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旅して、いくつもの人生を生きて~濫読日記 [濫読日記]

旅して、いくつもの人生を生きて~濫読日記

 

「銀河を渡る」(沢木耕太郎著)

 

 沢木耕太郎。彼のノンフィクションを初めて読んだ時の衝撃は今でも鮮明に憶えている。「敗れざる者たち」だった。中でも「さらばダイヤモンド」(ノンフィクション全集では「さらば宝石」と改題された)は、不世出で、かつ悲運の天才バッターを描いた傑作だった。取り上げたスポーツ選手は、ひとしく他にはない才能を持ちながら「敗れて」いった者たちだった。彼らを「敗れざる」と呼んだところに、「敗れる」とは何か、彼らは本当に「敗れた」のか、という沢木の視線の地平が現れていた。言い換えれば、沢木が書きたかったのは勝負の機微などではなく、それよりもっと深いところに流れていた魂の通奏低音のようなものだっただろうという思いがした。

 そうだった。今まで読んだことのない文体を持つ沢木というルポライターは、さまざまなシーンでの「魂の旋律」を聞き取り、それを文字にできるのではないか、という衝撃だった。「敗れざる者たち」は1976年刊だから、あれから40年以上たつ。

 沢木のエッセーを集めた「銀河を渡る」が刊行された。帯には「『旅』し続けた、25年間」とある。彼の軌跡に照合すれば、「25年間」の始まりは「深夜特急」を書き終え「壇」に取り掛かるころ、であろうか。登山家山野井泰史へのインタビューに基づいた「凍」はそこから数年後のことになる。彼のルポライター人生の、後半の3分の2が射程に入っているといえようか。

代表作に「深夜特急」があることからも、沢木には「旅する」という形容が似合う。そして、この言葉には「移動」とともに「別の人生を生きる」という意味が必然的にこもる。このことを、沢木はかつてあった人気TVドラマ「逃亡者」になぞらえて語る。主人公リチャード・キンブルは、「距離」を逃亡するだけでなくいくつもの「人生」を装うことで逃亡した、そこにドラマの魅力があった、と(「四十一人目の盗賊」)。

 また、「壇」を書くにあたって、沢木はこう書いている。

 ――私は永く、ひとりの書き手として、ある人物の内奥の声をどこまで聞き取ることができるかという試みをしたいと思い続けてきた(「壇の響き」)。

 彼にあるのは、目前の人物の「人生」をどこまで生ききれるか、という思いであった。

 このエッセー集で、最も心に残ったのは、「教訓は何もない」だった。北欧のホテル。滞在者が夜な夜な集まる。一人がこんな話をした。吹雪の晩、旅人が森の一軒家を訪ねる。少しのやり取りの後、老人は「お前はもう死んでいる。だからお前を泊める部屋はない」と、旅人を置いたままドアを閉める。それで終わりだ。聞いていた一人が「教訓は」と聞く。話し手は「教訓は何もない」と答える。私たちは、一つのエピソードに対して安易に一つの教訓を求め、何か分かった気になる。それではいけない。考え続けよ、とこの小話は語っている。それは、沢木の視線の位置を語っているようだ。

 ある章の、「キャラヴァンは進む」という風変わりなタイトルにも心惹かれた。トルーマン・カポーティ―のエッセー集に「犬は吠える」があり(これは知らなかった。読んでみよう)、その源流は「犬は吠える。が、キャラヴァンは進む」というアラブのことわざで、カポーティーは「サハラ砂漠の旅人として夢想しながら」この言葉を思い出すのだという。犬の吠え声は誰しも気にかかる。が、キャラヴァンは進むのだ。沢木もまた、自らの背を押すものとして、この言葉を章のタイトルに用いたのだろう。

 それにしても蠱惑的な「銀河を渡る」とは、誰がつけたタイトルだろうか。出版社か、沢木自身か。そして「銀河を渡る」のは誰だろう。沢木自身か。それとも読者か。両方のことだろうか。

 新潮社、1800円(税別)。

 

銀河を渡る 全エッセイ

銀河を渡る 全エッセイ

  • 作者: 沢木耕太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2018/09/27
  • メディア: 単行本


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