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日本の諜報機関の現在と未来~濫読日記 [濫読日記]

日本の諜報機関の現在と未来~濫読日記

 

「内閣情報調査室 公安警察、公安調査庁との三つ巴の闘い」(今井良著)

 

 戦後日本が他国から「スパイ天国」と言われて久しい。戦前・戦中への反省から、本格的な諜報機関を作らなかったためだ。そんな折り、官邸一強と呼ばれる政治状況の中、対北朝鮮外交で安倍晋三政権は「強硬」から「対話」へと路線転換した。米国、韓国の太陽政策をにらみ、バスに乗り遅れたくないからだった。しかし、道筋をつけるのはだれか。小泉純一郎首相の電撃訪問の影には田中均という外務官僚がいた。米国、韓国にはCIA、KCIAという諜報機関がある。そこで首相が指名したのは外務省ルートではなく検察出身の北村滋・内閣情報官だった。

 首相の信頼が厚いこの人物は内閣情報調査室、つまり官邸が抱える諜報組織の元締めである。何かにつけ見え隠れするこの内閣情報調査室(内調)。いったい何をするところか。秘密調査機関であるから、もちろん全容は容易に公にならない。かつて首相にべったりといわれたジャーナリストが女性記者への強姦容疑で逮捕寸前まで行ったとき、最終的に止めたのは北村情報官だったといわれる。天下の公道を、大手を振って歩ける仕事ばかりでもないのだ。

 その内調について詳細に追ったのが今井良著「内閣情報調査室」。知られているように、日本で諜報機関と呼ばれるものは一つではない。他に検察庁筋の公安警察、法務省筋の公安調査庁がある。三つの機関は境界線が不明瞭で活動が重なるため、それぞれ触れざるを得ない。単独で書き切ることが困難なのだ。なお、公安警察については青木理の好著「公安警察」がある。

 本著は、三機関の総論、内調誕生の経緯、内調の活動ぶり、公安警察、公安調査庁の活動ぶり、内調のこれから、というかたちで展開する。

 三機関入り乱れての諜報活動なので、時に内調の人間が公安警察、公安調査庁によって追いつめられるという局面もある。第1章は、そんな象徴的なエピソードから始まる。そして、内調の組織図、活動ぶりへとポイントが移る。驚くべきは、日々の活動についての描写が細かいことだ。公刊情報と呼ばれる、ネットも含めた一般社会に流通する情報を徹底的に、それこそ「ごっそり」かき集め、分類し分析する。そこから逆に公開情報をつくる。すなわち世論操作、マスコミ工作を行う。記憶に新しいのは、前川喜平・文科省事務次官の「出会い系バー通い」報道であろう。著書では「総理の耳目」と表現しているが、時には総理の影の「口」でもある。

 興味深いのは、内調の情報収集を支える別動隊の存在だ。北朝鮮をチェックするラヂオプレスあたりは想像がつくが、NHKや共同通信、時事通信、内外情勢調査会あたりまでリストに入ってくると、流通するニュースも、一歩引いて構えてみなければならないのか、とさえ思う。

 オウム信者の犯行とみられていた警察庁長官狙撃事件。既に時効になったが、北朝鮮工作員の犯行説が消えないという。そういえば、時効に追い込まれた時の公安部長の会見は、なおオウム犯行説を主張するという異様なものだった。そのとき、公安警察の背後に何があったのか。

 公安調査庁は、破防法適用を判断するための機関である。しかし戦後、伝家の宝刀は抜かれたことがない。暴力的活動を理由に一切の団体活動を否定するだけに、憲法が保障する「集会結社の自由」と激しくぶつかる。オウム真理教に対してさえ適用を見送った。今や時代に合わせたアップデートが必要では、と著者は問う。

 では、これからの日本の諜報機関はどうなるか。外務省による一本化構想が浮かんでは消えるという。一方で内調や国家安全保障局(NSS=National Security Secretariat)については、首相の思い入れが強いという見方もある。内調トップやNSSの谷内正太郎局長についても、人的属性つまり首相の好みが大きいとされる。政権が代わったとき、今の比重のまま行けるのかどうか、不透明なのだ。とはいえ境界線があいまいなまま入り乱れて活動する今の諜報機関、いずれ統合が迫られるようにも思う。

 著者は「おわりに」で「内閣情報調査室をテーマにするのには勇気が必要だった」と述べている。本音だろう。とりあえず、書きにくいテーマを書いた勇気に拍手を送りたい。

 幻冬舎新書、840円(税別)。


内閣情報調査室 公安警察、公安調査庁との三つ巴の闘い (幻冬舎新書)

内閣情報調査室 公安警察、公安調査庁との三つ巴の闘い (幻冬舎新書)

  • 作者: 今井 良
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2019/05/30
  • メディア: 新書

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スリリングな心理小説~濫読日記 [濫読日記]

スリリングな心理小説~濫読日記

 

「あちらにいる鬼」(井上荒野)

 

 井上光晴は好きな作家の一人だった。本棚には全集を含めかなりの数の著作があったが、大学を出るとき手放した。もはや当時の心境を詳しくは思い出せないが、生活環境の変化につれて、多分もう読むことはないと思ったのだろう。したがって今、手元に彼の著作は一冊もない。おぼろげだが、日本共産党内での所感派と国際派の論争をバックにした小説があったように記憶する。何というタイトルだったか。

