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参院選・吉本・京アニで思うこと~三酔人風流奇譚 [社会時評]

参院選・吉本・京アニで思うこと~三酔人風流奇譚

 

「投票に行こう」だけでいいのか

 

松太郎 最近の世相を映した三つの出来事は低調な参院選、吉本興業をめぐるドタバタ、それから、京都アニメーションで35人が亡くなった放火殺人事件、というところか。

竹次郎 参院選は投票率が50%を割り、史上ワースト2の48.8%。その中で自民、公明の与党勢力が過半数を維持。半面、改憲とみられた勢力が3分の2を割った。これが世相を映しているかどうか…。むしろ、世間の関心を呼ばない、世相を映していないからこその問題という気がする。

梅三郎 でも、立候補者の顔ぶれや政党を見ると、とてもどこかに入れようという気にはならない。メディアは盛んに「投票に行こう」とアピールしていたが、入れたいと思う対象がないのに、わざわざ投票所に足を向けないだろう。

松 注目されたのは山本太郎のれいわ新選組。旗揚げ3カ月余りで、党で200万票余、山本個人も99万票を集めた。このあたりに、政治の閉そく状況を突破するカギがありそうだ。

竹 朝日新聞だったか、保守と革新のイメージを世論調査で問うたところ、若者層では保守とは公明、共産、革新は維新、という結果だった。共産や立憲民主を革新、自民を保守と見る高齢者層とは全く違っていた。政治の変革を考える糸口がありそうだ。

松 参院選で1819歳の投票率は30%を少し上回るぐらいで、3人に2人は投票に行っていない。しらけているのがよくわかる。その中で、行き場のない票がれいわ新選組に流れた。

梅 れいわ新選組が、新しくできた比例特定枠を使って重度障碍者を国会に送りこんだのも、新鮮な手法だ。頭や口先だけでなく、ALS患者や脳性麻痺患者の置かれた立場を国会は否応なく考えなくてはならなくなった。
竹 公明が前回の参院選より比例で100万票減らしたことも転機を象徴する出来事。ただ、低投票率のおかげで議席は過去最高タイの14議席だったが。

松 こうなってしまうと、中途半端に「投票に行こう」ではなくて、「投票に行くな」という運動があってもいい。一度落ちるところまで落ちないと政治は変わらない。

梅 気持ちはわかるが、その時には民主主義とは何だろう、ということも併せて考える必要がある。

 

権力への風刺こそお笑いの原点では

 

竹 吉本興業をめぐる問題は、もともとタレントが反社会勢力からカネをもらっていて、そのことを隠していた、というところから出発した。それが吉本の経営体質や前近代的なタレント操作術への批判になった。

梅 おそらく、そうしたトラブルは昔からあったのだろうが、今はSNSがあるから、すべて世間に筒向けになった。

松 この話はワイドショーや情報番組でさんざんやっているからあまり繰り返したくないが、気になるのは、社長会見でも強調していた「うちの会社はファミリーだ」といういい方。ある集団が家族主義だのファミリーだのというとろくなことがない。不満があるときにそれを覆い隠す、フタの役割として「家族主義」というのは機能する。危機に陥ったときに集団や組織が保護する役割を担うのかもしれないが、それは1割。あとの9割は弱者を集団に従属させるための方便だ。

竹 ダウンタウンの松本人志が吉本の大崎洋会長、岡本昭彦社長と会談したとたん、社長が会見して宮迫博之、田村亮への処分撤回と見直しを発表するに至った。反社会勢力からカネをもらい、一時それを隠していたことの責任を会社も含めどうとるかの整理はなされないままだ。会長、社長はダウンタウンの元マネジャーで、松本との関係が深いとされている。この辺の事態の動き方を見ると、吉本という会社は3人の権力トライアングルで成り立っているのかという闇の部分を感じさせる。

