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歴史の中の人間を浮かび上がらせた~濫読日記 [濫読日記]

歴史の中の人間を浮かび上がらせた~濫読日記

 

「近現代日本史との対話【戦中・戦後―現在編】」(成田龍一著)

 

 当ブログで先に掲載した「近現代日本史との対話【幕末・維新―戦前編】に続く、近現代日本を俯瞰した通史の後半部分である。標題からも分かるように、前半は1930年代、満州事変によって日本が一気に暗い時代へと突入するところで終わっている。それを受けて後半は30年代、日中戦争から米英との戦争へとところから始まる。

 つまり、近現代日本を二つに分ける場合、分岐点は45年8月の敗戦にあるわけではないことを、著者は2部構成のかたちの中で語っている。もちろんこれは、分量の都合などによるものではない。

 著者は近現代史を、「システム論」を用いて分析を試みるが、ここでもその手法で説明するのが分かりやすいだろう。明治以降の動きをまずAⅠ、AⅡで説明している。前者は国民国家形成の時代、後者は植民地主義による帝国主義国家形成の時代と読める。そしてBⅠは30年代の昭和恐慌から55年、つまり55年体制が始まるころまで、BⅡは55年から73年まで。システムBという大きなくくりでいえば、1930年から73年までを一つの「時代」と見ることができるということだ。

 なぜそうなるのか。キーワードは「国家総動員体制」である。30年代から日本は限りなく社会主義に近い形になった。戦争に総力を挙げるため、国家主導の経済計画が立てられ、食糧配給制による強制的同一化が行われ、大政翼賛システムによって世論の統合が図られた。清沢洌は「暗黒日記」で「共産主義的な徴候」と記した(P83)。システムBの時代とは、人間を「資源」として見ることで動員対象とした時代でもある。これらの社会システムは敗戦によって全面転換されたかといえば、そうではなかった。官僚組織は温存され、戦時のプロパガンダ体制も生きのびた(この辺はジョン・ダワー著「昭和」が詳しい)。

 社会システムとしては戦中も戦後も、それほど変わらなかったのである。変わったのは戦争という「公」のためか、経済という「私」のためか、である。こうして国家総動員体制に支えられた戦後日本は高度経済成長を遂げた。目的が宙づりにされたまま(20P、映画「五人の斥候兵」)、団結することで戦った日中戦争と、幸福とは何かを問わないまま、アメリカ的裕福さを追い求めた戦後とは、よく似た構造を持つのである。明治維新以降、国民国家形成にまい進した結果が、60年代から70年代初めにかけての高度経済成長に行き着いたともいえる。

 

――戦後は「ゼロ」からの出発点ではなく、また、「近代」の単純な再試行でもありません。「戦後」といったとき、総力戦のもとで変化した社会がすでにあり、そこが出発点となっています。(175P)

 

 では、その後の時代をどう見るか。

 著者は、73年から95年までを一つのシステムと見る。

 80年代は、一言でいえば新自由主義が吹き荒れた時代だった。国鉄、電電、専売が民営化され、中曽根康弘政権は私的諮問機関による政策決定でトップダウン型政治を確立させた。中曽根は「戦後政治の総決算」を掲げたが、思想界でも戦後思想から現代思想への転換が語られた。田中康夫の「なんとなくクリスタル」をはじめ、消費社会をおう歌する小説がもてはやされた。

 阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が起きた95年は、こうして「戦後・後」が語られる画期となった。沖縄で米兵による少女暴行事件が起き、県民の怒りが渦巻いた年でもあった。加藤典洋著「敗戦後論」では、内に向かって死者を悼む心と、外に向かって謝罪・反省する心の「ねじれ=『無辜の死者』と『英霊』を悼む心のねじれ」が問われた。「ポスト戦後」が問われる時代に入ったことが意識されたのである。

 この後「<いま>の光景」として9.11や東日本大震災が語られるが、やはり「いま」に近すぎるため、「歴史」として定着させるには少々時間がかかるだろうことは予測できる。

    ◇

 「あとがき」で成田はこう書いている。

 ――ややこしいいい方になりますが、メタ通史に対応し、それを私の視点と作法から叙述した「通史」なのです。(529P)

 メタヒストリーという概念がある。歴史的事実を叙述するとき、その背後には一定のイデオロギーや視点が潜む。それをも含めて叙述するのが「メタヒストリー」という概念だろう。「通史」という入れ物を使いながらメタ通史でもありうる通史、というのが著者の主張であろう。簡単に言えば、歴史的事実を並べただけでなく、背景にある思想運動や文学をはじめとする芸術活動、映画やテレビドラマの変遷、それらにも目配りをして(やや手を広げすぎの観もあるが)人間を浮かび上がらせた、そういうことであろうか。

 

 集英社新書、1400円。

 

近現代日本史との対話【戦中・戦後―現在編】 (集英社新書)

近現代日本史との対話【戦中・戦後―現在編】 (集英社新書)

  • 作者: 成田 龍一
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2019/02/15
  • メディア: 新書

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事実とフィクションが入り組んで~濫読日記 [濫読日記]

事実とフィクションが入り組んで~濫読日記

 

「HHhH プラハ、1942年」(ローラン・ビネ著)

 

 タイトルからして謎めいている。しかし、この謎解きの答えは文中だけでなく、表紙裏や巻末の訳者あとがきでも触れているので、本当の意味での謎ときにはなっていない。残念である。そのうえで、念のためここでも明かしておくと、Himmlers Hirn heiβt Heydrich(ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる)の頭文字である。

