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フグ論争のくだらなさ [社会時評]

フグ論争のくだらなさ

 先ごろ、国会で奇妙な議論があった。横畠裕介・内閣法制局長官が6月19日、安全保障関連法案を審議する衆院特別委で、集団的自衛権をフグにたとえ、「肝を外せば食べられる」と答弁した件である。これを聞いて「奇妙」と思ったのは、主に二つの疑問からである。

 疑問の第一。この答弁は質問者の寺田学氏(民主)が「集団的自衛権は(分離不可能な)腐ったみそ汁では」と問いかけたことに始まり、それに横畠氏が、「フグだから分離可能だ」と答えたが、なぜフグなのか、根拠は示されていない。要するに、ここでの応酬は「分離はできない」「いや、分離はできる」と言ったに過ぎない。

 そもそも、集団的自衛権行使に踏み出すことへの国民の不安と疑念は、「いったん他国の戦争に加担すれば、泥沼に引きずり込まれるのでは」という点から発している。それに対して安倍晋三政権は「いや、限定的だからそんなことはない」と言っている。

 戦争もしくは戦闘行為には必ず相手が存在する。こちらが「限定的な範囲内での戦闘」を想定しても、相手は「限定的な戦争を仕掛けてきたからこちらも限定的に応じよう」となるのか。随分、非現実的な発想だ、というのが大方の国民の見方なのである。

 すると、これは「腐ったみそ汁を飲む」か「毒キノコを食う」というほうが、比喩としては当たっていると思うのが普通であろう。それを無理矢理、分離可能な「フグ」だというなら、その根拠を示さなければ何かを言った(説明した)ことにはならない。

 疑問の第二。横畠氏は自らのポジションをなんだと思っているのかということである。言語学者の東照二氏は、「選挙演説の言語学」で「ラポートトークとリポートトーク」に触れている。ラポートトークとは感情、情緒、直感、感覚的なものに訴える話しぶり、リポートトークとは理屈や理論に基づいた話しぶりのことである。東氏はここで「ラポートトーク」の必要性を説いているが、もちろんこれは政治家の演説という前提があってのことである。

 ややもすると、国会の議論は情緒的、非論理的な攻撃的言語のオンパレードになる。そんなとき、法律的解釈の一貫性を維持する観点から答弁するのが法制局長官であろう。政治家と同じレベルで答弁するのであれば、自らのポジションを自ら否定するに等しく、法制局長官はいらないことになってしまう。

 そんなわけで、くだらないたとえ話の果てに国民の疑問は何一つ解消されることにはならない。こんな国民をばかにした議論(議論にもならない)が繰り返されるなら、まず横畠氏は「長官」のポストを返上すべきだし、それをしないのであれば野党は辞任を求めるべきである。

 しかし、それよりもまだ問題なのは、こんな国民を愚弄したやりとりが「国会審議時間」に加算され、国政レベルの議論のアリバイに使われてしまうことである。なんともやりきれない話である。


ニュース番組がつまらない [社会時評]

ニュース番組がつまらない

 4月から、NHK・ニュースウォッチ9(NW9)のキャスターが代わった。大越健介は河野憲治、井上あさひは鈴木奈穂子に。この新キャスターが味気ない。切り口が平凡な上、つけるコメントも内容がなく記憶に残らない。NHKの番組史上で最悪と思える。

 たしかに、二人とも一見スマートだ。だが、それがどうした、である。「私」という個人を通して、このニュースはどう見えるのか、社会は、権力は、人間は、といった迫力がまるでない。だからコメントも無味無臭、無色透明でつまらない。

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 ニュース番組が今日のような形になったのは1974年4月に始まった「ニュースセンター9時」からであろう。キャスターは記者だった磯村尚徳で、ウォルター・クロンカイトやダン・ラザーがアンカーを務めた米テレビ「CBSイブニングニュース」が原型と思われる。この発展形が久米宏をキャスターとしたテレ朝「ニュースステーション」(1985~)であろう。原稿を読むだけのニュース番組が、ジャーナリズムのフィルターを通したときニュースがどう見えるかが語られ、さらにはショー化して見せるという、テレビにおける軌跡が見える。背後にあるのは、分かりにくいニュースを身近な視点で分かりやすく伝えようという意図である。

 ところが、今のNW9は、積み上げたものを台無しにするほどの変わりようである。つるりとしたコメント。摩擦がない。この感覚を、辺見庸も指摘する。姜尚中や藤原帰一のテレビでのコメントに「危機感のなさ、摩擦のなさ、情況とのひっかかりのなさに驚いて」しまい、そこに「うすら寒い時代性」を感じている。別の言い方として、辺見は「権力は十分に不穏なのに、魂をえぐる不穏さがない」ともいう(「絶望という抵抗」(佐高信との対談、金曜日刊)。

 この感じは、最近の「報道ステーション」にもいえよう。3月27日、コメンテーターの古賀重明が「早河洋テレ朝会長らの意向で下ろされることになった」「官邸のバッシングがあった」と発言し、古館伊知郎が慌ててとりなすという一幕で一気に色あせた。

 極めつけは、5月14日の安倍首相会見を受けて15日に放映した2人(宮家邦彦と白井聡)のコメントの冒頭での古館発言である。いわゆる安保法制について、直前に福島瑞穂の「戦争法案」発言に首相がクレームをつけたことから、「『戦争法案』という呼び方もしないかわり『平和』という呼び方もしない、安全保障法案とする」とした点である。福島が法案を「戦争」と呼ぶことにも、首相が「平和」と呼ぶことにも、背景にはそれぞれの思想がある。それを「込み」で伝えてこそ、ニュースではないか。もっといえば、この法案を「安全保障」と呼び、安全保障は軍事や防衛によって達成されるとする考え方自体、そもそも「思想的」なのではないか。

