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「なりたい自分になれない」物語 [社会時評]

「なりたい自分になれない」物語


  半世紀ぶりにその映画をスクリーンで見た。耽美的で退廃がにおう映像は、価値紊乱者を自称する悪文作家石原慎太郎「太陽の季節」の登場から60年安保までの時代の振れ幅の中で多くの日本人に受け入れられた。

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ルネ・クレマン監督の「太陽がいっぱい」(仏伊合作、1960年)である。地中海で放蕩する富豪の息子フィリップ・グリーンリーフ(モーリス・ロネ)と貧しい境遇の男トム・リプレイ(アラン・ドロン)の奇妙な関係。いつしかトムは、フィリップの暮らしぶりをそっくり略奪することに野心を抱く―。

 太陽がいっぱい.jpg

 地中海に浮かぶヨット、ニーノ・ロータの甘美なメロディ。虚無的な顔つきのアラン・ドロンと性格俳優モーリス・ロネの演技が切り結ぶ。偽装に偽装を重ねたトムは逃げおおせたかに見えたが…。と、こんな感じだが、半世紀をへて同じ感想をつづっては芸がない。この映画を今の時代にどう読みとくか。

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 米国人作家パトリシア・ハイスミスの原作では、ヤマ場の犯行現場は普通のボートで、凶器はナイフではなくオールによる撲殺である。そしてトム・リプレイの性格描写にかなりのエネルギーがさかれている。疑惑を追う側ではなく、犯罪者の側の視点でストーリーを組み立てるという(したがって犯人は最初から見えている)、ミステリーの常識を破る設定で、心理小説の趣が強い。トムは映画ほど虚無的ではなく、むしろアメリカ的でアグレッシブな性格に見える。この違いは、活字と映像というメディアの差異や、主演であるアラン・ドロンの個性によるものと考えられる。ルネ・クレマンは原作のプロットを借用しながら、大胆に換骨奪胎することでこの名作を生みだしている。

 しかし、最大の違いは結末である。原作ではトムは疑惑を振り切って逃げおおせるが、映画では土壇場でどんでん返しが待つ。さらにいえば、映画には原作にない印象的なシーンが二つ追加されている。一つはヨットで食事する際、フィリップがトムのナイフの握り方をいさめる場面。一つは映画の真ん中に挟まれた魚市場をトムが散策するシーンだ。

 これらは何を意味するのだろうか。物語の底流にあるものは、階層的な上昇志向―ある種の飢餓感である。ナイフの握りをいさめるシーンは、垂直的な階層の位置関係を示唆している。魚市場の店頭の魚に宿した虚無的な視線は、トムの野心を見抜いているかのようだ。こうしたシークエンスが結末の挫折に結びつく。言い換えれば、第2次大戦を経てなお貴族社会=アンシャンレジームが厳然と残るヨーロッパ社会と、そうでないアメリカ社会との差異が背後に見える。そうだとすれば、映画の最後に現れる古びた帆船はフィリップの「亡霊」などではなく、戦後もなお階層的上昇を許さない旧社会の暗喩とも映る。

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 こうした「なりたい自分になれない物語」は日本にもあった。飢餓の海峡をいったんは越えたかに見えながら、秘密の暴露にあって破綻する「飢餓海峡」(内田吐夢監督、1965年)、過去の悲惨な体験を知る人物が目前に現れたことで音楽家としての名声を失う「砂の器」(野村芳太郎監督、1974年)。

 最近では「そして父になる」(是枝裕和監督、2013年)が、階層間移動を思わせるストーリーで注目されたが、登場する二つの階層―商店主と新興サラリーマン―は、実は垂直の位置関係にはなく、中間階級あるいは小市民階級という水平の関係にある(丸山真男「現代政治の思想と行動」)。これは何を意味するか。もはや垂直的な上昇を断念したところでしか物語は成立しないという時代の風潮とも読める。日本社会の「大きな物語の凋落」(菊地史彦「『幸せ』の戦後史」)の中で、視野にあるのは私小説的家族状況だけといえるのかもしれない。


「藤圭子」という歌手がいた [社会時評]

「藤圭子」という歌手がいた


 歌手の藤圭子さんが亡くなった。1969年にすい星のように現れ、ファーストアルバム「新宿の女」からセカンドアルバム「女のブルース」までオリコン42週連続1位を記録した。10年ほどで引退、渡米して結婚。その後、メディアに登場した時は「宇多田ヒカルの母」としてだった。

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 彼女の死亡記事に添えられた作家五木寛之のコメントから。「デビューアルバムを聞いたときの衝撃は忘れがたい。間違いなく『怨歌』だと感じた。(略)当時の人びとの心に宿ったルサンチマン(負の心情)から発した歌だ」(8月23日付朝日新聞)

 社会面の4段見出し、サイド記事まで付けた産経を除くと、新聞各紙は彼女の死を、そっけないほど抑制して伝えた。半面、テレビのワイドショーや一部週刊誌は、いつもながらのセンセーショナリズムで扱った。特に週刊新潮は噂話を書き連ねて、毎度の手法だった。比較的しっかりした記事を載せたのは、週刊朝日とサンデー毎日。「朝日」は4㌻で、裏付け取材の確かさを感じさせた。「毎日」はわずか1㌻だが=この分量も意図的に抑えた結果であろう=ほろりとさせる個所があった。北海道で、小5から中3まで同じ学校に通ったという毎日新聞OBのコメントである。

 「頭が良く、明るくハキハキしていた。家が貧しかったのは事実だが、それをおくびにも出さず、周囲の信頼も厚かった」

 考えてみれば当たり前だが、彼女にもこんなころがあったのだ。しかし、ドスがきいて艶のある非凡な低音と少女らしからぬ表現力のために、地方回りの浪曲師だった父と目の不自由な母の存在が重ねられ、極貧・薄幸・暗さのステロタイプ化されたイメージを背負わされる。今から思えば虚像の部分が多く、それが彼女自身を苦しめたであろうことは推測がつくが、では彼女の歌に憑依した「人びとのルサンチマン」もまた、虚像であったのだろうか。