 ヒムラーによって見いだされ、ナチ親衛隊の特別行動隊(といえば聞こえはいいが、治安と諜報活動のための虐殺部隊)の創設者としてのし上がっていくハイドリヒ。やがて古くからドイツ人の入植地として知られたベーメン・メーレン保護領(ボヘミア・モラヴィア=現在のチェコ)の副総督に赴任する。容赦ない治安維持活動と反ユダヤ人政策の遂行(ハイドリヒはユダヤ人問題最終解決の策定・推進者として知られる)に、在英の亡命チェコ政府は二人の兵を送りこむ。ハイドリヒ暗殺計画「類人猿作戦」が水面下で進められる。

 一つの暗殺計画の顛末を書くだけなら、ストーリーは複雑ではない。しかし、ローラン・ビネの語り口が尋常ではないのだ。ハイドリヒと暗殺計画を担う兵士と、そして時間を軽々と飛び越え、あちこちで「わたし」が顔を出す。断片的な事実と、それを取り巻く解釈が入り組む。時に「現在」さえ表記に顔を出す(最後の教会での攻防は「2008年」のことだ。なぜそうなのかは推測がつくが)。

気を付けなければならないのは、事実の断片に見えたものがフィクションであり、事実の注釈に見えたものがフィクションであったりすることだ。事実とフィクションの境目が見えなくなる。これはノンフィクションなのか、フィクションなのか。それらが絡み合った森を行くようだ。あるいは、玉ねぎの皮をむいている感触。事実の積み重ねの中で「わたし」が顔を出し、フィクションが生まれる瞬間を、読者は体験するといったほうがいいだろうか。こうした傾向を、著者自身は「細部へのこだわり症」といっている(「訳者あとがき」から)。

ニュージャーナリズムで「ノンフィクションノベル」というのがある。ノンフィクションを小説の語り口で書こうとする試み。ここにあるのはそれではない。むしろ逆だ。小説をノンフィクションの手法で書こうとする。それに近いだろう。各所で「わたし」が顔を出すのも、そうした効果に一役買っている。

 こうした語り口の複雑さの中で、一見無関係にも思えるプラハの街の美しい表情(「雨の指を持つプラハ」という表現が気に入っている)、中欧の歴史が古い建物を包む蔦のように絡んでくる。スターリンとトゥハチェフスキーの確執も、なぜか長々と出てくる。「歴史もの」にとどまらず、衒学的で読む楽しみにあふれた一冊である。

 東京創元社、2600円(税別)。


HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)

HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)

  • 作者: ローラン・ビネ
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2013/06/29
  • メディア: 単行本

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鶴見俊輔という人間万華鏡~濫読日記 [濫読日記]

鶴見俊輔という人間万華鏡~濫読日記

 

「鶴見俊輔伝」(黒川創著)

 

 鶴見俊輔、と聞いて何を思い浮かべるか。哲学者。思想家。べ平連をつくった市民運動家。「思想の科学」を発刊し続けた編集者。とっさにつづってもこれだけある。そして、後藤新平を母方の祖父に持つ家系。父も保守系の衆院議員であったが、遠縁には獄中転向で知られた佐野学もいた。姉の和子は米国留学が長い社会学者であった。自身も米国ハーバード大に学んだ。

 一筋縄ではとらえきれない人生である。したがって、どこかに軸足を置かざるを得ない。

 祖父や父との葛藤。そこからくる10代の不良時代。若くして女性を知り、複数の中学を放校処分となり、日本での学歴は小学校卒という。一念発起して米国にわたり、ハーバードで猛勉強。しかし、日米間で戦争が起き、やむなく日米交換船で帰国。「日本は負ける。その時に日本にいたほうがいいと思った」と、鶴見は書き残しているが、この書でも、その言葉は記されている。

 米国留学中に日米間で戦争が起きた。日本に戻るか、米国に残るか。葛藤の末に帰国した鶴見の体験は、自身の戦後思想に深く濃い影を落とした。一時は戦場に赴いたものの、どちらかといえば「戦争」を外側から見つめていた、といえる(この時の戦場体験が「殺すな」という思想を生んだ。大義のない戦争で人を殺すことができるのか、という問題である)。

 こうした万華鏡のような人生を追う中で印象に残るのは、10代の不良時代の心情は比較的薄めに叙述されていること。日米交換船の体験は厚めに書かれていること。そして「思想の科学」をめぐる編集者としての活動ぶりと思考も、かなり多角的に書かれていること、であろうか。なお、書の中で「私事にわたるが」と断って著者が明かしたところでは、著者・黒川は京都ベ平連の事務局長の息子であり(したがって小さいころデモにも参加経験を持つ)、「思想の科学」編集部にも出入りしていた。なお、鶴見自身が人生を振り返ったものとして、上野千鶴子、小熊英二との鼎談(インタビュー?)による「戦争が遺したもの」(新曜社)がある。読み比べると興味深い。

 後藤新平を頂点とする家系に言及するくだりで特徴的なのは、当時の時代状況の中で鶴見家がどんな存在であったか、という視点が貫かれていることだろう。1909年、ハルビン駅での伊藤博文暗殺事件まで登場する。後藤新平がセットした日ロ首脳会談に出席するため、伊藤がハルビンに出向いた際の出来事だったからだ。なお「俊輔」は伊藤の幼時の名前で、政治家として大成するように、と父が願いを込めたとされる(そのことが、俊輔には心情的な圧力となった)。