 瀬戸内寂聴は、瀬戸内晴美と名乗っていたころ、夫と子を捨て出奔した。その時の体験をもとに、若い男と不遇の小説家との間を揺れる「夏の終り」を書いた。最終的に選択した若い男との同棲生活にも倦み始めたころ、井上光晴と出会った。彼には家庭があり、当時5歳だった長女はその後、直木賞をとり父と同じ作家となった。

 こうして始まった、井上と妻と瀬戸内の26年にわたる奇妙な生活を、井上の娘の筆によって描いた小説が「あちらにいる鬼」である。著者を含め、当事者が実在した、もしくは実在するだけに、実話小説(モデル小説)、不倫小説の次元でとらえがちだが、おそらくそれは間違っている。読んだ印象を一言でいえば、3人の愛憎を超えた奇跡のトライアングルの上に成立した心理小説、といえる。

 白井篤郎という小説家像が、二人の女(笙子と長内みはる)の視線によって交互に描かれる。というより、白井を見る視線の内側にひそむ二人の女の心理が描かれる、といったほうが正確かもしれない。二人とはむろん白井の妻と瀬戸内であり、白井とは井上である。瀬戸内とはこのとき、世間の常識からすれば不倫関係ということになる。しかし、この関係をただ三角関係と呼んでいいのかどうかは分からない。三人を見ている井上荒野という存在がいるからだ。ひょっとすると、小説は四角関係を描いているのかもしれない。しかし、それはどうでもいいことといえる。なぜなら、これは実話小説ではなく心理小説の域にあるからだ。

 妻の笙子は、もちろんみはると夫の長年の関係を知っていた。それでいながら、みはるが晩年、出家後に勤行をしていた岩手の寺に、勧められるまま墓所をもうけた。その心境はこう書かれる。

 ――触れないこと。口にしないこと。結局、長内さん所縁の墓地に篤郎を埋葬することに決めたそれが一番の理由だったのかもしれない。

 そして妻は、こう言い残し世を去る。

 ――一緒のお墓に入ってあげないとチチがかわいそうだからね。

 一人の作家をめぐる愛憎を薄皮一枚で覆い、奇妙な連帯感と友情にひたる二人の女。その心理に分け入る作家の娘。島尾敏雄「死の棘」を別格とすれば、近年、日常を描いてこれほどの覚悟と緊張感にあふれた作品を知らない。

 朝日新聞出版、1600円(税別)。

 


あちらにいる鬼

あちらにいる鬼

  • 作者: 井上 荒野
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2019/02/07
  • メディア: 単行本

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「安保の今」を考えるための最適の一冊~濫読日記 [濫読日記]

「安保の今」を考えるための最適の一冊~濫読日記

 

「日米安保体制史」(吉次公介著)

 

 トランプ米大統領が日米安保の不公平性、非対称性に言及している(2019.6.26 FOXビジネスのインタビュー)。何者かに日本が攻撃された場合、米軍が日本を守る義務はあるが、米国が攻撃された場合、日本は守る義務がない、という。トランプ発言は当たっているのか。そのことを考えるため「日米安保体制史」を読んだ。

 読後感を簡単にまとめると、①これまで安保条約を対象とした書はいくつかあるが、ほとんどが条約成立時に光をあてており、米ソ冷戦後にまで目配りしたものは、この書を除いてあまりない②条約を取り巻く国際情勢、国内政治まで網羅、骨太の安保体制史といえる③安保の変質、転換点での天皇の発言が簡潔に紹介され、天皇が必ずしも戦後政治と無縁ではなかったことが明らかにされている④基地問題への目配りがきいている⑤その割にコンパクト―といったところか。

 知られているように、日米安保条約はサンフランシスコ講和条約の調印直後、米陸軍下士官クラブの一角で吉田茂首相が単独で署名した。全権団全員が署名した講和条約とは違っていた。GHQ占領下から独立した日本が、代償として米軍基地をいつでもどこでも造ることを受け入れた瞬間だった。条約の不公平性を吉田が単身で引き受けたのだった。

 60年安保は、米ソ冷戦下、日本の針路をどう考えるか、という大テーマの下、自由主義陣営の一員としての地位を確立しながら米軍による日本防衛を義務として条文に書き入れたことの意味を問うた国民的争議だった。戦争巻き込まれ論が国民的な共感を呼ぶ中、岸信介首相から見れば、日米安保の不公平性解消に努めたのであった。

 沖縄の施政権返還がなければ日本の戦後は終わらない、といったのは佐藤栄作首相であった。72年に沖縄は返還されたが、そこには核兵器持ち込みや基地返還の際の財政負担をめぐる密約があった。安保条約は日米間の不公平性の縮小へと向かったものの、同時に密約の存在という不透明性を帯びたのである。

 沖縄の施政権返還後、福田、大平、中曽根の歴代首相は日米同盟を口にした。同盟とは無論、軍事を含む。特に中曽根康弘首相(82年~)はレーガン大統領と「ロン・ヤス」と呼びあう緊密な関係を築き、同盟を不動にした。

