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「安保の今」を考えるための最適の一冊~濫読日記 [濫読日記]

「安保の今」を考えるための最適の一冊~濫読日記

 

「日米安保体制史」(吉次公介著)

 

 トランプ米大統領が日米安保の不公平性、非対称性に言及している(2019.6.26 FOXビジネスのインタビュー)。何者かに日本が攻撃された場合、米軍が日本を守る義務はあるが、米国が攻撃された場合、日本は守る義務がない、という。トランプ発言は当たっているのか。そのことを考えるため「日米安保体制史」を読んだ。

 読後感を簡単にまとめると、①これまで安保条約を対象とした書はいくつかあるが、ほとんどが条約成立時に光をあてており、米ソ冷戦後にまで目配りしたものは、この書を除いてあまりない②条約を取り巻く国際情勢、国内政治まで網羅、骨太の安保体制史といえる③安保の変質、転換点での天皇の発言が簡潔に紹介され、天皇が必ずしも戦後政治と無縁ではなかったことが明らかにされている④基地問題への目配りがきいている⑤その割にコンパクト―といったところか。

 知られているように、日米安保条約はサンフランシスコ講和条約の調印直後、米陸軍下士官クラブの一角で吉田茂首相が単独で署名した。全権団全員が署名した講和条約とは違っていた。GHQ占領下から独立した日本が、代償として米軍基地をいつでもどこでも造ることを受け入れた瞬間だった。条約の不公平性を吉田が単身で引き受けたのだった。

 60年安保は、米ソ冷戦下、日本の針路をどう考えるか、という大テーマの下、自由主義陣営の一員としての地位を確立しながら米軍による日本防衛を義務として条文に書き入れたことの意味を問うた国民的争議だった。戦争巻き込まれ論が国民的な共感を呼ぶ中、岸信介首相から見れば、日米安保の不公平性解消に努めたのであった。

 沖縄の施政権返還がなければ日本の戦後は終わらない、といったのは佐藤栄作首相であった。72年に沖縄は返還されたが、そこには核兵器持ち込みや基地返還の際の財政負担をめぐる密約があった。安保条約は日米間の不公平性の縮小へと向かったものの、同時に密約の存在という不透明性を帯びたのである。

 沖縄の施政権返還後、福田、大平、中曽根の歴代首相は日米同盟を口にした。同盟とは無論、軍事を含む。特に中曽根康弘首相(82年~)はレーガン大統領と「ロン・ヤス」と呼びあう緊密な関係を築き、同盟を不動にした。

 この辺りまでの安保体制史はこれまで目にしてきた。「日米安保体制史」の特徴は、この後、即ち米ソ冷戦後の安保体制がどう生きのびてきたかに多くのスペース(3分の1強、約80㌻)を費やしている点にある。この「米ソ冷戦後の安保」こそ今日、議論されるべきテーマである。吉田の決断した「軽武装・経済優先」路線は戦後保守政治の中で一定の評価が与えられてきたように思う。しかし、ポスト冷戦時代の「湾岸戦争をめぐる国際貢献」の問題、その後のアジア太平洋地域の安定のための要石としての日米統合運用=安保再定義=の問題、テロとの戦いの中での日米安保のグローバル化の問題は今なおINGの議論で決着はついていない。トランプ大統領が言及したのも、この辺りの生煮え感があればこそだと思われる。

 2015年、訪米中の安倍晋三首相は安保を「希望の同盟」としたが、これはとても額面通りには受け取れない。集団的自衛権の行使が可能な新安保法制を施行させたが国民的な理解があるとはいえず、基地問題も依然大きな火種である(この書の表現を使えば「アポリアとしての米軍基地問題」)。

 いま、米国とイランの関係が一触即発状態になりつつある。ポスト冷戦→自衛隊のグローバル化=集団的自衛権の行使という局面で安保はどう機能するのか。そうしたテーマに即して考えるには、最適の一冊といえる。

 岩波新書、860円(税別)。

 


日米安保体制史 (岩波新書)

日米安保体制史 (岩波新書)

  • 作者: 吉次 公介
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2018/10/20
  • メディア: 新書

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いやらしくも重い共同体の存在感~映画「誰もがそれを知っている」 [映画時評]

いやらしくも重い共同体の存在感~
映画「誰もがそれを知っている」

 

 スペインの小さな村。結婚式のため移住先のアルゼンチンから帰ってきた一家に事件が起きる。

 と書けばサスペンスのようだが、映画全編の通奏低音は心理ドラマである。危機に陥ったとき、人はどう反応するか、そんな人間の根源を見つめた作品である。それもそのはず、監督は「別離」や「セールスマン」で繊細な心理描写を見せたアスガー・ファルハディ(イラン)である。

 ラウラ(ペネロペ・クルス)は妹の結婚式のため娘イレーネ(カルラ・カンプラ)と息子ディエゴを連れ、はるばる帰ってきた。祝賀ムードの中で事件は起きた。イレーネが誘拐されたのだ。ほどなく身代金30万ユーロを払えとメールが届いた。ラウラの夫アレハンドロ(リカルド・ダリン)も駆けつけるが、彼はアルゼンチンで成功したとの風評をよそに、失業の身だった。身代金など払えるはずがなかった。

 誘拐犯はなぜ、扱いやすいはずの幼いディエゴよりイレーネを狙ったのか。身代金を取る見通しはあったのか。謎は深まった。

 ラウラにはかつて恋人パコ(ハビエル・バルデム)がいた。彼はアレハンドロとラウラから土地を譲り受けブドウ園に改良、ワインの醸造で成功していた。彼ならブドウ園を売りさえすれば身代金を払うことができた。そして実は、彼こそがイレーネの父親だった―。

 誘拐は、イレーネの父親が誰かを知っている人間が企てたのだった。いったい、それは誰なのか。

 ラウラがイレーネを生むと決めた時、アレハンドロは永久に二人だけの秘密にしておこうと考えた。しかし、誰かが知っていた。それは誰か。アレハンドロはそれとなく周囲に聞いてみた。答えは、愕然とするものだった。イレーネの父親が誰か、村のみんなが知っている―。

 本音と建前が入り組み、隠しておきたい秘密が白日にさらされる。共同体のいやらしくも重い部分が、この映画では描かれる。そして、最後に犯人は明らかになる。

 最後まで見ていくとこの映画は実は、心理の奇妙な逆転劇の上でストーリーが組み立てられていることが分かる。ラウラはパコを捨てアレハンドロと新天地に向かった。それをラウラの残った家族たちはどう見ていたか。そして村人は。イレーネの出生の秘密を共有していた村人の心にひそむ、ラウラとアレハンドロを貶めたいと思う気持ちが事件を引き起こしたと、ファルハディ監督は言いたかったに違いない。冒頭、ラウラとイレーネを迎えた村人たちの奇妙にわだかまった表情がそれを物語っているように思える。

 2018年、スペイン、フランス、イタリア合作。


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