 猿にタマネギを与えたらどうするか、という逸話がある。皮をむき続け、最後に何も残らないことを知る、という。タマネギは皮ごとゆでるか炒めてこそ味がある。サルと同じことをしているように見えてならないのだ。もちろん、NW9も。


20,000,000票のさまよえる民意 [社会時評]

20,000,000票のさまよえる民意


 今年も残りわずかとなった。来年はおそらく日本にとっての重大な岐路が待ち構えているだろう。安倍晋三政権は12月衆院選の結果をもって民意は確定したとし、大きな政治判断を下すだろう。しかし、安倍政権は正統な民意の集積の上に成立した政権なのか、大きな疑問がある。いい方を変えれば、民意と政権の「ねじれ」こそが問題なのではないか。

 ■□□政治的課題とは

 政治的課題を考える前に、今の政党分布図を俯瞰してみよう。自民、公明、維新、次世代、みんなは安保政策、憲法、新自由主義への対応において大差はない。共産、社民、生活はこれらの課題で対決軸を持っているが、共産を除けばいかんせん勢いがない。民主はこの点、まだら模様である。

 安保政策は、米ソ冷戦後の独自路線=ポスト対米追従=を考えるべきである。そのうえで、沖縄の基地問題も論じられなければならない。憲法を巡っては、「一言一句変えてはならない」という主張は市民運動としては成り立つが、議論としては冷静な対応が必要である。不毛の二者択一の議論ではなく、内容に踏み込む勇気が必要だろう。新自由主義やトリクルダウンの理論に対しては、明らかな対案が必要である。1%の富裕層が99%の貧困層に施しをすることで、社会の公正が守られるなどという主張が、政治の大勢であってはならない。

 以上の観点からすれば、中道左派のリベラル路線(いまどき「左派」などという言葉は死語のようにも思うが)が、少なくとも自民の対抗勢力として存在していなければならない。現行小選挙区制は投票結果に過度のバイアスをかける制度であるから(政権の安定を優先的に考えた制度であるともいえる)、その結果、生じた「影」の部分(たとえば社会的格差の拡大)を修正するシステム的担保が必要である。それがすなわち、二大政党制であろう(二大政党制が日本の政治風土に向いているかどうかは別の議論である。私自身はあまり向いているとは思わないが)。共産党の不破哲三元議長は1226日付朝日新聞で「二大政党制は絵に描いた餅」と批判したが、現行の選挙制度が存続する限りは、石にかじりついても二大政党制にするしかない。不破氏の評論家的言説は、共産党がどれだけ伸長しようとも政権奪取に至らないことが自明である以上、自民党政権の固定化に与するものだ。

 □■□「ねじれ」を生んだ政治システム

 では、憲法、安保、新自由主義を対抗軸とし、自民と拮抗するリベラル政党は可能なのか。一言で言えば、その政治的土壌はあると考える。

 その根拠は、過去3回の衆院選で明らかになった、2000万票の流砂のような票の存在である。この2000万票をまとめることができれば、政権を左右する政治状況が生まれると確信する。そのことをデータで見てみよう。

 過去3回の選挙で、自民は議席数だけで見れば政権から転落→奪取(圧勝)→維持(圧勝)と、ジェットコースターのような境遇にあったが、獲得票数を見れば、小選挙区、比例区とも横ばいないしは下降線である。現在の有権者総数は1億人強なので、仮にこれを1億人と丸めると、今回衆院選での絶対得票率は小選挙区25%、比例区18%(いずれも四捨五入した数字)である。この得票で、自民は衆院の6割を超す議席を占めた。なぜこんなことになるかは、さんざん書いてきたのでここでは書かない(要は小選挙区制における死に票の多さがもたらす問題である)。

 重要なのは民主の票の推移である。民主に肩入れしてのことではない。ここに、さまよえる大量の民意の足跡があると思うからである。

 民主が政権をとった第45回衆院選(2009年)で民主は小選挙区3348万票、比例区2984万票を得た。その後の2回の選挙では、小選挙区1360万、1192万票、比例区900万票台である。つまり、約2000万票が動いた。では、その塊はどこへ行ったか。

 46回衆院選(2012年)で特徴的なのは、「維新」「みんな」「未来」を合わせた、いわゆる第三極が2000万票をとったことである。もちろん、民主から逃げた票がそのまま第三極に行ったといえるほど単純なことではない。最も大きいのは、前回と比べ10%下がった投票率である。この10%は約1000万票にあたる。46回衆院選で共産は、比例区は減ったが小選挙区は6割増の470万票を得ている。

 つまり、民主党政権に失望した有権者は①投票に行かなかった②第三極に入れた③一部は共産に入れた―という動き方をしている。45回から46回にかけて、自民票は小選挙区では減っている(比例は46回から47回にかけて微増)。つまり、民主に失望した人たちは自民に入れたわけではない。

 では、今回の47回衆院選(2014年)は、前回と比べどうだったか。特徴的なのは、第三極と目される勢力が約1000万票減ったことである。この票はどこへ行ったか。投票率をみると、前回より約6.7%減っている。票数にして約670万票である。さらに、共産は小選挙区、比例区とも200万票以上伸ばしている。自民は比例区で100万票増だった。民主は小選挙区で減らし、比例区は微増だった。