 この辺りまでの安保体制史はこれまで目にしてきた。「日米安保体制史」の特徴は、この後、即ち米ソ冷戦後の安保体制がどう生きのびてきたかに多くのスペース(3分の1強、約80㌻)を費やしている点にある。この「米ソ冷戦後の安保」こそ今日、議論されるべきテーマである。吉田の決断した「軽武装・経済優先」路線は戦後保守政治の中で一定の評価が与えられてきたように思う。しかし、ポスト冷戦時代の「湾岸戦争をめぐる国際貢献」の問題、その後のアジア太平洋地域の安定のための要石としての日米統合運用=安保再定義=の問題、テロとの戦いの中での日米安保のグローバル化の問題は今なおINGの議論で決着はついていない。トランプ大統領が言及したのも、この辺りの生煮え感があればこそだと思われる。

 2015年、訪米中の安倍晋三首相は安保を「希望の同盟」としたが、これはとても額面通りには受け取れない。集団的自衛権の行使が可能な新安保法制を施行させたが国民的な理解があるとはいえず、基地問題も依然大きな火種である(この書の表現を使えば「アポリアとしての米軍基地問題」)。

 いま、米国とイランの関係が一触即発状態になりつつある。ポスト冷戦→自衛隊のグローバル化=集団的自衛権の行使という局面で安保はどう機能するのか。そうしたテーマに即して考えるには、最適の一冊といえる。

 岩波新書、860円(税別)。

 


日米安保体制史 (岩波新書)

日米安保体制史 (岩波新書)

  • 作者: 吉次 公介
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2018/10/20
  • メディア: 新書

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満洲国の総括=葬式は誰が出すのか~濫読日記 [濫読日記]

満洲国の総括=葬式は誰が出すのか~濫読日記

 

「キメラ―満洲国の肖像」(山室信一著)

 

 赤坂憲雄著「北のはやり歌」は、なぜか「北」を目指す歌謡曲の謎を追っている。その代表格ともいえる「北帰行」も当然、俎上に載せられている。旅順高の寮歌が元歌で、作詞者が幼少期を過ごした満州を故郷として偲んだ、といわれる。ただ、小林旭が歌った「北帰行」とは、1番を除いて詞が大幅に組み替えられている。それでも赤坂は、この歌に「近代の裂け目」を見る。

 ―日本の近代にとって、もうひとつの「北」がそこに見え隠れしていることを忘れてはならない。満州国という名の、もうひとつの「北」である。

 「北」の持つ冷涼で寂寂としたイメージには、傷ついた心を癒す何かが含まれている、という赤坂は、ここで「満州」を重ねる。知的デカダンと反抗の末に「北」への望郷歌を生み出した旅順高生・宇田博にとって、「満州」とは何だったのだろう。

    ◇

 1932年に中国東北部に登場、13年後に姿を消した「満洲」は、今も我々日本人に一筋縄ではいかない感慨をもたらす。軍部の策略によってもたらされた傀儡国家であり、日本の近代が行きついた植民地政策の象徴でもあった。そこには、抜きがたいアジア民衆への差別感情があり、それとは裏腹に西欧文明社会にはなかった「王道楽土」の理想主義があった。これを、軍部の暴走という一言で葬り去るのは簡単である。事実、戦後思想は「満洲」を黙殺してきた。

 「キメラ―満洲国の肖像」は、こうした「満洲」の姿かたちを余すところなく掘り下げた一冊である。満蒙の権益をめぐる日ロの争い、領有論と独立国家建設論、石原莞爾の「世界最終戦論」。五族協和を掲げ、王道楽土=資本主義でも社会主義でもなく、反政党政治による新天地建設。しかし、近代国家は中国の民には果たせない、という決定的な民族差別が苛烈な階層社会を形成したという。

 石原莞爾はある座談会で、一人の中国人の言葉に感銘を受ける。于沖漢の保境安民・不養兵主義である。しかし、中国東北部に争いも差別もない社会を築く、という目標は、日本人絶対優先思想の中で崩れ、兵を持たないという思想は対ロシア戦線の防御は関東軍に任せる、ということでいずれも絵に描いた餅になった。

 こうした中で山室は、一人の日本人ジャーナリストを紹介している。橘樸(たちばな・しらき)。魯迅が「中国人よりも中国のことを知っている」と評した。中国民衆に無限のエネルギーを感じ、平等主義・対等主義を唱えた。その橘でさえ、反資本、反政党を鮮明にした関東軍に夢を託した。満洲事変をアジアと中国民衆の解放と捉えた。それは、貧困にあえぐ日本改造の契機としたのである。橘でさえ、日中非対等の罠に陥ったのである。

 満洲居留民は4千万人といわれた。しかし、滿洲国民は一人もいなかった。国籍法がなかったからである。なぜか。山室は、国籍法を阻む日本人の心情があったのではないか、と推測する。

