての戦後〈平和論〉」はイーストプレス、1500円(税別)。著者は神戸外大准教授。日本近現代文化史、歴史社会学。

教養としての戦後<平和論>

教養としての戦後<平和論>

  • 作者: 山本昭宏
  • 出版社/メーカー: イースト・プレス
  • 発売日: 2016/08/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 


60年代の意味を再考する [濫読日記]

60年代の意味を再考する


「唐牛伝 敗者の戦後漂流」(佐野眞一著)
「私の1960年代」(山本義隆著)


唐牛伝.jpg 60年安保から東京五輪を経て、日本は高度経済成長期に入る。敗戦から15年、なお戦争体験とナショナリズムを色濃くにじませて闘われた戦後最大の市民運動の指導者たちの多くは社会に回帰し、経済成長の時代を担った。しかし、そこに入り込めない、あるいは入ることを拒んだ人たちがいた。

 北海道大にいた唐牛健太郎は、陳腐な表現だろうが、すい星のごとく全学連委員長となった。60年安保の年、4月26日の国会前デモで警察車両に乗り一世一代のアジ演説をした後、装甲車の向こう側に飛び降り逮捕、半年間勾留された。この時の様子を、佐野は当時週刊読売の記者だった長部日出雄の文章を引用して描く。

 ――装甲車を乗りこえた学生たちは、もし全学連の委員長が東大1960年代.jpgや京大の出身で、北海道大学からやってきた無名で白面の見るからに新鮮な若者でなかったとしたら、果たしてあそこまで燃え上がっていただろうか。六〇年安保闘争が空前の盛り上がりを示した理由のひとつには、その核心にBクラスの反乱が隠されていたからではないだろうか。

 しかし、「安保闘争に火をつけた」といわれる唐牛の「ダイブ」は犠牲も大きかった。全学連をリードしたブント幹部の多くが逮捕・勾留され、唐牛も樺美智子の死を巣鴨の拘置所で知る。

 唐牛は、そのヒーロー性から「いつも明朗闊達で明るかった」と語られることが多い。佐野はここに疑問を挟み「ワンパターンで陳腐な人物評価」を崩すべく生地の函館に飛ぶ。断っておけば、取り上げた人物のかなりの側面を出生に探るというのは、例えば「てっぺん野郎」で石原慎太郎の出身地・愛媛県八幡浜に赴いたように、佐野の常套的な手法である。

 函館の取材で佐野は、海産物商を営む男と芸者の間に生まれた庶子という、唐牛の横顔の一つを浮き彫りにする。筆者(真崎)自身は、こうした手法と、あまりにその側面を色濃く投影させる筆致に抵抗を感じるが、そのことは紙幅の都合もあるのでこれ以上は触れない。

 唐牛は安保後、「太平洋ひとりぼっち」の堀江謙一とヨットスクールを始めたり、新橋駅前で居酒屋「石狩」を始めたりするが、長続きしない。与論島に住んだり、北海のトド撃ちの名人に弟子入りしたりもするが、定着はおぼつかない。佐野が丹念に追った足跡をみると、明らかに唐牛は、「安保」後の社会で何者かになることを拒否している。44歳でコンピュータのセールスマンになったこともあった。当時、数千万円もする商品を売ることが唐牛にできたのか。彼はトップセールスだったと同僚は証言する。

 唐牛を全学連委員長にしたといわれるブント書記長の島成郎は回想録の中で「唐牛を拗ねた野良犬風にとらえる見方もあるが、それは全く違う。(略)唐牛はすぐれた生活者だった」と述べる。何者にでもなれたはずなのに、何者にもならなかった男。何に「義理」を果たそうとしたのか。「無頼」を演じる男の背後を追って佐野は、「日本の喫水線ぎりぎりを航海した」男という評価を残した。現時点では、これが唐牛に最もふさわしい言葉と思える。

    ◇

 60年4月26日、初めてデモに参加したという男がいた。山本義隆である。彼は、機動隊の装甲車と対峙する「先進的学生」を遠巻きに見るひとりだったが、その後、東大闘争の中で研究とは、学問とは、大学とは何かを問う。その結果、「科学の体制化」という問題意識に到達する。アプリオリに「善」とされてきた科学の進歩は、実は日本の近代化の歴史の中ですっぽりと体制に飲み込まれていった結果ではなかったか、という批判的視点である。

