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伝説的歌手の愛と孤独~映画「バルバラ セーヌの黒いバラ」 [映画時評]

伝説的歌手の愛と孤独~

映画「バルバラ セーヌの黒いバラ」

 

 「バルバラ」を演じる一人の女優とその映画を撮る監督。それはつまり、入れ子構造の…と書こうとして思いとどまった。先日の「アンナ・カレーニナ ヴロンスキーの物語」は入れ子構造のつくりであった。二つの時代を行き来することで、つまりは「時間」が二つの物語の明確な境界線として存在した。しかし、この映画では「バルバラ」と女優、監督の間には明確な境界線がない。1950年代にシャンソンの女王として君臨したバルバラは女優の背後に霊のごとく立ち上り、監督を迷わす。それをキャメラが凝視している。「アンナ・カレーニナ」と違って、キャメラが覚醒した視線を投げかけている。

 「ナントに雨が降る」や「黒いワシ」で国民的な人気を得たバルバラ。彼女の人生を描く映画に取り組むブリジット(ジャンヌ・バリバール)とイヴ(マチュー・アマルリック)は、バルバラの表情の細部まで再現しようと情熱を燃やす。口角の上げ方や歌う時の何気ない動作。そしてそれは、バルバラの人生の細部に分け入る動作につながっていく。愛を求めて愛に泣き、孤高を貫いて歌に人生を捧げた一人の女性。いつしかブリジットは、自分とバルバラの境界線を見失っていく…。

 「バルバラ」は明確な存在としては、映像の上で立ち現われてはいない。いるのは、ブリジットとイヴの向こうに亡霊のように漂う「バルバラ」である。しかし、だからこそ「バルバラ」は、確かな存在として現れる。

 いま、「ボヘミアン・ラプソディー」が人気を博している。フレディー・マーキュリーを演じるラミ・マレックがそっくりだとか、ラストのウェンブリー・スタジアムの21分がすごいとか…。この評価に違和感を持つのは私だけだろうか。フレディーの「そっくり」を見たいのなら実写映像を見ればいい。ウェンブリー・スタジアムも同じことが言える。いや、フレディーの内面のドラマがあるから価値があるのだ、という。しかし、フレディーの内面のドラマとして観た時、どれだけの深さと厚みがあるというのだろう。結局は、ハリウッドの商魂の勝利という思いがする。

 その点、この「バルバラ」のさりげないつくりの中の、圧倒的な「バルバラ」の存在感。リアルタイムでは知らなかった彼女の孤独が伝わる。生涯、自分の家を持たなかった彼女が「ステージは私の船」と語った孤独が。

 マチュー・アマルリックは監督、脚本も。2017年、フランス。

 

 barubara.jpg

 


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