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スリリングな心理小説~濫読日記 [濫読日記]

スリリングな心理小説~濫読日記

 

「あちらにいる鬼」(井上荒野)

 

 井上光晴は好きな作家の一人だった。本棚には全集を含めかなりの数の著作があったが、大学を出るとき手放した。もはや当時の心境を詳しくは思い出せないが、生活環境の変化につれて、多分もう読むことはないと思ったのだろう。したがって今、手元に彼の著作は一冊もない。おぼろげだが、日本共産党内での所感派と国際派の論争をバックにした小説があったように記憶する。何というタイトルだったか。

 瀬戸内寂聴は、瀬戸内晴美と名乗っていたころ、夫と子を捨て出奔した。その時の体験をもとに、若い男と不遇の小説家との間を揺れる「夏の終り」を書いた。最終的に選択した若い男との同棲生活にも倦み始めたころ、井上光晴と出会った。彼には家庭があり、当時5歳だった長女はその後、直木賞をとり父と同じ作家となった。

 こうして始まった、井上と妻と瀬戸内の26年にわたる奇妙な生活を、井上の娘の筆によって描いた小説が「あちらにいる鬼」である。著者を含め、当事者が実在した、もしくは実在するだけに、実話小説(モデル小説)、不倫小説の次元でとらえがちだが、おそらくそれは間違っている。読んだ印象を一言でいえば、3人の愛憎を超えた奇跡のトライアングルの上に成立した心理小説、といえる。

 白井篤郎という小説家像が、二人の女(笙子と長内みはる)の視線によって交互に描かれる。というより、白井を見る視線の内側にひそむ二人の女の心理が描かれる、といったほうが正確かもしれない。二人とはむろん白井の妻と瀬戸内であり、白井とは井上である。瀬戸内とはこのとき、世間の常識からすれば不倫関係ということになる。しかし、この関係をただ三角関係と呼んでいいのかどうかは分からない。三人を見ている井上荒野という存在がいるからだ。ひょっとすると、小説は四角関係を描いているのかもしれない。しかし、それはどうでもいいことといえる。なぜなら、これは実話小説ではなく心理小説の域にあるからだ。

 妻の笙子は、もちろんみはると夫の長年の関係を知っていた。それでいながら、みはるが晩年、出家後に勤行をしていた岩手の寺に、勧められるまま墓所をもうけた。その心境はこう書かれる。

 ――触れないこと。口にしないこと。結局、長内さん所縁の墓地に篤郎を埋葬することに決めたそれが一番の理由だったのかもしれない。

 そして妻は、こう言い残し世を去る。

 ――一緒のお墓に入ってあげないとチチがかわいそうだからね。

 一人の作家をめぐる愛憎を薄皮一枚で覆い、奇妙な連帯感と友情にひたる二人の女。その心理に分け入る作家の娘。島尾敏雄「死の棘」を別格とすれば、近年、日常を描いてこれほどの覚悟と緊張感にあふれた作品を知らない。

 朝日新聞出版、1600円(税別)。

 


あちらにいる鬼

あちらにいる鬼

  • 作者: 井上 荒野
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2019/02/07
  • メディア: 単行本

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