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悲嘆の河を渡る~映画「エレニの旅」 [映画時評]

悲嘆の河を渡る~映画「エレニの旅」


 1919年から1949年までのギリシャが舞台。革命と内戦の中を生きるギリシャ人の一団を描く。いや、違う。描かれたのは20世紀の「ギリシャ」そのものといっていい。「エレニ」は、歴史にほんろうされるひとりの女性の名であるが、ギリシャ女性に最も一般的な名であり、ギリシャの愛称でもあるといわれている。映画監督テオ・アンゲロプロスの秘めた思いの一端が伝わる。

 ロシア赤軍のオデッサ入城によって追われたギリシャ人の一団がテッサロニキの海岸にたどり着く。10年後、彼らはそこに新しい村「ニュー・オデッサ」を作り上げる。テッサロニキに着いたとき5歳だったアレクシスと、オデッサで両親を失ったエレニは恋仲になる―。

 一団のリーダーでありアレクシスの父でもあるスピロスは、妻が亡くなった後、エレニを後妻に迎えようとするが、結婚式を目前にしてエレニとアレクシスは村を逃亡、バイオリン弾きのニコスと行動を共にする。こうして、アコーディオンの名手でもあるアレクシスとエレニの旅が始まる。

 そんな中、時代はひたひたとファシズムへと向かう。しかし、1930年代から1940年代にかけてのギリシャ史はとても複雑だ。ナチスの侵攻があり、ムソリーニの支配があり、共産党組織の抵抗があり、それらレジスタンスへの英国の支援があり…。第2次大戦の終結を前にナチは撤退するのだが、その後1949年までギリシャ国内では内戦が続く。しかも、ナチ支配下の時代より内戦の時代の方が戦死者が多かったというから、このころのギリシャは悲惨である。

 アレクシスは音楽の腕を磨くためアメリカに渡る。彼に比べれば、エレニは何一つ生きるための武器を持たない。二人の息子を抱え、ただ誠実な愛を貫くだけである。

 この映画では、観るものを魅了する二つのものがある。

 一つは映像美である。海を望むテッサロニキの風に揺れる白い布。スピロスの死に際して、遺骸を載せたイカダと小舟の、黒旗を立てての無言の航行。水没したニュー・オデッサの皮肉にも美しい風景。ギリシャ人の一団はいつも、歴史に翻弄されながら沈黙の河を行くのである。まるで河そのものが、民衆の悲嘆の大きな流れであるかのような映像美。

 もう一つは音楽である。劇中、アレクシスが奏でる悲しみに満ちた曲。そのほかにも、映画の全編を懐かしくも悲痛なメロディーが包む。担当はエレニ・カラインドルー。偶然か否か、彼女もまた「エレニ」である。

 二人の息子を内戦で失い、自らはニコスをかくまった容疑で入獄、釈放されたエレニ。慟哭する彼女に呼び掛けるような、米軍に参加したアレクシスの手紙。

1945331日、ケラマ。あす地獄の沖縄に出撃する―。

幼いアレクシスとエレニは一つの約束をした。「あの河の始まりを探しに行こう…」。

それは、現代ギリシャの悲しみの源流を探す旅であったのかもしれない。

そして、アンゲロプロスの「長回し」と360度パン、ロングフォーカスはここでも健在である。言うまでもなく、この映像テクニックが物語をギリシャ神話のように重厚に仕立てている。2004年製作。

エレニの旅.jpg 

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