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参院マグドナルド現象の果て [社会時評]

 参院マグドナルド現象の果て

塩野七生の憂鬱
真の浮動票は
ファスト政治
世論と輿論
参院の意味
制度的な問題?

 最近、面白かったのは塩野七生と岩見隆夫の応酬である。塩野が月刊誌「文芸春秋」8月号に書いた文章に岩見が「近聞遠見」(7月10日付毎日新聞)でかみついた。塩野の文章自体は読んでいないので岩見の文章による一方的な理解であるが、それでも趣旨は十分通じると思い、ここで紹介する。
 塩野は<民主党の圧勝を望む>と題して<強力で安定した政府>を望み、そのために参院選での民主党の単独過半数を期待する。しかし、政治もしくは政界ウォッチャーのプロである岩見は当然、こんな単純な見方に与しない。「民主党は政権党として、この国の将来を託すだけの資格を備えているか」と反論する。そして塩野が<私は、鳩山という首相を、「日本の悪夢」として忘れることにした>と書けば「鳩山を支えきれなかった民主党の未熟さも軽く見るわけにはいかない」と応じる。さらに岩見は「安定するに越したことはない。だが、議席数が安定しただけで、いい政治が実現すると思うほど、有権者の目は単純でなくなっている」とする。極めてもっともな論の展開である。
 この「近聞遠見」は「塩野七生に反論する」とタイトルが付き論争のかたちをとっているが、読んでみると論争にはみえない。基本的な認識のところが大きく違っていないからだ。1年もたたず首相がコロコロ変わってはとても強力な政治などできはしないし、きちんとした日本の設計図も書けないではないか、という点で二人はそれほど違わない。違うのは、それでも辛抱強く待つか、単純、短絡的な発想に走るかではないか。塩野自身も、ああ書いたからといって民主が圧勝するなどとは思ってないのだ。政治の現状への危機感を逆説的に表明したのではないか(ここは、塩野の原文を読んでいないので推測だが)。

 さて、その参院選結果。岩見と塩野が憂えたように、民主にとっては厳しい結果が出た。衆参ねじれ国会となり、何もしなければ菅政権はたちまち立ち往生する。民主が
10議席減らして自民が13議席増、みんなの党も一気に10議席増で国民新党など小政党が軒並み微減。細かい分析はこれから出るだろうが、直観的におおざっぱに言えば民主の減り分の大部分がみんなの党に回り、一部が自民党に回ったのではないか。もちろん前回、無所属に投じられた票がみんなの党に回ったことも考えられる。それらを勘案して選挙区の票の動きを前回と今回で比べてみると民主、自民、共産、社民、無所属で約200万票、流動的と思われる票があることが分かる。みんなの党の約600万票のうち、無所属から同党に流れたとみられる378万票を差し引くと、だいたい各党の収支が符合する。この200万票は、中道のやや改革派寄りに位置し、民主、共産、社民、または自民に投じる人たちではないだろうか。「真の浮動票」といってもいい部分である。
 民主は大幅に議席を減らしたが、獲得票が大幅に減ったわけではない。党派別では、民主は選挙区、比例代表とも前回に続きトップにある。既に新聞の見出しになっているが、勝敗を分けたのは1人区だった。死に票が多い分、1人区はバイアスがかかる。マドンナブームで社会党が圧勝しおたかさんに「山が動いた」と言わしめた例をあげるまでもない。前回参院選では小沢民主が圧勝して当時の安倍晋三首相を退陣に追い込んだ。今回も1人区が死命を制したが、政党別得票数で見ると有権者全体の軸足はなお民主にある。

 話を少し前に戻そう。中道改革派の無党派層約
200万票。これはどんな動きをしているか。前回衆院選では自民に嫌気がさして「政権交代」を求めた。今回は「政権の体をなさない」民主に嫌気がさして「みんなの党」とその他に流れた。その前には自民が政権たらい回しをするたび「ノー」を突き付けた。長期ビジョンには目もくれず、短期の課題に反応する。政権側も無視できずに対応するため、どんどんサイクルが短くなる。これを社会学者の佐藤卓巳・京都大准教授は「ファスト政治」と名付けている。ファストフードの「ファスト」である。小泉純一郎首相のときは「ワンフレーズポリティクス」と呼ばれたが、それよりもっとお手軽感がこめられている。メディアによる世論調査は時時刻刻行われる。メルマガもツィッターも発信しなければならない。首相が代われば例外なく支持率が上がり、数日のうちに下降線に転じる。ちょっとした発言や態度(麻生首相の場合を思い起こせばよく分かる)で空気が変わる。そう、輿論(オピニオン)でなく世論(空気)が政治を支配し、首相の首をすげ替える。ファストフードのように「即時の充足を求める政治」(710日付毎日新聞での佐藤準教授の発言)の時代なのだ。

 その結果が、またまた衆参ねじれ国会を生んだ。これからは政策テーマで与野党が歩み寄らねば、国会はなにも決めることができない。しかしこうしたとらえ方は、参議院のありようを考えるとなにか違う気がする。参院は本来「良識の府」であったはずなのだ。衆院を通過した法案を参院で党派を超えた議論の末、修正していく。これが参院の姿ではなかったか。参院がこうした姿であれば、本当は「ねじれ国会」など問題にはならないはずなのだ。政党に縛られた参院は衆院通過法案をただオーソライズする装置でしかないのではないか。参院はいつからこうなってしまったのか。

 記憶する限り、参院を政党政治で縛ったはしりは自民党の経世会であろう。あの青木幹男がドンとして君臨した時代である。1990年代の経世会の強さと団結力の源は、実は参院にあったと思っている。この手法を引き継いだのが、民主党の小沢一郎ではなかったか。こうした「参院の政党系列化」を進めた民主がねじれ国会のしがらみに泣くとは、歴史の皮肉ではある。

 こうした目であらためてみてみると、参院の選挙制度をはどういう観点で制度設計がなされたか、首をかしげざるを得ない点が多くある。

 たとえば選挙区の1人区と比例代表が改選121議席のうち75議席を占める。比例代表は、政党名を書く選挙である。1人区は必然的に政党選挙にならざるを得ない。それは衆院の小選挙区を見ればよく分かる。その小選挙区での落選組が近年、参院へと回ってくる。これでは政党のしがらみから脱却した政治などできはしない。
 今日の政治の停滞、それは参院の選挙制度にも一因があると思えてならない。かつての全国区は参院らしい選挙区だったが、一方では選挙活動のハードさから「残酷区」などとも言われた。これを改善するために比例代表になったわけだが、たとえば全国区よりやや狭いブロックごとの大選挙区を導入、比例代表と1、2人区はなくす―などの改善策はとれないものか。


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