 俊輔は1922年、祐輔と愛子のもとで生まれた。愛子は後藤新平の娘、祐輔は女婿であった。24年に祐輔は若手官僚から転身、衆院選に出馬するが、この時は落選した。こうした政治一家で俊輔は育った。しかしこうした環境は、必ずしも直線的な政治志向を生まず、むしろ屈折を俊輔の心中に育てた。

 鶴見は米国留学中、当局の審問に「アナキスト」と答えた。帰国して戦後は「プラグマチスト」を名乗った。こうした精神的土壌、「戦争」にずっぽりとはまらなかった人生の軌跡も、「思想の科学」に濃密に影を落とした。創刊したころ、民主主義科学者協会(民科)などの共産党系との軋轢、マルクス主義者ではあるが共産党には所属しなかった武谷三男の「思想の科学」擁護論が興味深い。

 1946年に発刊した「思想の科学」は1996年終刊となった。事務所を転々とし、出版社を変え、数次にわたって休刊、再刊を繰り返した。採算を度外視した硬派の雑誌が半世紀続いた。「思想の科学」の歴史の追い方に比べ、「声なき声の会」の発会の経緯、べ平連誕生のいきさつ、脱走米兵をかくまい、国外逃亡させたことなどの記述、つまり市民運動家としての鶴見俊輔の肖像画は、若干薄目である。しかし、500㌻を超す大部を前に、そうした不満を述べることは適当ではなかろう。2015年、93歳で没した人間の多様さを盛り込めたという一点だけで、「黒川創よ、ご苦労さん」といいたい。

 新潮社、2900円(税別)。


鶴見俊輔伝

鶴見俊輔伝

  • 作者: 黒川 創
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2018/11/30
  • メディア: 単行本

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二大政党制を再び考えるために~濫読日記 [濫読日記]

二大政党制を再び考えるために~濫読日記

 

「国権と民権 人物で読み解く平成『自民党』30年史」(佐高信・早野透 対談)

 

 2、3年前のこと。佐高信の講演を聞いた。直前の参院選で野党が東北の改選6議席中5議席をとったことに触れ、分析には戊辰戦争まで振り返る必要がある、と力説していて驚いた。賊軍とされた奥羽越列藩同盟の怨念が背景にある、という話である。失礼ながら、ずいぶん執念深い話だな、と思った。

 同じころ、佐高は岸井成格(故人、元毎日新聞主筆、テレビキャスター)と対談、「偽りの保守・安倍晋三の正体」という本を出した。佐高は、担当した「はじめに」で、現在の政界地図のデッサンを描くために「国権派と民権派」という概念を出していた。これも、明治の自由民権運動から類推された言葉である。

 そして、佐高と早野透による対談本「国権と民権」である。明治以来の近代化を見つつ、現代の政治を批評しようという佐高の試みが実ったというべきか。

 先の岸井と佐高は同じ慶応大法学部だが、岸井が1歳年上。佐高と早野は同じ1945年生まれである。即ち、戦後と自らの人生が同じ年数である。ただし、在野の評論家で「東北」にこだわる佐高と違い、早野は神奈川県生まれ、東京大法学部から朝日新聞政治部一筋。肌合いの違いはいかんともしがたいが、そこが面白さでもある。

 さて、対談の内容である。平成の政治家を、大まかに言えば国の側に立つのか民の側に立つのか、という色分けをしたうえで論じた。二人の思想のありようからして、当然ながら「民権」に軸足がある。

 そこで民権思想に立つ政治家として、加藤紘一がまず登場する。佐高と同じ山形出身であることも大きい。自民党内では際立ったリベラル思想の持ち主であるにもかかわらず世渡りベタが響いて政権がとれなかったことも、佐高の共感を呼んでいるようだ。早野はその点「インテリゲンチャとしての弱さ」「ギリギリのところで本能的に権力を回避する政治家」と見た。対話を通じて明かされた、加藤が魯迅を原文で読んでいた、というエピソードも面白い。

 次に田中秀征が上がる。55年体制が崩壊したころ、自民党を割って「さきがけ」を作った一人。その後の自社さ政権の影のディレクターであった。田中は、国権と民権というより官権と民権の構図で考えていたと佐高はいう。さらに田中の思想を解く中で、宇都宮徳馬の言葉を引き、自民党には自由民権運動以来の野党精神と、自由民権運動は反国家的だという二つの流れがあったと指摘する。それは、自民党が長期にわたって政権を維持したエネルギーの根幹にも思える。佐高によると、田中は石橋湛山の孫弟子を自認していた。

 国権派とはだれか。二人が一致するのは岸信介、福田赳夫、小泉純一郎、安倍晋三の流れである。中曽根康弘は民権的なものを取り込んだ国権、ということになる。田中角栄は民権であるが、弟子である小沢一郎は国権に重心があった。しかし、晩年は民権に軸足を移した。

 なぜ今、このような自民党論が必要なのか。永田町の現状を見れば答えが出る。安倍一強時代といわれ、政権は上から目線で野党を批判する。つれて官僚も忖度と倫理的腐敗を進行させた。現状を打破するには、権力が腐敗すればいつでも政権交代はある、という政治状況を作らねばならない。もともと、小沢が経世会を割ったのも、そうした目論見があったからだった。野党の現状を見ると、もう一度、二大政党を目指すには、自民党を再び割るしかない。それを考える時、国権と民権は重要なキータームになると思える。

