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「フクシマ」で浮かび上がる社会の断面 [濫読日記]

 「フクシマ」で浮かび上がる社会の断面

「日本の原発、どこで間違えたのか」(内橋克人著)

内部被曝_002のコピー.jpg  「日本の原発、どこで間違えたのか」は朝日新聞出版刊。1500円(税別)。初版第1刷は2011430日。内橋克人は1932年、神戸市生まれ。神戸新聞記者を経て67年から経済評論家。「匠の時代」「規制緩和という悪夢」など著書多数。本書は週刊現代の連載をまとめた「日本エネルギー戦争の現場」(1984年)とそれに続く「原発への警鐘」(86年)の一部を収録した。


 














 著者は「巨大複合災害に思う」(「世界」5月号)の冒頭で、こう書いている。

 ――災害はそれに見舞われた社会の断面を一瞬にして浮上させる。

 福島第一原発の惨状を見るにつけ、思うことがある。いつ、どこで、何を間違ったのだろう。その答えに結びつきそうな、さまざまな現象が現れている。政官学一体になった「原子力ムラ」の機能不全。寡占体制の上にあぐらをかいた東電の体質。なによりも、本来はありえないはずの「安全」神話の流布と、甘い防災体制。なにかが緩みきっている。原発が作られだした1970年代から80年代にかけて、もう少しまともな議論があったはずなのだ。なぜこんなことになってしまったか。

 その答えを探るため、もう一度あの時代に帰ってそこから「いま」を見てみる。そうした作業もあっていいだろう。この「日本の原発―」はちょうど30-40年前ごろを描いた、1986年刊「原発への警鐘」などを再編集し、あらためて出版した。そこから見えてくる「社会の断面」とは―。

 内容は驚くほど多岐に展開する。米国によって「毒見役」をさせられた原発黎明期の東電技術陣。国際放射線防護委員会(ICRP)に真っ向から対立し抹殺されたマンクーゾ報告。マンクーゾ教授は言う。被曝の危険性について、米政府当局はいつも次のような言い方をしています―。

 There is no immediate danger.

 「差し迫った危険なし」―。まさしくいま福島原発事故に直面して日本政府が日常的に使う言葉である。そしてスローデス、緩慢な死が訪れると教授は警告する。原発とは、殺人産業だという。

 住民の怒声の中、行政と科学者のなれあいで進められる公開ヒアリング。ここでは1970年代はじめの島根原発の場合を詳細に再現する。住民運動が今より熱気があったころ。「『安い原発』の発電コストを解明する」は、火力発電所より安いとされたコスト計算の欺瞞を見事に打ち破って明快である。

 そして、なによりも「路線変更できない官僚体質」で引いた「ある戦史研究家の述懐」がすべてを言い当てている。書かれたのは「わが国の敗因」である。

 ――有利な情報には耳を傾け、不利な情報を無視する悪癖にも由来するが、日本的な意思決定方式の欠陥を暴露したものであろう。つまり会して議せず、議して決せず…。(略)意思決定が遅く、一度決定すると容易に変更できない。変更にはまた同じプロセスを必要とするからだ。つまり状況の変化が万人の目に明らかになって、初めて決定を変更するわけだから、状況の変化の激しい戦争には最悪の方式で、常に手遅れを繰り返し、ついに命取りとなった。

 「福島原発」をめぐる敗因をこれほど見事に射抜いた言葉を他に知らない。

日本の原発、どこで間違えたのか

日本の原発、どこで間違えたのか

  • 作者: 内橋克人
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2011/04/20
  • メディア: 単行本

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