 「増補版のためのあとがき」で、山室は「日本国家は満洲国の葬式を出していない」とした竹内好の言葉を紹介している。この言葉は、いまも重いように思える。

    ◇

 「キメラ」とは、複数の遺伝子構造を持つ生き物のことである。もともとは、ギリシャ神話に登場する動物を称した。頭はライオン、胴体は羊、しっぽは毒蛇(山室は著書の中で「しっぽは龍」としている)。もちろん、さまざまな思惑の中で人工的に作り上げられた満州国を指している。頭のライオンは関東軍、胴体は天皇制を指すとすれば、しっぽは清国の末裔溥儀を指す。その意味では、しっぽは蛇より龍が似合っている。

(「満洲」は冒頭「北のはやり歌」の部分を除き、「満州」とはせず山室の著書の表記に従った)

 中公新書、960円。

 


キメラ―満洲国の肖像 (中公新書)

キメラ―満洲国の肖像 (中公新書)

  • 作者: 山室 信一
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2004/07/01
  • メディア: 新書

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曖昧情報に耐える力を~濫読日記 [濫読日記]


曖昧情報に耐える力を~濫読日記

 

「流言のメディア史」(佐藤卓己著)

 

 「ポスト真実」「フェイクニュース」…。メディアの周辺ではこのような言葉が飛び交っている。SNSの進展が著しい今日では、裏打ちのない「ニュース」が瞬時に地球を駆け巡る。マーク・トウエーンの言葉を借りれば「真実が靴の紐を結ばぬうちに、虚偽のニュースは世界を一周してしまふ」(「流言のメディア史」6P)。新聞を念頭に発せられたが、まさにネット社会の今こそ当てはまる。

  「流言のメディア史」の著者・佐藤卓己は「神話解体の名手」として知られる。「ナチのプロパガンダ」という神話、アジア・太平洋戦争は8.15に幕を閉じたという神話を実証的な視線で解体して見せた。今度はそのメスを流言飛語にあてたのである。その動機は、まぎれもなくデジタル化、ネット化が進むメディアの時代だからこそ流言飛語は増殖する、という点にある。それゆえ佐藤は、タイトルを「流言のメディア史」とした。つまり、ここでいう流言はくちコミではなく、メディア上に現れた曖昧情報を指す。さらに「メディア論はメディア史である」という彼の持論に沿って「流言のメディア論」とはならなかった。

  取り上げたのは1938年のハロウィン前日に放送された「火星人来襲」のラジオドラマに端を発した「全米パニック」という神話、1923年の関東大震災で「自警団パニック」が起き、朝鮮人虐殺に結び付いたという神話、1936年の226事件での情報統制と流言飛語との関係、「ヒトラー神話」の戦後史などである。いずれも、曖昧情報とどう向き合うか、すなわち情報リテラシーというべきものの必要性を根底に置いている。

  このうち「『ヒトラー神話』の戦後史」の章をピックアップしてみる。ヒトラーは戦後、絶対悪として存在してきた。ニーチェが「神は死んだ」と喝破、絶対善の基準点が消滅したことで、絶対悪の参照点としてヒトラーは戦後を生き延びた。それゆえ我々の周辺では「○○は○○のヒトラーだ」というレトリックが存在する。一種のヒトラー神話だ。これが何らかの状況の中で逆転現象を起こさないか。そのことをチェックしていかなければならない。そのためにはヒトラー神話に感情的に反応するのでなく、知的な理解が必要だと佐藤はいい、実例として、ヒトラー主義者である「少年A」が書いた「絶歌―神戸連続児童殺傷事件」刊行をめぐる議論を取り上げた(佐藤はこの書の刊行を規制すべきでないという立場に立つ。もちろん「流言メディア」ととらえたうえで)。

  「情報とどう向き合うか」という観点からすると、日本人にとって最も重要な課題は戦時中の「大本営発表」であろう。佐藤は、実は大本営発表は虚偽であると大半の日本人が見抜いていたとする。それゆえに終戦後のGHQが巧妙な検閲体制の一方で新聞各紙に「太平洋戦史」を掲載させ、ラジオ番組「眞相はかうだ」を流させた時も、そのプロパガンダ性をいち早く見抜いていたと見る。「真相とは疑うべきもの」として、日本の大衆はメディアに接したのだ。

  なお、評論家の松浦総三が当時、過激な暴露路線で知られた共産党系雑誌「眞相」の精神をゆがんだ形で受け継いだのが週刊新潮、という視点は興味深い。最近では「文春砲」の方が勢いがあるが、これも基本路線は偶像や神話を標的にした「真相はこうだ」である。

  近い将来、AI時代が来るといわれる。質の悪い情報(たとえばヘイト情報)や信頼度において欠陥のある情報をAIが事前排除する、あるいは政治的に偏向した情報を排除する、そうして安全な情報だけが手元に来る時代が来たらどうだろうか。それは不幸な時代ではないかと佐藤は言う。確かに、曖昧情報を含めて我々の周辺にあり、その中から選択するからこそ我々は理性を働かせることができ、議論が可能になる。必要なのは事前のクレンジングではなく曖昧情報に耐える力である。ここに、この書を世に問うた意味がありそうだ。

  岩波新書、900円(税別)。


流言のメディア史 (岩波新書)

流言のメディア史 (岩波新書)

  • 作者: 佐藤 卓己
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2019/03/21
  • メディア: 新書