 集英社新書、820円(税別)。


国権と民権: 人物で読み解く 平成「自民党」30年史 (集英社新書)

国権と民権: 人物で読み解く 平成「自民党」30年史 (集英社新書)

  • 作者: 佐高 信
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2018/09/14
  • メディア: 新書

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システムで見たメディアと大衆の共振作用~濫読日記 [濫読日記]

システムで見たメディアと大衆の共振作用~濫読日記

 

「近現代日本史との対話【幕末・維新―戦前編】」(成田龍一著)

 

 日本史、もしくは日本の近現代史という場合、多くはそのカテゴリーにはまる歴史的事実を抽出、編纂し叙述するという手法をとった。これに対して唯物史観(階級史観)が現れた。階級闘争の連続性と、その結果としての「体制」の遷移によって歴史を見る手法は分かりやすい反面、人民・大衆がマスとしてしか見えてこない弱点はいかんともしがたかった。

 成田龍一の「近現代日本史との対話」は、帯にあるように「システム」の概念を通じて歴史を理解する試みである。そういえば井上寿一著「日中戦争」もシステム論を通じた戦争体制の分析であった。

 システムとは何か。いわゆる「体制」ほどスタティスティックでもマクロ的でもない。「日中戦争」の副題に「前線と銃後」とあるように、権力者が構築した制度的フレームにとどまらず、当時の風俗、社会思潮、大衆の言動、つまり動的な人間関係にまで目配りした歴史分析の手法といえる。米ソ冷戦終結から30年、体制の変遷だけで歴史を語ることが難しい今、どうやらこの手法が歴史分野での最先端であるようだ。

 成田は、日本の近現代史を2分冊で語ろうとしている。前半は1853年のペリー来航から1930年代の満州移民開始まで。これは、歴史のメジャーとしては坂野潤治「日本近代史」が取り上げた18571937年の80年間にほぼ合致する。違いは「ペリー来航」を入れるかどうか。この前半部分が【幕末・維新―戦前編】に収められた。ペリー来航の1853年から福島原発事故までの150年余を大きく3分類し、それぞれをⅠ、Ⅱ型と分けた。つまり六つのシステム類型で日本の近現代史を語るというのが、本書の試みである。著者自身による「システム」の説明を引用すれば以下のようになる。

 ――システムは、ある出来事をきっかけに始動して方向性をつくり出し、大きなうねりとなって人々を巻き込み、社会を編成します。(略)一つのシステムはおおよそ二五年の期間持続します。同時に、社会は編成されたその瞬間にさらなる変化を始めています。

 システムとは、人間社会に登場した一種の「うねり」と理解できる。それが「制度」として固定化された時、次のシステムへのうねりが社会に内在する。こうして社会の編成―再編成が繰り返される。六つの類型のうち、【幕末・維新―戦前編】に収められたのはシステムAⅠとAⅡ、そしてBⅠの始まるまで。即ち、ペリー来航を一つの衝撃として開国から国民国家形成に至り、帝国主義的国家の建設、国家総動員体制の確立までである。

 例えばペリー来航を歴史的にどうとらえるか。成田は、この事件を武士階級にとどまらず国家社会を議論する契機―即ち公共的空間の創出ととらえ、それが幕藩体制から国民国家への移行につながったとみる。この辺りがシステム論的な歴史の語り口であろう。

 日本が国民国家から帝国主義国家へと向かう契機になったのは1894年の日清戦争、1900年の義和団事件での出兵、その後の日露戦争であった。一連の戦争の中で日本は台湾、樺太南部に植民地を得た。この中で国民の間に文明、野蛮、異界という認識が出来上がった。1910年には大逆事件と韓国併合があった。内外共に帝国主義が確立した。

 1925年には普通選挙法が実施された。しかし、二つの問題があった。一つは男性のみに適用され女性は準国民の扱いだったこと。もう一つは同じ年に治安維持法が施行されたこと。つまり普選=治安維持法体制はセットであった。このことは、その後の国家総動員体制確立に有効に働いた。普選=治安維持法体制に昭和恐慌が加わり、事変=戦争がかぶさる。思想、行動ではみ出したものは「非国民」とされた。この時代を成田は、大衆とメディアの共振と表現している。言いえて妙である。戦争は一部勢力が遂行したものではなく、国民自身、そしてメディアが鼓舞したものだった。この辺りの目配りはシステム論的歴史論の妙であろう。恐慌によって旧来の共同体が解体し、それによって国民が再定義され、影響力を発揮した。そこにはメディアが介在した。思想や感情までも制御する国家総動員体制が出来上がった。排外主義の高まりの中、満州事変が起きた。

 歴史を振り返るとき、権力や群衆といった「マス」の動きを見るのも重要である。しかし、個人の生活の営みもまた、社会に大きな影響を与える。その両方を見ようというのがシステム論的歴史観であろう。ともすれば味気なさが漂う歴史を物語のように動的に甦らせ、面白く読ませる一冊である。

 集英社新書、1300円。

近現代日本史との対話【幕末・維新─戦前編】: 【幕末・維新─戦前編】 (集英社新書)

近現代日本史との対話【幕末・維新─戦前編】: 【幕末・維新─戦前編】 (集英社新書)

  • 作者: 成田 龍一
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2019/01/17
  • メディア: 新書



