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「破れ目」の思想~映画「万引き家族」 [映画時評]

「破れ目」の思想~映画「万引き家族」

 

 最近読んだ加藤典洋著「もうすぐやってくる尊王攘夷思想のために」に「破れ目」という言葉が出てくる。完ぺきに見える思想構築物の中に発見された論理的破綻とでもいうべきもの。加藤はこの言葉をルソーからドストエフスキーへ、という文脈の中で使っている。ルソーの社会契約説の中で説明しきれないもの、それをドストエフスキーが「地下室の手記」で著し、さらに「社会契約」の外側、つまり法の外側の存在=新たな立法者としてラスコーリニコフという存在を造形した「罪と罰」に言及する形で、加藤は「破れ目」を使っている。

 

 是枝裕和監督の「万引き家族」を観た。加藤が言う「破れ目」を追究し、法の外側に視点を置いて、ある人間集団のありようを追った作品に思えた。そこは、社会の吹き溜まりのような場所である。しかし、だからこそ居心地がよく、人間的真実があるような場所でもある。社会の破れ目であり、何かが破たんした場所でもある。破たんしたものはいったい何か。それは作品の後半で明らかになる。

 都会のビルに挟まれて立つ、古びた平屋。5人が「家族」と称して住んでいる。生活費の柱は初枝(樹木希林)の年金。それを、細々とした各自の稼ぎと、父治(リリー・フランキー)と息子翔太(城桧吏)の連係プレーによる万引きで得た収入で補う。治と翔太は万引きの帰り、団地のベランダで震えるゆり(佐々木みゆ)を見かけ、連れて帰る。ゆりにも万引きの特訓が始まる。クリーニング店をリストラされる信代(安藤サクラ)、親には海外留学と偽ってJK専門の風俗店で働く亜紀(松岡茉優)…。

 事件が起きる。初枝が急死するのだ。年金を途絶えさせたくない治らは、遺体を床下に埋めて彼女の死を隠ぺいする。ゆりの親からは捜索願が出る。そして翔太とゆりの万引きが発覚、すべてが明るみに出る。刑事から初枝の死体遺棄、ゆりの誘拐が追及され、世間からはひんしゅくと軽蔑の視線が投げかけられる。しかし、世間の目の裏側にあるのは体裁と建前と根拠のない常識である。世間はそんなもので断罪するが、果たして「万引き」でつながっていた家族に「真実」はなかったのか…。しかし、それを絆と呼んでは、あまりに薄っぺらになってしまう。やっぱりそれは、人間社会の「破れ目」と呼ぶのがふさわしい。「体裁」や「常識」の内側にいると信じている人々には、永遠に見えることのない何か。

 是枝監督はこれまで「そして父になる」(2013)、「海街diary」(2015)、「海よりもまだ深く」(2016、未見)、「三度目の殺人」(2017)で、一貫して家族の姿を見つめた。「海街diary」は、鎌倉を舞台に美人姉妹の共同生活を描き、かつての小津安二郎を想起させる画風だった。小津は、戦後こそ中流階級のモダンな生活を虚無的な視線で描いたが、初期は路地裏の庶民生活に潜む真実を追った社会派ファルス(笑劇)に近いものをつくってきた。底流に「小津調」を秘める是枝作品群は、この「万引き家族」を観てあらためて思うのだが、小津作品の系譜を逆コースで歩んでいるように思える。

 リリー・フランキーはこの怪演をもって不世出の演技者となった。おそらく、それに続くのが安藤サクラであろう。

 2018年、カンヌ国際映画祭最高賞。


万引き家族.jpg


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