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タブーなく「戦後」を問い直した労作~濫読日記 [濫読日記]

タブーなく「戦後」を問い直した労作~濫読日記

 

「検証『戦後民主主義』わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか」(田中利幸著)

 

 「戦後」を「平和と民主主義の時代」と言ってしまうとき、わたしたちは何か割り切れないものを精神のどこかに抱えていることに気づく。確かに、今は「戦争をしていない」という意味では「平和の時代」なのかもしれない。しかし、この平和がどこから来たのか、その由来について、あるいは思想的裏打ちについて、わたしたちは語ることができない。同じことが「民主主義」についてもいえる。何かを置き忘れたまま、あるいは何かを徹底的に問い詰めないまま、私たちは「戦後」という時代を生きてしまっているのではないか。

 もし、あなたが上記のような思いを心のどこかに抱えているなら、この「検証『戦後民主主義』」を読んでみることだ。あらゆるタブーが取り払われ、「戦後」という時代の再構築が試みられている。入り口は「戦争責任」であり、主なキータームは天皇制、空爆と原爆、憲法である。

 著者はまず、近代日本の戦争史を振り返る中で天皇がどれほどのかかわりを持ったかを追及する。当たり前だが、天皇は陸海軍の統帥権の頂点にあったのだから本来、責任は免れようがない。事実、日本の敗戦時には米国を除く連合国軍の形成国は天皇の戦争責任追及を構えていた。寸前で食い止めたのはGHQのマッカーサー最高司令官であった。背景には、ソ連という新たな敵を見すえての、国家総動員体制の継続・維持があった。そのためのリモコン装置として天皇制継続がもくろまれたのである。

 ここから、戦後憲法において第1条(天皇制)盛り込みのために第9条(戦争放棄)が不可欠だったという、いわゆる1条・9条セット論が展開される。軍国主義の象徴的存在である天皇を生きのびさせるためには、日本の軍備の完全放棄を宣言することが避けられなかったのだ。

 こうして、政治的思惑から天皇制は憲法に盛り込まれた。民主主義社会実現のための要請からではなかった。それゆえ民主主義の理念と天皇制は激しく矛盾する。そのことは著者の指摘の通りである。

 著者は永年、米軍が日本に加えてきた空爆の事実検証を行ってきた。紙と木でできた日本家屋を壊滅させるための有効な手段としてナパーム弾が開発され、空爆のための「空の要塞」B29を大量生産し、100を超す都市で火炎地獄が展開された。犠牲になったのは直接、米国へ被害をもたらすとは思えない一般市民である。こうした攻撃を可能にしたのは総力戦の思想、もしくは戦略爆撃の思想であった。これは米国の加害責任として問われるべきだが、その先駆けとなった日本、ドイツの空爆の歴史にも追及のメスは向けられる。その意味では、原爆も空爆も同じ線上にある。ところが、原爆については「被爆者」はいるが投下責任を問う声は驚くほど少ない。このことは、オバマ米国大統領が2016年5月に広島を訪れた際の「惨状」を見れば明らかである。

 原爆については、「平和のための聖なる犠牲」という論理展開に、小田実の「戦敗国ナショナリズム」という概念によって異議を唱えた。「平和への犠牲」とは、いまも広島を覆う精神風土を言い表す言葉だが、背景には戦争の肯定化がある。小田が言う通り、空爆によっても原爆によっても、死んでいったものは犬死であり「難死」だという認識から戦後思想は出発すべきものなのだ。

 戦後の日本は「一億総ざんげ」、即ち、すべての国民に責任がある、言い換えれば、だれも責任を負わないという形でスタートした。その頂点に「人間天皇」がいた。不思議なことに天皇は「加害責任」の頂点から「一億総被害者」の頂点へと、その位置を移したのである。この立ち位置はいまも続いている。

 「戦後」に関する著者の論理展開は、実に多岐にわたっている。とてもすべてを紹介しきれない。これ以上のことを知りたい、あるいは考えたいと思う人は是非一読願いたい。労作である。

 三一書房、2800円(税別)。

 


検証「戦後民主主義」 (わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか)

検証「戦後民主主義」 (わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか)

  • 作者: 田中 利幸
  • 出版社/メーカー: 三一書房
  • 発売日: 2019/05/13
  • メディア: 単行本

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「いま」を読むための絶好のカタログ~濫読日記 [濫読日記]

「いま」を読むための絶好のカタログ~濫読日記

 

「日本の同時代小説」(斎藤美奈子著)

 

 気がつけば、「いま」をテーマにした小説を読むことが少なくなった。評論、ノンフィクションは手にすることはあっても、小説から足が遠のいていた。なぜだろう。それを考えるためにも「日本の同時代小説」を手にした。齊藤美奈子は私と7歳違い、一回りとはいかなくとも半回りぐらい後の世代である。その著者が冒頭、近現代小説をカバーする解説書は、1960年代後半で途切れている、と書く。それが、この書を書く動機でもあったという。

 なぜこの50年間、同時代小説をテーマにした解説書が書かれなかったか。

 思えば、70年代末ごろから日本では「ポストモダン」がもてはやされた。文学も例外ではなく、近代のルーツを問わない作風がもてはやされた。現代小説の俯瞰作業の停滞には、こうしたことも影響しているかもしれない。しかし、そういってしまえば元も子もないので、斎藤は地道に近代と現代との接点を追っている。