 この結果から分かるのは、有権者が選択肢と考えたのは自民、共産で、それ以上に多くの人たちは棄権に回った。ここで押さえておきたいことは、共産は元々組織政党だが、今回の伸びしろは、浮動票によるところが大きいということだ。「他に入れるところがない」票が、一定程度共産に集まったということで、ここは読み違えてはいけない。

 日米安保堅持、自主憲法制定、新自由主義推進という自民補完物としての「第三極」にはもう用はないと有権者は見ている(「次世代の党」の惨敗が象徴的だ)。しかし、自民と共産の対決が、拮抗する勢力図につながるとは考えにくい。つまり、このままでは自民政権の安泰が続くだけ、ということになる。

 □□■では、どうするか

 結果として今回の選挙で笑ったのは、自民、公明、共産だった。いずれも組織を持つ政党である。しかし、こうした傾向が続くのはよくない。どこかの政党に属し、党費を払う人間(政治のプロ)の主張が通って、非政党的市民はどんどん関心を失っていく。こんな政治がまかり通っていいわけがない。それどころか、これはジョージ・オーウェルの「1984」の世界につながる。「政治のプロ」ではなく「政治の素人」が共感する政治が求められている。その「共感する政治」を求めている有権者は2000万人おり、それらの人たちの感性にフィットする政策(その課題は冒頭に掲げた)を訴えれば間違いなく流砂は動く。そうでない限り、「民意と永田町のねじれ」は解消しない。

 その意味では、民主党は(もう期待する方が無理かもしれないが)、いったんは解党的事態になろうともリベラルに特化すべきである。その上で政治状況から消え去るのなら、それはそれでやむを得ない。そうなれば、民主党の墓碑銘のうえに新たな「リベラル」の旗がたてられるだろう。

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過去3回の衆院選での各党の消長(小選挙区) 


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過去3回の衆院選での各党の消長(比例区)

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「炭鉱のカナリア」~漫画が担うべき役割 [社会時評]

「炭鉱のカナリア」~漫画が担うべき役割


 メディア史・大衆文化論を専門とする佐藤卓己・京都大准教授が「読者の高齢化が進む論壇は老人の盆栽趣味みたい」[注1]ととらえているのを見て、納得してしまった。枝ぶりはいいがいかんせん大地に根を張っていない、という意味だろう。確かに、例えば論壇誌の一つ「世界」は確固たる光を社会に投げかけ、それなりの存在感を示すが、大衆社会全体からすれば、その光の届く範囲は狭い。

 数十年ぶりだろうか、コミック誌を喫茶店での暇つぶしでなくじっくりと読んだ。きっかけは、福島での鼻血描写が波紋を広げた「美味しんぼ」(ビッグコミックスピリッツ=小学館発行、作・雁屋哲、画・花咲アキラ)だ。

 かつて「右手に少年マガジン、左手に(朝日)ジャーナル」といわれた時代をくぐってきた身には、漫画は一過性ではない媒体、との思いがある。白土三平の「カムイ伝」、永島慎二の「漫画家残酷物語」、つげ義春の「ねじ式」、そして、大正ロマンと昭和のアングラ文化を融合させた林静一の「紅犯花」…。

 評論家の内田樹氏は、養老猛司氏からの受け売りと断って、日本の漫画の背景には日本語の言語文化があると指摘する。つまり、日本語は漢字と仮名(カタカナ)で成り立っているが、漢字は表意文字であり、仮名は表音文字である。漢字は「具体的な物質性を備え」、身体的な持ち重りのするものなのである。これを漫画に置き換えると、漢字を理解する脳内部位は「絵」を理解する部位に通じ、表音文字である仮名を理解する部位は、「吹き出し」を理解する部位に通じる。そこが、表意文字一本で言語体系が成り立っている文化圏とは決定的に違っているのである[注2]。このことが、絵と文字の2本のレールを使って走る「漫画」という表現形式の成立につながっている。

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 「美味しんぼ」では、5月1219日号の鼻血シーンの後、医者に「放射線と鼻血とは関連付ける医学的知見はない」と語らせ、特定の結論を押し付けないという意図がみえる。しかし、地元自治体だけでなく閣僚らが相次いで「風評被害を招く恐れがある」と「遺憾」を表明。そのためかどうか、6月2日号で13人の意見と3自治体の抗議文をまとめた「『美味』しんぼ福島の真実編に寄せられたご批判とご意見」を掲載、「次号からの休載」を告げた。

 読んでみたが、鼻血と放射線は無関係と理論的に結論付けたものは見当たらなかった。それどころか、津田敏秀・岡山大教授の「『因果関係はない』と批判をされる方には、『因果関係がない』という証明を求めればいい」という指摘が記憶に残った。ここにコメントを寄せている医師・肥田舜太郎さんは著書[注3]で、広島の被爆者が鼻血と血便に苦しめられた様子を書いているし、フォトジャーナリスト広河隆一氏はチェルノブイリ避難民の5人に1人が鼻血を訴えたという2万5千人のアンケート調査結果をブログに掲載している[注4]。

 百歩引き下がっても、現時点の医学的知見では「放射線と鼻血は関係ない」とは明確に断定できないのではないか。ここで思い出されるのは、水俣湾で発生した不可解な病が当初、「チッソ」という企業の原因説を否定されたため、出さなくてもよかった多くの患者を出してしまった苦い体験である。