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 はやりうたは、日本社会の近代化と歩を同じくしている。典型例は三橋美智也とフランク永井だ。二人は1955年にデビュー。三橋は「おんな船頭歌」(55年)や「リンゴ村から」(56年)、フランクは「有楽町で逢いましょう」(57年)をヒットさせる。高度経済成長期の直前、若年労働力が「金の卵」として続々と都会に流入する。三橋は消えゆく村落共同体への郷愁を、フランクは都市への誘(いざな)いをうたった。地方に対する都市の優位が不動になり、三橋の哀感もフランクの都市のCMソングも不要となって捨てられていく。

 では、藤圭子が脚光を浴びた時代はどんな時代だったか。ほぼ10年の歌手活動の中で「人びとのルサンチマンから発した歌」をうたった期間は長くはなく、せいぜい2、3年のことだ。筆者の記憶に間違いがなければ、絶頂期は7010月の渋谷公会堂リサイタルだった。「藤圭子の時代」があったとすれば、それは69年の東大安田講堂事件から72年の浅間山荘事件の期間にほぼ合致する。このころ、全国の大学に波及した全共闘運動に関連して社会学者の小熊英二は、こんな分析をする。

 「工業化社会のライフスタイルなどへの拒否感などが原因になって運動が起きた」「急激に訪れた豊かさへの違和感や後ろめたさがあった」

(いずれも講談社「社会を変えるには」=2012年=から)

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 経済成長が進み、大量消費が美徳とされ始めた時代。しかし、富と貧困の偏在は残り、公害などの社会問題も深刻化する。「戦後民主主義の欺瞞」という言葉も聞かれた。思想的にも経済的にも社会的なバックボーンが不安定だった。これに、朝鮮半島からの引き揚げ体験を持つ五木や「火垂るの墓」で戦争体験を書いた野坂昭如らの発言が「豊かさへの後ろめたさ」を一層かきたてた。そんな大衆の心にひそむ奈落のようなものが、藤圭子のしわがれた低音と共鳴したのであろう。

 しかしやがて、思想潮流もエンターテインメントも、時代の主流はポストモダンに向かう。藤がステージを去ったのはそうしたころだった。

 そんな近代のほの暗い奈落は、過ぎ去った昔のことだろうか。福島原発事故が新たな棄民政策を生み、改憲論議が古い時代の再来を予感させる。「時代はメリーゴーラウンドのよう」などということにはならないでほしい。


戦争への道の過剰な賛美~映画「風立ちぬ」 [社会時評]

戦争への道の過剰な賛美~映画「風立ちぬ」

 

 宮崎駿監督の「風立ちぬ」を見た。公式サイトの企画書にある通り、とても「美しい」映画である。昭和初期の、緑豊かな山野の美しさ。ゆったりと流れる日常の「とき」の、日差しを映す川面のような美しさ。薄幸の少女と、飛行機の設計を志す若者の出会い。なにもかもが美しい。

 しかし、この映画を見おわって、自分の感性の中に何も残っていないことに気づかされる。ただ「ああ、美しかった」と刹那の気分に浸ればよかったのか。そうだとすれば、その割に、この映画にひそめられた毒は強烈すぎはしないか。「美しさ」という甘い蜜でくるまれた「毒」を、映画を見たものが飲まされるとしたら、この映画の「美しさ」は犯罪的、ということにならないか。

 主人公は「ゼロ戦」を設計した堀越二郎。堀辰雄の小説「風立ちぬ」「菜穂子」から造形された少女と二人で物語を紡ぐ。フィクションとノンフィクションがないまぜになって、ストーリーは展開する。

 堀越は技術者としての志から、「世界でも傑出した」と呼ばれるゼロ戦をつくりだす。その「名機」の登場が紀元2600年(西暦1940年)であったことから、零式艦上戦闘機=ゼロ戦と呼ばれる。しかし、その当時ぬきんでていた航続距離と運動性能は、極端に薄い防弾壁=つまり、操縦者の人命を軽視した構造=がもたらしたものでもあった。

 映画では、ただ「美しい」飛行機を設計することに情熱を燃やした若者として堀越が描かれている。しかし、考えてみれば、あらゆる兵器は美しい。戦闘機、戦闘艦船、戦車を思い浮かべてみればいい。銃やナイフ、日本刀もそうだ。「戦闘」という一つの目的のためだけにつくられ、余計な機能はすべて削ぎ落とされた「兵器」は完成度が高ければ高いほど美しい。映画の中で堀越が追求した「美」とは、ロマン的な世界の話などではなく、戦争へと向かう潮流の中でこそ捉えられるべきであろう。ゼロ戦は美の世界の産物ではなく、あくまで当時の時代的要請によって生まれたのである。

 物語は、関東大震災直後の二郎と菜穂子の出会いから始まる。再びの出会いは、避暑のため訪れた軽井沢でのことである。大正末期の震災から戦争に至る時代は、一般庶民にとっては不況と恐慌と社会不安にさいなまれた時代であった。坂道を転がるように、日本は暗い時代へと向かっていった。こうした背景をすべて削ぎ落として、庶民感覚とは程遠い恋愛物語の中でどんな共感がありうるのだろうか。

 この映画を観終わって、1階下の本屋に寄ってみた。軍事モノや歴史モノを扱う雑誌の多くが「ゼロ戦」特集を組んでいた。表紙には「傑作戦闘機ゼロ戦」などと大見出しがあった。商機到来、というわけである。世間の受け止め方は、所詮こんなものである。「アニメでしかできない美しい物語を作ってみました。戦争との関連?それは見た人たちに丸投げ」ではすまない何かがある。

 映画の中で、二郎の同僚が「自分ひとりが日本の飛行機を背負っているような顔をして…」と漏らす場面がある(もちろん、好意的にだ)。これを見て、ある言葉を思い出した。かつて、このブログでも取り上げたことがあるので、そのまま引用する。