 「60年代」という視座でいえば、60年安保で日本が選択した進路の上に大学の秩序再編や研究の体制内組み込みが行われ、東大大学院生として物理学を研究していた山本らが、そのことと自覚的に闘った結果が東大闘争であった。

 山本は、「回顧談のようなものを公にする気にはなかなかなれなかった」と書く。死んだ子の歳を数えるようなことにしたくなかったのだろう。したがって、この書では大学で獲得した多くの問題意識のその後の深化の過程に多くが裂かれている。その成果は「磁力と重力の発見」(みすず書房、2003年)などに結実している。とりわけ、原発開発に見られる産官学一体化とその末路を見るとき、山本の先見性を実感する。

 肌合いの違う二人であるが唐牛健太郎、山本義隆と通してみれば、今という時代の源流としての60年代の意味が極めて重く実感される。

(「唐牛伝」は小学館、1500円、「私の1960年代」は金曜日刊、2100円)

唐牛伝 敗者の戦後漂流

唐牛伝 敗者の戦後漂流

  • 作者: 佐野 眞一
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2016/07/27
  • メディア: 単行本

私の1960年代

私の1960年代

  • 作者: 山本 義隆
  • 出版社/メーカー: 金曜日
  • 発売日: 2015/09/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

「三方一両損」の時代を受け入れよう~濫読日記 [濫読日記]

「三方一両損」の時代を受け入れよう
~濫読日記


「喪失の戦後史」(平川克美著)

喪失の戦後史.jpg 著者は1950年生まれ、文筆家で事業家。ほぼ戦後をリアルタイムで生きてきたといえる。その体験を踏まえ、戦後史を振り返った。大きな特徴は、経済ではなく人口動態を指標としながら家族観の変遷を探ったところにある。著者の言葉を借りれば、人口動態から入って家族に抜ける、という手法である。ネットで行った100分講座6回分を再編成した。

 全体は5編に分けられ、前半は小津映画に見る家族の風景や占領下の家族形態を取り上げ、高度経済成長の時代へと移る。著者の見識がよく表れているのは、高度経済成長期以降、即ち1973年以降の日本に対するまなざしであろう。この時代を取り上げた「第四講 相対安定期の夢」には「『あしたのジョー』から『釣りバカ日誌』の時代へ」と副題がつく。「あしたのジョー」の連載は1973年に終わった。ジョーは米国のボクサー、ホセ・メンドーサとの闘いの最中、リング上で「燃え尽きて」しまう。このシーンに著者は、戦後、焼け跡から立ち上がり、世界、特に米国と伍するまでに経済成長した日本の姿をだぶらせる。経済成長を遂げた日本もまた、1973年に「燃え尽きた」のである。そして「釣りバカ日誌」が1979年に始まる。ヒーローの時代からアンチ・ヒーローの時代へと転換した。

 著者はここで、家族の変遷に目を向け、1世帯当たりの人数に注目する。データによると、1955年に4.97人だった家族構成は1975年に3.48人、1995年に2.85人となる。いまや、夫婦2人に子供は1人もいない。少子化、人口減少傾向は顕著である。では、どうすればこうした傾向に歯止めがかけられるか。三世代同居を増やすために補助金を出すという政策が報じられたが、著者はこれを無意味と断じる。なぜなら、こうした家族形態の変化は貧困によってではなく、歴史の進歩の過程で起きたことであり、逆流することはないという。例えば、経済政策によってではなく、婚外子を正嫡子と同等に認める(法律婚の否定)など、従来とは別の共同体形成が必要だという。

 もう一つ、社会的な変化としてコンビニの出現を上げる。1号店は1974年に豊洲にできた。以来、瞬く間に増殖して、2015年で全国5万店というデータもある。いうまでもなく、これも家族形態に大きな変化をもたらした。あるいは、家族形態が変化したためにコンビニが増えたのかもしれない。つまり、家族という共同体の中で役割分担しなくても、カネさえあれば不自由なく生活できる社会システムができた。世間はこれを「個食の時代」と称した。