 論壇誌の「光」が大衆社会に届きにくくなった今、「炭鉱のカナリア」とも言うべき役割は骨のある漫画が担わなくてはならないのではないか。頑張れ「美味しんぼ」。

[注1]「災後のメディア空間―論壇と時評2012―2013」(中央公論社、2014年)

[注2]「日本辺境論」(新潮新書、2009年)

[注3]肥田舜太郎/鎌中ひとみ「内部被曝の脅威―原爆から劣化ウラン弾まで」(ちくま新書、2005年)

[注4]http://www.hiropress.net/mt/archives/000050.html


「なりたい自分になれない」物語 [社会時評]

「なりたい自分になれない」物語


  半世紀ぶりにその映画をスクリーンで見た。耽美的で退廃がにおう映像は、価値紊乱者を自称する悪文作家石原慎太郎「太陽の季節」の登場から60年安保までの時代の振れ幅の中で多くの日本人に受け入れられた。

    ◆

ルネ・クレマン監督の「太陽がいっぱい」(仏伊合作、1960年)である。地中海で放蕩する富豪の息子フィリップ・グリーンリーフ(モーリス・ロネ)と貧しい境遇の男トム・リプレイ(アラン・ドロン)の奇妙な関係。いつしかトムは、フィリップの暮らしぶりをそっくり略奪することに野心を抱く―。

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 地中海に浮かぶヨット、ニーノ・ロータの甘美なメロディ。虚無的な顔つきのアラン・ドロンと性格俳優モーリス・ロネの演技が切り結ぶ。偽装に偽装を重ねたトムは逃げおおせたかに見えたが…。と、こんな感じだが、半世紀をへて同じ感想をつづっては芸がない。この映画を今の時代にどう読みとくか。

    ◆

 米国人作家パトリシア・ハイスミスの原作では、ヤマ場の犯行現場は普通のボートで、凶器はナイフではなくオールによる撲殺である。そしてトム・リプレイの性格描写にかなりのエネルギーがさかれている。疑惑を追う側ではなく、犯罪者の側の視点でストーリーを組み立てるという(したがって犯人は最初から見えている)、ミステリーの常識を破る設定で、心理小説の趣が強い。トムは映画ほど虚無的ではなく、むしろアメリカ的でアグレッシブな性格に見える。この違いは、活字と映像というメディアの差異や、主演であるアラン・ドロンの個性によるものと考えられる。ルネ・クレマンは原作のプロットを借用しながら、大胆に換骨奪胎することでこの名作を生みだしている。

 しかし、最大の違いは結末である。原作ではトムは疑惑を振り切って逃げおおせるが、映画では土壇場でどんでん返しが待つ。さらにいえば、映画には原作にない印象的なシーンが二つ追加されている。一つはヨットで食事する際、フィリップがトムのナイフの握り方をいさめる場面。一つは映画の真ん中に挟まれた魚市場をトムが散策するシーンだ。

 これらは何を意味するのだろうか。物語の底流にあるものは、階層的な上昇志向―ある種の飢餓感である。ナイフの握りをいさめるシーンは、垂直的な階層の位置関係を示唆している。魚市場の店頭の魚に宿した虚無的な視線は、トムの野心を見抜いているかのようだ。こうしたシークエンスが結末の挫折に結びつく。言い換えれば、第2次大戦を経てなお貴族社会=アンシャンレジームが厳然と残るヨーロッパ社会と、そうでないアメリカ社会との差異が背後に見える。そうだとすれば、映画の最後に現れる古びた帆船はフィリップの「亡霊」などではなく、戦後もなお階層的上昇を許さない旧社会の暗喩とも映る。

    ◆

 こうした「なりたい自分になれない物語」は日本にもあった。飢餓の海峡をいったんは越えたかに見えながら、秘密の暴露にあって破綻する「飢餓海峡」(内田吐夢監督、1965年)、過去の悲惨な体験を知る人物が目前に現れたことで音楽家としての名声を失う「砂の器」(野村芳太郎監督、1974年)。

 最近では「そして父になる」(是枝裕和監督、2013年)が、階層間移動を思わせるストーリーで注目されたが、登場する二つの階層―商店主と新興サラリーマン―は、実は垂直の位置関係にはなく、中間階級あるいは小市民階級という水平の関係にある(丸山真男「現代政治の思想と行動」)。これは何を意味するか。もはや垂直的な上昇を断念したところでしか物語は成立しないという時代の風潮とも読める。日本社会の「大きな物語の凋落」(菊地史彦「『幸せ』の戦後史」)の中で、視野にあるのは私小説的家族状況だけといえるのかもしれない。


「藤圭子」という歌手がいた [社会時評]

「藤圭子」という歌手がいた


 歌手の藤圭子さんが亡くなった。1969年にすい星のように現れ、ファーストアルバム「新宿の女」からセカンドアルバム「女のブルース」までオリコン42週連続1位を記録した。10年ほどで引退、渡米して結婚。その後、メディアに登場した時は「宇多田ヒカルの母」としてだった。

■□□

 彼女の死亡記事に添えられた作家五木寛之のコメントから。「デビューアルバムを聞いたときの衝撃は忘れがたい。間違いなく『怨歌』だと感じた。(略)当時の人びとの心に宿ったルサンチマン(負の心情)から発した歌だ」(8月23日付朝日新聞)