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「日本とアジア」を考える契機~濫読日記 [濫読日記]

「日本とアジア」を考える契機~濫読日記

 

「日中戦争 前線と銃後」(井上寿一著)

 

 日本は明治以降の近代化を推し進める中、盧溝橋事件を経て日中戦争という泥沼へとはまり込み、さらに米英との戦争を始めるに至って破滅へと突き進んだ。歴史に「IF」は禁物だが、もし日中戦争を回避できていたら日本の現在は違っていただろう。なぜ日本は中国との戦争を避けることができなかったか。

 井上寿一著「日中戦争」は、副題に「前線と銃後」とあるように軍、政の権力者の側だけでなく、庶民や下級兵士の戦争観も織り交ぜた歴史書である。昨今見られる社会システムの変遷を追うことで、歴史の根幹を見るという手法が見て取れる。そのために「兵隊」(前線の兵士らの投稿による雑誌。一切検問はなかったという)での証言が多く用いられた。こうした中、軍部が戦争拡大に消極的だったこと、労働者・農民の党である無産政党が戦争に協力的だったことを指摘した。国民は戦争の被害者であり加害者でもあった。

 1920年代を境に日本の社会システムは転換する。自由主義から全体主義へ、国際主義から地域主義へ。このタイミングで起きたのが満州事変でありノモンハン事件だった(私見だが、ノモンハン事件は日本の戦争史の中で過小評価されている)。こうした中、日本はシステムの変換を迫られた。二大政党制から大政翼賛会体制への転換である。井上はここで、大政翼賛会はただのファシズム体制ではなく、政党政治を超えたデモクラシー体制を目指したとする。「目からウロコ」ではあるが、理解はなかなか難しい。

 以上が日中戦争のデッサンである。この構図に従って、各論が展開される。

 1930年の世界恐慌から立ち直った日本は、国際的覇権を求めてさらなる経済成長を目指す。労働者、農民、一般大衆、そして財界が日中戦争を「歓迎」した背景はこの辺りにある。面白いエピソードが紹介されていた。戦線へ送る「慰問袋」が金さえ出せば百貨店から直送できたという。これに対して前線の兵士から「せめて宛名書きは自筆で」と苦情の投稿が「兵隊」に掲載された。

 前線で戦った兵士が帰国すると、日本国内は軍需景気に沸いている。百貨店は売り上げ「戦争」に余念がない。兵士は違和感を抱き「日本」の革新を求める。日本主義の台頭である。帰還した兵士は、過去の平和への復帰ではなく、手あかのついていない新秩序、新しい「東亜」への期待を持つようになった。背景として火野葦平らの文筆活動も大きかった。

 目的意識を持たないまま始まった日中戦争は、開戦後1年余りを経て戦争の再定義が行われた。昭和13年の近衛文麿首相による「東亜新秩序」声明である。戦争は軍事にとどまらず文化工作の側面を持つ。「東亜協同体」論と「国民再組織」論が結合する。国民精神総動員運動(精動運動)が始まり、政党政治との兼ね合いが議論される。当初、井上は政党政治の期待の上に精動運動はあったという。

 しかし、戦局は悪化する。「今の日本は共産主義と紙一重」という言葉を、山田風太郎の著書から引用している。大政翼賛会による政治一元化は、戦争による国民の窮乏化=下方平準化=「社会主義」化だった。敗戦による「神の国」の滅亡とともに日本主義は空疎化し、大衆が抱いた「社会主義」への志向は戦後社会に持ち越された。

 井上は、敗戦とともに日本は1920年代、大正デモクラシーの時代に回帰したとみる。ただ回帰したのではなく戦争による社会変動を内包した「回帰」だった。この中で、戦後日本が学ぶべきことは何か。「近代の超克」の京都学派と晩年の廣松渉をあげているのが印象的だ。

 そして今、日中戦争を問う意味は何か。戦争責任を問うとともに、冷戦後の日本とアジアの位置関係を考える契機、という意味合いがあるだろう。

 講談社学術文庫、1010円。

 

日中戦争 前線と銃後 (講談社学術文庫)

日中戦争 前線と銃後 (講談社学術文庫)

  • 作者: 井上 寿一
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2018/07/12
  • メディア: 文庫



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「静かな沈滞」をよしとする思想~濫読日記 [濫読日記]

「静かな沈滞」をよしとする思想~濫読日記

 

「いま、松下竜一を読む やさしさは強靭な抵抗力となりうるか」(下鴨哲朗著)

 

 この書の発行は2015年3月である。したがって、表題の「いま」は、2011年の3.11を体験した「いま」である。著者は松下竜一の思想を、ポスト3.11を考えるうえでの重要な示唆として、この書を上梓したのであろう。

 竜一は九州・中津の豆腐屋の長男として生まれた。高校での成績はよく、東京大の文学部を目指すほどであったというが、そのころ母を亡くした。貧しい豆腐屋のやりくりが肩にのしかかった。大学進学をあきらめ、父と豆腐作りに励む。貧困の中、鬱積する思いを短歌に託して新聞に投稿、注目を浴びる。日常の喜怒哀楽をつづった「豆腐屋の四季」を出版した。

 やがて豊前海岸の火発建設反対闘争に取り組む。環境権を掲げ、住民運動にのめりこんだ。ここからは無人の野を行くがごとき、である。筑後川のダム建設反対を唱え、異様な城塞「蜂の巣城」を築いた室原知幸の闘いを描いた「砦に拠る」、大杉栄と伊藤野枝の遺児の自立を追った「ルイズ――父に貰いし名は」…。甲山事件や東アジア反日武装戦線にも迫った。一見して、それは無軌道とさえ思える。

