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曖昧情報に耐える力を~濫読日記 [濫読日記]


曖昧情報に耐える力を~濫読日記

 

「流言のメディア史」(佐藤卓己著)

 

 「ポスト真実」「フェイクニュース」…。メディアの周辺ではこのような言葉が飛び交っている。SNSの進展が著しい今日では、裏打ちのない「ニュース」が瞬時に地球を駆け巡る。マーク・トウエーンの言葉を借りれば「真実が靴の紐を結ばぬうちに、虚偽のニュースは世界を一周してしまふ」(「流言のメディア史」6P)。新聞を念頭に発せられたが、まさにネット社会の今こそ当てはまる。

  「流言のメディア史」の著者・佐藤卓己は「神話解体の名手」として知られる。「ナチのプロパガンダ」という神話、アジア・太平洋戦争は8.15に幕を閉じたという神話を実証的な視線で解体して見せた。今度はそのメスを流言飛語にあてたのである。その動機は、まぎれもなくデジタル化、ネット化が進むメディアの時代だからこそ流言飛語は増殖する、という点にある。それゆえ佐藤は、タイトルを「流言のメディア史」とした。つまり、ここでいう流言はくちコミではなく、メディア上に現れた曖昧情報を指す。さらに「メディア論はメディア史である」という彼の持論に沿って「流言のメディア論」とはならなかった。

  取り上げたのは1938年のハロウィン前日に放送された「火星人来襲」のラジオドラマに端を発した「全米パニック」という神話、1923年の関東大震災で「自警団パニック」が起き、朝鮮人虐殺に結び付いたという神話、1936年の226事件での情報統制と流言飛語との関係、「ヒトラー神話」の戦後史などである。いずれも、曖昧情報とどう向き合うか、すなわち情報リテラシーというべきものの必要性を根底に置いている。

  このうち「『ヒトラー神話』の戦後史」の章をピックアップしてみる。ヒトラーは戦後、絶対悪として存在してきた。ニーチェが「神は死んだ」と喝破、絶対善の基準点が消滅したことで、絶対悪の参照点としてヒトラーは戦後を生き延びた。それゆえ我々の周辺では「○○は○○のヒトラーだ」というレトリックが存在する。一種のヒトラー神話だ。これが何らかの状況の中で逆転現象を起こさないか。そのことをチェックしていかなければならない。そのためにはヒトラー神話に感情的に反応するのでなく、知的な理解が必要だと佐藤はいい、実例として、ヒトラー主義者である「少年A」が書いた「絶歌―神戸連続児童殺傷事件」刊行をめぐる議論を取り上げた(佐藤はこの書の刊行を規制すべきでないという立場に立つ。もちろん「流言メディア」ととらえたうえで)。

  「情報とどう向き合うか」という観点からすると、日本人にとって最も重要な課題は戦時中の「大本営発表」であろう。佐藤は、実は大本営発表は虚偽であると大半の日本人が見抜いていたとする。それゆえに終戦後のGHQが巧妙な検閲体制の一方で新聞各紙に「太平洋戦史」を掲載させ、ラジオ番組「眞相はかうだ」を流させた時も、そのプロパガンダ性をいち早く見抜いていたと見る。「真相とは疑うべきもの」として、日本の大衆はメディアに接したのだ。

  なお、評論家の松浦総三が当時、過激な暴露路線で知られた共産党系雑誌「眞相」の精神をゆがんだ形で受け継いだのが週刊新潮、という視点は興味深い。最近では「文春砲」の方が勢いがあるが、これも基本路線は偶像や神話を標的にした「真相はこうだ」である。

  近い将来、AI時代が来るといわれる。質の悪い情報(たとえばヘイト情報)や信頼度において欠陥のある情報をAIが事前排除する、あるいは政治的に偏向した情報を排除する、そうして安全な情報だけが手元に来る時代が来たらどうだろうか。それは不幸な時代ではないかと佐藤は言う。確かに、曖昧情報を含めて我々の周辺にあり、その中から選択するからこそ我々は理性を働かせることができ、議論が可能になる。必要なのは事前のクレンジングではなく曖昧情報に耐える力である。ここに、この書を世に問うた意味がありそうだ。

  岩波新書、900円(税別)。


流言のメディア史 (岩波新書)

流言のメディア史 (岩波新書)

  • 作者: 佐藤 卓己
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2019/03/21
  • メディア: 新書



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