 ◇

 高木仁三郎は著書「原発事故はなぜ繰り返すのか」で「『我が国』という発想」ということを書いている。つづめていうと本来は「公」と「私」があって激しくぶつかり合うものなのに(高木氏はここで私小説作家を例に挙げている)、技術者の意識では「公」だけがあってそれをそのまま「我が国は」と、1人で背負っているかのような言い方をする、と指摘している。そこから議論なし、批判なし、検証なしといった状況が生まれるという。「原子力は社会に貢献するのか。はたしてそのメリットとデメリットは」といった議論より先に「原発建設を進めるには」を言う技術者意識を批判しているのである。

 ◇

 「原発」を「ゼロ戦」に置き換えてみればよくわかる。この映画は、「公」はあっても「私」がない。だから本当の議論も批判も検証もない。だれも時代を超えて生きることはできないのだから、堀越の戦争責任を問え、などと言うつもりはない。しかし、「いま」という時代から、堀越の仕事はどうとらえられるべきかは、きちんと視点として提示されなければならないのではないか。それをしないのであれば、「二郎」は堀越でなくてよかったのではないか。

 


「慰安婦」発言に思う [社会時評]

「慰安婦」発言に思う


 橋下徹・大阪市長を「『弱い犬ほどよく吠える』の典型」と評したのは評論家の佐高信さんだが、その橋下さんがまた吠えた。

日本軍「慰安婦」をめぐる、5月13日以来の発言だ。要点は①戦時下で「慰安婦」制度は必要だった。しかし、今は容認できない②欧米諸国も同じことをやっていたが、日本だけが非難されるのは「性奴隷」にしていたと思われているから。これは誤解だ③沖縄の米軍司令官に「もっと風俗業を活用して」と言った。そうしないと海兵隊の性的エネルギーをコントロールできない―。

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「慰安婦」制度については、戦後ほとんど公的な調査が行われていない。日本を含むアジアで、この問題についての見解が分かれているのは、そもそもこのあたりに原因がある。

例外的に行われたのが、1993年の河野官房長官談話の前後に行われた調査だった。このとき、日本軍が「慰安所」設置・管理=施設提供=と「慰安婦」の移送=軍用車、軍用船の使用=をしていたことが、当時の軍の書類などから明らかになっており、河野談話もこの点に言及、歴史的事実として認めている。

13日の会見で言及したころの橋下さんは「慰安婦」問題についてずいぶん荒っぽい発言をしていたが、5月27日の外国特派員協会の会見では少し勉強したらしく、これまでよりかなり穏当な発言に終始した。すなわち、①河野発言は否定しない。したがって「慰安婦」への軍による施設提供と移送手段の提供は認める②しかし、河野談話は十分ではない。不足部分を埋める必要がある―。会見では、何を聞かれてもこの二つの一点張りで、おそらくこれが彼の会見乗りきり戦術だったのだろう。

②で橋下氏がいいたかったことは、河野談話の「甘言、弾圧によって本人の意思に反して集められた事例が数多くあり」、それは「軍の要請を受けた業者が当たっていた」という部分についてで、端的に言えば「軍による強制連行があったかなかったかはっきりしろ」ということだ。

しかし、なぜこれがそれほど問題になるのか。軍が計画を立てて民間業者に指示を出し、業者は甘い言葉やときにだまして「慰安所」へ女性を連れていったことは、これまで残されたあまり多くない関連文書でも明らかになっている。今の言葉で言えば、これは「国策民営」で、例えば女性・子どもを誘拐・拉致する場合、強制的に連れていったか甘い言葉で誘い連れていったかで罪の度合いは変わるだろうか。

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 橋下さんは13日の発言以来釈明を繰り返している。その中に「戦時中に慰安婦制度が必要だったと言っただけで、今許しているわけではない」というのがある。これについて元外務官僚の作家佐藤優さんがこう言っている。

 「国際社会にとっては単なる歴史認識では済まない論外な発言だ。かつての米国の奴隷制度は当時の基準で正しかったと言うのと同じ」

 過去のある時点の「事実」(この言葉も、本来は定義が必要だが)をそこだけ切り取って提示し、当時の価値観で語る。このやり方は正当性を持ちうるのか。

 E・H・カー著「歴史とは何か」という本は、高校生でも読んでいる。例えば、中高生と対話した東京大教授・加藤陽子さんの「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」にも出てくる。この「歴史とは何か」から手掛かりを探してみよう。

 「輿論を動かす最も効果的な方法は、都合のよい事実を選択し配列することにあるのです」▽(哲学者クローチェを引用して)「すべての歴史は『現代史』である。歴史というのは現在の目を通して、現在の問題に照らして過去を見るところに成り立つ▽歴史とは現在と過去との尽きることを知らぬ対話。

 橋下発言は、都合のよい「事実」の選択であっても歴史認識ではないと分かる。だから韓国政府は橋下さんに対して「歴史認識の欠如」と批判するのだろう。

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 戦争責任とどう向き合うか。この問題を考える時、加藤周一さんの「言葉と戦車を見すえて」が参考になる。加藤さんは、ドイツでは「過去の清算」ではなく「過去の克服」という言葉が使われるという。その意は、戦争責任を認め、謝罪し、補償し(対国家・対個人被害者)、将来に向かって道を開こうとすること。今日の日本へのアンチテーゼといってもいい。

 日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表の梁澄子さんがこんなことを言っている。

 ――「慰安婦」とは日本軍が勝手に作った名前だ。だから私たちはカッコ付きで呼んでいる。女性から見たら性奴隷制だが、軍から見たら兵士に慰安を与える。名称そのものに軍の犯罪性が現れている。

