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美と頽廃と揺れ動く孤独な心~映画「暗殺の森」 [映画時評]

美と頽廃と揺れ動く孤独な心~映画「暗殺の森」

 

 第二次大戦下のイタリアとフランスを舞台に、孤独なファシストの揺れ動く心情を描いた。監督は「ラストエンペラー」(1987年)のベルナルド・ベルトルッチ。アルベルト・モラヴィアの原作「孤独な青年」の原題が「 Il conformista(同調者)」で、こちらがより内容を示唆している。1970年制作、直後に公開されたが、ベルトルッチの死を追悼してデジタルリマスター版が公開された。

 少年時代にある男を誤って殺害したと思いこんだ哲学講師マルチェロ(ジャン=ルイ・トランティニアン)は、そのトラウマから逃れるようにファシズムに傾倒していった。内に異端を抱え込んだ青年が、世情の大勢にのみ込まれることで心情的な安定を得ようとしている(つまり「同調者」になる)かのようだ。その動機はあまりにも個人的であり、ファシズムへの共感がどの程度のものか分からない。

 マルチェロはブルジョワ家庭の美しい娘ジュリア(ステファニア・サンドレッリ)と結婚する。そのころ、イタリアからフランスに亡命、反ファシズムの旗を振るルカ・クアドリ教授(エンツォ・タラシオ)の身辺調査を依頼される。教授は大学の恩師だった。マルチェロは教授のいるパリへと新婚旅行に旅立つ。監視役の男がついていた。

 クアドリ教授が別荘に向かう日を確かめたマルチェロは、そのことを監視役の男に告げる。別荘への森の中、教授はめった刺しにされ殺害されるが、マルチェロは車内で見守るばかりだった。

 教授には若く美しい妻アンナ(ドミニク・サンダ)がいた。マルチェロは教授の身辺を調査するうち、アンナに惹かれ始めていた―。

 戦争が終わった。ファシストへの糾弾があちこちで始まった。恐怖におびえるマルチェロはいつしか、ファシストを指弾する側に回った。そんな折り、街頭で見かけた老人にぎょっとする。少年期のマルチェロが殺したと思いこんでいたあの男だった。

 映像は極めて美しい。教授が森で暗殺されるシーンさえぞくぞくするほどの美しさだ。そして、戦時下のイタリア、フランスをめぐるストーリーにはどこか頽廃のにおいが漂う。「ラストエンペラー」は清国の滅亡の中で翻弄される一人の男の孤独を描き出したが、「暗殺の森」では戦争の時代に翻弄された一人の男の孤独が描き出される。

 フランス、イタリア、西独合作。


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そして誰もいなくなった~濫読日記 [濫読日記]

そして誰もいなくなった~濫読日記

 

「恐怖の男 トランプ政権の真実」(ボブ・ウッドワード著)

 

 トランプ政権の迷走が止まらない。最近では、利上げ政策を取るFRB議長への大統領による批判が市場不安を招き、世界同時株安に発展した。「トランプリスク」である。背景には、政策的に一致しなければツイッター一本で「辞令」を出してしまうトランプ流への懸念がある。混迷のシリアからの撤退を突然発表し、反対するマティス国防長官が2月末辞任を発表するや、今度はその辞任を2カ月前倒しした。ホワイトハウスの統括役ともいえるケリー首席補佐官も年内にやめるが、後任選びは難航しているという。株価対策をめぐってムニューシン財務長官の辞任も取りざたされた。重要閣僚の誰がいつ辞任してもおかしくない状況だ。

 そんなトランプ政権の内幕を、ワシントンポスト記者ボブ・ウッドワードが一冊の本にまとめた。ニクソンを辞任に追い込んだ「大統領の陰謀」以来、歴代大統領の政策決定プロセスを白日にさらしてきたジャーナリストである。原著は今年9月に発売、既に140万部が売れているという(訳者あとがき)。12月上旬に出た日本語版では、冒頭、こんな言葉が目に飛び込んだ。

 

――アメリカは、感情的になりやすく、気まぐれで予想のつかない指導者の言葉に引きずり回されている。(略)世界でもっとも強大な国の行政機構が、神経衰弱を起こしている。以下はその物語である。

 

 物語の主人公は世界最強の軍隊を動かせ、地球を即座に破滅させるだけの核ミサイルのボタンを握る。その男がツイッター一本で閣僚をクビにし、他国の指導者をののしる。これが恐怖以外の何だろうか。ホワイトハウスの意思決定が、重要閣僚による手順を踏まえたものであればまだましなのだ。やり方次第でトランプをねじ伏せることもできる。しかし、問題なのは、主席戦略官という得体の知れないポストに就いたスティーブ・バノンや大統領の身内であるクシュナーやイバンカがホワイトハウス内をかっ歩し、トランプに何やら吹き込んでいることだ。しかし、バノンも20178月にやめてしまった。

 