 社会面の4段見出し、サイド記事まで付けた産経を除くと、新聞各紙は彼女の死を、そっけないほど抑制して伝えた。半面、テレビのワイドショーや一部週刊誌は、いつもながらのセンセーショナリズムで扱った。特に週刊新潮は噂話を書き連ねて、毎度の手法だった。比較的しっかりした記事を載せたのは、週刊朝日とサンデー毎日。「朝日」は4㌻で、裏付け取材の確かさを感じさせた。「毎日」はわずか1㌻だが=この分量も意図的に抑えた結果であろう=ほろりとさせる個所があった。北海道で、小5から中3まで同じ学校に通ったという毎日新聞OBのコメントである。

 「頭が良く、明るくハキハキしていた。家が貧しかったのは事実だが、それをおくびにも出さず、周囲の信頼も厚かった」

 考えてみれば当たり前だが、彼女にもこんなころがあったのだ。しかし、ドスがきいて艶のある非凡な低音と少女らしからぬ表現力のために、地方回りの浪曲師だった父と目の不自由な母の存在が重ねられ、極貧・薄幸・暗さのステロタイプ化されたイメージを背負わされる。今から思えば虚像の部分が多く、それが彼女自身を苦しめたであろうことは推測がつくが、では彼女の歌に憑依した「人びとのルサンチマン」もまた、虚像であったのだろうか。

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 はやりうたは、日本社会の近代化と歩を同じくしている。典型例は三橋美智也とフランク永井だ。二人は1955年にデビュー。三橋は「おんな船頭歌」(55年)や「リンゴ村から」(56年)、フランクは「有楽町で逢いましょう」(57年)をヒットさせる。高度経済成長期の直前、若年労働力が「金の卵」として続々と都会に流入する。三橋は消えゆく村落共同体への郷愁を、フランクは都市への誘(いざな)いをうたった。地方に対する都市の優位が不動になり、三橋の哀感もフランクの都市のCMソングも不要となって捨てられていく。

 では、藤圭子が脚光を浴びた時代はどんな時代だったか。ほぼ10年の歌手活動の中で「人びとのルサンチマンから発した歌」をうたった期間は長くはなく、せいぜい2、3年のことだ。筆者の記憶に間違いがなければ、絶頂期は7010月の渋谷公会堂リサイタルだった。「藤圭子の時代」があったとすれば、それは69年の東大安田講堂事件から72年の浅間山荘事件の期間にほぼ合致する。このころ、全国の大学に波及した全共闘運動に関連して社会学者の小熊英二は、こんな分析をする。

 「工業化社会のライフスタイルなどへの拒否感などが原因になって運動が起きた」「急激に訪れた豊かさへの違和感や後ろめたさがあった」

(いずれも講談社「社会を変えるには」=2012年=から)

□□■

 経済成長が進み、大量消費が美徳とされ始めた時代。しかし、富と貧困の偏在は残り、公害などの社会問題も深刻化する。「戦後民主主義の欺瞞」という言葉も聞かれた。思想的にも経済的にも社会的なバックボーンが不安定だった。これに、朝鮮半島からの引き揚げ体験を持つ五木や「火垂るの墓」で戦争体験を書いた野坂昭如らの発言が「豊かさへの後ろめたさ」を一層かきたてた。そんな大衆の心にひそむ奈落のようなものが、藤圭子のしわがれた低音と共鳴したのであろう。

 しかしやがて、思想潮流もエンターテインメントも、時代の主流はポストモダンに向かう。藤がステージを去ったのはそうしたころだった。

 そんな近代のほの暗い奈落は、過ぎ去った昔のことだろうか。福島原発事故が新たな棄民政策を生み、改憲論議が古い時代の再来を予感させる。「時代はメリーゴーラウンドのよう」などということにはならないでほしい。


戦争への道の過剰な賛美~映画「風立ちぬ」 [社会時評]

戦争への道の過剰な賛美~映画「風立ちぬ」

 

 宮崎駿監督の「風立ちぬ」を見た。公式サイトの企画書にある通り、とても「美しい」映画である。昭和初期の、緑豊かな山野の美しさ。ゆったりと流れる日常の「とき」の、日差しを映す川面のような美しさ。薄幸の少女と、飛行機の設計を志す若者の出会い。なにもかもが美しい。

 しかし、この映画を見おわって、自分の感性の中に何も残っていないことに気づかされる。ただ「ああ、美しかった」と刹那の気分に浸ればよかったのか。そうだとすれば、その割に、この映画にひそめられた毒は強烈すぎはしないか。「美しさ」という甘い蜜でくるまれた「毒」を、映画を見たものが飲まされるとしたら、この映画の「美しさ」は犯罪的、ということにならないか。

 主人公は「ゼロ戦」を設計した堀越二郎。堀辰雄の小説「風立ちぬ」「菜穂子」から造形された少女と二人で物語を紡ぐ。フィクションとノンフィクションがないまぜになって、ストーリーは展開する。

 堀越は技術者としての志から、「世界でも傑出した」と呼ばれるゼロ戦をつくりだす。その「名機」の登場が紀元2600年(西暦1940年)であったことから、零式艦上戦闘機=ゼロ戦と呼ばれる。しかし、その当時ぬきんでていた航続距離と運動性能は、極端に薄い防弾壁=つまり、操縦者の人命を軽視した構造=がもたらしたものでもあった。

 映画では、ただ「美しい」飛行機を設計することに情熱を燃やした若者として堀越が描かれている。しかし、考えてみれば、あらゆる兵器は美しい。戦闘機、戦闘艦船、戦車を思い浮かべてみればいい。銃やナイフ、日本刀もそうだ。「戦闘」という一つの目的のためだけにつくられ、余計な機能はすべて削ぎ落とされた「兵器」は完成度が高ければ高いほど美しい。映画の中で堀越が追求した「美」とは、ロマン的な世界の話などではなく、戦争へと向かう潮流の中でこそ捉えられるべきであろう。ゼロ戦は美の世界の産物ではなく、あくまで当時の時代的要請によって生まれたのである。