 私たちは「慰安」という言葉にひそむ被害・加害の恨の河さえ渡ってはいないのだ。

 被害の立場に身を置く想像力がなければ、日本とアジアの本当の和解はない。いや、戦後日本と切り離され、今また橋下発言によって人権を蹂躙された沖縄との和解さえない。戦後の沖縄の歴史を少しでも考えれば、米兵犯罪の底流にあるのは「性的な暴発」などではなく、アジアへの人種差別とそれを法的に裏付ける日米地位協定の問題だと分かるはずだ。日本人はアメリカ人より一段下の民族であり、暴力をふるっても刑事訴訟を受ける心配がない―。どうです、かつて朝鮮半島や中国大陸で「日本兵」が罪を犯したときの心情とそっくりではありませんか。

いま、アウシュビッツはヨーロッパを考えるときの「入場チケット」だ―。姜尚中さんがある対談で述べた言葉を思い出す。では、いま私たちが東アジアで共有すべきもの=東アジアの入場チケット=とは、なんでしょうか。


良質な保守がいなくなってしまった [社会時評]

良質な保守がいなくなってしまった

「いま日本はタカ派ばかり」(佐高信著)をめぐって
 

 今の政治家を見ていると、保守の硬骨漢、良質な保守というのがいなくなったな、という印象が強い。どうしてこうなったのか。

 これを、政治の仕組みあるいは選挙制度に由来するというのは比較的簡単なように思う。いわゆる中選挙区の時代は、一つの党内で「同士討ち」があった。そうすると、党内には選挙区事情を反映した派閥ができる。これは一見すると「閥」すなわちグループだが、内実は選挙資金からポストの面倒まで見るわけだから、事実上の「党(党内党)」である。つまり、中選挙区下の自民党には複数の党が存在した。自民党が担う政権は事実上の連立政権だったわけである。

 こうした政治状況下では、極右ももちろん存在するが、中道もしくは革新政党(この言い方もいまや「死語」であるが)に近いグループも存在しえた。三木武夫などはそうした存在なのかもしれない。宏池会なども、「公家集団」などと揶揄されてはきたが「コモンセンス」をもった保守の集団だったと見ていいのかもしれない。だが、この流れをひく加藤紘一も先ごろ、政界引退を表明した。

 こうした、保守の中での「政論」の色分けが、小選挙区への移行で随分と変わってきたのも事実であろう。選挙区で一人しか当選しない制度は、必然的に党中央の絶対権力化を生む(裏返して言えば「派閥解消」でもあるが)。最終的に選挙区候補を決める(つまり政治家の生殺与奪の権利を握る)のは党のトップであるわけで、それが政治の一元化、平面化という今日的な状況を生みだしている。

 こうした平面的で閉ざされた政治空間では、つまるところ常識よりも威勢のいいことを言った人間が目立ち、幅を利かす。このことに関しては古今東西、ネタに困らないほどの多くの史実がある。あるいはドストエフスキーの「悪霊」でも読んでみるか、連合赤軍事件のノンフィクションでも読み返してみればいいのである。

 程度の差こそあれ、いまの政治状況はこれに準ずるものであろう。もちろん、これは眺めていればいいわけではなく、なんとかしなければならない。私自身は、結局は良質の保守がいる政権こそ、日本のためだと思っている口なのだ(民主党は「良質の保守」の住処を用意しているかと思ったら、そうでもなかった。むしろ「劣等保守」の住処だった感が強い)。自公連立における公明党の位置は今日の「目立ちたがり屋」が横行する政権のおもし役、といったところだろうが、何せ宗教政党である点が引っかかる。

 どこかの新聞で、加藤紘一が「公明との連立を崩すな」と発言していたのも、こうした政治の流れの中では興味深い。

 タカ派ばかり_001.JPG
毎日新聞社、201331日刊。1500円(税別)


 さて「いま日本はタカ派ばかり」である。ここまで書いてくれば、この書の持つ意味は明らかになるだろう。ここでは石原慎太郎、猪瀬直樹、安倍晋三、橋下徹、ビートたけしが「有害なタカ」と認定されているほか、おなじみの「筆刀両断」では吉本隆明、米倉弘昌、渡辺恒雄らが俎上にのぼっている。

 が、ここでは孫崎享のことだけに絞ってみよう。「戦後史の正体」の筆者である。あまりまじめに整理しなかったが、私の読後感はこうであった。

 戦後処理の部分は大変に参考になる。しかし、60年安保後の「対米追随」一辺倒の歴史観は、ストーリー先行の感がある―。

 岸は米国によって引きずりおろされたのか。佐藤は、対米自主派なのか。少し、無理がありはしないか。

 ここで佐高は切れ味鋭い刀を一本取り出す。憲法に対する態度である。押し付けかどうかは別として、現行憲法の制定過程は、米国の影響が強いのは確かだ。しかし近年、米国は、必ずしもこの憲法を全面支持しているとは考えにくい場面が多々ある。むしろ変えたがっているようだ。すると、現行憲法を支持する派と支持しない派は、対米自主派か追随派かという色分けにおいては、逆転する。改憲派であった岸も佐藤も、実は対米追随派ではないか。護憲派だった三木は、追随ではなく自主派ではないのか。

 この論法は、憲法の視点を持たない「外務官僚」孫崎の限界をもついて、痛快でさえある。そして、「戦後史」を書きながら、なぜか「政治の今」(あるいは「今の政治をどう変えればいいのか」)にたどり着けない孫崎の思考に対する疑問の一端を提示しているようにも思える。


1番じゃないといけないのか。 [社会時評]

1番じゃないといけないのか~

原発はなぜ票にならなかったか


 「2位じゃダメなんでしょうか」と言ったのは2009年の蓮舫だった。ノーベル賞科学者らから批判を浴びて、その後発言を修正した。たしかに、科学の世界では1番を目指さなければ2番にも3番にもなれないだろう。初めから2番を目指すなんて、その方がよほど難しい。