――クシュナーとイバンカが牙城を明け渡さないことが問題だった。(略)二人をルールに沿った作業予定に引き入れるのは不可能だった。

 

 二人がここにいるべきではないのか、とトランプが聞く。そのたびに首席補佐官プリーバス(ケリーの前任)は「いるべきではないでしょうね」と答える。しかし、何も変わらない。万事、この調子なのだ。追い出そうとするのは無駄なことだと、プリーバスは確信する。

 大統領になって3カ月のトランプはシリアのサリンガス被害を目にする。女性や子供もいた。「アサドをぶっ殺せ」とトランプはマティス長官にいう。長官は「はい」というが聞き流す。一時の感情に任せて発言することを知っているからだ。結局、この件はシリア空軍施設への59基のミサイル攻撃という形を取るが、数週間後には大統領の目は他の問題に向けられる。それにしても、誰がトランプにシリアの写真を見せたのか。どうやら、イバンカが目の前でちらつかせたらしい…。

 

――トランプは目の前に書類がないと忘れることが多い。視界にないものは意識にないのだ。

 

 大統領秘書官のポーターも国家経済会議委員長のゲーリー・コーンも、そう見ていた。そして、この著書は、この種のエピソードが延々と連ねられる。

 在韓米軍に年間35億㌦が支出されていることに、トランプは不満を示す。「引き揚げろ」「どうなってもかまわん」。トランプに、外交、経済、軍事における同盟関係を理解させなければならない。マティスとコーンは、ペンタゴンに政権の重要スタッフを集め、議論することにした。大統領就任から6カ月がすぎたころである。結果は思わしくなかった。

 

――「大丈夫か?」コーンがきいた。「あの男はものすごく知能が低い」ティラーソン(国務長官、183月辞任)は、一同に聞こえるようにいった。

 

 今年初めに出た「炎と怒り トランプ政権の内幕」(マイケル・ウォルフ著)はバノンの証言をベースにしたといわれるが、「恐怖の男」はコーン(国家経済会議委員長を1842日辞任)の視点が比較的ベースになっているようだ。それにしても、さしものウッドワードもトランプ政権のドタバタには手を焼いたのではないか。目次なし、各章のタイトルなしはブッシュ、オバマ政権の時と同様の手法ではあるが、起承転結がなく終わりが突然やってくるという印象はぬぐえない。先の「炎と怒り」と同様の内幕暴露本とは呼びたくないのだが、現在の読後感では、そう呼ばれても仕方がないか、と思う。その意味では、取材対象としてのトランプ政権はあまり筋がよくない代物ではあったのだろう。

 ウッドワードが書いたのは、トランプ政権の意思決定過程の脈絡のなさとトランプ自身の判断能力のなさである。そのことはアメリカの悲劇ではあるが、ではトランプをヒラリーに変えたら問題は解決するか、といえばそうではない。アメリカが抱える問題はもっと根深いところにあり、それがアメリカにとっての悲劇でありリスクであるということを再認識させられた。

 日本経済新聞出版社、2200円(税別)。


FEAR 恐怖の男 トランプ政権の真実

FEAR 恐怖の男 トランプ政権の真実

  • 作者: ボブ・ウッドワード
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
  • 発売日: 2018/12/01
  • メディア: 単行本

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旅して、いくつもの人生を生きて~濫読日記 [濫読日記]

旅して、いくつもの人生を生きて~濫読日記

 

「銀河を渡る」(沢木耕太郎著)

 

 沢木耕太郎。彼のノンフィクションを初めて読んだ時の衝撃は今でも鮮明に憶えている。「敗れざる者たち」だった。中でも「さらばダイヤモンド」(ノンフィクション全集では「さらば宝石」と改題された)は、不世出で、かつ悲運の天才バッターを描いた傑作だった。取り上げたスポーツ選手は、ひとしく他にはない才能を持ちながら「敗れて」いった者たちだった。彼らを「敗れざる」と呼んだところに、「敗れる」とは何か、彼らは本当に「敗れた」のか、という沢木の視線の地平が現れていた。言い換えれば、沢木が書きたかったのは勝負の機微などではなく、それよりもっと深いところに流れていた魂の通奏低音のようなものだっただろうという思いがした。

 そうだった。今まで読んだことのない文体を持つ沢木というルポライターは、さまざまなシーンでの「魂の旋律」を聞き取り、それを文字にできるのではないか、という衝撃だった。「敗れざる者たち」は1976年刊だから、あれから40年以上たつ。

 沢木のエッセーを集めた「銀河を渡る」が刊行された。帯には「『旅』し続けた、25年間」とある。彼の軌跡に照合すれば、「25年間」の始まりは「深夜特急」を書き終え「壇」に取り掛かるころ、であろうか。登山家山野井泰史へのインタビューに基づいた「凍」はそこから数年後のことになる。彼のルポライター人生の、後半の3分の2が射程に入っているといえようか。