 しかし、そこには確かな「水脈」があった。それが、標題にある「やさしさは強靭な抵抗力となりうるか」だった。幼い竜一が母から教えられた言葉という。体が弱かった竜一に母は「強くなれ」とは言わず、ただ「優しくあれ」と言った。こうして育った竜一は貧困に続いて豊前海岸埋め立てという強大な力を目前にする。「やさしさ」を拠点として抵抗の砦は築けないか。これが終生のテーマになった。

 体が弱かった竜一は「本の虫」になった。図書館よりも貸本屋の講談全集を乱読した。こうして身に着けた語彙や語りの調子が、その後のノンフィクションに生かされた。

 著者(下鴨)が、竜一との初対面の印象を書いている。

 ―-なんと淋しげだ。そしてなんと哀しげだ。けれどもああ、なんとやさしく語りかけてくる眼差しだろうか。(第4章 本好きにする本)

 しかし、竜一はけっして貧しさを恥じてはいないことは全編からにじみ出ている。ある集会で、自身の出生地・中津についてこう書いている。

-(豆腐屋が淘汰されずに生き残ったこの町は)変化にうとい、住みよい、安定した静かな沈滞が象徴されている。(第2章 暗闇の思想)

 「静かな沈滞」は恥ずべきことではなく、私たちに住みやすさをもたらすものだと言っている。彼が亡くなって7年後に福島原発事故は起きた。そしていま、「海を殺すのか」と叫んだ豊前海岸の火発反対闘争は、沖縄・辺野古の埋め立て反対闘争に重なる。不安定でひたすら消費を強いられる時代に「やさしさ」と「静かな沈滞」を叫ぶことの重要性を、松下竜一の思想は教えてくれる。

 岩波書店、2300円。

 


いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか

いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか

  • 作者: 下嶋 哲朗
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2015/03/20
  • メディア: 単行本

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三島の虚無の深さをみる~濫読日記 [濫読日記]

三島の虚無の深さをみる~濫読日記

 

「三島由紀夫 ふたつの謎」(大澤真幸著)

 

 三島由紀夫は19701125日、東京・市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面隊総監部で建軍の本義に戻れと自衛隊員の蹶起を促し、激しいヤジを浴びた末に割腹自殺を遂げた。三島の長編小説「豊饒の海」の擱筆の日でもあった。

 社会学者・大澤真幸はこの時、小学6年生であったという。当然ながら事件の本質を受け止められず「何かただならぬこと」が起きたと感じたと述べている。三島の代表作「金閣寺」を読んだのは、16歳の時だった。

 「三島由紀夫 ふたつの謎」の「まえがき」で大澤は「哲学的な知性」「芸術的な感性」という二つの側面で三島は「近代日本の精神史の中で最も卓越した創造者の一人」との見方を示している。そのうえで三島の割腹自殺に疑問を呈する。なぜあれほど稚拙な演説を行い、愚行ともいえる自裁の方法をとったのか。もう一つは、長編小説「豊饒の海」第4部「天人五衰」を、あれほどまでに全編を激しく否定するほどの終わらせ方にしたのか。

 標題の「ふたつの謎」とは、このふたつである。70年のこの日、三島がのぞかせた心の闇を、全編ミステリーのようなタッチで大澤は追う。大澤は社会学者である。決して文学者としての三島を分析してはいない。プラトンやカントを援用し、あるときは「三島の哲学~唯識論」を、あるときは「美」に対する想念を丹念に解析していく。

 菅孝行の「三島由紀夫と天皇」が三島の天皇論を基軸において作品と行動を意味づけしたのに比べ、アプローチが込み入っていることは間違いない。

 「豊饒の海」は輪廻転生の物語であるが「天人五衰」は最後に、転生ではない偽物の主人公が出てくる。そのことを発端に、前3巻の物語までが否定される。これでは、大澤の言葉を借りれば「詐欺」になる。菅は、転生の物語の主人公を天皇になぞらえ「豊饒の海」の最後に描かれたのは戦後の人間天皇への幻滅だったとしたが、大澤はその立場をとらない。

 三島はこの結末を、いつの時点で想定したのか。最初から、ということは、おそらくなかっただろう(最初から想定されていたという批評も、大澤は紹介しているが)。第4巻で「偽物」を登場させるにしても、そこから再び「本物」へと転換し結末に至る、という筋書きは当初あったのではないか。しかし、書き進むうち、三島は深い虚無の世界に陥った。そこから逃れるすべを持たない深い虚無の世界に。大澤はそうみた。

 三島は、一貫して「虚無」を抱えた作家であったと大澤はみた。虚無の深さが、一連の三島作品を支えてきた。その中で「金閣寺」の、僧が放火に至る心理過程にこそ、701125日の蹶起への萌芽があったとする。美の象徴である金閣寺を、火を放つことで崇高な理念としての美にする。同じことを「天人五衰」のラストでも展開した。そして市ヶ谷では、自ら鍛え上げた肉体を自刃によって滅びさせた。大澤の言葉によれば「有意味な死」がそこにあった。しかし、大澤によれば二つのことは、現象としてはつながっていない。前者は絶対的な静謐の世界であり、後者は無意味な騒々しさであった。ただ「豊饒の海」は実は不毛の海であり、背後にあったのは深い虚無だった。これが大澤のたどり着いた地平であった。