 最近、この「2位じゃダメなんでしょうか」というセリフが頭の中でリフレインする。年末にあった衆院選の結果を見てのことである。いうまでもないが、小選挙区は「一番でなければ人にあらず」という制度である。このことによる過剰なバイアスも問題なのだが、それはひとまず置いておくとして、他にも問題がある。その一つは、「政策課題の切り捨て」ということである。

 それは、こういうことだ。

 衆院選公示の1週間前に「脱原発」を掲げて「未来の党」が旗揚げした。嘉田由紀子代表(滋賀県知事)は「卒原発」と言ったが、その違いは些細なことである。期待した向きも多かったにちがいない。いま国民投票をすれば、おそらく「脱原発」は過半数になるだろう。どう控えめに見ても、最大多数にはなると思う。この声が「未来の党」に反映されるのではないか―。

 しかし、選挙結果に「脱原発」の声は反映されなかった。なぜか。

 初めから「脱原発」が選挙の最大テーマになっていれば、おそらく上記のような結果は得られただろう。だが、選挙ではその前に「原発をどうするかを最優先テーマとするか否か」という有権者の判断がある。景気対策、雇用問題、日中の領土問題、それらを押しのけて、有権者の意識の中で「原発」は差し迫った最大テーマだったか。

 もちろん、福島の人たちにとってはなにより重要な課題であったろうし、こんな問いを発すること自体、官邸前でデモをする人たちにとっては「馬鹿げたことを」ということになるだろう。この構図は、沖縄の基地問題にも言える。「原発」はまだ論議の俎上に上った。沖縄の基地問題は議論さえなされなかった。では、みんなの意識の中にまったくなかったかといえば、それも違う。要は「最優先の課題」とされなかったのである。

 結果を見ると、おそらく「景気・雇用対策」が国民的な最優先課題とされたのだと思う。2番目の政治課題として「原発」はあってもよかったじゃないか、といえば、そうなのだ。しかし、定数1の小選挙区制がそれを許さない。最大多数をとらないと当選しない選挙では、最大多数が振り向いてくれる政策課題を掲げざるを得ないし、自らの1票を死に票にしたくない有権者も、そうした候補に1票を投じる。

 選挙後の政治の動きを見ると、キーワードは「強者」である。まず経済で「強者」を目指す。その後は、軍事で「強者」を目指す。どうしてこんなことになったか。「1番じゃないとダメ」な選挙制度で勝ち上がった人たちが政治をやるからである。

 1番じゃなくとも2番の声、3番の声を政治に反映させる道はあるのだろうか。

 ここで思うのだが、かつてあった社会党という政党は、小選挙区制導入とともに消えた。なぜか。

 社会党の支持勢力は一定の地域の中で最大勢力ではなかった。せいぜい、2番目か3番目に位置する勢力だった。だから、「定数1」になったとたん、切り捨てられていった。もちろんその前に、村山富市首相による安保追認という大転換があったのだが、いま日米安保に異議を唱え、基地問題を追及する勢力は国会にはほぼない。「1番じゃないとダメ」な政治になったからである。

 「原発」にも「基地」にも、異議を唱える勢力は確実にいるはずである。しかしその代表を国会に送り込むサイクルがない。ただ、憲法改正や自衛隊の国防軍への衣替えや、そんなこけおどしの声だけが大きい。小選挙区制導入の罪は、少ない得票で過剰な議席を得るという「バイアス」の問題にとどまらない。政治の在り方さえ変えていくような気がしてならない。その先にあるものは何かをよく考えてみなければならない。


改良型中選挙区しかない~破綻した小選挙区制 [社会時評]

改良型中選挙区しかない~破綻した小選挙区制


 A 2012年の衆院選結果は問題だという声が強い。何が問題なのかから、整理してみよう。

 B 得票率43%の党が79%の議席を占有するというのは、いくらなんでもギャップが大きすぎる。だれも望んではいないのに、これだけバイアスがかかると、投票した方としてはどうなってるの?と思う。それに、今回は原発が大きな争点になると思われたが、ほとんど票にならなかった。ここにも制度的な欠陥がある。

 C それぞれの選挙区で1番にならないと当選しないというのは、かなりしんどい。中選挙区のことを思い返すと、それぞれの地区で多数ではないが一定の率で存在する声はあった。例えばそれは社会党だったが、小選挙区が実施されると社会党は消滅してしまった。選挙区の半分とまでいかなくとも3分の1、4分の1の声をすくいあげることは必要ではないか。

□■制度が先走った結果

 B どんな選挙制度にもメリットとデメリットがある。小選挙区のデメリットは、投票結果にバイアスがかかりすぎること。冷戦が終わって55年体制が幕を閉じ、政権交代可能な制度ということで小選挙区制は検討された。メリットとしては、政権交代を頻繁にすることで権力の腐敗を防ぎ、風通しを良くすること。実は、民主党政権で論議があったマニフェストもこの制度と一体のものだ。二つの政党が政権構想を明らかにし、国民がどちらかを選択するというのがこの制度の利点を生かす道だ。しかし、マニフェストを含め民主党の実験が失敗に終わったことで、小選挙区制のデメリットばかりが浮き彫りになった。

 A もともと2大政党制が定着していなかった日本で、2大政党制でないとメリットが出せない小選挙区制を採用したことにも問題はないか。制度を先につくって、それに合う政党をあとから人工的につくった結果が、あの民主党の体たらくだった。

 C 最大多数だけが当選するとなると、最も多数に支持される政策だけが残ってしまう。福島や沖縄は重大な政策課題だが、全国民的に言えばそれより景気・雇用対策が重要だということになって、本当は避けて通れないはずの諸課題が置き去りになる。ドイツにはある「緑の党」が日本にはできず、未来の党があれほどの惨状に終わったのも、この制度に起因すると思う。「オリーブの木」構想が当初あったが、楽観的な見通しを持てなかったのは、この構想が成り立ったイタリアが比例代表制だったこと。小選挙区でオリーブの木は育たない。

