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二大政党制を再び考えるために~濫読日記 [濫読日記]

二大政党制を再び考えるために~濫読日記

 

「国権と民権 人物で読み解く平成『自民党』30年史」(佐高信・早野透 対談)

 

 2、3年前のこと。佐高信の講演を聞いた。直前の参院選で野党が東北の改選6議席中5議席をとったことに触れ、分析には戊辰戦争まで振り返る必要がある、と力説していて驚いた。賊軍とされた奥羽越列藩同盟の怨念が背景にある、という話である。失礼ながら、ずいぶん執念深い話だな、と思った。

 同じころ、佐高は岸井成格(故人、元毎日新聞主筆、テレビキャスター)と対談、「偽りの保守・安倍晋三の正体」という本を出した。佐高は、担当した「はじめに」で、現在の政界地図のデッサンを描くために「国権派と民権派」という概念を出していた。これも、明治の自由民権運動から類推された言葉である。

 そして、佐高と早野透による対談本「国権と民権」である。明治以来の近代化を見つつ、現代の政治を批評しようという佐高の試みが実ったというべきか。

 先の岸井と佐高は同じ慶応大法学部だが、岸井が1歳年上。佐高と早野は同じ1945年生まれである。即ち、戦後と自らの人生が同じ年数である。ただし、在野の評論家で「東北」にこだわる佐高と違い、早野は神奈川県生まれ、東京大法学部から朝日新聞政治部一筋。肌合いの違いはいかんともしがたいが、そこが面白さでもある。

 さて、対談の内容である。平成の政治家を、大まかに言えば国の側に立つのか民の側に立つのか、という色分けをしたうえで論じた。二人の思想のありようからして、当然ながら「民権」に軸足がある。

 そこで民権思想に立つ政治家として、加藤紘一がまず登場する。佐高と同じ山形出身であることも大きい。自民党内では際立ったリベラル思想の持ち主であるにもかかわらず世渡りベタが響いて政権がとれなかったことも、佐高の共感を呼んでいるようだ。早野はその点「インテリゲンチャとしての弱さ」「ギリギリのところで本能的に権力を回避する政治家」と見た。対話を通じて明かされた、加藤が魯迅を原文で読んでいた、というエピソードも面白い。

 次に田中秀征が上がる。55年体制が崩壊したころ、自民党を割って「さきがけ」を作った一人。その後の自社さ政権の影のディレクターであった。田中は、国権と民権というより官権と民権の構図で考えていたと佐高はいう。さらに田中の思想を解く中で、宇都宮徳馬の言葉を引き、自民党には自由民権運動以来の野党精神と、自由民権運動は反国家的だという二つの流れがあったと指摘する。それは、自民党が長期にわたって政権を維持したエネルギーの根幹にも思える。佐高によると、田中は石橋湛山の孫弟子を自認していた。

 国権派とはだれか。二人が一致するのは岸信介、福田赳夫、小泉純一郎、安倍晋三の流れである。中曽根康弘は民権的なものを取り込んだ国権、ということになる。田中角栄は民権であるが、弟子である小沢一郎は国権に重心があった。しかし、晩年は民権に軸足を移した。

 なぜ今、このような自民党論が必要なのか。永田町の現状を見れば答えが出る。安倍一強時代といわれ、政権は上から目線で野党を批判する。つれて官僚も忖度と倫理的腐敗を進行させた。現状を打破するには、権力が腐敗すればいつでも政権交代はある、という政治状況を作らねばならない。もともと、小沢が経世会を割ったのも、そうした目論見があったからだった。野党の現状を見ると、もう一度、二大政党を目指すには、自民党を再び割るしかない。それを考える時、国権と民権は重要なキータームになると思える。

 集英社新書、820円(税別)。


国権と民権: 人物で読み解く 平成「自民党」30年史 (集英社新書)

国権と民権: 人物で読み解く 平成「自民党」30年史 (集英社新書)

  • 作者: 佐高 信
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2018/09/14
  • メディア: 新書

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