 集英社新書、940円。

 

三島由紀夫 ふたつの謎 (集英社新書)

三島由紀夫 ふたつの謎 (集英社新書)

  • 作者: 大澤 真幸
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2018/11/16
  • メディア: 新書


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天皇主義者と反・天皇主義者~濫読日記 [濫読日記]

天皇主義者と反・天皇主義者~濫読日記

 

「三島由紀夫と天皇」(菅孝行著)

 

 「待っていたのはあなたじゃない」―。冒頭、著者・菅は太宰治の戯曲のセリフを引く。19466月に発表された。「あなた」とは。占領国アメリカ、媚びる自国の権力者、敗戦で荒廃した大衆…。では、三島由紀夫にとっての「あなた」とは誰だったか。自己の神格を否定、人間宣言をした天皇ではなかったか。こうして三島の戦後が始まる。25年後、この作家は「自刃」という異様な最期を遂げた。「三島」の25年間を読み解いたのが、この一冊である。

 菅は、思想的に三島と全く逆の位相にいる。1939年生まれ。吉本隆明論や鶴見俊輔論、竹内好論を書いてきた。天皇制にも触れたが、タイトルは「天皇制―解体の論理」である。反・天皇制に立つ批評家が、神格天皇の復活を激しく願った三島とどう交わったか。

 いうまでもなく天皇は、「神」であることで多くの兵士を特攻機に乗せ、戦地へと送り出した。その本人が「実は人間でした」と言い、戦後を生き延びた。ここに三島は欺瞞を感じた。決定的な不信は戦後社会への不信でもあった。しかし、生じる怒りと反発は、他の戦後作家とは遠くかけ離れていた。逆に言えば、こうした内的断層を抱えたため、三島は作家でありえた。菅は一つの仮説を立てる。以下、要約。

 ――三島の創作のモチーフは、ほぼことごとく理念としての天皇への愛と生身の天皇への憎悪に引き裂かれた自身の葛藤・軋轢を起源としている。その葛藤を作品内部で解決できなくなった結果が、自衛隊での割腹死である。

 三島の作品を追い、この仮説が緻密に展開される。しかし、「作品内で解決できなくなった結果としての割腹死」という部分は複雑だ。菅は226事件の磯部浅一「獄中手記」に思いを飛ばす。蹶起の志を聞き入れなかった天皇を怒り、この上は自らが神となるとした手記である。菅は、割腹死は単なる諌死ではなく、天皇になり替わる―天皇霊の略取の目目論見ではなかったかと大胆に迫る。

 しかし、精神世界の亀裂を自らの肉体にまで降ろしていくのは並みの思考ではない。ここはもちろん、緻密な作業が必要になる。

 三島の「英霊の声」は、天皇の命で死地に向かった兵士たちの呪詛の声を小説にした。兄神は2・26事件の蹶起将校を思わせ、弟神は特攻兵士を思わせた。恨みの強さに、霊媒は死ぬ。顔は何者かのあいまいな表情に変わる。作家の瀬戸内晴美(当時)は、天皇ではないかと悟る。怒りの声は、天皇自身に届くことはなく、霊媒の死にとどまる。弑逆(しいぎゃく、王殺し)などありえない。そこが天皇主義者の所以なのである。

 60年安保そのものに、三島はさほど関心を抱かなかったという。作品と自己との間には画然と線引きがなされていたと思える。ただ、山口二矢の浅沼稲次郎暗殺事件には心を動かされたに違いない、と菅も推測する。この事件に関心を示した作家がもう一人いた。大江健三郎である。ただ、二人の視角は全く違った。

 60年代に入ると、三島の関心は行動に移った。そして三島にとっての大事件が起きた。68年の新左翼「暴動」である。抑えきれなかった機動隊に代わり自衛隊の出動は必至とみて、左翼勢力鎮圧のため三島は「民兵」として加わる覚悟をする。しかし、翌年は機動隊に抑え込まれた。出番がなくなった自衛隊は、憲法改正による「米国の傭兵」からの脱却の機会を失ったとして、三島は70年、市ヶ谷で蹶起する。

 これは自刃か諌死か。さまざまな説がある中で菅は「それ以上のものを目指した」として「天皇霊の略取」説を取った。藤田進は「天皇制国家の支配原理」で戦後天皇制を「買弁天皇制」と名付けたが、三島はそこから天皇霊のわが身への降臨=救済をもくろんだというのである。

 20168月、平成天皇は生前退位を暗に求めるメッセージを発した。菅はこれを三島の行動と、現行天皇制への批判という点で通じるという。ともに、戦後における天皇の霊性を信じた行動であるというのである。もちろん、菅はこのことを認めているわけではなく、国家の霊性の排除と共和社会実現のため、人間と人間の信任こそが社会にとって重要だといっている。

 94P、「1948年、三島は法務省を退職して作家生活に入り」は、よく知られているように大蔵省(現・財務省)の誤り。労作だけに惜しい。

 平凡社新書、900円(税別)。

 

三島由紀夫と天皇 (平凡社新書)

三島由紀夫と天皇 (平凡社新書)

  • 作者: 菅 孝行
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2018/11/17
  • メディア: 新書

 


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そして誰もいなくなった~濫読日記 [濫読日記]

そして誰もいなくなった~濫読日記

 