□■中選挙区か比例代表か

 A ではどうするか。大きくは二つ道がある。元に戻すか、新しい方法を検討するか。元に戻すとすれば中選挙区制だ。新しい方法とは、おそらく比例代表制かそのバリエーションだろう。

 B 中選挙区を変えなければ、という議論が起こった契機は「政治にカネがかかりすぎる」ということだった。一つの党から複数立てば政策に違いが出ないから選挙民へのサービスが必要になる。利益誘導も行われる。その資金調達のため、永田町では派閥ができる。そこで囲い込んだ議員の資金とポストの面倒をみる。しかし、小選挙区になってもカネはやっぱりかかる。派閥の影響力は弱まったが。

 C そういうことで言えば、例えば定数をかつての最大5ないし6から、3または4に引き下げるという方法はないか。また一つの選挙区で一つの党から複数立候補はできないという制限を設けては。

 A そうすると、無所属で出て後から政党に入るという抜け道はあるけどね。でも一つの考え方だ。世論としても、新制度を目指すより旧制度の改良型のほうが抵抗感がなく受け入れやすい。もう一つの方向である比例代表はどうだろう。

□■非現実的な完全比例代表


 

 B 完全比例代表は一見、民意を正確に反映するように見えるが私は懐疑的だ。実際に、100%比例代表制をとっている国はそんなにはないと思う。その理由は三つある。一つは、人名でなく政党名だけ書く投票行動が国民に受けいれられるだろうか。具体的には全国区、ブロックごとで立候補者と名簿順位を決め、有権者は「A党」「B党」と投票する。やはり選挙は「人を選ぶ」という要素が不可欠なのではないか。二つ目は、制限条項を設けるとしても小政党が乱立するだろう。そうなると有権者はますます混乱し、政治的な関心も失う。三つ目は、その結果、第1党の得票率はほとんどの場合過半数を下回る。得票率と議席率はほぼ同じだから、議席占有率2割か3割の党が政権を担うことになる。当然連立政権になる。組み合わせは国民のあずかり知らぬところで検討される。つまり議会の権謀術数が政治の行方を決める。民意に忠実な制度が、もっとも民意から遠い結果を生むことになりかねない。

 C そこで多くの国が採用しているのが小選挙区との組み合わせだ。日本も一応、小選挙区と比例代表を並立という形で組み合わせている。ほかに連用制、併用制というのがある。大まかに言えば、並立制は、小選挙区と比例代表の議席配分にもよるが、小選挙区がベースだ。これに対して併用制は比例代表がベースといえよう。連用制はその中間だ。

 A といってもよく分からない。どう説明する?

 B 並立制はそれぞれの選挙を別々に行う。重複立候補というのはあるが、基本的に得票結果は交わらない。これに対して併用制はまず小選挙区の当選者をそれぞれの選挙区にあてはめ、さらに比例代表の結果で議席配分を決め、小選挙区当選者より比例代表の獲得議席数が多ければ、その分充当していく。小選挙区の当選者が比例の獲得議席数より多い場合はそのまま残す。そうすると、多くの場合定員を上回る議員が誕生する。1票の格差も選挙結果で変わる。この二つが欠点だ。長所は、「人を選ぶ」選挙だが比例代表に近い議席配分になることだ。理論的には1票制も2票制も成り立つ。ドイツがこの制度をとっている。

 C 並立制の欠点を補う制度として連用制がある。かつて政治改革論議が盛んだったころ民間政治臨調(亀井正夫会長)が提唱した。議員定数が超過しないという長所があるが、運用はかなり難しい。理論的には最も欠点が少ないが、難解なので実現しなかった。小選挙区と比例代表の2票制で投票し、まず小選挙区の当選者を決める。次に比例の得票数を小選挙区当選者+1で割り算し、ドント式で配分していく。こうすると、小選挙区で当選できなかった小政党に有利な議席配分になる。

 A やはりよく分からない…。

 C あとはウィキペディアかなにかで調べてください。これ以上の分かりやすい説明は、私では手に負えません。しかし、理論的にはこの方式が最も穴がないと思われます。難解な制度なので、大きな国では採用していないと思う。

□■だれが改革を主導する?


 

 A 結局、完全比例代表は分かりやすいが現実には無理だろう。しかし、小選挙区がダメだから比例との連用制か併用制で、というのも国民的理解が得られるかどうか。すると、中選挙区で定数3あたりを上限とする案がもっとも現実的なのでは。

 B 問題は、選挙制度の改革をだれが言い出すかだ。小選挙区制度はその時々の勝者に「甘い汁を吸わせる」制度なわけだから、政権与党は絶対に言いださない。たとえば今、自民党が小選挙区制度を比例代表をベースにした制度に変えようと言いだすだろうか。次回選挙で自民党以外の党が政権を握ったとしても、同じことが起きる。

 C しかし、選挙制度を変えないと日本はダメになる。

 A たしかに。それに、原発や沖縄がテーマ化しない今の政治状況を見て思うのだが、もはや「お任せ民主主義」では限界なのではないか。これほどソーシャルメディアが発達した時代に、もっと政治の直接性を際立たせる方法はないのだろうか。

 B 自民党の安倍晋三総裁がインターネットを使った選挙運動の解禁を表明した。

 C ほとんど本質に関係ない、人気取りの政策だと思う。

 A そうだね。とりあえずきょうの結論は「改良型中選挙区に戻してみよう」かな。


流砂のごとき民意はどこへ~2012衆院選マクロ的総括 [社会時評]

流砂のごとき民意はどこへ~2012衆院選マクロ的総括 


 2012衆院選は、終わってみれば自公325議席。風も吹かないのに、議席総数の3分の2を軽く超してしまった。小選挙区制度は死に票が多く、得票数と議席数との間にバイアスがかかると言われてきたが、これほどとは思わなかった、というのが大方の感想であろう。どうしてこんなことになったのか。そして、選挙結果に隠された民意の行方をどう読むか。それはどこへ向かうと読むべきなのか。