 その際のカギ、もしくは通路となるのは「私小説」と「プロレタリア文学」である。いうまでもなく、日本の近代文学を支えた二大ジャンルである。斎藤は「私小説」について、ヘタレ知識人のたわけ自慢、貧乏自慢と痛快に切って捨て、プロ文については、肝心の労働現場が描かれていない、とする。そしてこれらは手を変え品を変え、脈々と引き継がれた、という。

 80年代を飾ったのは、青春小説の爆発であった。この系譜も、実は60年代からあった。まず「されどわれらが日々―-」(柴田翔)と「赤頭巾ちゃん気をつけて」(庄司薫)である。二作に共通するのは、知識人予備軍の悶々たる思いである。70年代にはこれらへのアンチテーゼが登場する。「青春の門・筑豊編」(五木寛之)や「青葉繁れる」(井上ひさし)。80年代には、大衆消費社会の爛熟を反映した作品が象徴的な存在になった。田中康夫の「なんとなくクリスタル」である。島田雅彦の「優しいサヨクのための嬉遊曲」と合わせ、ポストモダンの気分が醸し出された。

 2010年代は3.11を経て「ディストピアの時代」だった。こうした風潮を受けて、ポストモダン風の労働小説なるものが登場した。「工場」(小山田浩子)や「コンビニ人間」(村田沙耶香)である。かつて労働現場を書くことがなかったプロ文が、労働現場を書くプロ文としてこの時代に開花したともいえる。ほかにも、若者に過酷な労働を強いるブラック企業の存在が、数々のプロ文作品(2000年代以降はプレカリアート=不安定被雇用者=文学)を生み出した。

 リリー・フランキー「東京タワー――オカンとボクと、時々、オトン」(2005年)はベストセラーになった。上京小説であり母への鎮魂小説、涙と感動の物語。貧困経験を絡めた、これもまた私小説であろう。私小説の流れは途切れないのである。

 というわけで、この書は同時代小説の解説本というよりカタログ、もう少し上品に言えば針路図といったものである。そこに、著者独特の率直な言い回しがピリッとした味付けになっている。例えば渡辺淳一「失楽園」について「美食三昧、性交三昧。バブル時代を懐かしむかのような小説」。あるいは見延典子「もう頬づえはつかない」や中沢けい「海を感じるとき」が売れたのは「読者のスケベ心を刺激したから」といった分かりやすい結論にそれを見ることができる。

 岩波新書、880円。


日本の同時代小説 (岩波新書)

日本の同時代小説 (岩波新書)

  • 作者: 斎藤 美奈子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2018/11/20
  • メディア: 新書

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歴史の中の人間を浮かび上がらせた~濫読日記 [濫読日記]

歴史の中の人間を浮かび上がらせた~濫読日記

 

「近現代日本史との対話【戦中・戦後―現在編】」(成田龍一著)

 

 当ブログで先に掲載した「近現代日本史との対話【幕末・維新―戦前編】に続く、近現代日本を俯瞰した通史の後半部分である。標題からも分かるように、前半は1930年代、満州事変によって日本が一気に暗い時代へと突入するところで終わっている。それを受けて後半は30年代、日中戦争から米英との戦争へとところから始まる。

 つまり、近現代日本を二つに分ける場合、分岐点は45年8月の敗戦にあるわけではないことを、著者は2部構成のかたちの中で語っている。もちろんこれは、分量の都合などによるものではない。

 著者は近現代史を、「システム論」を用いて分析を試みるが、ここでもその手法で説明するのが分かりやすいだろう。明治以降の動きをまずAⅠ、AⅡで説明している。前者は国民国家形成の時代、後者は植民地主義による帝国主義国家形成の時代と読める。そしてBⅠは30年代の昭和恐慌から55年、つまり55年体制が始まるころまで、BⅡは55年から73年まで。システムBという大きなくくりでいえば、1930年から73年までを一つの「時代」と見ることができるということだ。

 なぜそうなるのか。キーワードは「国家総動員体制」である。30年代から日本は限りなく社会主義に近い形になった。戦争に総力を挙げるため、国家主導の経済計画が立てられ、食糧配給制による強制的同一化が行われ、大政翼賛システムによって世論の統合が図られた。清沢洌は「暗黒日記」で「共産主義的な徴候」と記した(P83)。システムBの時代とは、人間を「資源」として見ることで動員対象とした時代でもある。これらの社会システムは敗戦によって全面転換されたかといえば、そうではなかった。官僚組織は温存され、戦時のプロパガンダ体制も生きのびた(この辺はジョン・ダワー著「昭和」が詳しい)。

 社会システムとしては戦中も戦後も、それほど変わらなかったのである。変わったのは戦争という「公」のためか、経済という「私」のためか、である。こうして国家総動員体制に支えられた戦後日本は高度経済成長を遂げた。目的が宙づりにされたまま(20P、映画「五人の斥候兵」)、団結することで戦った日中戦争と、幸福とは何かを問わないまま、アメリカ的裕福さを追い求めた戦後とは、よく似た構造を持つのである。明治維新以降、国民国家形成にまい進した結果が、60年代から70年代初めにかけての高度経済成長に行き着いたともいえる。