「恐怖の男 トランプ政権の真実」(ボブ・ウッドワード著)

 

 トランプ政権の迷走が止まらない。最近では、利上げ政策を取るFRB議長への大統領による批判が市場不安を招き、世界同時株安に発展した。「トランプリスク」である。背景には、政策的に一致しなければツイッター一本で「辞令」を出してしまうトランプ流への懸念がある。混迷のシリアからの撤退を突然発表し、反対するマティス国防長官が2月末辞任を発表するや、今度はその辞任を2カ月前倒しした。ホワイトハウスの統括役ともいえるケリー首席補佐官も年内にやめるが、後任選びは難航しているという。株価対策をめぐってムニューシン財務長官の辞任も取りざたされた。重要閣僚の誰がいつ辞任してもおかしくない状況だ。

 そんなトランプ政権の内幕を、ワシントンポスト記者ボブ・ウッドワードが一冊の本にまとめた。ニクソンを辞任に追い込んだ「大統領の陰謀」以来、歴代大統領の政策決定プロセスを白日にさらしてきたジャーナリストである。原著は今年9月に発売、既に140万部が売れているという(訳者あとがき)。12月上旬に出た日本語版では、冒頭、こんな言葉が目に飛び込んだ。

 

――アメリカは、感情的になりやすく、気まぐれで予想のつかない指導者の言葉に引きずり回されている。(略)世界でもっとも強大な国の行政機構が、神経衰弱を起こしている。以下はその物語である。

 

 物語の主人公は世界最強の軍隊を動かせ、地球を即座に破滅させるだけの核ミサイルのボタンを握る。その男がツイッター一本で閣僚をクビにし、他国の指導者をののしる。これが恐怖以外の何だろうか。ホワイトハウスの意思決定が、重要閣僚による手順を踏まえたものであればまだましなのだ。やり方次第でトランプをねじ伏せることもできる。しかし、問題なのは、主席戦略官という得体の知れないポストに就いたスティーブ・バノンや大統領の身内であるクシュナーやイバンカがホワイトハウス内をかっ歩し、トランプに何やら吹き込んでいることだ。しかし、バノンも20178月にやめてしまった。

 

――クシュナーとイバンカが牙城を明け渡さないことが問題だった。(略)二人をルールに沿った作業予定に引き入れるのは不可能だった。

 

 二人がここにいるべきではないのか、とトランプが聞く。そのたびに首席補佐官プリーバス(ケリーの前任)は「いるべきではないでしょうね」と答える。しかし、何も変わらない。万事、この調子なのだ。追い出そうとするのは無駄なことだと、プリーバスは確信する。

 大統領になって3カ月のトランプはシリアのサリンガス被害を目にする。女性や子供もいた。「アサドをぶっ殺せ」とトランプはマティス長官にいう。長官は「はい」というが聞き流す。一時の感情に任せて発言することを知っているからだ。結局、この件はシリア空軍施設への59基のミサイル攻撃という形を取るが、数週間後には大統領の目は他の問題に向けられる。それにしても、誰がトランプにシリアの写真を見せたのか。どうやら、イバンカが目の前でちらつかせたらしい…。

 

――トランプは目の前に書類がないと忘れることが多い。視界にないものは意識にないのだ。

 

 大統領秘書官のポーターも国家経済会議委員長のゲーリー・コーンも、そう見ていた。そして、この著書は、この種のエピソードが延々と連ねられる。

 在韓米軍に年間35億㌦が支出されていることに、トランプは不満を示す。「引き揚げろ」「どうなってもかまわん」。トランプに、外交、経済、軍事における同盟関係を理解させなければならない。マティスとコーンは、ペンタゴンに政権の重要スタッフを集め、議論することにした。大統領就任から6カ月がすぎたころである。結果は思わしくなかった。

 

――「大丈夫か?」コーンがきいた。「あの男はものすごく知能が低い」ティラーソン(国務長官、183月辞任)は、一同に聞こえるようにいった。

 

 今年初めに出た「炎と怒り トランプ政権の内幕」(マイケル・ウォルフ著)はバノンの証言をベースにしたといわれるが、「恐怖の男」はコーン(国家経済会議委員長を1842日辞任)の視点が比較的ベースになっているようだ。それにしても、さしものウッドワードもトランプ政権のドタバタには手を焼いたのではないか。目次なし、各章のタイトルなしはブッシュ、オバマ政権の時と同様の手法ではあるが、起承転結がなく終わりが突然やってくるという印象はぬぐえない。先の「炎と怒り」と同様の内幕暴露本とは呼びたくないのだが、現在の読後感では、そう呼ばれても仕方がないか、と思う。その意味では、取材対象としてのトランプ政権はあまり筋がよくない代物ではあったのだろう。

 ウッドワードが書いたのは、トランプ政権の意思決定過程の脈絡のなさとトランプ自身の判断能力のなさである。そのことはアメリカの悲劇ではあるが、ではトランプをヒラリーに変えたら問題は解決するか、といえばそうではない。アメリカが抱える問題はもっと根深いところにあり、それがアメリカにとっての悲劇でありリスクであるということを再認識させられた。

 日本経済新聞出版社、2200円(税別)。


FEAR 恐怖の男 トランプ政権の真実

FEAR 恐怖の男 トランプ政権の真実

  • 作者: ボブ・ウッドワード
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
  • 発売日: 2018/12/01
  • メディア: 単行本

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