 著者はさらに「長期デフレ」という経済認識にも異議を唱える。今起きていることを人口動態から見れば、縮小均衡という経過的な状態だという。経済成長につながる有効な政策が打てないから問題なのではなく、経済の縮小を前提にした方向へとかじを切れないでいることが問題なのだと著者は言う。経済成長なしの社会モデルをどう作るか。「三方一両損」の時代を受け入れるべきだというのが、著者の認識である。

(東洋経済、1500円=税別)


喪失の戦後史

喪失の戦後史

  • 作者: 平川 克美
  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2016/08/26
  • メディア: 単行本


安保のグローバル化に歯止めを~濫読日記 [濫読日記]

安保のグローバル化に歯止めを~濫読日記

「逆走する安倍政治 馬上の安倍、安保を走らす」(纐纈厚著)

逆走する安倍政治.jpg 安倍政権による事実上の憲法改正が進み、11月には内乱・戦闘状態の南スーダンで「駆けつけ警護解禁=自衛隊と現地兵の戦闘」が現実のものとなりつつある。ここまで来れば、憲法改正論の背景にある日米安保体制の是非自体が問われなければならない。すなわち、日米安保・核の傘への賛否こそが、日本の政治(=針路)の大枠を決めるファクターだと思うのだが、日本の政治はそこに焦点を当てきれていない。
 日米安保の現状と、よって立つところは何か、これを詳細に探ったのがこの一冊である。
 戦後、日本は日米安保という大きな選択をした。もちろん、そこには米ソ冷戦という逃れがたい国際的枠組みがあった。しかし、冷戦が終わり、日本社会は大きな地殻変動を経験する。筆者はここで、戦後日本を規定する「四重システムの相互関係」論(加藤哲郎)を引用する。①東西冷戦②日米安保③自民党④会社主義―である。ここで、冷戦の終焉は他の三つにドラスティックな変革を迫る。会社主義は少し唐突な感じもあるが、冷戦後、企業は多国籍化が進み、日本の輸出主導型の貿易構造を維持するために親米・親日政権を支えるアジア各国の軍事独裁型国家へのテコ入れが必要だったのである。筆者は坂本義和の「周辺軍国主義」や「代替軍国主義」の概念を援用してこれを説明する。こうして日米安保のグローバル化が進む。
 安保のグローバル化が「国際貢献」論や「普通の国家」論によって語られたのは記憶に新しい。背景には米軍再編がある。ポスト冷戦で米国は一国覇権主義を標榜する。そのためには日英との軍事同盟が必要だった。米側の意図に呼応する形で、日本企業の多国籍化=海外生産拠点へのシフト→海外拠点の安定化がテーマとなり、安保のグローバル化に拍車がかかったのである。こうして既存の経済権益を守るため、日本自身による軍事化が求められるようになったと筆者はいう。
 もう一つ、歴史的な流れを追えば、戦前の日本は天皇制帝国主義ともいうべき矛盾を抱えた国家だったが戦後、日米安保を選択したことにより、その国家構造を清算する機会を失った。直後に続いた高度経済成長でそれらは表面上隠されてきたが、冷戦終結と経済低成長時代に入り、その「地肌」が露呈するに至った。「その時代状況を巧く掬い取って政権を掌握したのが安倍晋三という政治家」だと筆者はみる。米側の意向だけでなく、日本側にも軍事国家への目論見があった。安保をめぐる今の日本の状況は「対米従属論」だけでは語れないのである。ここで、安倍政治には対米自立(=戦前への回帰)が見え隠れし、米側もそこに懸念と警戒心を隠さない。要は、「軍事には軍事」という即物的発想ではなく、日本自身がどんな平和の青写真を描けるかだ、と筆者は問いかける。そして、現在の政治状況を「専制的民主主義」もしくは「偏在する民主主義」だとし、自由・自治・自立の民主主義を取り戻すべきだと訴える。
(日本評論社、1700円=税別)