 

――戦後は「ゼロ」からの出発点ではなく、また、「近代」の単純な再試行でもありません。「戦後」といったとき、総力戦のもとで変化した社会がすでにあり、そこが出発点となっています。(175P)

 

 では、その後の時代をどう見るか。

 著者は、73年から95年までを一つのシステムと見る。

 80年代は、一言でいえば新自由主義が吹き荒れた時代だった。国鉄、電電、専売が民営化され、中曽根康弘政権は私的諮問機関による政策決定でトップダウン型政治を確立させた。中曽根は「戦後政治の総決算」を掲げたが、思想界でも戦後思想から現代思想への転換が語られた。田中康夫の「なんとなくクリスタル」をはじめ、消費社会をおう歌する小説がもてはやされた。

 阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が起きた95年は、こうして「戦後・後」が語られる画期となった。沖縄で米兵による少女暴行事件が起き、県民の怒りが渦巻いた年でもあった。加藤典洋著「敗戦後論」では、内に向かって死者を悼む心と、外に向かって謝罪・反省する心の「ねじれ=『無辜の死者』と『英霊』を悼む心のねじれ」が問われた。「ポスト戦後」が問われる時代に入ったことが意識されたのである。

 この後「<いま>の光景」として9.11や東日本大震災が語られるが、やはり「いま」に近すぎるため、「歴史」として定着させるには少々時間がかかるだろうことは予測できる。

    ◇

 「あとがき」で成田はこう書いている。

 ――ややこしいいい方になりますが、メタ通史に対応し、それを私の視点と作法から叙述した「通史」なのです。(529P)

 メタヒストリーという概念がある。歴史的事実を叙述するとき、その背後には一定のイデオロギーや視点が潜む。それをも含めて叙述するのが「メタヒストリー」という概念だろう。「通史」という入れ物を使いながらメタ通史でもありうる通史、というのが著者の主張であろう。簡単に言えば、歴史的事実を並べただけでなく、背景にある思想運動や文学をはじめとする芸術活動、映画やテレビドラマの変遷、それらにも目配りをして(やや手を広げすぎの観もあるが)人間を浮かび上がらせた、そういうことであろうか。

 

 集英社新書、1400円。

 

近現代日本史との対話【戦中・戦後―現在編】 (集英社新書)

近現代日本史との対話【戦中・戦後―現在編】 (集英社新書)

  • 作者: 成田 龍一
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2019/02/15
  • メディア: 新書

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事実とフィクションが入り組んで~濫読日記 [濫読日記]

事実とフィクションが入り組んで~濫読日記

 

「HHhH プラハ、1942年」(ローラン・ビネ著)

 

 タイトルからして謎めいている。しかし、この謎解きの答えは文中だけでなく、表紙裏や巻末の訳者あとがきでも触れているので、本当の意味での謎ときにはなっていない。残念である。そのうえで、念のためここでも明かしておくと、Himmlers Hirn heiβt Heydrich(ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる)の頭文字である。

 ヒムラーによって見いだされ、ナチ親衛隊の特別行動隊(といえば聞こえはいいが、治安と諜報活動のための虐殺部隊)の創設者としてのし上がっていくハイドリヒ。やがて古くからドイツ人の入植地として知られたベーメン・メーレン保護領(ボヘミア・モラヴィア=現在のチェコ)の副総督に赴任する。容赦ない治安維持活動と反ユダヤ人政策の遂行(ハイドリヒはユダヤ人問題最終解決の策定・推進者として知られる)に、在英の亡命チェコ政府は二人の兵を送りこむ。ハイドリヒ暗殺計画「類人猿作戦」が水面下で進められる。

 一つの暗殺計画の顛末を書くだけなら、ストーリーは複雑ではない。しかし、ローラン・ビネの語り口が尋常ではないのだ。ハイドリヒと暗殺計画を担う兵士と、そして時間を軽々と飛び越え、あちこちで「わたし」が顔を出す。断片的な事実と、それを取り巻く解釈が入り組む。時に「現在」さえ表記に顔を出す(最後の教会での攻防は「2008年」のことだ。なぜそうなのかは推測がつくが)。

気を付けなければならないのは、事実の断片に見えたものがフィクションであり、事実の注釈に見えたものがフィクションであったりすることだ。事実とフィクションの境目が見えなくなる。これはノンフィクションなのか、フィクションなのか。それらが絡み合った森を行くようだ。あるいは、玉ねぎの皮をむいている感触。事実の積み重ねの中で「わたし」が顔を出し、フィクションが生まれる瞬間を、読者は体験するといったほうがいいだろうか。こうした傾向を、著者自身は「細部へのこだわり症」といっている(「訳者あとがき」から)。

ニュージャーナリズムで「ノンフィクションノベル」というのがある。ノンフィクションを小説の語り口で書こうとする試み。ここにあるのはそれではない。むしろ逆だ。小説をノンフィクションの手法で書こうとする。それに近いだろう。各所で「わたし」が顔を出すのも、そうした効果に一役買っている。