 物語は、関東大震災直後の二郎と菜穂子の出会いから始まる。再びの出会いは、避暑のため訪れた軽井沢でのことである。大正末期の震災から戦争に至る時代は、一般庶民にとっては不況と恐慌と社会不安にさいなまれた時代であった。坂道を転がるように、日本は暗い時代へと向かっていった。こうした背景をすべて削ぎ落として、庶民感覚とは程遠い恋愛物語の中でどんな共感がありうるのだろうか。

 この映画を観終わって、1階下の本屋に寄ってみた。軍事モノや歴史モノを扱う雑誌の多くが「ゼロ戦」特集を組んでいた。表紙には「傑作戦闘機ゼロ戦」などと大見出しがあった。商機到来、というわけである。世間の受け止め方は、所詮こんなものである。「アニメでしかできない美しい物語を作ってみました。戦争との関連?それは見た人たちに丸投げ」ではすまない何かがある。

 映画の中で、二郎の同僚が「自分ひとりが日本の飛行機を背負っているような顔をして…」と漏らす場面がある(もちろん、好意的にだ)。これを見て、ある言葉を思い出した。かつて、このブログでも取り上げたことがあるので、そのまま引用する。

 ◇

 高木仁三郎は著書「原発事故はなぜ繰り返すのか」で「『我が国』という発想」ということを書いている。つづめていうと本来は「公」と「私」があって激しくぶつかり合うものなのに(高木氏はここで私小説作家を例に挙げている)、技術者の意識では「公」だけがあってそれをそのまま「我が国は」と、1人で背負っているかのような言い方をする、と指摘している。そこから議論なし、批判なし、検証なしといった状況が生まれるという。「原子力は社会に貢献するのか。はたしてそのメリットとデメリットは」といった議論より先に「原発建設を進めるには」を言う技術者意識を批判しているのである。

 ◇

 「原発」を「ゼロ戦」に置き換えてみればよくわかる。この映画は、「公」はあっても「私」がない。だから本当の議論も批判も検証もない。だれも時代を超えて生きることはできないのだから、堀越の戦争責任を問え、などと言うつもりはない。しかし、「いま」という時代から、堀越の仕事はどうとらえられるべきかは、きちんと視点として提示されなければならないのではないか。それをしないのであれば、「二郎」は堀越でなくてよかったのではないか。

 


「慰安婦」発言に思う [社会時評]

「慰安婦」発言に思う


 橋下徹・大阪市長を「『弱い犬ほどよく吠える』の典型」と評したのは評論家の佐高信さんだが、その橋下さんがまた吠えた。

日本軍「慰安婦」をめぐる、5月13日以来の発言だ。要点は①戦時下で「慰安婦」制度は必要だった。しかし、今は容認できない②欧米諸国も同じことをやっていたが、日本だけが非難されるのは「性奴隷」にしていたと思われているから。これは誤解だ③沖縄の米軍司令官に「もっと風俗業を活用して」と言った。そうしないと海兵隊の性的エネルギーをコントロールできない―。

□■

「慰安婦」制度については、戦後ほとんど公的な調査が行われていない。日本を含むアジアで、この問題についての見解が分かれているのは、そもそもこのあたりに原因がある。

例外的に行われたのが、1993年の河野官房長官談話の前後に行われた調査だった。このとき、日本軍が「慰安所」設置・管理=施設提供=と「慰安婦」の移送=軍用車、軍用船の使用=をしていたことが、当時の軍の書類などから明らかになっており、河野談話もこの点に言及、歴史的事実として認めている。

13日の会見で言及したころの橋下さんは「慰安婦」問題についてずいぶん荒っぽい発言をしていたが、5月27日の外国特派員協会の会見では少し勉強したらしく、これまでよりかなり穏当な発言に終始した。すなわち、①河野発言は否定しない。したがって「慰安婦」への軍による施設提供と移送手段の提供は認める②しかし、河野談話は十分ではない。不足部分を埋める必要がある―。会見では、何を聞かれてもこの二つの一点張りで、おそらくこれが彼の会見乗りきり戦術だったのだろう。

②で橋下氏がいいたかったことは、河野談話の「甘言、弾圧によって本人の意思に反して集められた事例が数多くあり」、それは「軍の要請を受けた業者が当たっていた」という部分についてで、端的に言えば「軍による強制連行があったかなかったかはっきりしろ」ということだ。

しかし、なぜこれがそれほど問題になるのか。軍が計画を立てて民間業者に指示を出し、業者は甘い言葉やときにだまして「慰安所」へ女性を連れていったことは、これまで残されたあまり多くない関連文書でも明らかになっている。今の言葉で言えば、これは「国策民営」で、例えば女性・子どもを誘拐・拉致する場合、強制的に連れていったか甘い言葉で誘い連れていったかで罪の度合いは変わるだろうか。

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 橋下さんは13日の発言以来釈明を繰り返している。その中に「戦時中に慰安婦制度が必要だったと言っただけで、今許しているわけではない」というのがある。これについて元外務官僚の作家佐藤優さんがこう言っている。

