So-net無料ブログ作成

そうだ、問われるべきは社会システムだ~濫読日記 [濫読日記]

そうだ、問われるべきは社会システムだ~濫読日記

「原発社会からの離脱 自然エネルギーと共同体自治に向けて」

宮台真司×飯田哲也

 原発社会からの離脱_001.JPG 「原発社会からの離脱」は講談社現代新書。760円(税別)。宮台真司は1959年、仙台市生まれ。東大大学院博士課程修了。首都大学東京教授。社会学博士。「権力の予知理論」「日本の難点」など著書多数。飯田哲也は1959年、山口県生まれ。京都大大学院原子核工学専攻修了。東大大学院先端研を経て神戸製鋼、自然エネルギー政策研究所所長。著書に「北欧のエネルギーデモクラシー」など。













 宮台と飯田が同じ年の生まれだとは気付かなかった。団塊世代より10歳若い。思えば、今の日本の社会システムは団塊世代が最前線にいて、その上の世代が司令塔となって出来上がったと言っていい。宮台や飯田はそれらをじっと見ながらときに冷笑し、ときにしらけながら批判を加えてきた世代に違いない。
 その視線の中で、飯田が面白いことを語っている。大学院を出て神戸製鋼に入った彼は、同期生としてオウムの村井秀夫、後に衆院議員となる柳田稔と知り合うのである。柳田はともかく、村井の場合も社会システムへの視線に宮台や飯田と同じく一定の距離感を感じる。要はその後、村井は奈落の底に身を転じたが宮台や飯田はそれぞれにそうはしなかった、ということではないだろうか。

 やや話が込みいってきたのでスタートラインに戻ろう。つまりは福島の事故をめぐって「反原発」か「原発推進」かという二者択一の問題としてではなく、今日こうした事態を生みだした社会システムそのものを問うべきだ、という視点を共有することで対談は成り立っている。だからこの書は戦後日本の社会システム、あるいは共同体自治の再生の手掛かりを考える、という視点で読まれるべきだし、その文脈上でさまざまに示唆するものがある。

 難しい言い回しになったが、このことを宮台は、私などよりもっと明確に「まえがき」で書き記している。


 ――「原発をやめられない日本社会」にこそ問題がある。(略)この問題を僕は<悪い共同体>と、それに結合した<悪い心の習慣>と呼んできた。

 ここから宮台は山本七平の「空気の研究」を触媒として「<システム>への盲目的依存」というテーマをあぶりだす。

 ――これを意識化できない限り、どんなに政策的合理性を議論しても、稔(みの)りはない。


 ここで第一の標的となるのは官僚制度である。そして戦後の宰相の中でも最も官僚制度を使いこなしたとの評価があるだろう田中角栄が俎上に挙げられる。原発立地に巨額のカネをつぎ込む仕組みをつくったのは、まぎれもなく田中である。ここで飯田は地域社会の「飢えたような成長への欲望」を指摘し、宮台は「鉄腕アトム」に象徴される原子力への無垢な期待を時代背景として語る。

 田中角栄が「列島改造論」で展開したのは農村の都市化であった。そのために自動車道を張り巡らし、新幹線建設を進めた。地方に原発を建設し、そこに交付金をばらまけば一気に農村が開ける、というのは田中角栄なりの「哲学」であったに違いない。しかしハコモノは建っても農村が「開ける」ことはなかった。今日の原発列島の思想の源は「列島改造論」にあるのかもしれない。

 この書でも指摘しているが原発は197090年代にほとんどが建設された。ではこの間に、例えばエネルギー、環境などの面で社会的な制度は進んだか。この点は、「脱原発」に舵を切ったドイツとの比較でよく語られる点でもある。宮台はこういう。


 ――それ(フランス、ドイツ、アメリカの社会制度=筆者注)に対して、日本の団塊世代といわれる方々が何を制度として成果を残したか。政治的な成果を何も残していません。

 ――70年代は重要な時代です。先進国がある方向にステアリングを切った外側で、おそらく日本はボタンをかけ違えたんです。それに気がつかないまま、先に進んでしまい、今回の3.11に至ったんではないでしょうか。

 これを受けて、飯田は「あとがき」でこう書く。

 ――一時期、思考麻痺を起こしていた原子力ムラや原子力官僚、電事連、経団連などこの国の「旧(ふる)いシステム」だったが、このように性懲りもなく、もう揺り戻しを始めている。ことほどさように、彼らは今回の原発震災で何も変わっていないのだ。

 ――私たち自身もまた、問われている。「3.11前」も思考停止したまま、「原発は安全・安心・クリーン」と信じたのと同じように、「3.11」後は、それが原発たたき・東電たたきに転じただけではないのか。

 ――メディアは今の状況をネタとして「消費している」だけではないのか。


 それにしてもなぜ、日本はこうなってしまうのか。宮台が一つ、面白い指摘をしている。


 ――日本の場合は唯一絶対神的な絶対的他者性がないので、「自分たち以外のからの見え方を想像しなければ生活を営めない」とは思わない。それは大きな条件です。

 日本には社会や国のかたちをいったん立ち止まって外から眺めようとする意識や思考装置がないのではないか。それはあの戦争でよくよく身にしみたはずなのに。懲りない国民である。

原発社会からの離脱――自然エネルギーと共同体自治に向けて (講談社現代新書)

原発社会からの離脱――自然エネルギーと共同体自治に向けて (講談社現代新書)

  • 作者: 宮台 真司
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/06/17
  • メディア: 新書



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0