 □■投票に行かなかった1000万人

 今回の衆院選の特徴を挙げてみよう。①投票率は前回より9.96%下げ小選挙区59.32%、比例代表59.31%であった。これは衆院選としては戦後最低であった②得票数と議席数のかい離が目立った。自民は43%の得票で79%の議席を取り、前回47.4%で73.7%の議席を取った民主よりも極端だった③民主は前回選挙より2000万票減らした。この票はどこに消えたか。あるいはどこに回ったか④各党の増減を見ると、第3極は増やしたがその他の政党は軒並み票を減らした。この意味は⑤第3極の中で未来は予想されたほど伸びなかった。また、「脱原発」も票に結び付かなかった。それはなぜか。

 まず投票率。小選挙区比例代表並立制導入の1996年に戦後最低(小59.65%、比59.62%)を記録して以来、投票率は低迷している。例外は、2005年の小泉郵政解散(小、比とも67.5%)と民主が政権を取った2009年(小69.28.69.27%)だった。郵政解散は小泉純一郎という天才的な詐術師によって国民が一時的な熱病に冒された選挙と見るべきで、そうすると政権交代の期待がかからない限り、小選挙区制の投票率はあがらないと考えたほうがいい。今回は「政権交代」には違いないが、自民再登板である。そのことへの幻滅感は有権者に強かったのではないか。それがマイナス10%という結果になった。これは、票数で言えば約1000万票である。極めて単純化して言えば、民主が減らした2000万票のうち半分はこの票だと仮定することもできる。

 得票と議席のかい離について。小選挙区は投票数の半分近くを取らないと確実には勝てない制度である。今回の選挙では民主があらかじめ忌避されたため、自民だけが飛びぬけた存在になった。こうなると、小政党が小選挙区を取るのは至難の技になる。投票率が下がったことも自公には幸いした。前回は民主が小選挙区、比例代表とも40%以上の票を取っており、あきらかに民主への期待が風になっていることが見て取れた。しかし、今回の選挙では自民は小選挙区こそ40%台の得票だが、比例は27.6%である。投票率低下を受けて、票数で見れば比例は前回より200万票以上減らしている。小選挙区は、他に選択肢がないため「仕方なく」自民に入れたものの、比例では他の党に入れた、という投票行動が見えてくる。

 

 □■2000万票が政権を決める

 2009年に民主に吹いた風のうち、約2000万票はどこに行ったか。ここでは③と④を合わせて分析する。前述したように、仮にこの半分が「投票に行かなかった」票だとしよう。すると、後の1000万票は民主以外のどこかへ回ったはずである。しかし、他党の票の増減を見てみると、自公も、比例区では計312万票減らしている。小選挙区も(驚くべきことに!)自民の得票数は166万票減である。社民、共産も計284万票の減である。とすると、後は「第3極」と称する新党に回ったと考えるしかない。そこでこの3党の合計得票数を見ると2093万票である(注=ここでは特に断らない限り比例代表の得票数を用いている。理由は小選挙区の得票数は個別の選挙区事情が絡むためである)。「みんな」は、前回300万票という実績があるので、3党で1793万票増えたことになる。つまり、自公民をはじめ既成政党はすべて票を減らし、維新、みんな、未来の3党だけが票を伸ばした(あるいは新たに獲得した)という構図が見えてくる。

 有権者は、「入れたい政党がないので投票に行かない」か、維新、みんな、未来に期待票を入れたことが分かる。しかし、ここでの推論は主に比例代表のデータに基づいているのだが、あらかじめ断っておくと、このデータにもバイアスがかかっていると考えた方がいい。それはこういうことだ。カギは、前述した小選挙区と比例の間の自民の得票率のギャップ(小43、比27.6%)にある。維新とみんなは逆に、小選挙区に比べ比例の得票率が2倍近くになっている。この二つを合わせて読めば「小選挙区は自民、比例は第3極」とした投票行動が透けてくる。軸足をどちらかに置くにはためらいがあり、バランスを取ろうとした有権者意識が数字に表れている。そこを換算しないと、本当の政党支持の分布図は見えてこないだろう。

 極めてマクロ的に言えば、今回の選挙では民主が減らした約2000万票はそのまま自民・公明へと回らず、ほとんどが「第3極」の3党に流れた。社民、共産も票を増やすことはできず、むしろ減らした。しかし、小選挙区では、ほかに入れる候補がいないのでとりあえず自民に入れた有権者が多かった。2000万票が、流砂のように漂いながら行き先を求めているのである。ここを正確に、動態モデルとして把握する必要がある。そして今回、自民が小選挙区でとった票は2564万。前回民主がとったのは2730万である。間違いなく、この2000万票が政権の行方を握っている。

 

 □■現制度では「緑の党」は無理

 未来が伸びなかった背景について。今回、あらためて明らかになったのは、今の選挙制度では単一イシューではなかなか勝てないということだ。未来はドイツ緑の党にも擬することができたはずだが、現実にはそうならなかった。理由の一つとして、選挙制度の違いも挙げられる。ドイツは小選挙区比例代表併用制で、日本と名称は似ているが、中身はむしろ比例代表制である。比例代表に軸足を置くか中選挙区制であれば、シングルイシューで政党が伸長することは可能だろう。しかし、小選挙区では「総合デパート」方式の政党が絶対有利である。争点も、身近なものほど有権者に訴えやすい。かつて「外交・安保は票にならない」と言われたが、絶対多数を必要とする小選挙区では、そうした傾向がもっと顕著になる。多くの有権者が任期4年(もう満期まで選挙はない)
の議員に望むのは、あくまで当面の景気対策、雇用対策であって、数10年先を見通した原発処理ではないのである。選挙戦を通じて「沖縄」が全く語られることがなかったのも、同じ理由によるだろう。

 

 □■民主リベラルは再構築可能か

 現在の小選挙区比例代表並立制は、必然的に2大政党プラス若干の小政党という枠組みに向かう。そうでないと、自民政権がガリバーとなって永久に続くことになる。そうならないためには、非自民の政党が統合して、政権を担える新たな党をもう一度作ることである。そのときに、小選挙区で22%あまりの票を取った民主を核にすることはもちろん想定しうるが、別のシミュレーションもあるだろう。