梅 松本批判をしたために干された、というタレントの話もいくつか出ている。例えばオリエンタルラジオ。彼らも突然テレビから消えた。

竹 「ファミリー」発言は、戦前、戦時中の家父長主義を引きずっていると思えばいい。テレビで「伝説のマネジャー」と称する人物が出てきて、売れてない芸人からは9割かそれ以上を事務所が取り、大御所と呼ばれる芸人は2、3割が事務所へ行く、というのを当然のように言っていたが、やはりそれはおかしい。世間の常識では、それは搾取だ。

梅 そうしたことを許す温床として口頭契約があるのではないか。スケールメリットという考えがおそらく事務所にはあって、それで6000人も抱えているのだろうが、やはりそれはおかしい。それを許すのは、一発当たれば儲けものという芸人稼業のギャンブル性にあるのだろうが。いずれにしてもいい風潮とはいえない。

松 吉本は2025年の大阪万博など多くの行政案件を手掛けるようになった。これには疑問を持たざるを得ない。反社会勢力とのつながりが疑われることや、経営陣がパワハラ発言をしていること、下層芸人への搾取疑惑などももちろんだが、もともとお笑いの芸人を抱えてやっている会社が政治権力と結びつくのがどうなのか。皮肉と笑いで権力者を風刺してこその会社であるはずなのに。

梅 以前、安倍晋三首相が吉本新喜劇に出てきて非常に違和感があったが、そこにも通じるような気がする。風刺こそお笑いの原点だろうに。

 

「孤独な復讐」をなくすには

 

竹 京アニの事件は悲惨だった。放火が疑われている男(7月28日現在、重篤のため未逮捕)の人生も、週刊誌などで少しずつ出てきているが、やはり悲惨だ。だからといってやったことが許されるわけではないが。父親が再婚で3人の子を設けたが母親が家を出ていき、数年後に父が自殺して子供たちは離散状態となったらしい。

梅 犯行の状況を見ていると、まるで自爆テロだ。最近、よく起きている大量殺傷事件をみると、いずれも憎悪の対象をある種の集団に見つけ出し、そこに攻撃を仕掛ける。

松 5月末にあった登戸のスクールバス襲撃もそうした傾向だった。通り魔殺人だが、記憶に新しいのは秋葉原の事件。2008年に25歳の男が17人を殺傷した。「だれでもよかった」という供述が、その後の事件でも見られた。

松 「だれでもいい」とは、個人ではなく社会全体、または社会のある層を攻撃の対象にしている、ということ。京アニの事件では、アニメーション製作という仕事を見つけ、そこに情熱を注ぐ自分と同世代の人間がいることに腹立たしさを覚えたのではないか。もちろん、本人に聞いてみないとわからないが。秋葉原ではある種の先端文化に夢中になっている人々にテロを仕掛けたし、登戸では、自分の行けなかった学校に毎日スクールバスで通う児童たちに憎悪の目を向けた、というのは十分考えられる。

竹 仕事がない、引きこもりなどの理由で社会の外側にいると、見えてくるものがあるのでは。その時、他人には容易に入り込めるが自分は立ち入れないという現実を突きつけられて孤独な復讐を企てる人たちは必ずいる。その人たちが個人への復讐でなく、社会の壁に対して暴力的に突破を図る、ということはあるだろう。それは結局、社会システムの問題であり、政治の問題になる。

梅 先日、ある情報番組でキャスターが参院選の結果より吉本興業の問題が優先される報道の在り方はおかしい、と疑問を呈していたが、これはおかしいと思う。吉本の芸人も政治家も基本の部分でやっていることは一緒で、大衆の心をどうつかむか、だ。大衆の心をつかめない政治はこの体たらく、それより少し大衆の心に近い芸人の世界の話が情報番組を賑わしている、というだけのこと。

松 大衆の心をつかむことだけが政治家の仕事ではない。それだったらポピュリズムになってしまう。

梅 もちろんそうだ。ベースは一緒というだけで、その上の枝葉はもちろん違っている。だからこそ政治家と芸人は違う。

松 なるほど。


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