代表作に「深夜特急」があることからも、沢木には「旅する」という形容が似合う。そして、この言葉には「移動」とともに「別の人生を生きる」という意味が必然的にこもる。このことを、沢木はかつてあった人気TVドラマ「逃亡者」になぞらえて語る。主人公リチャード・キンブルは、「距離」を逃亡するだけでなくいくつもの「人生」を装うことで逃亡した、そこにドラマの魅力があった、と(「四十一人目の盗賊」)。

 また、「壇」を書くにあたって、沢木はこう書いている。

 ――私は永く、ひとりの書き手として、ある人物の内奥の声をどこまで聞き取ることができるかという試みをしたいと思い続けてきた(「壇の響き」)。

 彼にあるのは、目前の人物の「人生」をどこまで生ききれるか、という思いであった。

 このエッセー集で、最も心に残ったのは、「教訓は何もない」だった。北欧のホテル。滞在者が夜な夜な集まる。一人がこんな話をした。吹雪の晩、旅人が森の一軒家を訪ねる。少しのやり取りの後、老人は「お前はもう死んでいる。だからお前を泊める部屋はない」と、旅人を置いたままドアを閉める。それで終わりだ。聞いていた一人が「教訓は」と聞く。話し手は「教訓は何もない」と答える。私たちは、一つのエピソードに対して安易に一つの教訓を求め、何か分かった気になる。それではいけない。考え続けよ、とこの小話は語っている。それは、沢木の視線の位置を語っているようだ。

 ある章の、「キャラヴァンは進む」という風変わりなタイトルにも心惹かれた。トルーマン・カポーティ―のエッセー集に「犬は吠える」があり(これは知らなかった。読んでみよう)、その源流は「犬は吠える。が、キャラヴァンは進む」というアラブのことわざで、カポーティーは「サハラ砂漠の旅人として夢想しながら」この言葉を思い出すのだという。犬の吠え声は誰しも気にかかる。が、キャラヴァンは進むのだ。沢木もまた、自らの背を押すものとして、この言葉を章のタイトルに用いたのだろう。

 それにしても蠱惑的な「銀河を渡る」とは、誰がつけたタイトルだろうか。出版社か、沢木自身か。そして「銀河を渡る」のは誰だろう。沢木自身か。それとも読者か。両方のことだろうか。

 新潮社、1800円(税別)。

 

銀河を渡る 全エッセイ

銀河を渡る 全エッセイ

  • 作者: 沢木耕太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2018/09/27
  • メディア: 単行本


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「斬る」という行為の向こうに何が見える~映画「斬」 [映画時評]

「斬る」という行為の向こうに何が見える~映画「斬」

 

 時は幕末。舞台は江戸近郊。といっても、これらは特に意味をなさない。幕末期でなくても、江戸から遠く離れた地でもよかった。銭湯の書き割りのように淡景として存在するだけだ。

 都築杢之進(池松荘亮)は何者かにならんとして、農家に居候している。時折、村の若者市助(前田隆成)に剣術を教えていた。市助の姉ゆう(蒼井優)はそれを見守っている。そこへ剣の達人沢村次郎佐衛門(塚本晋也、監督も)が現れた。次郎左衛門は「大きなことをなすため」江戸へ上がり、京へ向かうといい、腕の立つ杢之進を誘う。

 村には野武士の集団が出没。ささいなことで市助が殺される。杢之進が仇を討ちに向かうが、彼はまだ人を斬ったことがない…。

 杢之進は、次郎佐衛門の誘いに対しても煩悶する。自分は、人を斬れるのか。

 戦国時代の戦場(いくさば)での剣さばきは、我々が想像するものとは違っていたと、どこかで読んだことがある。「引き切り」や「突き刺し」が戦場での剣の使い方で、桃太郎侍が舞いを舞うように剣を振るっても、人は殺せないという。相手が鎧兜で身を固めていればなおさらだ。戦場で必要なのは鮮やかな剣さばきではなく、確実に殺す技術なのだ。

 塚本晋也監督作品には「野火」がある。フィリピン・レイテ島。敗走する日本兵。飢餓の中で生死をさまよう。極限状況の人間を描いた大岡昇平の小説を映画化した。今回の「斬」も、底流はつながる。生と死が紙一重の、剣と剣の闘い。その場をどう生きのびるか。舞台こそ江戸末期に移されているが、描かれたのは同じ「戦場」と「人間」である。そうしてみれば、冒頭に書いたように時代や地理的設定が「淡景」に過ぎないことの意味がわかる。そして、徹底的に「人を斬る」ことの迫真性、皮膚感覚に迫る。そのためにハンディカメラが多用される(ここも「野火」と同様)。「斬る」という行為を描くことで、人間という存在の根源が垣間見えるかもしれないからだ。

 塚本晋也が監督、主演のほか製作、脚本、撮影を兼ねる。


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