逆走する安倍政治

逆走する安倍政治

  • 作者: 纐纈 厚
  • 出版社/メーカー: 日本評論社
  • 発売日: 2016/04/22
  • メディア: 単行本



強面・有能な秘書の横顔~濫読日記 [濫読日記]

強面・有能な秘書の横顔~濫読日記


「影の権力者 内閣官房長官菅義偉」(松田賢弥著)

菅義偉.jpg 官房長官は、かつてニュースソースとして匿名で記事化するとき「政府高官」とされた。「政府首脳」に変わったのは後藤田正晴官房長官の時代である。「カミソリ」と呼ばれた元警察庁長官を官房長官に据えた中曽根康弘は「内閣の命を制するものは総理と官房長官である」といっている(「私の後藤田正晴」講談社、2007年)。

 以来、大物官房長官とされた政治家は何人かいる。記憶に残ったのは梶山静六、野中広務あたりであろうか。この書で取り上げた菅義偉は、梶山を政治の師と仰ぎ、野中を目標とした。二人に共通するのは、権力闘争を踏み越えて地歩を固めた、その生きざまにある。では、その生きざまは菅に投影されてきただろうか。

 書はまず、秋田の雪深い地に生まれた菅の若い時代をたどる。高校を出て段ボール工場に働き、苦学して法政大を卒業、一般会社に勤めた後、議員秘書から横浜市議に転身…。約束されたコースを歩む最近の政治家(安倍はその典型であるが)とは、かなり違う。このあたりは梶山の戦争体験、野中の被差別部落出身者としての生い立ちと重なるのであろうか。

 菅は69年に大学に入り、73年に卒業した。70年を境に反安保闘争、大学闘争の嵐が吹き荒れたころである。特に法政大は当時、学生運動の一つの拠点であった。その時代に菅は、学生運動に目もくれずいたことになる。当時としてはかなり特異な学生であっただろう。後に政治家を目指した理由として著者は「社会は政治が動かしているから」との菅の言葉を引用している。言い換えれば、政治家になって社会を動かしたかった、ということであろう。ここには、社会的弱者や底辺にいる人間に共感する中で社会を動かそうというのとは違った視点が見える。権力の階段を上りながら自分の目指す社会の実現を図るという志向が見える。この点で、菅の出身地・秋田の隣県である岩手を地盤とした小沢に似ていなくもない。しかし、小沢がほとんどを東京ですごし、父・佐重喜の跡を継ぎ、田中角栄の庇護のもとに政治家の階段を上ったことを考えれば、菅と小沢は対極の政治家であろう。

 菅は96年の総選挙で横浜市議から国会議員に転身、小渕派(平成研)に入る。しかし、同派で師と仰ぐ梶山は98年に派閥を出、総裁選に単独出馬。菅も梶山の後を追う。これを見て野中は「菅は絶対に許さない」といったという。後に梶山の気遣いで菅は宏池会に入るが加藤の乱に共鳴し決起、敗れた後、安倍晋三の支援に回る。田中角栄が「乱世の将」と評した梶山の行動ぶりなどから、菅は何かを学んでいるように見える。

 では、菅が目標とする野中と菅を比較すると。菅について気になるのは、沖縄に対する政治姿勢である。この点、野中が駐留軍用地特別措置法改正(1997年)に際し、担当の特別委員長として「この法律が軍靴で沖縄を踏みにじることがないように(略)皆さんにお願いしたい」と壇上で述べたような「心」は、いまのところ菅には感じられない。あるいは、辛淑玉との対談「差別と日本人」(角川書店、2009年)で見せたような保守政治家の懐の深さも感じられない。今のところは安倍首相と公明党のパイプが頼りの「強面で有能な秘書」の域を出ていないように思う。

 さて、この書の評価だが、若干360度にフィールドを広げすぎて、焦点がぼけた印象がないでもない。惜しいことだ。

(講談社α文庫、2016年、820円=税別)



影の権力者 内閣官房長官菅義偉 (講談社+α文庫)

影の権力者 内閣官房長官菅義偉 (講談社+α文庫)

  • 作者: 松田 賢弥
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/01/21
  • メディア: 文庫