 「国際社会にとっては単なる歴史認識では済まない論外な発言だ。かつての米国の奴隷制度は当時の基準で正しかったと言うのと同じ」

 過去のある時点の「事実」(この言葉も、本来は定義が必要だが)をそこだけ切り取って提示し、当時の価値観で語る。このやり方は正当性を持ちうるのか。

 E・H・カー著「歴史とは何か」という本は、高校生でも読んでいる。例えば、中高生と対話した東京大教授・加藤陽子さんの「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」にも出てくる。この「歴史とは何か」から手掛かりを探してみよう。

 「輿論を動かす最も効果的な方法は、都合のよい事実を選択し配列することにあるのです」▽(哲学者クローチェを引用して)「すべての歴史は『現代史』である。歴史というのは現在の目を通して、現在の問題に照らして過去を見るところに成り立つ▽歴史とは現在と過去との尽きることを知らぬ対話。

 橋下発言は、都合のよい「事実」の選択であっても歴史認識ではないと分かる。だから韓国政府は橋下さんに対して「歴史認識の欠如」と批判するのだろう。

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 戦争責任とどう向き合うか。この問題を考える時、加藤周一さんの「言葉と戦車を見すえて」が参考になる。加藤さんは、ドイツでは「過去の清算」ではなく「過去の克服」という言葉が使われるという。その意は、戦争責任を認め、謝罪し、補償し(対国家・対個人被害者)、将来に向かって道を開こうとすること。今日の日本へのアンチテーゼといってもいい。

 日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表の梁澄子さんがこんなことを言っている。

 ――「慰安婦」とは日本軍が勝手に作った名前だ。だから私たちはカッコ付きで呼んでいる。女性から見たら性奴隷制だが、軍から見たら兵士に慰安を与える。名称そのものに軍の犯罪性が現れている。

 私たちは「慰安」という言葉にひそむ被害・加害の恨の河さえ渡ってはいないのだ。

 被害の立場に身を置く想像力がなければ、日本とアジアの本当の和解はない。いや、戦後日本と切り離され、今また橋下発言によって人権を蹂躙された沖縄との和解さえない。戦後の沖縄の歴史を少しでも考えれば、米兵犯罪の底流にあるのは「性的な暴発」などではなく、アジアへの人種差別とそれを法的に裏付ける日米地位協定の問題だと分かるはずだ。日本人はアメリカ人より一段下の民族であり、暴力をふるっても刑事訴訟を受ける心配がない―。どうです、かつて朝鮮半島や中国大陸で「日本兵」が罪を犯したときの心情とそっくりではありませんか。

いま、アウシュビッツはヨーロッパを考えるときの「入場チケット」だ―。姜尚中さんがある対談で述べた言葉を思い出す。では、いま私たちが東アジアで共有すべきもの=東アジアの入場チケット=とは、なんでしょうか。


良質な保守がいなくなってしまった [社会時評]

良質な保守がいなくなってしまった

「いま日本はタカ派ばかり」(佐高信著)をめぐって
 

 今の政治家を見ていると、保守の硬骨漢、良質な保守というのがいなくなったな、という印象が強い。どうしてこうなったのか。

 これを、政治の仕組みあるいは選挙制度に由来するというのは比較的簡単なように思う。いわゆる中選挙区の時代は、一つの党内で「同士討ち」があった。そうすると、党内には選挙区事情を反映した派閥ができる。これは一見すると「閥」すなわちグループだが、内実は選挙資金からポストの面倒まで見るわけだから、事実上の「党(党内党)」である。つまり、中選挙区下の自民党には複数の党が存在した。自民党が担う政権は事実上の連立政権だったわけである。

 こうした政治状況下では、極右ももちろん存在するが、中道もしくは革新政党(この言い方もいまや「死語」であるが)に近いグループも存在しえた。三木武夫などはそうした存在なのかもしれない。宏池会なども、「公家集団」などと揶揄されてはきたが「コモンセンス」をもった保守の集団だったと見ていいのかもしれない。だが、この流れをひく加藤紘一も先ごろ、政界引退を表明した。

 こうした、保守の中での「政論」の色分けが、小選挙区への移行で随分と変わってきたのも事実であろう。選挙区で一人しか当選しない制度は、必然的に党中央の絶対権力化を生む(裏返して言えば「派閥解消」でもあるが)。最終的に選挙区候補を決める(つまり政治家の生殺与奪の権利を握る)のは党のトップであるわけで、それが政治の一元化、平面化という今日的な状況を生みだしている。

 こうした平面的で閉ざされた政治空間では、つまるところ常識よりも威勢のいいことを言った人間が目立ち、幅を利かす。このことに関しては古今東西、ネタに困らないほどの多くの史実がある。あるいはドストエフスキーの「悪霊」でも読んでみるか、連合赤軍事件のノンフィクションでも読み返してみればいいのである。

 程度の差こそあれ、いまの政治状況はこれに準ずるものであろう。もちろん、これは眺めていればいいわけではなく、なんとかしなければならない。私自身は、結局は良質の保守がいる政権こそ、日本のためだと思っている口なのだ(民主党は「良質の保守」の住処を用意しているかと思ったら、そうでもなかった。むしろ「劣等保守」の住処だった感が強い)。自公連立における公明党の位置は今日の「目立ちたがり屋」が横行する政権のおもし役、といったところだろうが、何せ宗教政党である点が引っかかる。

 どこかの新聞で、加藤紘一が「公明との連立を崩すな」と発言していたのも、こうした政治の流れの中では興味深い。

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毎日新聞社、201331日刊。1500円(税別)