 歴史を振り返ってみる。宮沢喜一内閣の不信任が成立し、いわゆる55年体制が終わったのが1993年。細川護煕首相による非自民政権を経て翌年自社さ政権が発足し、96年の小選挙区比例代表並立制導入によって社会党は消滅した。この時を起点に政党の離合集散が続き、民主党が政権を取ったのが2009年である。この間、10年余を費やしている。

 自社さ政権で首相だった村山富市氏が最近出した「回顧録」(岩波書店、2012年)で、新党をめぐる党内論議の分水嶺は民主リベラルか社民主義かだった、と語っている。これは再び一つの分水嶺として議論されるべきなのか。それとも民主リベラル党として再構築されるべきなのか。維新をはじめとする「第3極」は自民への対抗勢力になり得るのか。こうして見ると、今回の選挙で成立する(であろう)自公政権は、あくまで「踊り場」政権であることが分かる。


なるほどね、嘉田新党。しかし… [社会時評]

なるほどね、嘉田新党。しかし…


 ふむふむ。12月4日の衆院選公示をきっちり1週間後に控えた1127日「未来の党」なるものができた。代表は滋賀県知事の嘉田由紀子さん。新幹線駅の建設を「もったいない」とストップさせるため立候補し、当選したのは覚えている。下した相手は自公民が推す候補だった。さらにいえば、そのとき民主の代表をしていたのが小沢一郎だ。その時以来、小沢の頭の中には嘉田さんの「大衆受け」の部分が刷り込まれていたのだろう。

 このブログでも、小沢+亀井連合に「大衆アピール度がちょっと…」と書いたばかりだ。小沢はそれを百も承知だった。次なる一手を水面下でたくらみ、公示1週間前という絶妙のタイミングで繰り出した。環境学者で一見ソフトだがシンは強そうで、という嘉田さんの見かけは「卒原発」のスローガンにぴたりはまると見たのだろうが、嘉田さんの識見も政治哲学も国民はほとんど知らない。しかし、そんなものは選挙に勝つために邪魔にこそなれ、役には立たない、と思っているらしいところが小沢らしい。

 「未来の党」なるネーミングも分かったようで分からない。「未来には党になる」という意味なら、今は政党ではないことになり、未来を語る、あるいは未来を切り開く党という意味なら、もともとそれを標榜しない政党などあるのか、ということにもなる。

 しかし、原発政策を大転換させたドイツには「緑の党」があるが日本にはそれがない、という指摘は昨年の3.11以後、さんざんされてきた。そういう意味では、プロデューサー小沢は乾坤一擲、政党の枠組みの間隙を突いたわけだ。そんなわけで「日本のメルケル」に嘉田さんは擬せられることになる。

 この新党に、早くも既成政党は過剰ともいえる反応を示している。それだけインパクトが強く、脅威でもあるのだろう。大筋で言えば「卒原発」だけ語るのは無責任、エネルギー、経済政策をどうするんだ(例えば自民の安倍はそういっている)ということになろうが、エネルギー政策や経済政策を入り口にすれば結論は原発必要論になるに決まっている。原発の問題を考える入り口は倫理である。これはドイツの議論をよく見れば分かる。そして環境論である。豊かさも必要だろうが、その前に人類のあるべき姿を語ることだ。そこから入らない限り、原発ゼロにはたどり着かない。

 だが、ある党が言っていたが、原発以外の政策は白票委任させるのか、という批判も良く分かる。これは小選挙区制の限界、もしくは政界再編の過渡期のゆがみ、と考えるべきだろう。国民の意思の受け皿として、専門店があって悪いわけではない。

 さて、この結果がどう出るか。少なくともドイツ「緑の党」のようにキャスチングボートを握れば意味はあるだろう。しかし、大枠で見れば自民対非自民の構図の中で、非自民の部分がさらに拡散され、その分自民がほくそ笑むという構図になりそうですね。残念ながら。


亀井・小沢がちょっとなあ… [社会時評]

亀井・小沢がちょっとなあ…


 亀井静香が1119日、民主党を出た山田正彦元農水相と組んで反TPP・脱原発・消費税凍結の新党構想を打ち出した。将来は「脱原発」の「みどりの風」と連携を模索するらしい。この路線自体、正しい選択だろう。経済政策、社会政策ともに自民党と維新は同じであり、この二つと民主しか存在しない選挙戦であれば、有権者は国の行方を選択しようがないからである。もちろんここで、私は自身の政治信条を語っているわけではない。日本の政治の、あるべき枠組みを語っているだけだ。

 構図からすれば本来はこの路線が第三極になるべきだが、現状では小沢一郎の国民の生活を加えても第四極にとどまるであろう。それはなぜか。石原慎太郎・橋下徹に比べ、大衆アピール度と情報発信力が決定的に違うからである。下手をすれば、石原・橋下のハレーションによって吹っ飛ぶ可能性もある。もちろん、ここに共産や社民を加えたからと言って、大勢に影響があるものではない。では、国民にとって少しでも「ベター」な方向とは何か。

 自民の反安倍派、民主の反野田派が、亀井・小沢の新党に合流することである。しかし、自民党は次の選挙で政権を取るかもしれないので、政権奪取が党の最大目標である自民党からいま脱退するバカはいないだろう。とすると、民主を出る反野田派に期待するしかない(山田元農相もそうだが、この手は結構いるだろう)。この結果として自民、維新、民主に続く第四極を作れるか。

 しかし、こう書いていて思うが、小沢と亀井ではなあ…。もう一枚、スター性とカリスマ性と発信力を持つ政治家はいないか。でもそんなのが簡単に見つかれば、苦労はないな。出てこい、反TPP・脱原発・消費税凍結の星よ。今がチャンスだよ。