 こうした語り口の複雑さの中で、一見無関係にも思えるプラハの街の美しい表情(「雨の指を持つプラハ」という表現が気に入っている)、中欧の歴史が古い建物を包む蔦のように絡んでくる。スターリンとトゥハチェフスキーの確執も、なぜか長々と出てくる。「歴史もの」にとどまらず、衒学的で読む楽しみにあふれた一冊である。

 東京創元社、2600円(税別)。


HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)

HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)

  • 作者: ローラン・ビネ
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2013/06/29
  • メディア: 単行本

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鶴見俊輔という人間万華鏡~濫読日記 [濫読日記]

鶴見俊輔という人間万華鏡~濫読日記

 

「鶴見俊輔伝」(黒川創著)

 

 鶴見俊輔、と聞いて何を思い浮かべるか。哲学者。思想家。べ平連をつくった市民運動家。「思想の科学」を発刊し続けた編集者。とっさにつづってもこれだけある。そして、後藤新平を母方の祖父に持つ家系。父も保守系の衆院議員であったが、遠縁には獄中転向で知られた佐野学もいた。姉の和子は米国留学が長い社会学者であった。自身も米国ハーバード大に学んだ。

 一筋縄ではとらえきれない人生である。したがって、どこかに軸足を置かざるを得ない。

 祖父や父との葛藤。そこからくる10代の不良時代。若くして女性を知り、複数の中学を放校処分となり、日本での学歴は小学校卒という。一念発起して米国にわたり、ハーバードで猛勉強。しかし、日米間で戦争が起き、やむなく日米交換船で帰国。「日本は負ける。その時に日本にいたほうがいいと思った」と、鶴見は書き残しているが、この書でも、その言葉は記されている。

 米国留学中に日米間で戦争が起きた。日本に戻るか、米国に残るか。葛藤の末に帰国した鶴見の体験は、自身の戦後思想に深く濃い影を落とした。一時は戦場に赴いたものの、どちらかといえば「戦争」を外側から見つめていた、といえる(この時の戦場体験が「殺すな」という思想を生んだ。大義のない戦争で人を殺すことができるのか、という問題である)。

 こうした万華鏡のような人生を追う中で印象に残るのは、10代の不良時代の心情は比較的薄めに叙述されていること。日米交換船の体験は厚めに書かれていること。そして「思想の科学」をめぐる編集者としての活動ぶりと思考も、かなり多角的に書かれていること、であろうか。なお、書の中で「私事にわたるが」と断って著者が明かしたところでは、著者・黒川は京都ベ平連の事務局長の息子であり(したがって小さいころデモにも参加経験を持つ)、「思想の科学」編集部にも出入りしていた。なお、鶴見自身が人生を振り返ったものとして、上野千鶴子、小熊英二との鼎談(インタビュー?)による「戦争が遺したもの」(新曜社)がある。読み比べると興味深い。

 後藤新平を頂点とする家系に言及するくだりで特徴的なのは、当時の時代状況の中で鶴見家がどんな存在であったか、という視点が貫かれていることだろう。1909年、ハルビン駅での伊藤博文暗殺事件まで登場する。後藤新平がセットした日ロ首脳会談に出席するため、伊藤がハルビンに出向いた際の出来事だったからだ。なお「俊輔」は伊藤の幼時の名前で、政治家として大成するように、と父が願いを込めたとされる(そのことが、俊輔には心情的な圧力となった)。

 俊輔は1922年、祐輔と愛子のもとで生まれた。愛子は後藤新平の娘、祐輔は女婿であった。24年に祐輔は若手官僚から転身、衆院選に出馬するが、この時は落選した。こうした政治一家で俊輔は育った。しかしこうした環境は、必ずしも直線的な政治志向を生まず、むしろ屈折を俊輔の心中に育てた。

 鶴見は米国留学中、当局の審問に「アナキスト」と答えた。帰国して戦後は「プラグマチスト」を名乗った。こうした精神的土壌、「戦争」にずっぽりとはまらなかった人生の軌跡も、「思想の科学」に濃密に影を落とした。創刊したころ、民主主義科学者協会(民科)などの共産党系との軋轢、マルクス主義者ではあるが共産党には所属しなかった武谷三男の「思想の科学」擁護論が興味深い。

 1946年に発刊した「思想の科学」は1996年終刊となった。事務所を転々とし、出版社を変え、数次にわたって休刊、再刊を繰り返した。採算を度外視した硬派の雑誌が半世紀続いた。「思想の科学」の歴史の追い方に比べ、「声なき声の会」の発会の経緯、べ平連誕生のいきさつ、脱走米兵をかくまい、国外逃亡させたことなどの記述、つまり市民運動家としての鶴見俊輔の肖像画は、若干薄目である。しかし、500㌻を超す大部を前に、そうした不満を述べることは適当ではなかろう。2015年、93歳で没した人間の多様さを盛り込めたという一点だけで、「黒川創よ、ご苦労さん」といいたい。

 新潮社、2900円(税別)。


鶴見俊輔伝

鶴見俊輔伝

  • 作者: 黒川 創
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2018/11/30
  • メディア: 単行本

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