 さて「いま日本はタカ派ばかり」である。ここまで書いてくれば、この書の持つ意味は明らかになるだろう。ここでは石原慎太郎、猪瀬直樹、安倍晋三、橋下徹、ビートたけしが「有害なタカ」と認定されているほか、おなじみの「筆刀両断」では吉本隆明、米倉弘昌、渡辺恒雄らが俎上にのぼっている。

 が、ここでは孫崎享のことだけに絞ってみよう。「戦後史の正体」の筆者である。あまりまじめに整理しなかったが、私の読後感はこうであった。

 戦後処理の部分は大変に参考になる。しかし、60年安保後の「対米追随」一辺倒の歴史観は、ストーリー先行の感がある―。

 岸は米国によって引きずりおろされたのか。佐藤は、対米自主派なのか。少し、無理がありはしないか。

 ここで佐高は切れ味鋭い刀を一本取り出す。憲法に対する態度である。押し付けかどうかは別として、現行憲法の制定過程は、米国の影響が強いのは確かだ。しかし近年、米国は、必ずしもこの憲法を全面支持しているとは考えにくい場面が多々ある。むしろ変えたがっているようだ。すると、現行憲法を支持する派と支持しない派は、対米自主派か追随派かという色分けにおいては、逆転する。改憲派であった岸も佐藤も、実は対米追随派ではないか。護憲派だった三木は、追随ではなく自主派ではないのか。

 この論法は、憲法の視点を持たない「外務官僚」孫崎の限界をもついて、痛快でさえある。そして、「戦後史」を書きながら、なぜか「政治の今」(あるいは「今の政治をどう変えればいいのか」)にたどり着けない孫崎の思考に対する疑問の一端を提示しているようにも思える。


1番じゃないといけないのか。 [社会時評]

1番じゃないといけないのか~

原発はなぜ票にならなかったか


 「2位じゃダメなんでしょうか」と言ったのは2009年の蓮舫だった。ノーベル賞科学者らから批判を浴びて、その後発言を修正した。たしかに、科学の世界では1番を目指さなければ2番にも3番にもなれないだろう。初めから2番を目指すなんて、その方がよほど難しい。

 最近、この「2位じゃダメなんでしょうか」というセリフが頭の中でリフレインする。年末にあった衆院選の結果を見てのことである。いうまでもないが、小選挙区は「一番でなければ人にあらず」という制度である。このことによる過剰なバイアスも問題なのだが、それはひとまず置いておくとして、他にも問題がある。その一つは、「政策課題の切り捨て」ということである。

 それは、こういうことだ。

 衆院選公示の1週間前に「脱原発」を掲げて「未来の党」が旗揚げした。嘉田由紀子代表(滋賀県知事)は「卒原発」と言ったが、その違いは些細なことである。期待した向きも多かったにちがいない。いま国民投票をすれば、おそらく「脱原発」は過半数になるだろう。どう控えめに見ても、最大多数にはなると思う。この声が「未来の党」に反映されるのではないか―。

 しかし、選挙結果に「脱原発」の声は反映されなかった。なぜか。

 初めから「脱原発」が選挙の最大テーマになっていれば、おそらく上記のような結果は得られただろう。だが、選挙ではその前に「原発をどうするかを最優先テーマとするか否か」という有権者の判断がある。景気対策、雇用問題、日中の領土問題、それらを押しのけて、有権者の意識の中で「原発」は差し迫った最大テーマだったか。

 もちろん、福島の人たちにとってはなにより重要な課題であったろうし、こんな問いを発すること自体、官邸前でデモをする人たちにとっては「馬鹿げたことを」ということになるだろう。この構図は、沖縄の基地問題にも言える。「原発」はまだ論議の俎上に上った。沖縄の基地問題は議論さえなされなかった。では、みんなの意識の中にまったくなかったかといえば、それも違う。要は「最優先の課題」とされなかったのである。

 結果を見ると、おそらく「景気・雇用対策」が国民的な最優先課題とされたのだと思う。2番目の政治課題として「原発」はあってもよかったじゃないか、といえば、そうなのだ。しかし、定数1の小選挙区制がそれを許さない。最大多数をとらないと当選しない選挙では、最大多数が振り向いてくれる政策課題を掲げざるを得ないし、自らの1票を死に票にしたくない有権者も、そうした候補に1票を投じる。

 選挙後の政治の動きを見ると、キーワードは「強者」である。まず経済で「強者」を目指す。その後は、軍事で「強者」を目指す。どうしてこんなことになったか。「1番じゃないとダメ」な選挙制度で勝ち上がった人たちが政治をやるからである。

 1番じゃなくとも2番の声、3番の声を政治に反映させる道はあるのだろうか。

 ここで思うのだが、かつてあった社会党という政党は、小選挙区制導入とともに消えた。なぜか。

 社会党の支持勢力は一定の地域の中で最大勢力ではなかった。せいぜい、2番目か3番目に位置する勢力だった。だから、「定数1」になったとたん、切り捨てられていった。もちろんその前に、村山富市首相による安保追認という大転換があったのだが、いま日米安保に異議を唱え、基地問題を追及する勢力は国会にはほぼない。「1番じゃないとダメ」な政治になったからである。

 「原発」にも「基地」にも、異議を唱える勢力は確実にいるはずである。しかしその代表を国会に送り込むサイクルがない。ただ、憲法改正や自衛隊の国防軍への衣替えや、そんなこけおどしの声だけが大きい。小選挙区制導入の罪は、少ない得票で過剰な議席を得るという「バイアス」の問題にとどまらない。政治の在り方さえ変えていくような気がしてならない。その先にあるものは何かをよく考えてみなければならない。